D.教師に必要な資質とは何か

2008年・金4グループ

教員に必要な資質とは何か。(1000字以内)
@ 私が考える教師に必要な資質とは、以下に述べる四項目である。
 一つ目は、教師としての使命感だ。教師という職業は子どもたちの将来がかかっていると言っても過言ではない。責任が非常に重い職業なので、日頃の授業や子どもとの関わりを怠ることなく行わなければならない。教師自身にとってクラスの子どもというものは、今後何十年とある教員生活のうちのほんの一部なのかもしれないが、子どもにとっては一生のうちに一度しかない小学校生活だということを忘れずに、一番に子どものことを考えて行動する必要がある。
 二つ目は、柔軟な考えができるということだ。教師とは子どもだけではなく、その保護者、地域の人々、他の教師など様々な人と接しなければならない。これらの人と接する際に自分の考えに固執していては、信頼関係を築くこともお互い協力し合うことも難しいだろう。また、総合的な学習の時間の導入があったように今後も教育活動は多様に変化していくことは、必須だろう。この変化の中で柔軟な考えを持って対応し、すばやく適応していかなければならない。このように教師にとって柔軟な考えを持つということは、人を接する際や教育界の変化への適応に必要となってくるのである。
 三つ目は、忍耐力が備わっているということである。現在、教師をとりまく環境は、いじめや不登校、学級崩壊、モンスターペアレンツと呼ばれる過保護な保護者への対応など様々な問題を抱えている。今後この状況はさらに厳しいものになっていくことも考えられる。その中で日頃の授業や教材研究、子どもとの関わりを全て怠ることなくやりこなしていくためには並はずれた忍耐力がなければならない。
 四つ目は、子どもが大好きであるということだ。このことが一番大事だと私は思う。授業をするにしても子どもと関るにしてもいじめや不登校の問題を扱うにしても、子どものことが大好きだという想いがなければ、どれも中途半端になるだろう。この想いが教師を動かす最大の力の源だと私は考える。
 以上述べたように教師に必要な資質とは、教師としての使命感、柔軟な考えができること、忍耐力が備わっていること、子どもが大好きであることの四項目が挙げられる。私はこの資質を身に付け、教師として毎日を全力で励んでいく。


A 私が考える教員に求められる資質とは、子どもの興味・関心を育てる力、子どもの全てを受容する力、子どもと同じ視線を持つことの三点である。
 まず一点目の子どもの興味・関心を育てる力について述べる。教員と子どもが学校生活において一番多く関わるのは授業の時間である。「学力低下」が問題視されて久しい現代、子どもの基礎学力を育てる確かな授業力を持つことは、教員として確実に必要な能力である。同時に、子どもの「生きる力」を育てていくためにも、子どもの興味・関心を引き出せる授業力が教員には求められる。子ども達が各教科だけでなく、教科のカテゴリーに縛られず、積極的に何かを学ぼうとする姿勢を育てることが学校教育において重要なのである。
 次に二点目の子どもの全てを受容する力だが、私は子どもと学校で生活していく上で、この能力は非常に重要であると考える。同じ人間は誰一人としていないことと同様に、子どもの数だけその長所・短所があり、人間関係があり、周囲の環境がある。特に子ども達においては、まだ心身ともに発達の途中であるため様々な問題が起こる。子どもの良い言動を受容し、子どもの成長に繋げていくことはもちろん重要である。それだけでなく、いじめなどの問題が起きた時に、傷ついた子ども、傷つけた子どもの両方を受け入れ、問題解決に努め、それぞれが再び学校生活を送れるように援助していくことが教員には必要だ。子どもが失敗したり、過ちを犯したりするのは当然である。大切なのは、決して子どもをその行動だけで判断せず、教員がしっかりと愛情を持って接すること。そして、その失敗、過ちに気付かせて更正することである。
 最後に子どもと同じ視線を持つことは、子どもと学校生活を過ごす上で決して忘れてはならない。教師としての指導者の視線だけでなく、「自分がこのような言動をとったら、子どもはどう思うだろうか。」という、子どもから見た視線を常に念頭に置く必要がある。また、このことは前述した教員に必要な資質の二点とも密接に関わってくる。子どもの興味・関心を考える上でも、子どもの全てを受容する上でも、子どもの視線に立って考えるということは必要不可欠なものである。子どもと関わる上で、教員は常に指導者としての視線と子どもと同じ視線の二つを持ち併せている必要がある。
 上記の三点が、私の考える教員に必要な資質である。


B 私は、教師に必要な資質とは、「豊かな人間性と教育のプロとしての専門性」であると考える。
教師は、子どもが一日の大半を共に過ごす大人である。人間性の豊かな子ども達を育てるためには、子ども達にとって非常に身近な存在である教師自身が、豊かな人間性を備えた魅力的な人間である必要があると考える。教師が常に向上心を持って、いろいろなことに挑戦し、興味関心の幅を広げる。そして、様々な経験をし、人間性を磨いていく。豊富な経験を、誰かから聞いたこととしてではなく、教師自身が経験したこととして子ども達に伝えていくことで、子ども達の興味関心の幅を広げ、好奇心豊かな子ども達を育てることができると考える。さらに、豊かな好奇心は、子ども達が様々なことに挑戦しようとする原動力となり、多様な経験を積むことによって、豊かな人間性が育つと考える。また、教師はその専門性を生かして、子ども達が学校で過ごす時間の大半をしめる授業時間を、充実したものにしていかなければならないと考える。私が教育実習でお世話になった小学校では、教科担当制による授業が行なわれていた。先生方は、担当する教科の教材研究に非常に力を入れられており、どの教科の授業でも、積極的に取り組む子ども達の姿を見ることができた。先生方からは、「教師は授業で勝負するのだ」と指導していただいた。
私は、実習校の先生方を見ていて、専門性を生かし、子ども達が興味を持てるような授業を行なうことで、子ども達の知的好奇心を引き出し、可能性を広げることができるのだと感じた。もちろん、教科の専門性だけではなく、子どもとの関係作りや学級経営等、その専門性は学校生活のあらゆる場面で求められていると思う。学校生活全体を通して、子ども達に学ぶことや人と関わることの楽しさを伝えていくことができるよう、教師は専門性を磨く必要があると考える。
以上に述べたような教師に必要な資質を身につけるために、私はボランティア等の様々な活動に参加したり、本や新聞を読んだりして、見聞を広げていく。そして、子ども達の好奇心や可能性を引き出し、子ども達が夢を発見することができるような教育活動を行なうことができる教師になりたい。


C 現在、いじめや不登校、学力低下などの問題が学校で起こっている中、それらを解決していく立場にある教師の資質向上が求められている。私が考える教師に必要な資質は2点ある。
1つ目は、子どもに対する深い愛情と強い責任感である。これは、教師に求められる普遍的な資質である。子どもに対する深い愛情は、「子どものために」という教師の原動力となるものであり、一人ひとりの子どもをしっかり見て、受け入れていく姿勢をもつために必要なものである。また、子どもにとっても、教師が自分のことを見ていてくれるという安心感は、学校が安心できる場所であるという意識につながると考える。そして、強い責任感は、子どもたちを自立した個に育てるために、基礎・基本の学力をつけたり、規律を身につけさせたりするために必要なものである。
2つ目は、他の教師・家庭・地域と連携する、マネジメント能力である。この力は、家庭や地域との連携が重視されている中で、これからより必要になってくるものだと考える。学校という場で働く以上、職場の教師との協働は欠かせないし、子どもの教育には家庭との連携が必要である。また、総合的な学習の時間などで地域に出ていく機会が増加している中で、地域の人たちの協力は必要不可欠である。このように、教師の仕事には、子どもに何かを教えるだけでなく、他の教師・家庭・地域との連携も含まれている。子どもの教育を進める上で、家庭や地域と連携するためには、教師同士が協力して教育を主導していくことが必要である。
以上の2点が、教師に必要な資質であると考える。


D 教員に必要な資質とは、人間性だと考える。まず、人間性とは、これまで培われた性格のようなものである。考え方や表情など、その人からにじみ出てくるものである。そしてそれは、子どもと関わり合いながら、日々変化し成長することのできるものである。
具体的に教員としてつけたい人間性を3点述べる。 
1点目は、メリハリをつけ、けじめをつけられる人である。子どもたちの悪いことは叱り、良いことはたくさん褒める。また、学ぶときは学び、遊ぶときは遊ぶ。このような姿を教師自身が日々見せていくことで、子どもたちにも自然と身についていく。
2点目は、演技ができる人である。教師はどのようなことがあっても、子どもたちの前に出れば、いつでも元気に明るくふるまい、子どもたちをリードしていくべきだ。
3点目は、子どもたちとコミュニケーションをたくさんとれる人である。そのコミュニケーションのとり方が上手である必要がある。コミュニケーションといっても、その方法はたくさんある。日々の授業の中で、子どもたちと遊ぶ中で、子どもたちと多く接したり、日常生活、例えば授業の合間や登下校中などに少しでも多く声かけをしたりする。また、連絡帳で毎日子どもの日記を読み、それにコメントをしたり、提出物にもコメントをして返すなどの心がけも必要である。このように、子どもたちにすこしでも多く関われることが大事だ。
4点目は、子どもたちを1人の人間として尊重し、信じることのできる人である。子どもを信頼することによって、子どもからも信頼される。
以上に述べたような、人間性は授業の中にも染み出してくるものだと考える。授業の導入では、子どもたちにおもしろいな、知りたいなと思わせることが重要であり、これは、日々の子どもたちとのコミュニケーションからヒントを得られる。また、授業を展開していく中で、教師の演技力が必要になってくる。どんな演技を行えば、子どもたちの心に響くか、頭の中に残るか、そのことを考えて授業を進められるようになりたい。そして、よいことはしっかりと褒めてあげることによって、子どもたちの自信になるようにしたい。
最初にも述べたが、これらの人間性は、日々培われていくものであるので、このことを忘れずに日々生活していきたい。


E 平成17年10月の「中央教育審議会答申」では、優れた教師の条件として、「教職に対する強い情熱」、「教育の専門家としての確かな力量」、「総合的な人間力」があげられている。これは、これからの教師に求められる資質能力であると私は考える。
まず、「教職に対する強い情熱」である。やはりいつの時代も教師という仕事に対する使命感や誇りは常にもっておかなければならない。同時に、子どもに対する愛情がなくては教育を行っていくことはできない。また、子どもの教育に携わっていく立場としての責任感も備えておかなければならないものである。さらに、変化の著しい社会や学校そして子どもたちに適切に対応することができるように学び続けようとする向上心も必要である。
次に、「教育の専門家としての確かな力量」である。教師は授業で勝負できてこそ教育のプロであると思う。だからこそ、確かな力量を備えておかなければならない。この確かな力量とは、子ども理解力、児童生徒指導力、集団指導の力、学級作りの力、学習指導・授業作りの力、教材解釈の力などから成り立っている。これらの力をバランスよく備え、必要な場面でそれぞれの力を的確に発揮できるような力も必要である。また、確かな力量を養うためにも、教師として常に学び続ける姿勢が非常に重要である。
最後に、「総合的な人間力」である。これは、子どもたちの人格形成に関わる者として、まずは教師が豊かな人間性や社会性、常識と教養をはじめ対人関係能力、コミュニケーション能力などの人格的資質を備えておく必要がある。やはり子どもたちは教師を見て育っていく。だからこそ、「このような子に育てたい」という願いを持ったならば、まずは自分がその理想とする人間になることができるように総合的な人間力を備えておくことが非常に重要である。
以上述べてきたように、著しく変化する社会や様々な教育問題を抱えている現在、教師には実に多くの資質能力が求められている。どんな時代、問題にも目を背けず、広い視野で物事を見つめなければならない。また、そこから自分を高めていくことができるように学び続ける姿勢も大切である。


F 今求められている教師として、もっておきたい資質を2点挙げる。コミュニケーション力と、知識の幅広さである。これらの要素は、教師の腕の見せ所である授業づくりにおいても不可欠なものだ。
まずコミュニケーション力について述べる。教師という職業は、児童はもちろん、その保護者、同僚を含む他の教師、地域の人々など、多様な人々と関わるものだ。周囲の様々な人々と連携、協力し、それを強力な助けとして、最終的には児童のための教育を形にしなければならない。他の職業以上に、人間関係づくりが大切であり、またそれが大きな強みとなる職業であると言える。授業は、まず児童の実態把握から始まる。それに応じて構成された授業でなければ、児童が興味をもつことも、望む力を得ることも困難だろう。実態を的確に把握するためには、単なる観察や調査などでは不十分である。一人ひとりの実力やニーズは、児童と直接関わることで初めてはっきりと見えてくるものだと言えるだろう。よって、授業づくりで最初に求められるのがコミュニケーション力であると考える。もちろん、授業以外でも、学級経営などにおいても必要な力である。毎日児童と話したり、交換ノートをしたりしていた教師が担任であった時は、クラスがとても明るく、いきいきしていた記憶があるためだ。
次に、知識についてだが、授業の際に教える内容を知識としてもっておくべきなのは言うまでもない。それと同様に今求められているのは、知識の幅広さであると考える。自分の知らない事について、面白い話を次々と生み出してくれる教師には、多くの児童が興味を惹かれるだろう。授業の後の説話や日常の会話で、その教師がもつ知識は児童に伝わっていく。現在、インターネットなどによりメディアは以前と比較し児童のすぐ近くにあるものとなっている。児童は、多様な情報源から知識を得る機会をいくつももっているのだ。そのような児童の関心を得、楽しませるためには、知識の量だけでは不十分だ。いかに広い分野についての知識をもち、広い視野をもっているかが重要な点となる。そのため、常に新鮮で正確な知識を取り入れようとする柔軟な姿勢でいることも大切である。
以上の資質を兼ね備えた教師が、現場に必要である。


G 私の考える教員に必要な資質はたくさんあるが、その中でも特に必要だと感じるのは責任感があること、豊かな人間性をもっていること、子どもを愛する気持ちをもっていることの三点である。この三点についてそれぞれ述べていく。
一点目の責任感があることは、社会人として働くという上で、どのような職業についても大切なことであるが、子どもたちと関わる教員という職業においては特に必要であると考える。なぜなら、学校は子どもの命をもあずかっている場所であるからである。しかもただあずかっているだけではなく、子どもを教育する場所であるからである。よって教員は子どもを危険から守り、安全な学校生活を送ることができるように責任をもって子どもを守り、指導していかなければならない。また、子どもたちは教員の姿をよく見ており、それに影響をうけることも多い。だから一つ一つの言動に責任をもつことが大切である。無責任な言動は、子どもを良い方向へ導かないし、子どもは教師を信頼することもできなくなってしまう。信頼関係を築くことができなければ、教育することは難しいと考える。
二点目の豊かな人間性をもっているということは、教員が多くの様々な子どもたちと関わっていく存在であるために必要である。豊かな人間性は、様々な子どもたちに対応でき、子どもたちに多様な学びや視点を与えることができるだろう。そうすることで、様々な可能性に満ちた子どもたちをより豊かに成長させることができる。また、教員は人間と関わる職業であり、マニュアルなどないため、時と場合に応じて臨機応変に対応する力が必要である。そのために豊かな人間性は必要である。
三点目の子どもを愛する気持ちをもっているということは、子どもと関わる教員にとって必要なことである。なぜなら、子どもを愛していなければ、子どものために一生懸命になれないし、愛情のこもった関わりや指導ができないからである。子どもを愛する気持ちは、子どものために頑張る原動力にもなるし、愛情のこもった関わりや指導は、子どもを成長させていくと考える。子どもと根気強く付き合っていかなければならない教員は、途中で投げ出すことは許されないので、愛する気持ちがないと続かないと思うし、手を抜いた関わりや指導になってしまうだろう。子どもと成長を共にしていく教員だからこそ、子どもを愛する気持ちが必要なのである。


H 私が考える、教員に必要な資質は、健康であること、協調性があること、忍耐力があること、情報収集能力があること、多様な価値観と共生できる柔軟な考えができることである。
学校現場では、児童・生徒の指導に加え、校務分掌も多い。また、学級の抱える問題もたくさんあり、日々変化に富んでいて、多忙な毎日であることが予想される。
また、大きな声を出すことをはじめ、子ども共に、体を使い活発に動くことを要求される仕事でもある。
しかし、現実問題として、教師がこのような多忙な仕事に対応しきれず、登校拒否になるケースもある。そのような問題を解決できるように、精神力や体力を基盤として、心身ともに健康な状態であることは、教師にとって、とても重要なことになる。
また、学級の抱える問題などを、1人で抱え込むことは、自分自身を追い込むことにも、児童・生徒を不幸にすることにもつながる。 
同僚や先輩の教師の方々や、保護者、地域の方々と協力したり、相談したりし、一人で悩まないようにすることで、児童・生徒と深く向き合う時間が増えることや、心のゆとりができることにつながると考えられる。
また、忍耐力に関しては、教育は、指導したあとすぐに成果を出すものでないことが理由としてある。
そのような場合、「もうだめだ。」とすぐにあきらめてしまうのではなく、子どもを信じて待つことも重要になってくる。
子どもの将来を考え、自分の考えを持って、根気強く関わっていくことで、子どもの可能性を広げることができると考える。
今まで述べてきた資質は、時代を経ても変わらないものとしていくつか挙げたが、今後特にもとめられる資質として、情報収集能力と多様な価値観と共生できる柔軟な考えができることについて述べたい。
情報収集能力についいては、めまぐるしく変化していく時代に対応していくことや、さまざまな情報が飛び交う時代で、それを正しい情報であるか判断しつつ、教育現場に反映していくべきことは反映できるような力も必要になってくる。
例えば、学習指導要領の改訂など、常に最先端の教育情報は、キャッチできるようにし、教員としてのスキルを磨いていくことはとても重要であると考える。
次の多様な価値観との共生について述べる。
教室には、様々な家庭環境の子どもたちがいることが予想される。モンスターピアレンツと呼ばれ、様々な要望を出してくる親もいることが今日の学校現場で注目されている。
教育者として頭ごなしに否定すると、ますます関係が悪くなっていくことが予想されるので、相手の言うことを受容しつつ、自分の考えを分かってもらえるような関係を築いていく力も必要になってくると考える。
そのために、教師自身、様々な人と関わって、話をし、自分とは違う文化や伝統・風習、環境を受容していく柔軟な考えをもつことが大切になる。
そして、さまざまな人たちと協力しながら、子どもたちの健やかな成長・発達を促していける教師になりたいと考える。


I 私は、教員に必要な資質は大きく三つに分けることができると考える。
 まず一つ目に、「精神の安定力」を挙げる。時に、児童が反抗的な態度を取ることがあっても、教師は常に安定した姿勢をとって児童と接するべきである。児童を叱らなければならない場面においても、どの児童に対しても、教師は感情的になってはいけない。感情的になってしまったら、冷静に物事を考え、真摯な姿勢で児童と対話することができなくなってしまう。これは児童に対してだけではなく、保護者や他教師に対しても同様である。教師は、いつも自分以外の人間と関わり、その中で児童の心身の成長を促していかなければならないので、教師は精神の安定力を持って、人と対話する姿勢を持つべきだ。
 しかし、「精神の安定力」だけで教育を始めることはできない。そこで二つ目に必要なのが「知識の広さ」である。小学校においては、各教科の専門性に加え、現代社会における必要な情報、例えば、パソコンや携帯電話の便利さに潜む影、またはそれらを含めた時事問題を教師が網羅し、児童に分かりやすく、現代社会を生きる力、自ら安全を求めることができる力を教育できる力が必要である。各教科の指導においては、児童のなぜ、どうして、に答えることができるように知識を蓄え、また、その教科について様々な話ができるということは、児童の知的好奇心をくすぐり、勉強へのやる気につなげることができるのではないかと考える。
 そして、三つ目に「バイタリティ」を挙げる。全ての活動において、この「バイタリティ」は児童に影響を与えることができるものである。「やる気」の無い学校現場はあり得ない。学校の主役は児童であるが、学校を良くしていくのは教師の働きかけによるものである。教師がバイタリティを持って物事に取り組み、児童に対して何事にもやる気を持って取り組む姿勢を見せることは、児童の手本となるものであり、学校の活力にもつながるものである。また、近年起きている問題である「学級崩壊」や「小一プロブレム」などにも、教師はバイタリティを持って取り組んでいくことが大切であると考える。
 以上、三つの資質を欠けることなく備えておくことが教師にとって必要なことである。自分の行動が、児童に、保護者に、他教師に与える影響を考えることができるようにならなければならない。


評価基準
@題意の把握:課題を適切に理解し、論述の内容は課題に正対しているか。
A表記:用紙の使い方、用字用語の使い方が適切であるか。
B表現:論述の表現は豊かで適切であるか。
C論旨の展開:論旨が首尾一貫して、論理的な展開をみせているか。
D説得力:論述の内容に説得力があるか。
E熱意:教師として十分な熱意が感じられるか。
F使命感:教師としての十分な使命感が感じられるか。
G全体的印象:教育論作文として全体的に好ましい印象が感じられるか。




2007年以前

1.現代社会がめまぐるしく変化している中で、教育も変化している。いじめや少年犯罪などの問題が取り立たされる中、教育はますます重要性を帯びていている。このような時代の中で、教育を行う立場にある教師にはどのような資質が必要なのか、3点について述べる。
 まず絶対に必要なことは、教師としての熱意だと思う。子どもを愛する気持ちだけでなく、子どもと向き合って共感することができるか、このことから始まるのではないか。子どもとの関わりを大切にし、明るい学級を作っていこうとすることが大切なことだと思う。また、きちんと授業が行えるように日々努力怠らず、技術をあげようとする態度は、新しい教師だけでなく、ベテランの教師にも必要なことではないだろうか。よりよい教育が行えるように精進していこうとする姿勢が何よりも基本になることだと考える。
 次に、社会性がきちんと備わっており、幅広い知識をもちあわせた豊かな人間性が必要だと思う。教師が社会性をきちんと持ち合わせていないと、学級をうまくまとめていくことはできないであろうし、他の教師と協力して学校づくりを行うことはできない。幅広い視野にたって評価や指導を行うためには、教師自身が様々な社会経験を積む必要があるだろう。また、奉仕活動が行われる機会が増えてくるだろうが、教師自身がボランティア経験をすることによって自分の人間性を豊かにしておくことも必要だと思う。私自身、豊かな人間性を持つことを大切にしていきたいが、人を思いやれる心を子どもに育てていくためには、自分も思いやりをもたなければならないと思う。
 三つ目に、変化に敏感に対応し、柔軟な考えができることが必要だと思う。学級内でいじめが起こるかもしれないし、不登校が起こるかもしれない。そういう時に、すぐに変化に気づき、適切な対応ができることが学級経営を行ううえで必要なことではないだろうか。変化の激しい時代の中で、何が起こるかわからない。そんな中でもその場に応じた対応ができるように、敏感に物事の反応していかなければならないと思う。
 以上の3点が私の考える教師に必要な資質であるが、教師としてどうあらねばならないかという教師としての使命感をもって、実行していくことが、これらの資質につながっていくのではないかと思う。

2.現代、学校には、さまざまな問題がある。学級崩壊やいじめ、不登校や少年による凶悪な犯罪がここ数年で異常に数を伸ばしている。その原因として考えられることは、家庭でのしつけが不十分であることが挙げられるが、それを改善していくことも教師の役割のひとつなのだから、教師の責任はより重要となってくる。
 教師は、子どもの基本的な生活習慣を親に任せきりとし、親は、学力以外の生活習慣も教師に任せきりとしている。お互いが極度に依存する関係が成り立っているのが、現状である。お互いに任せきりにするのではなく、協力し合って教育することが大切ではないだろうか。
 しかし、そういった立場に教師が立つためには、親との信頼関係がなければ、協力し合うことなどできないと思う。そのために教師に必要な資質は、個性を持っていることと、子どもと共感でき、多くの人とのふれあいを通して、その人のよさがどこにあって、どのような行為、表現がその人に向いているのかを判断することができる力だと思う。この力がなければ、いくら知識を所持していても、その知識が教育という行為に連結することなく、知識の伝達で終わってしまうのではないだろうか。子どもにとって学校は生活の半分以上を占めている。教師の授業が面白く、わかりやすいものであれば、子どももゆとりが出て、のびのびと成長するはずである。もちろん、個性のない教師に子どもたちがひかれるような授業をすることは難しいだろう。しかも、個性を持った教師が登場しないと極めて狭い個性を持った社会の縮図としての学校が成り立ってしまい子どもの個性もどんどん芽を摘まれてしまうのである。
 個性のある、子どもと共感できること、このような資質が、親と教師の信頼関係を成り立たせることにつながるのではないだろうか。

3.教師に必要なものは、困難を乗り越えられるだけの強い精神力、柔軟な考え方、子供に対する愛情だと思う。教師は、子供や保護者やほかの教師など実にたくさんの人間との関わりの中で生活している。教育現場でかかえている問題は、いじめ、不登校、学級崩壊などとても深刻である。こういった問題は教育現場では必ず直面するものであり、どのような対応をしていくかが非常に重要になる。これは避けては通る事のできない問題であり、解決していかなくてはいけない問題である。しかし現実の問題として、教師が対応しきれずに登校拒否になってしまうケースもある。教師もまた様々な経験を通して、困難な出来事に向き合っていかなくてはいけない。まず教師自身が夢と希望をもち、つらい経験をばねにしていくのだ。ストレスを上手に発散させ、自分自身をコントロールしながらバランスをとっていかなくてはいけない。自分を見失ったりしないように自分なりの息抜き法もあったほうがいい。
また、総合的な学習の時間が導入されることになったが、子供自ら取り組んでいく主体性と教師がどのような課題を持ってくるかという課題性、これをどううまく組み合わせていくかがこの学習の成功のポイントになる。この学習は子供の興味・関心によって授業の進め方、教師のサポートの仕方も変わってくる。教師が固執した考え方であれば実態・状況にあわせた柔軟な対応は出来ない。発想の転換というのも大切だ。さらに、その学習に幅を持たせるため、ほかの教科との兼ね合いも考えておく必要もあるので、この学習で教師の真の力量が問われることになる。よってその場その場に応じた柔軟な考え方が必要になる。
 そして、子供の内に秘めている可能性を見出していくうえで子供に対する愛情もなくてはならない。その愛情の中から信頼関係が生まれる。この愛情と信頼関係は教師と子供との間には必要である。
 今日様々な問題を抱えている教育現場では、教師はたくさんのことを要求されるが、常に物事を冷静に判断して広い視野で周りを見なくてはいけない。いろいろな角度から物事を見て、たくさんの声に耳を傾けていくのだ。そんな中でも教師は、夢と希望をもち、常に向上心を持つことが大切だ。

4.教師に必要な資質は何よりもまず、教育者としての使命感を持っていることである。学術的な指導のみでなく日常の児童生徒の理解や指導を含めて、教育課程の全てにおいて、自ら意識的に教育実践を行なっていこうとしたり、自らの責務に対して積極的に取り組もうとする意欲である。次に教育者として教育的深い愛情をもっていることである。子供たち一人一人のことを考えていることや、彼らの言おうとすることを理解し受容することである。教師自身が自分をできるだけ柔軟にして、相手の立場に立ち、相手の考えに適応しようとする努力である。一方で教師は自らの信念を確立して、そこで秩序ある生活を続けていかなくてはならない。なぜなら、子供は自分に対する区別のない親切、寛大さを要求しているが、同時に教師の不公平、同一のものに対する差別、差異のあるものに対する同一視を許さないからだ。
 更に教育に対する責任感が挙げられる。教育課程を通じて、児童生徒のよりよい人格の形成を目指し、日々の努力を通じて授業の方法、指導の仕方を改善したり、工夫したりすることや、自らの教育実践の成果や反省をすることである。
 そして教師という職の土台となっているのが、豊かな人間性と広い教養である。その中において授業についての専門的知識、技術はもちろん、一般的な学問教養において子供たちの先達となるべきである。また、それだけだなく子供の立場になって物事を考えたり、広い視野で物事を考えたりすることが含まれる。子供の多様な変化に対応し、受容していけるだけの人格が備わってなくてはならない。
 教師の児童生徒に対する指導力も必要な資質である。高い教育理念を念頭におき、児童生徒の成長・発達・行動についての深い理解と生徒理解を十分に備えて、教師の指導が子供の中に生きていくような指導を行なわなくてはならない。
 学校教育は、教師の愛情と叡知と力量によって支えられている。それだけに教師に必要な資質はつねに高いもの、豊かなものが求められているといえよう。

5.教師に強く要請されていることは、「生きる力」をはぐくむ学校教育を展開するための豊かな人間性と専門的な知識・技術や幅広い教養を基盤とする実践的な指導力であるといわれている。そして、これらの指導力を培うためには、教員の養成、採用、研修の各段階を通じて、図っていく必要がある。
教員の養成については、教育相談を含めた教職科目全体の履修のあり方、教育実習の期間や内容のあり方など、さらに、教育現場の実際のニーズを踏まえた教育やこれに資する研究を充実させていくことが求められる。
教員の研修については、多様な研修機会を体系的に整備する必要がある。その際、教員の社会的視野を広げるために、民間企業、社会教育施設、社会福祉施設等で長期にわたる体験的な研修を積極的に進めることも必要である。また、こどものいじめに対する問題など心のケアも大切となってくるので、全ての教員に基礎的なカウンセリング能力の育成も充実したのもでなければならない。
教員の採用については、面接や実技試験の充実、筆記試験とその他の試験との比重を見直し、ボランティア活動等の生活体験・社会経験の適切な評価を加える。その他にも、同一の採用枠においても異なる尺度で多様な選考方法を採るなど、人間的魅力や使命感、教育的実践力を備えた人材を採用することが望ましい。
以上のことを踏まえて、1997年に出された教育職員養成審議会の第一次答申から今後教員に求められる資質や能力、力量について述べる。
 本答申によると、新たな時代を生きる教員には、まず@地球や人類のあり方を自ら考えるとともに、培った幅広い視野を教育活動に積極的に生かすことが求められている。さらに、教員という職業自体が社会的にとくに高い人格性と見識を求められる性質であるため、A教員は変化の時代を生きる社会人に必要な資質能力をも十分に兼ね備えていなければならず、これらのことを前提に、B教職に直接関わる多様な資質能力を有することが必要であると考えられている。
 ここには、教員の活動は人間の心身の発達に関わる活動であり、幼児・児童・生徒の人間形成に大きな影響を及ぼす力を有するという教員への期待感がこめられている。
 このような専門職として、教員は、教師としての使命感、人間の成長・発達についての深い理解、幼児・児童・生徒に対する教育的愛情、強化等に関する専門的知識、幅広い教養、そしてこれらを基盤とした実践的指導力が従来にも増して必要とされている。

6.学級・学校崩壊、不登校やいじめといった問題を抱える今の教育において、その原因の1つとして教師の指導力低下が叫ばれている。急激に変化する社会の中で生徒の実態も変化し、多くの問題を抱えている状況下で、教師はただ授業を教えることだけが役目ではなく、多岐にわたった資質や能力が求められるようになった。 その中でも生徒理解は、これからの教師に特に求められる資質だと考える。いじめや不登校など、目に見えない難しい問題をいかにして教師が早期発見、早期解消することができるかが重要になってくる。生徒の日常生活から発せられる無言のメッセージをいかに感じ取ることができるか。生徒の立場になってどのようにして問題の真相を明らかにすることができるのか。「カウンセリングマインド」という言葉もあるように教師がカウンセラー的な存在になり、1人の人間として相談にのり、生徒指導へと生かしていくことができる能力・資質が必要である。 他には、「生徒1人ひとりの個性を伸ばすことができる」ということである。全ての生徒は他の人とは違う「自分らしさ」というものを備えもっている。横並びの同質思考が問題とされている中で、個性を伸ばすことはもちろんのこと、生徒自身も気づいていない個性を発見し伸ばすことができる資質や能力が必要である。そのためには、教師はある一側面で生徒を理解するのではなく様々な角度から生徒を見つめ、そして様々な方法で生徒に働きかけていかなければならない。
 つらいことに我慢できる忍耐力や環境の変化にうまく対応できる柔軟性など、教師として必要な資質は多く存在するが、やはり1番必要な資質といえば、「生徒のことが好きである」ということである。教師という職業は常に生徒との関わり合いによって成り立っているものである。生徒のことが好きになることができない人には教師は務めることができないものであると私は考えている。授業や部活動、生徒指導や生徒理解などは「生徒のことを好き」「生徒のことが大切だ」ということ気持ちがが前提としてあるからできるのであって、生徒のことをどうでもいいと思うような教師には到底成しえないことである。たとえ、できたとしてもよりよい教育はそこには存在しないのである。
 教師は多くの資質を必要とされているが、ここは原点に戻り、生徒の存在を大切に考えることができることが必要であり、これからも忘れないようにしていかなければならないのである。

7.教師を取り巻く環境は、残念ながら以前に比べて格段に厳しいものとなった。社会における教育の重要性が高まってくるに連れて、教師に対する期待もまた高まりつつある。教師に求められる資質は変化している。以前は教科教育一辺倒で、教えるのがうまい教師、偏差値の高い学校により多くの教え子をいかせる教師がよい教師とされ、判断基準でもあった。もちろん授業がわかりやすいという、資質は教師にとって欠くことのできない資質である。しかし公共マナーを教えたり、人権の大切さを説いたりする訓育の分野も重視されてきている。基本的な生活習慣を教えることのできる教師も求められているのである。私が考える教師が持つべき資質とはこの2つを包括したものである。まず教師はコミュニケーションがうまく取れなければならない。児童や同僚はもちろん、最近の教育の流れでは、地域社会との連携も視野に入れなければならない。つまり地域の人とコミュニケーションがうまく取れないと、総合的な学習の時間などで活動範囲が制限される。さらに保護者に対して教育方針を説明したりするときにでも、コミュニケーション能力は必要である。そして問題をオープンにする能力も必要であると考えられる。よく教師は自分のクラスの問題を自分一人の力で解決しようとする。問題の抱え込みが問題をより深刻にする。教師は誰にでも相談できる柔軟さが必要である。より多くの人と問題を共有することで問題解決の糸口も見つかる。最後に謙虚で誠実であることである。これは当たり前のことであるが、保護者から大切な子どもをお預かりしているという意識を持つことである。見てやっているんだという横暴な心構えでは、信頼は得られない。私はこのような教師に必要とされる資質を身につけ、教育者として日々修養していきたい。

8.めまぐるしく変化する時代の中で児童の実態もずいぶん変わってきている。この変化に伴って教師も変わっていかなければならない。今、教師に求められる資質・能力とは一体どのようなものだろうか。
 教師に求められる資質能力として次の3点があげられている。「地球的視野に立って行動するための資質能力」、「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」、「教員の能力から必然的に求められる資質能力」
 3つ目の能力は、昔から必要なものであったろう。残りの二つは、国際化、情報化社会といった時代の変化とともに必要とされ始めたといえる。一人の人間が、これらの資質すべてを備えるというのは、無理なことである。が、教師として多くの児童とかかわり、その一人一人の個性を活かそうとするとき、少しでも多くの経験と知識が必要とされるのも当然である。授業は教師の手によって作られる。いわば、教師の力量がそのまま授業になるのである。これまでどれほど多くの経験をしているかが、今後、教師になるものの条件のひとつになることは間違いない。また、自身の経験不足をどのようにして補えるかも重要ではないだろうか。ほかの教師と協力したり、地域との関係を作ったりといった人間関係をいかに築けるかが重要である。
最後に、確かに教師として、多くの資質能力を持っていることは大切であるが、教師になってからも自分の過去の経験や、方針にとらわれすぎず、柔軟な対応ができる人間でなくてはならない。常に子どもたちといっしょに学ぼうとし、子どもとともに未来を志向して進んでいこうという意志をもっていることが大切である。

9.近年、いじめや不登校、学級崩壊などの深刻な問題を前に教員の資質向上が叫ばれている。教師に必要な資質とは、大きく分けると次の3つに分けられると考える。@教員の職務から必然的に求められる資質能力、A地球的視野に立って行動するための資質能力、B変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力である。
「@教員の職務から必然的に求められる資質」とは、子どもへの愛情から生まれるものだと考える。愛情をもちながら、子どもの立場にたって考え、適切な判断力を持ち、一人一人にきちんと向き合う姿勢を持たなければならない。また、教職への熱意と情熱を持ち、教科指導・生徒指導に必要な知識、技能も兼ね備えていなければならない。教科指導においては子どもの個性や課題解決能力をうまく生かす能力が必要である。生徒指導においてはいじめや不登校、学級崩壊などの問題を常に意識し、家庭や地域と円滑な関係を築き、カウンセリング・マインドをもたなければならない。
「A地球的視野にたって行動するための資質」とは、世界の様々な国家や地球について適切な理解をもち、人権尊重の精神をもっていることである。様々な考え方や意見、多様な価値観を受容し、尊重する態度が大切である。また、思いやりの心、協調性をもっていなければならない。
「B変化の時代を生きる社会人に求められる資質」とは、課題解決能力を備えていることだと考える。そのためには現状に満足するだけにとどまらず、継続的な自己教育力をもたなければならない。多種多様な情報の中から適切な情報を選出し、その場に応じて活用しながら、課題解決能力を身に付けていくことも必要である。
 変化の激しい社会に生きている教師に必要な資質とは、@のような教師的な資質ばかりではなくA、Bのような人間的資質が重要になってくる。教師という狭い枠にとらわれず、日頃から、新聞やインターネットなどで情報を収集しながら、様々な立場にいる人の意見を聞き、自分なりの考えをもつようにしていきたい。

10.現代の学歴を偏重する社会の問題を背景に、過熱化する受験戦争の中、単一の尺度である学力試験が偏重され、子どもたちの多様な個性や能力が十分評価されていない。教育において、機械均等を確保することは重要であるが、形式的な平等を求めるあまり、子どもの一人一人の能力・適性に応じた教育に十分配慮がされてなかったのが現状である。当然のことながら、子どもたちの個性・能力には違いがあり、興味・関心も異なっているということを踏まえなければならない。そして、それぞれの子どもにとってふさわしい学習の仕方や進度、得意な分野あるいは不得意な分野にも差異があるということを認識しなければならない。すなわち、個々の差異や特質に応じて、子どもたちのよさを見出し、その個性や能力を伸ばし、子どもたちに学ぶことの喜びを感じさせ、内在する可能性を充分に引き出していくことが教師に必要な資質となるのではないだろうか。
 また、教師の資質に必要な、高度の専門技術はもとより、実践的な指導技術も資質の基本的なものであると思う。したがってすべての教師は、授業の実施をはじめ、すべての教育活動において営まれる子ども一人一人のよりよい資質・能力・態度の育成に関する指導・援助を、円滑に行うことができる能力を身につけることが必要である。その指導・援助の内容をいくつかあげれば、友だち同士、または教師と子どもの間などでの暖かい人間関係の樹立、自分理解の援助、全人的な成熟についての援助、進路、行動などのさまざまな選択についての援助、心理的な熟練の発達についての援助、さらに問題行動の矯正についての指導・援助などがあげられるだろう。教師は、冷静に周りを見ることができ、広い視野を持って行動することが必要といえる。これらに加えて、教師は次のような資質が必要であると思う。
・子どもから信頼される人間性を備えている。
・学校教育全般を見通す視野と識見をもっている。
・子どもの援助・指導に必要な知識を身につけ、その向上をめざす努力を怠らない。
 教師は、教育そのものに自己の独自性を見出す存在のように思える。したがって、教師としての独自性のある活動を行うためには、教育のすべてにかかわり、必要とされる資質を具備することが望まれる。これらが具備されてはじめて、教育活動の展開を可能にすると私は考える。

11.平成9年7月の教育職員養成審議会第1次答申の「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」の中で、これからの教員に求められる資質能力として「地球視野に立って行動するための資質能力」「変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力」「教員の職務から必然的に求められる資質能力」の3つが挙げられた。
 今日はきわめて変化の激しい時代である。地球の温暖化やオゾン層の破壊など、地球環境の問題はますます深刻になってきている。また、絶えることのない宗教対立や民族対立、地域紛争と難民の問題、人口増加による食糧不足の問題など、地球規模の問題がまだまだ解決しておらず、現代を生きる私たちの課題となっている。これらの課題を子どもたち自身が主体的に考え、解決していこうとする能力を養うためにはまず、教師自身がこれらの問題に興味・関心を持ち、解決していこうとする積極的な態度を子どもたちに示すことが大切である。国際化、情報化等社会の変化に対応する実際的な能力として、外国語によるコミュニケーション能力やコンピュータの基礎的な活用能力、他国の文化や価値観を認め、進んで協調していこうとする国際協調の精神の育成などが求められている。
 教員の職務内容に具体的・直接的にかかわる能力として、児童・生徒観、教育観といった子どもや教育に関する適切な理解、教職に対する情熱・使命感、子どもに対する責任感、興味・関心が求められる。今日、いじめや不登校、生徒の薬物乱用など学校を巡り深刻な問題が生じている。教師には、これらの問題解決に積極的に取り組んでいこうとする行動力も大切であるが、正しい児童・生徒理解がされていなければそれらの問題を解決することは難しい。正しい児童・生徒理解をするためには教職に誇りをもち、子どもを思いやり愛する気持ちをもつことが大切である。
 学校教員の直接の担い手である教員の活動は、人間の心身の発達に関わるものであり、
児童・生徒の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。教員は教育者としての自覚や責任感、使命感を持ち、児童・生徒に対する教育的愛情や教科等に関する専門的な知識などを基盤とした実践的指導力が求められる。子どもたちにこれからの変化の激しい社会を「生きる力」を育むためには、以上述べたような資質能力が教師に求められるのである。 

12. 平成9年7月に行われた教育職員教員養成審議会の「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」の第一次答申では、教師に求められる資質能力について、次の3つの観点から述べられている。
 まずは、いつの時代も教員に求められる資質能力として、「教職に対する愛着、誇り、一体感に支えられた知識、技能等の総体」をあげている。これは、教師に必要な根本的な資質であると言えよう。子どもに対する愛着や責任感なくして、教師と子どもとの関係は成り立たないと思う。また、教科指導や生徒指導、学級経営に関する専門的な知識・技能も不可欠であり、それによって子どもの個性や能力を引き出していくことが教師の役割である。 
 二点目は、今後特に教員に求められる具体的資質能力として、子どもたちに「生きる力」を育む教育を授けることが期待されている。そのためには、教師自身が地球や人類のあり方を考えるとともに、幅広い知識を教育活動に積極的に生かしていかねばならない。子どもたちが自ら課題を見つけ解決する力をつけていくためには、まずは教師がそのような課題解決能力や自己教育力を兼ね備えておかなければならない。また激しく変化する社会に対応できる子どもたちを育てるために、教師も自己表現力やコンピュータの活用能力なども身に付けておかなければならない。
 そして三点目は、得意分野を持つ個性豊かな教員の必要性である。これは、多様な資質・能力を持った個性豊かな教師集団が連携・協働することで、学校という組織全体として充実した教育活動を目指していくためのものである。こうすることで、いじめや不登校など学校が抱える諸問題に対してより適切に対応していけると考える。このような教師の連携・協働を図るためには、教師一人一人が多様な知識・能力を持ち合わせていることはもちろんのこと、社会性やコミュニケーション能力も身に付けておく必要がある。
 以上述べてきたように、様々な教育問題を抱えている今日、教師には実に多くのことが求められている。しかし、常に問題と向き合い、広い視野でものごとを見つめ、向上心を持つことが大切だと考える。

13.教師に必要な資質を考えるとき、私は「素質は有限、努力は無限」ということばを思い浮かべる。このことばは、高校時代に所属していた陸上部の顧問の先生がおっしゃっていたものである。
高校を卒業し、長い年月が経った今も私の心にこのことばが生き続けているのはなぜだろうか。それはせんせいじしんが「素質は有限、努力は無限」ということばと共にあらゆる場面で努力をし、私たち生徒と歩んでいらっしゃったからだと思う。ことばだけでなく行動が伴っていたのである。この経験から教師に必要な資質とは、惜しみない努力をすることであると思う。
一口に努力といっても、様々なものがある。その中で教師として欠かせないものにまず、子どもたちに対する努力がある。
子どもは無限の可能性を秘めている。この秘めた可能性をひとつでも多く開花させていく場が学校であり、その手助けをするのが教師であると考える。そのためにはやはり、努力が必要である。子どもたちの短所や長所を理解することができてこそ、かのうになることである。子どもたちの短所や長所を理解するためには多くの側面から子どもたちを見つめなければならない。授業中、休み時間、学校行事、そして学校外での様子を知るためにも過程との連携の中で子どもたちを観察する必要がある。容易なことではないだろうが、子ども理解のために努力することは、教師と子どもの信頼関係を築くことにもなる。
もう一つの教師として欠かせない努力に、自分自身に対する努力がある。
学校で過ごす時間の大半は授業である。そのため、授業の面白さの有無が学校生活の充実に大きく関わってくる。面白い授業、興味深い授業を展開するためには、念入りな教材研究が欠かせない。子どもたちの反応をもとに、さらに良いものにしようとする向上心を忘れてはならない。努力する教師の後姿は、必ずや子どもたちに良い影響を与えるであろう。
以上教師に必要な資質として「子どもたちに対する努力」と「自分自身に対する努力」の二つを述べてきたわけであるが、重要なのはこの二つの努力を調和させることである。二つの努力が調和することで、子どもも教師も共に成長するであろう。

14. ここ数年、ゆとり教育、総合的な学習、いじめ、不登校など学校は様々な問題を抱えている。このような時代の流れの中で教師の役割はとても重要なものである。そこで、教師の質が重要とされていることは社会の中でも問題となっている。私は次の3つを教師に必要な資質だと考える。
 まず、教師はどのような問題にも対応できる力を身につけておく必要がある。家庭や地域の人々からの教師に対する目も最近は変わってきており、何か不都合なことが起きると、その責任は学校や教師に求められることが多い。そのような問題に教師は一つひとつ対応していかなければならない。そこで教師として、臨機応変に対応し、解決していくことが大切ではないだろうか。様々な考え方がある中で、子どもや保護者にあった解決策を提示していく手助けをしていくべきである。
 次に、人間としての社会性を身につけておくべきである。このところ、教師による犯罪が多発している。飲酒運転や暴力、ワイセツ行為。人に物事を教えるという立場にありながらあるまじき行為である。常識的に考えて、おかしいことかおかしくないかは判断できるようになっておく必要がある。物事を教える立場にあるので、子どもの手本として、社会でも恥ずかしくない行動を取るべきだ。
 最後に、やはりもっと大事なことは、やる気だと思う。教師になりたい、子どもと関わりたいという初心の気持ちを忘れずに、教師としての生活を送る事が大切である。子どものことを心から愛し、向き合う姿勢をどのようなときも忘れずにいることが、子どもにとっても、教師にとっても楽しい学校を作っていくために条件となると思う。より良い授業を行えるように、日々精進していく姿勢を大切にすべきであると考える。
 この3つのことが今の教師にかけているように思える。私は、この3つは基本的なことではあるが、教師を続ける上で決して忘れてはいけないことであると思う。

15.今、教師の資質が問われている。なぜかというと、いじめ、学級崩壊と学校における状況は厳しさを増し、これらの教育問題に立ち向かえるような教師が求められてきているからだといえる。教師にはどのような資質が必要なのだろうか。その視点を、「現在起こっている様々な教育問題に対応できる」ものとし、「教師の資質」に対する考えをまとめることとする。
 いじめ、学級崩壊が起きる原因として、「何が正しいのか」「なぜしてはいけないのか」という認識のあいまいさが子供たちの中にあることだといえると考える。具体的には、いじめであったら、「いじめをしてはいけない」といういじめる側意識の薄さ、「自分さえ守れればいい」という周りでいじめを傍観する子供の心がある限り、いじめはなくならない。学級崩壊ではれば、授業を妨害することを悪いと分かっていてもする心、教師や学校への不満を暴力や授業妨害で思い知らせればいいという考えが子供たちから消えないかぎり、なくならないだろう。
このように、現在の子ども達の中には、「正しいこと」が出来ない子どもが多いわけだが、「どうしてできないのか」と子どもたちをしかっても何の解決にもならないだろう。というのは、「何が正しいのか」という常識から子どもたちにとってはあいまいだからである。そのために、「みんなと同じことをすれば安心」という考えが生まれ、正しいことを主張していてもそれが少数派であれば「正しい」と認めなくなってしまう。このことが、いじめや学級崩壊を行うことを非とは思わない原因になっている。
では、このような子ども達の歪んだ心をなくすためにはどうすればいいのか。私は、教師が「正しいこと」を示していくことが一番重要なことだと考える。子どもたちは教師の行動や考えを見て学校を過ごす。教師はいい手本にもなるし悪い手本にもなるのだ。「何が正しいか」ということを、いかに意味づけて子どもたちに諭すかが、教師に求められる資質であると考える。

16.現在、子供たちを取り巻く社会は多くの情報に溢れ常に目まぐるしく変化している。この現状の情報化社会の中での学校の役割、教師に必要な資質とはまず専門性と指導力が挙げられる。まず専門性について述べる。現在の「ゆとりのある教育」が展開される中では、限られた授業時間で児童・生徒に基礎的、基本的な事項、即ち「確かな学力」を身につけさせなくてはいけない。教師はその為に常に教材・教具の研究に励み、また教科に対する幅広い知識を身につけ、子供たちに印象づけられるような最も良いアプローチを考えなければならない。常に子供を授業にひきつけられるだけの専門性、子供の実態把握に基づいた、わかりやすい授業を展開できるだけの専門性が必要不可欠である。
 2点目の指導力であるが、日々目まぐるしく変化している現代社会で、子供たちは社会に立った時に、時の流れに流されない自分らしい生き方をすること、社会の中で自分を大切にできることが必要となってきている。そのためには、社会に出る前に自分についてよく知っておくことが大切である。教師は、早期では子供一人一人を見つめ、その子供の才能を見抜く力が必要である。そして、中学校等では特にその子供の能力に応じた進路の指導、個性を生かした指導や個性を良い方向に伸ばす指導が必要である。教師は子供一人一人の能力、個性に合わせた指導ができるだけの指導力を備えていなければならない。
 以上2つに加え、私が教師に必要だと考えるもう一つの資質は、心の教育ができる能力を備えていることである。どんなに才能があり、社会に出て大活躍し成功したとしても、他人のことなどどうでも良い人間に成長していたのでは、人間である意味がない。言い換えれば、他人のことを思いやれる心は人として生きる上で最も大切といっても過言ではない。教師は日頃から学級経営の中で、特に道徳教育の中で、他人を大切に、加えて物や自然を大切にできる心を育てていかなくてはならないと考える。教師は心の教育ができるだけの資質を持っていなくてはいけない、そして、心の教育ができる為には、言うまでもないが教師自身が心の豊かな人間でなくてはならない。以上3点が、教師に必要な資質であると考える。

17.今、通常の学級において学級崩壊やADHD児・LD児の存在、そして不登校など学校における問題が混在する中、教師は子供に対して適切な援助と、適切な援助をするための知識が必要である。つまり、教科・領域の知識とADHD・LDなどの障害に対する知識、総合的な学習の時間を有意義なものにするための豊かな知識、など様々な知識と、その知識を活かして、どれだけ適切な援助ができるかという指導力、が今求められる、教師に必要な知識である。学級崩壊が起こるか、不登校が発現するか、総合的な学習の時間がただの活動で終わるか、間違った援助で問題行動が悪化するか、全て教師にかかっているのである。正確にいうならば、教師だけではないが保護者や周りの子供、子供を取り巻く大人たちの指導・教育・援助も教師がしなければならないのである。
 また、ゆとりのある教育として、週休2日制になり授業時間が減り、内容も削減されたり、総合的な学習の時間では「生きる力」の育成が求められたりして、限られた時間の中でゆとり教育、生きる力の育成をしなければならない。しかし、教科では算数などの学力低下が言われるようになり、塾に行く子供たちとそうでない子供たちとの落差がではじめ、さらに、障害児の通常学級在席が正式に認められ、ますます一斉指導が難しくなってきており、個に応じた指導の重要性が叫ばれ始めている。個に応じた指導をするとなると、それだけ準備に時間を割くことになる。子供と関わりを持つ時間も重要である。何故かというと、その中で子供が思わぬ信号を発してくれる可能性があるからであり、常に子供を観察しておく必要があるからである。どう折り合いをつけるか、教師に必要な資質である。
 このように教師は、たくさんの責任と課題を背負わされている。とても教師一人の力では成り立つものではない。そこで、もう一つ必要な資質は人と協力することである。TTによる指導や他の専門機関と連携の際には必要になる。自分の意見ばかり主張はできないが、一番身近な教師が中心となる。どこまで自分の意見を出すかという難しさもあるし、また、全員の納得した指導法を全員が統一しておく必要もある。責任はあるが、それを一人で背負わなくてはならないものではないので、協力して、一番に考えるべきは、どんな援助をすれば子供が最大限に能力を発揮でき、最大限に知識を吸収できるかである。

18.教師に必要な資質とは教育において確固とした信念を持ちながらも、柔軟な考え方をできるということである。自分の教育論や教育方法を押し付けるのではなく、常に様々な教育論や教育方法を見つけだしたり、吸収したりすることが必要だと思う。子どもはひとり一人学ぶ早さも違えば、学ぶ方法も違うということを認め、常に考えながら教育方法を探していかなければならない。問題解決の方法は常に複数あり、子どもたちへの指導方法も複数考えることが必要である。子どもたち自身やその子どもを取り巻く環境も様々なので、その子どもに一番良い問題解決方法を見つけだすことができなければならない。このような点において、教師は他の考え方を聞ける寛容さが必要であるし、他の考え方を受け入れられる柔軟さも必要である。また、子どもたちの前で自分の否を認め、改める姿を見せることができることも必要だと思う。教師もひとりの人間であり、間違うこともあるが、間違っても素直に改めることが大切だということを子どもたちに見せられるようでなければならないと思う。このようなことも含めて、教師の資質には性格的なものがあると思う。子どもの前で適当ではないこと。一生懸命であり、まじめなことが大切である。そしてまじめな上で、ユーモアもあること。子どもと一緒に笑い、楽しむことができるということ。これが子どもと一緒に授業を作り上げることにつながっていくのだと思う。また、性格的な資質として必要なものは、多くの教師と付き合えるということだと思う。学校において、また授業作りにおいて欠かせないものは、他の教師との連携である。様々な教師と関わり自分の教養を広げると同時に、教師同士で助け合うことが教師の資質として大切なことである。次に、教師の資質には能力的なものがあると思う。授業作りにおいては、子どもが興味を持ちながらもしっかり学ぶことができる授業を作らなければならない。そのためには、各教科においての知識が必要である。各教科において、広く深い知識を持ち、それぞれに合った教材を見つけたり作ったりできなければならないと思う。このように、性格的、能力的な資質を持ち、柔軟な考え方ができることが教師には必要だと思う。

19.私が考える教師に必要な資質は次に述べる四項目である。
 まず一つ目は子どもに対する愛情を持つことである。私は教師としてこれが一番必要かつ大切なことだと考える。子どもを好きでなければ教師は務まらない。仕事をする中でどんなにつらいこと、苦しいことがあっても子どもの顔を思い出せばがんばれる、という気持ちが教師を支える源である。また、子どもに愛情をもって接し、子どものことを理解しようと努力する姿勢も忘れてはいけない。
 二つ目は教科等に関する専門的な知識、技能と実践的な指導力を持つことである。私は中等家庭科の教員免許を取得する予定だが、特に家庭科というのは独自の領域だけでなく社会科や理科などの要素も含まれており、幅広い知識を要する教科である。また、知識だけでなく、生活経験や技術を必要とする教科でもあり、机上の話だけでは指導できない所がある。従って教科を教えるのであれば専門的な知識を持つとともに様々な生活経験をし、そこで得た技術を自分の中に取り入れなくてはならない。一つの事を教えるのには十の事を知っておかなければならない。
 三つ目は組織の構成員としての自覚と協調性があることである。教師は公務員であり、社会への貢献を目標とし、学校という組織を構成するもののひとりであることを自覚しておかなければならない。また、学校には必ず複数の教師がおり、全員が協力し合って学校を運営していかなければならない。その点において協調性は重視される。
 四つ目は課題解決に向けた柔軟な発想と対応能力を持つことである。総合的な学習の時間が導入され、今「生きる力」の養成が叫ばれているが、私たちは実際に総合的な学習の時間の授業を受けていない。従ってこれからの教育は今まで私たちが受けてきた教育をそのまま繰り返しているだけではいけないのである。課題解決に向けた柔軟な発想や対応能力は様々な経験をすることが必要であると私は考える。教科の勉強に加え、部活動やボランティア活動、アルバイトなど様々な経験をし、幅広い視野を持つことが大切である。
 以上が私の考える教師として必要な資質である。

20.教師に必要な資質は何より、どれだけ子どもが好きかということと努力家であるといこ
とではないかと考える。子どもが好きということは何にも勝る原動力になるのではないだ
ろうか。教師の職業というのは手を抜こうとすれば抜くこともでき、手を掛ければいくら
でも掛けることができる。それを動かすのはどれだけ子どもが好きかということではない
だろうか。また、努力家であれば、子どものためには努力を惜しまず、よりよい教師にな
ろうと努力していくのではないだろうか。
子どもたちのことを理解したいという気持ちが子どもとより多く関わろうとし、子どもと
の関係を作っていく。昼休みなどに子どもたちと遊んだり、子どもたちの声に耳を傾けた
り、子どもたちと一緒に過ごす時間を多く持とうとするのではないか。また、授業におい
ても、子どもたちひとり一人にわかりやすく、また、楽しい授業をしたいと思えば、授業
の方法、教材などに工夫をこらし、子どもたちに取り組みやすくするはずである。一人の
落ちこぼれも出さないように必死に準備などに取り組むと考える。子どもたちの問題にも
親身になって考え、そのために教師自身も努力していくのではないだろうか。子どもが好
きで子どものことに一生懸命に取り組む教師は、その気持ち、様子は子どもたちにも伝わ
る。子どもとよく遊んでくれる先生のクラスはよくまとまっているように思う。先生が間
に入ることで子どもたちもみんなで遊ぼうとし、クラスがまとまっていくのではないだろ
うか。クラスがまとまればクラスで起こる問題にも取り組みやすくなり、その問題に取り
組むことで子どもの成長につながるのではないか。熱心な教師は保護者とも連絡を取り合
い、子ども理解に努めるだろう。そのような教師に保護者も安心して子どもを任せられる
のではないだろうか。授業の工夫により子どもの成績も上がればなおさらであろう。この
ように、子どものことに熱心に取り組み、日々努力していくような教師であれば、子ども
や保護者からも信頼され、どのような問題にも取り組んでいけるのではないだろうか。
教師は、子どもが好きでなければ続けていけない職業ではないだろうか。子どものために、
努力していける者こそ教師としてやっていけるのではないか。子ども理解、教授、学級経
営など、労力をかけようと思えばいくらでもかけることができる。熱心な教師には子ども
たちも信頼をよせるのではないかと考える。

21.教師は児童一人一人でなく、全体に目を向けがちである。しかし、現在の教育では、個性の尊重が求められているように、教師には児童の個性を活かす能力が必要である。特に特殊教育諸学校の児童は障害の程度も様々で、授業では、個に応じた支援をしていかなければならない。障害児はその障害によって出来ないことも多くあるが、個に応じた支援を行うことで持っている能力を活かし、伸ばしていくことが児童にとっても自信へとつながるのである。これは、健常児も同様で、児童の能力は一人一人異なっているのである。全員に同様の支援を行っても、すべての児童の成長は促すことは出来ないのだ。
また、教師には幅広い教養と教科などに関する専門的知識が必要である。教科の指導内容は厳選され、基礎・基本の内容を確実に定着させることが現在求められている。そのためには、やはり、教師はより確かな専門的知識を備えておかなければならない。だが、知識を一方的に与えるだけでは、児童の学習意欲は損なわれてしまう。児童が興味を持ち、より分かりやすく学習するためには、教材の開発や説明の工夫などに努めることも大切である。また、その際には児童の発達に応じた指導をしなければならない。児童の発達段階を理解しておかなければ、無理な指導となる危険性もあるからだ。また、特殊教育諸学校の教師であれば、障害に関する知識も重要である。障害児の中には発作を起こしたりする児童もおり、発作が起こった場合、教師は適切な対処をしなければならない。つまり、教師は児童の命をあずかっているのだ。
この他に、教師は豊かな人間性を備えていなければならないと考える。教育は人なりと言うように、教育は教える者の人柄が表れるからである。また、児童は常に教師の姿勢や日ごろの対応などを見ており、そこから教師への信頼も生まれるのである。
私はどの児童からも信頼されるように児童と向き合い、また、幅広い教養と豊かな専門性を身につけ、児童の成長により良い支援を行うように努力したいと考える。

22.教師に求められる資質は、時代の変化に伴なって様々な分野で幅広く、高いレベルのものを求められるようになっています。近年、教師に強く要請される「生きる力」をはぐくむ学校教育を行うために、豊かな人間性、専門的知識・技術、幅広い教養、実践的な指導力は欠くことのできない資質です。それを踏まえた上で、私が教師に必要だと考える資質は2つあります。
 1つめは「児童生徒に対する適切な理解」です。「いじめ」や「不登校」、「学級崩壊」などが大きな社会問題としてクローズアップされるようになった今、最も力を入れるべき分野は「子ども理解」だと考えています。ただ問題を取り上げて話し合いをするだけの内容ではなく、どうしてこの問題が起きたのか、この子はどうしたかったのかという根本にある子どもの心理を探る力が必要だと思います。そして、一人一人に適切な対応の仕方を考え、問題解決に全力を尽すことが教師には必要だと思います。
 2つまは「個性・発想力が豊かな教師」です。教科教育に関して述べると、最近はただ教科書に沿った授業というのはあまり重要視されておらず、この単元を教えるには、どのような工夫をしたら子ども達が理解できるかという点を大事にしています。どのような教材がよいか、板書はどのようにするかと工夫する力が必要になると思います。そのような考えから、発想力の豊かな教師が求められている思います。また、授業以外のところでも子どもは教師を見ています。そう考えると、画一的で授業だけができる教師より特技があったり、雑学の知識があったりと個性豊かな教師というのは、子ども達から見てもとても魅力的だと思います。子ども達が、「この先生から色んなことを教えて欲しい」「先生みたいに上手になりたい」と心を開いてくれたら、学級経営がうまく行えることに結びついてくると思います。以上述べてきたように、これからの教師は一方的に教えるということにこだわることなく、柔軟に子どもを受け入れていくことが大切だと思います。

23.教師は教育のプロであり、教師にはやはり教科の専門性が求められる。また、今年初めて教育実習に行って、実際に教育の現場で働く先生方を見てきたが、それを通して、教師に必要なのは、我慢強さであり、広い視野であり、臨機応変さや努力を惜しまないことであると感じた。学校で、教師が生徒たちにあれこれと口を出してしまうのはで生徒たちの自主性を育てる弊害となってしまう。なので、まずは口を出したりするのを我慢して、生徒の動きや発言を待つことが必要だと考える。そして生徒たちの様子を見て、教師が出ることが一番よいのではないかと考える。また、生徒を叱らなければいけない場面でも、すぐに怒鳴りつけるのではなく、まずは生徒と同じ目線で生徒の言い分を聞くことが大事である。 学校にはさまざまな個性を持つ子どもがおり、またさまざまな問題を抱える子どももいる。そのような子どもたちに対応していくためには、広い視野で子どもたちを見、また臨機応変な対応が必要であろう。型にはまった、凝り固まった考え方しかできない教師は、さまざまな子どもたちにうまく対応することができず、よい学級作りは困難であろう。教師に臨機応変さが必要なのは、授業の場面でも言えることである。自分も実際に授業をしてみて思ったが、一時間の授業の計画を立ててもその計画通りにいかないのが当たり前である。そのような状況の中で、時間配分も考えながら、いかに臨機応変に授業を進めていくことができるかが教師の力量ではないだろうかと思う。しかも、一時間の授業が例えスムーズに進んだとしても、教師が立てたねらいにそって、生徒に身につけさせたい力を身につけさせることができるような授業をしなければいけない。マニュアル通りの授業はできないので、やはり教師には臨機応変さが求められると考える。そして、教師は努力を惜しんでいては勤まらない仕事であると考える。どの職業に就いても努力は必要であるが、生徒たちのことを真剣に考え、生徒たちにこのような力をつけさせたい、という思いがあれば、そのためにはどのような手立てを考えていかねばならないか、どのような準備が必要か、などを考え、実行していかなければならない。その努力を惜しんでいては、教師という職業は勤まらないと考える。よって、教師に必要な資質とは、我慢強く、広い視野を持ち、臨機応変で努力を惜しまない、ということであると考える。

24.まず、教師とは子どもに教える先生なのだから、子どものことが好きである、教えることが好きであるのが前提だと思う。実際に教師の志望動機では子どもが好きだから、人間と人間がふれあう仕事だから、教師という職業に魅力を感じた、などがある。この理由で教師を目指すのは、教えてもらう生徒でも嬉しいが安定した職業だから、親が教師だからといった動機も見られる。子どもに分かりやすく教えることのほかに特に小学校の教師であれば一日中その先生と過ごすので信頼関係が結ばれていなければならない。授業のほかに、昼休み、掃除、給食、生活指導などさまざまなことを学級担任に任される。このために、教師は多くの幅広い知識が必要である。そのほかに、最近はいじめや学級崩壊、不登校など学校におけるさまざまな問題がある。この問題を解決できる教師でなければならない。そのためには、自分の今までの経験を十分に生かして子どもの教育にあたる必要がある。教師になるまでに、さまざまな経験をしたり、多くの人の意見を聞いたり、などして子どもに対応できることが必要だと思う。

25.私は、教師に必要な素質について大学に入ってからずっと考えていた。そして講義や実習の中から私なりの答えが見えてきた。
 第一に求められるものは人間性である。中でも子どもが好きであるということなしに教師の資質は語れない。「この子たちのために何かしてあげたい。」「私たちはこの子たちから学び取らなくては。」という姿勢が、教師としての全ての仕事に関わってくるのではないだろうか。教材研究にしても毎日子どもに接する態度でも教師が一生懸命であれば子どもにも伝わると信じている。教師である前に一人の人間として子どもたち一人一人と向き合い、関係性を築いて行くことから教育は始まると考えている。
 次に求められるものは、指導力であると考える。現在大きな社会問題となっている「学級崩壊」も教師の指導力不足によるところが大きいと思われる。子どもの成長・発達・行動についての深い理解と、よりよい教育を目指して常に勉強をやめないことが、ますます変化する教育現場には必要である。もっとよい授業はできないか、このクラスの子どもたちにはどのような指導法が適しているのかを考え努力して行かなくてはならないと思う。
 最後にあげたいものは社会性である。閉ざされた学校という社会の中で教師が豊かな経験と知識を持っていなければならないことは当然である。様々な価値観が混在する中で正しいことを見極め、更に偏った考えではなく客観的に物事を見ることができるという資質は大変重要である。
 以上のように教師に必要な資質とは、人間性・指導力・社会性であると考える。そして、何事も子どもとの信頼関係の上に成り立つことである。

26.現在、教育現場ではいろいろな学習が行われている。最近では、総合的な学習の時間や、小学校低学年においての生活科の学習など新しい学習が取り入れられてきている。それに伴い、現場で活躍している教師には、多くの能力・資質が求められてきている。まず、最低限教師に求められているもの、それは、子どもの興味を引くような授業を行うことが出来るということである。子どもの興味・関心を引くような授業計画を立てなければ、子どもは授業に参加しないというのが今の現状である。そのため、ここで教師に求められる資質が、「いかに子どもの目線に立ち、ものを見たり、考えたりすることができるか」ということである。教師がいくら試行錯誤して考えた授業計画でも、子どもの目線に立ったものでなければ子どもは興味を示さない。自分自身が持っている専門性を活かしつつ、子どもの目線でものを見て、考え、子どもの気持ちが分かるということが必要となってくる。つぎに、教師に求められる資質として挙げられることが、国際性である。近年、英語学習がいろいろな場面で行われており、これから教育現場で活躍していくためには英語が必要不可欠となってくる。子どもに英語を教育していく立場に立つにあたって、英語理解の資質が今後求められてくるのではないだろうか。そして、もう一つ、教師に求められてくる資質が、パソコン操作能力である。現在の社会では多くの情報が行きかっており、それにあたって、インターネットやパソコンがいろいろな場面で利用されるようになってきた。実際に多くの子どもが、インターネットを利用していろいろな情報を入手している。これから、もっとパソコンは普及していき、子どもたちのパソコン操作も高度になっていくだろう。よって、教師に求められるパソコン操作能力も高度なものになっていくだろう。教師はパソコンを駆使して、多くの情報を収集していかなければならない。
 教師に求められる資質は多くある。しかし、それらは時代によって変化している。現在においては、英語、パソコンの面において、資質が求められるのではないだろうか。教師は、時代の変化、教育現場の変化を読み取り、求められるものを感じ、常に努力していかなければいけないのではないだろうか。

27.少年犯罪や学級崩壊、いじめ問題など学校における子供をめぐる問題は社会問題化し、ますます教育の充実が求められる中、教員の資質が問われている。
 教員に必要な資質、能力には大きく分けて2種類ある。一つは、いつの時代にも変わらず求められていることで、もう一つは,今後変化の激しい社会において、特に求められることである
 前者についてだが、子どもに対する愛着や愛情、教育に対する熱意である。子どもは熱意の感じられる先生はすぐにわかるものである。そのような先生は子どもにとって信頼できる先生となるであろう。生徒との信頼関係が築かれてれてこそ生徒のよいところやがんばっているところなどに気づき賞賛したり、様子や表情の変化から悩み事を聞いたりできるようになるのではないかと思う。子どもの気持ちになれるというのは教師に求められる能力の一つであると思う。
 教師の本分は何よりもまず学習指導であって、日々生徒にわかりやすい授業を提供するためにはどのような工夫が必要か教材研究・教科研究を怠らない熱意が大切であると思う。そして教育のプロとしての教科の専門性も欠かすことができない
 加えて、生徒の生活指導、進路指導、保護者や地域との連携など学習指導以外の部分で今特に教師の資質が問われている。ここで求められている社会性や豊かな人間性は一朝一夕で身につくものではない。日ごろから社会事情に目を光らせ幅広い知識や教養に触れておく必要がある。
 次に、現在そして今後さまざまな教育問題に対応していくために特に求められているのがどんな変化にも対応できる柔軟性、情報収集能力、横断的・総合的な指導力であると考える。子どもたちは自分が所属している集団と少しでも異質なものであると感じると集団から排斥しようとする傾向にある。そしてこのような考え方がいじめへとつながる。教師自身が柔軟な気持ちで生徒の様々な考え方を受容できることが必要である。また、総合的な学習の時間やゆとり教育など教員自身は経験していないことを指導しなければならなくなった。特に総合的な学習の時間は教師の力量に依るところが大きい。子どもの活動をより充実したものにするためには教師の事前準備が大切である。人脈や情報収集能力を生かし、正確な資料を提供する必要がある。

28. 教師に求められる資質は、時代の変化に伴なって様々な分野で幅広く、高いレベルのものを求められるようになっています。近年、教師に強く要請される「生きる力」をはぐくむ学校教育を行うために、豊かな人間性、専門的知識・技術、幅広い教養、実践的な指導力は欠くことのできない資質です。それを踏まえた上で、私が教師に必要だと考える資質は2つあります。
 1つめは「児童生徒に対する適切な理解」です。「いじめ」や「不登校」、「学級崩壊」などが大きな社会問題としてクローズアップされるようになった今、最も力を入れるべき分野は「子ども理解」だと考えています。ただ問題を取り上げて話し合いをするだけの内容ではなく、どうしてこの問題が起きたのか、この子はどうしたかったのかという根本にある子どもの心理を探る力が必要だと思います。そして、一人一人に適切な対応の仕方を考え、問題解決に全力を尽すことが教師には必要だと思います。
 2つまは「個性・発想力が豊かな教師」です。教科教育に関して述べると、最近はただ教科書に沿った授業というのはあまり重要視されておらず、この単元を教えるには、どのような工夫をしたら子ども達が理解できるかという点を大事にしています。どのような教材がよいか、板書はどのようにするかと工夫する力が必要になると思います。そのような考えから、発想力の豊かな教師が求められている思います。また、授業以外のところでも子どもは教師を見ています。そう考えると、画一的で授業だけができる教師より特技があったり、雑学の知識があったりと個性豊かな教師というのは、子ども達から見てもとても魅力的だと思います。子ども達が、「この先生から色んなことを教えて欲しい」「先生みたいに上手になりたい」と心を開いてくれたら、学級経営がうまく行えることに結びついてくると思います。以上述べてきたように、これからの教師は一方的に教えるということにこだわることなく、柔軟に子どもを受け入れていくことが大切だと思います。