以下の文章は、上野 矗・竹田契一編(1996)「障害教育 これまで・いま・これから」 猪岡武教授退官記念事業会.からのものです。
修正したい部分がありますが、そのまま掲載します。
これからの聾学校の役割
太田富雄
1.はじめに
百二十年に及ぶ我国の聾教育において、夥しい実践・研究の積み重ねが続けられてきたにもかかわらず、今日でも尚、言語力、学力、手指メディアの導入、社会性など聴覚障害者を取りまく様々な問題が未解決のままである。
聾教育に真摯に取り組んで来た人々の個人レベルでの課題認識が甘かったという訳ではないし、また学部や学校全体のレベルで考えた場合でも、課題についての共通認識をどう持つか、課題解決にどう取り組むかという事に関して多大の努力が払われてきたに違いない。しかし、多大の努力を払って実践した結果を聾教育全体の枠組みの中でどう位置づけるかという問題や個々の聴覚障害者の社会生活までをも視野に入れてどう解釈していくかという問題については、果たして十分な検討がなされてきただろうか。更に重要なのは、問題の検討の際に聴覚障害者自身の意見がどれだけ反映されてきたかということである。最近、福祉分野において、障害者を取りまく様々な問題の解決への努力に向けて、障害者自身が積極的に参加していこうとする運動が盛んになっている。聴覚障害児教育においても、1960年代より世界的にコミュニケ−ション手段の再検討が行われるようになった。ユネスコの専門家会議(1985)でも手話を言語として公認し、話しことばと手話の双方を使いこなす学習の機会を与えるべきだとの提言もなされた。これらの流れを受けて日本でも平成5年に「聴覚障害児のコミュニケ−ション手段に関する調査研究協力者会議報告」が出され、必要に応じたコミュニケ−ション手段の選択・活用やアイデンティティの確立への手話の寄与等をはっきりと認めている。そして文部省では、この報告を具体化するための指導書の作成に取りかかる予定にしている。本稿では、これら最近の聴覚障害児教育における転換点を見据え、今後とも重要性については変わることのない聴覚・聴能、発音・発語といった専門性についてではなく、これから新たに聾学校が果たすべき役割を検討したい。
2.自己実現を果たせる聴覚障害児の育成の場としての役割
中央心身障害者対策協議会がまとめた「『国連・障害者の十年』以降の障害者対策の在り方」では、計画策定にあたっての基本的な考え方の一つに、障害者の主体性・自立性の確立が明記され、障害者による自己決定が重視されるようになった。これまでの教育現場でも「主体性」や「自立性」ということばが使われてはいたが、評価の際に、教育方法の獲得の程度(口話法を身につけたかどうか)が重要視されることが多かったのではないだろうか。自己実現を果たせる聴覚障害者の育成を唱えてはいるが、社会をも変革していける程のパワ−を持った聴覚障害者をどれだけ育成できただろうか。従来の「社会参加」「自立」の概念には社会適応主義のニュアンスが濃い。障害や不適切な養育環境によって伸び悩んでいる能力や可能性を最大限に伸ばすことが自己実現だと解釈すれば、これからの聾教育では、一般社会の枠に填まれる常識を備え、尚且つその枠を抜け出るような個性豊かな聴覚障害者の育成を目指すべきではないか。聴覚障害者に対する健聴者の見方も言語的側面・技術的側面重視から人物重視へと変化しているように思う。このことは、交流教育に関する数多くの実践研究の報告からも窺い知ることができる。健聴者同士のコミュニケ−ションにおいても多様なメディアが使われるようになり、異民族・異文化との交流も盛んになってきたこともあり、健聴者と聴覚障害者とのコミュニケ−ションにおいても多様な表現方法があるのが前提となりつつある。大切なのはコミュニケ−トされた情報の価値やコミュニケ−トした人の人となり、更にはコミュニケ−ションの場を共有する者たちの人間関係である。
では、自己実現を果たせる聴覚障害者を育成するために、聾学校が担うべき機能・役割とは一体何だろうか。1例として、乳幼児から高齢の聴覚障害者までを対象に医療・教育・福祉の機能が有機的に連携できるセンタ−機能を聾学校が持つことを提案したい。乳幼児期における聴覚障害の早期発見・早期補償から学校卒業後の職業問題や生活問題に関する相談業務、手話通訳派遣事業、成人聴覚障害者に対する生涯学習の場の提供という観点に立った講座の開設等である。しかも地域の一般住民にも開放された施設であり、健聴者と聴覚障害者が共に学びあえる場を提供すること。一生涯にわたって、自己研鑽を積み、障害の有無に関わらず人と接し、自己を見つめ、他人をも理解できるような場を提供することである。これらのことにより自己実現を援助しようとするのである。最近、一般小学校でも、空き教室を地域の老人会に開放したり、児童と老人との交流の場とするなどしているが、とりわけ、聴覚障害児は成人聴覚障害者と接する機会がなく、幼児期より成人聴覚障害者と接する機会を与えることは、アイデンティティの確立の上でも大変意義深いことと思われる。自分と同じ聴覚障害者が多数いて、コミュニケ−ション手段も口話や手話など様々存在することを事実として受容することができる。手話と呼べない身ぶりのレベルであっても、聴覚障害者同士が何の制約やストレスも受けずに自由にコミュニケ−ションできる人間関係の場を確保することが必要であるという意識を育てるべきで、そのことがひいては健聴者とのコミュニケ−ションへの意欲にもつながるものと信じる。
対社会的に見ても、聾学校には専門的な設備・機器が揃えてあり、社会教育機関としても機能し得る。これを活かさない手はない。職業科を卒業した聴覚障害者の多くは、それぞれの専門分野ではエキスパ−トであり、職場でも立派にやっている。これらの人たちの専門技術を役立てられるような講座を開設すれば、これまで福祉において奉仕を受ける対象となっていた立場から奉仕する立場への転換ともなり、聴覚障害者自身の生きがいや聴覚障害者と健聴者とのより深い交流にもつながるのではないだろうか。
聴覚障害者が自己実現を目指す場合、聴覚障害者の世界における自己実現と健聴者の世界における自己実現との2つの側面があるが、聾学校に在籍している間は、先ず学校の中で聴覚障害児の一人として育つことが求められる。聴覚口話法の発展・充実により、早期から聴覚−音声回路を主としてコミュニケ−ションを図り、健聴者と同様の能力開発に成功した聴覚障害児が多数いる。しかし、すべての聴覚障害児が聴覚−口話法のみで個人の能力を延ばし得たとは言えず、多くの子が、聴覚−音声回路ではコミュニケ−ションの成立が図れないにも関わらず健聴者としての成長を求められすぎていないだろうか。これで果たして難聴児としてのアイデンティティの確立が図れるのか。成人聴覚障害者を見ると、手話のできるグル−プと手話のできないグル−プ(口話法優先の立場から言えば、前者は口話法ができずに手話を必要とするグル−プで、後者は口話法ができて手話を必要としないグル−プとなろう)に別れてしまっている姿に驚かされることがある。健聴者の世界で生きていけるから手話は不必要だとか、聴覚障害者の世界で生きていくから、口話は重要でないというような二者択一的に考えるのではなく、同じ障害を持った者同士が理解しあえるように、歩みよるべきである。口話法を推進し健聴者に近づくことを良かれとしてきた結果、口話ができるかどうかという1つの尺度だけで、障害者の中での差別化を生み出してしまったように思える。口話法論者であれ、聴覚障害者の自由なコミュニケ−ションの場、自己開放の場を先ず認めるべきで、口話法によって開かれる可能性や見通しが手話法のそれよりも高く、しかも聴覚障害者の選択に叶うのならば、口話法を推進すべきだ。しかし、可能性や見通しについての確約もできず、また手話の何たるかも知らずに手話を知らないこと=手話の否定(無視)という図式を成立させている教師が多いのではないだろうか。これからは、教師自らも歩み寄る姿勢を見せていかなければ、児童・生徒の信頼も得られないだろうし、手話導入に関わる聴覚障害教育の転換点を乗り切ることは無理だろう。
聴覚障害者の世界と健聴者の世界で生きるという二重の役割を果たすことを考えた場合、健聴者の世界にしか生きていない教師は、もっと聴覚障害者の世界における聴覚障害者の生き様を理解し、成人聴覚障害者が聴覚障害児に接した場合に及ぼす影響の意義を積極的に認めるべきだ。そしてその上で、聴覚障害者自らが独自の責任で、聴覚障害者と健聴者の両世界での生活準備をし、人格形成を図り、社会の中で機能できる能力を養成できるような教育目標や教育方法の確立、諸条件の整備に努めなければならない。
3.一貫教育・集団教育の場としての役割
聾学校には幼稚部から高等部・専攻科までがあり、聴覚障害児の多くは聾学校で約20年、人生80年とすれば4分の1を過ごすことになる。聾学校だけで過ごす場合、関わる人々の範囲も狭く、社会的な経験量も著しく制限されてしまう。近年、難聴幼児教育が充実し、幼稚部修了段階で健聴児と遜色のない言語力や知的能力を獲得し、普通小学校へ入学する子もたくさん出てきた。しかし普通小学校に進学する子がすべてそうであるとは言えず、むしろ問題を抱えながら普通校に通う子の方が多いかもしれない。
普通校へ出たいという親たちの最大の理由は「聾学校に居たら社会性が育たない」というものである。また最近は、「聾学校に居ても勉強についていけない。普通校へ行っても勉強についていけない。どちらにしろついていけないのなら、家の近くの普通校がいい」という理由も多くなってきた。聾学校に残って居たら本当に社会性は育たないのか。また、少人数教育で個々人の能力や個性に対応可能な聾学校の利点を活かせず、学力保障も不十分なのだろうか。
聾学校には幼稚部から高等部・専攻科までがあり、長期の展望に立った聴覚障害児の発達が見通せるし、その見通しのもとで各発達段階にふさわしい指導が受けられるという一貫教育の場ならではの利点がある。
聾学校内での一貫教育を考える場合、脇中(1992)が指摘するように、乳幼児期「入り口」に立つ人と高等教育を終え社会に出た時期「出口」に立つ人とでは、その立場の違いによって教育目的が異なるように思える。脇中は、「入り口」に立つ人は、a)「日本語」を読んだり書いたりする力
b)発音明瞭度 c)残聴利用または読話の力 d)「健聴者と交わる力」、といった対「健聴者の中心の社会」を念頭に居れており、「出口」に立つ人は、e)同じ聴覚障害を持つ人たちと生き生きとコミュニケ−ションする力 f)自分の障害を受容し、「健聴者」に対して理解と協力を求めることのできる力 g)後輩のためにも、社会を改革していこうとする力、といった対「聴覚障害者を含めた社会、聴覚障害者と健聴者が対等な立場にあるような社会」を念頭に入れていると述べている。これらの問題は、「入り口」から「出口」にかけて緩やかに変化していくものではない。「入り口」から見た課題と「出口」から見た課題だけではなく、各学部ごとにそれぞれ独自の課題認識がある筈で、それらを踏まえた上でさらに学校全体での整合性を考えなければ一貫教育の意義が消失してしまう。整合性を図るうえでは、各学部の教師が皆聾教育の専門性について一応理解していることを前提とするが、現状では中学部・高等部で聾学校教員免許の保有率が低く、いわゆる聾教育の専門性について十分とは言えない教師も多く、校内研究会等では聴覚障害児の抱える問題に対する認識のずれがあり、議論が十分に深まらないことが多い。
このことについては、認定講習や内地留学等現職教員への再教育を行い、教員の専門性の確保を目指さなければならない。また、大学における教員養成や教員採用試験、人事異動等複雑な問題も絡んでくる。
Uタ−ンやLタ−ンしてくる子たちの多くが言語力や学力等に問題を抱えており、もしそのまま聾学校に居たら、聾学校で育った子たちとの間に大きな開きができなかった筈だと思えるケ−スも多い。普通校に進む時、聾学校とは喧嘩別れ同然だったため、明らかに聾学校へ戻った方がいいと思われるケ−スでも、親の見栄や体裁だけで聾学校には戻らないこともある。このような場合、最大の犠牲者は聴覚障害児だということを理解していない親が多い。普通校でやっていこうとする場合、聴覚障害児本人の努力はもちろんのことだが、親の支援がなければ難しく、親の会や聾教育研究会の父母の分科会等で情報交換や意見交換を行い組織的な支援を展開しているが、最近の若い親たちの意識は低く、会への参加はもとより、学級での日常的な支援にも消極的な親が多くなっている。
通級性が施行され、聴覚障害児教育の選択の場が広がったことは喜ばしいことだが、聾学校、難聴学級、普通学級のそれぞれの役割分担を明確にしていないと、お互いの長所を活かせず共倒れになる危険性もある。学力保障は、一貫教育の成否を問う鍵となっているが、子どもの能力によって学習する場を決めるのがいいのか、聾学校、難聴学級、一般学級が同じ指導計画を立てて、どんな能力の子にも対応できるようにすべきかは、多いに議論されるべきだ。指導計画の立案・見直し等についても聾学校の方が柔軟な対応が可能だろう。難聴学級では、指導内容を問う以前に、通級時間・指導科目等、指導形態の条件整備が先であり、一般学級との連携などの様々な制約も加わり、柔軟な対応が困難である。
手探りの状態で試行錯誤の連続の所が多いことは容易に予想がつく。
聾学校在籍児童・生徒数の減少により、集団が組織しづらくなってきた。集団が組織できなければ、聴覚障害者独自の生活や文化を生み出す母体が無くなってしまうことになる。また、それらを後輩へと受け継いでいくためにも大きな集団が必要なのである。昭和40年代より広まったインテグレ−ションの先駆けとなった聴覚障害者たちも、聴覚障害者の集まり(平成3年度全国ろうあ青年研究討論会)では、聾学校に対する熱い想いを述べるなど、聾学校への帰属意識を示している。また、集団での自治能力を指摘する年輩聴覚障害者もいる。昔は寄宿舎で先輩から厳しくしつけられたのに、最近の若い聴覚障害者は自分の生活空間や生活様式を大切にし、人との関わりが少なく、礼儀作法にも無頓着だという。これらの問題を解決するためにも、ある程度の集団が組織できなければならない。前項の自己実現とも深く関わるが、聴覚障害者協会の活動の場を提供したり、文化祭を聴覚障害者協会と共催したりするなどの試みによって、聾学校だけでの一貫に留まらず、一生涯を通じた一貫教育の場、集団教育の場が作られるのではないだろうか。
4.おわりに
これまで述べてきたことは、最近になって新たに起こってきた問題ではなく、聾学校が設立された時から存在していた筈のものである。ただ最近になって、これまでの能力主義、健聴世界への融合主義から、相互理解主義、共存主義へ障害者観・教育観が変化するにつれ顕在化してきたといえる。これまでの聾学校は、「言語指導」「教科指導」「職業指導」で鍛え、一方的に社会に送り出すだけの教育施設だったが、これからは、社会での聴覚障害者の生き様から教育理念や教育方法を模索して教育実践を行う場(school)であると共に、生涯にわたって聴覚障害者の心の拠り所となるような休憩所(lounge)でもあって欲しい。
参考文献
石原佳敏(1992):新しいイメ−ジの聾学校作りとその内容.ろう教育科学,33,165-172.
石原佳敏・池永泰三・斎場睦・吉備加代子(1993):聾教育の今日を考える.ろう教育科学,
35,47-64.
前田浩・中瀬浩一(1992):聾学校の今日的役割を考える.大阪市立聾学校研究紀要,24,
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文部省(1993):聴覚障害児のコミュニケ−ション手段に関する調査研究協力者会議報告.
小畑修一(1992):聾学校との一貫教育を考える.ろう教育科学.33,173-182.
高井恵美・村上雅浩(1992):聴覚障害児と健聴児の普通学級における交流について.大阪教育大学特殊教育特別専攻科修了論文.
ト−タルコミュニケ−ション研究会(1993):聾教育への手話導入をめぐって−手話のある聴覚障害教育の具体的姿−.SSKト−タルコミュニケ−ション研究大会報告書,15
脇中起余子(1992)聴覚障害児教育における一貫性を考える −聴覚障害者の立場から−.ろう教育科学,33(4),155-163.
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