C.ゆとりある教育とは何か
1.近年、「ゆとり」のある教育が叫ばれるようになった。受験戦争からくる知識の詰め込み教育や、いじめ・不登校などのさまざまな教育課題を考えたとき、「ゆとり」が必要とされ始めたのである。が、ここでいう「ゆとり」とはいったいどのようなものであろうか。それは、単に時間があるということではなく、何かを成し遂げる充実感や、達成感を感じ、「生きる力」を養うということではないだろうか。では、今の学校の課題としてどのようなものがあげられるのだろうか。
まずひとつ、大きな課題といえるのが教員の多忙・多忙感である。地域や家庭での教育の状況の変化から、学校の役割が肥大化しており教員のゆとりがなくなってきている。そのため、児童一人一人にゆっくりと目を向ける時間がなく、また教材研究などの時間もないというのが現状である。児童にゆとりを持たせるにはまず、教員がゆとりを持って教育に当たる必要があるのである。
また、ゆとりのために学校週5日制が実施される。このことで教育内容も大幅に見直されている。これは現在問題にもなっている「詰め込み式の教育」を解決する糸口にもなるであろう。しかし、単に学校での教育内容を減らしただけでは、塾通いを増やしてしまうなど児童の「ゆとり」をさらに減らす結果にもなりかねない。厳選された内容を子どもたちに確実に、学びたいという意欲を持って学ばせることのできる学校作りを進めなければならない。と同時に、休みの過ごし方についても考えなければならない。先述したように、週末に多くの子どもが塾通いなどしてしまえば、「ゆとり」のための学校週五日制は、何の意味もなさないことになってしまう。地域・家庭との連携を強め、週末の過ごし方を考えていき必要がある。
最後に、学校は各教科だけでなく、特別活動などで運動会やクラスマッチなど子どもたちが楽しみにしている行事がある。授業時間数の確保から、それらの行事を減らしてしまうということは、子どもたちにとって精神的なゆとりを削ることにもなりかねない。決められた時間の中で、教師がどれだけ「ゆとり」を持って、どのように学校経営を行っていくのかが、子どもたちに「ゆとり」を与える大きなかぎになるのである。
2.平成10年の学習指導要領の改訂で、授業時間数は週あたり2時間減らし、教育内容は3割削減された。また、完全週5日制にもなり、物理的な時間や教育内容で考えるゆとりは確保された。しかし、真のゆとりとは一人ひとりの人間の精神的な安定の内にある。
では、ゆとりある教育を3つの観点からみていくことにする。まず、これから述べる3つの観点に共通して、ゆとりある教育で子どもたちの自己実現を図るということが挙げられる。
まず一つ目は、教育内容を厳選し、自ら学び自ら考える教育を進めるということである。子ども一人ひとりが目標を持って、勉強やスポーツ、友人関係を充実させ生き生きとした生活が送れるようにし、活動の中で、自己の存在感や自己実現の喜びを感じられるような学校作りを目指していかねばならない。また、その為にもこれまでの詰め込み学習ではなく、自ら学び、自ら考える教育の転換を目指し、教育内容を厳選していく必要がある。これに加えて、学校週5日制によっても生み出されたゆとりを利用して、子どもたち自身、試行錯誤する時間や体験的学習できる時間にあてることができる。
今日の子どもたちは、積極性の乏しさ、自尊感情や自己有用感などの欠如がみられる。そのため、子どもたちが成就感や達成感を感じられるように、個別指導や補充学習、ティームティーチング、教材の工夫、繰り返し学習などの個に応じた指導方法が必要である。積極的に、また興味・関心をもってじっくり時間をかけて取り組むことができるよう、選択できる授業作りも大切である。
さらに、子どもたちが学ぶためのゆとりを確保すると同時に、教員と子どもとが語り合うためのゆとりを確保することも大切である。
2つ目に、トライ・アンド・エラーが可能で、多様な努力を評価する入試改革を進めることである。過度の受験戦争の緩和を図るため大学・高校の入学者選抜のあり方を見直す必要がある。知識量の多寡を問うようなペーパーテストではなく、選抜方法・尺度の多様化を図り、自ら学び、自ら考える力に対する評価や多様な個性への対応が十分配慮されるようなものでなければならない。
3つ目に、子どもたちに読書を促す工夫をする必要がある。読書は、豊かな感性や情操、思いやりの心をはぐくむ上で大切な営みである。
今日の本離れは、子どもを巡る情報環境の変化や生活からのゆとりの喪失などが指摘されている。読書を促すためにも、感動を与える本を学校に用意したり、読書の楽しさとの出会いの場を設定したり、各教科で本を用いた調べ学習を計画したりなど様々な場面を設定し工夫する必要がある。
3.「ゆとりある教育活動」といわれているが、そもそも教育現場でのゆとりとは何であるのか。 私自身が考える教育現場でのゆとりとは、子供たち同士、教師同士、そして子供と教師がお互いを認め合い、共に過ごす時間を共有していくことだと思う。その中で、みんな自分についてもっと理解を深め自分自身を磨き上げていくのだ。ゆとりある教育を展開する中で、指導内容を厳選して基礎・基本の確実な定着を図り、個性を生かす教育を充実させることが必要だといわれている。しかし、完全週五日制になることにより、以前より学校での時間的なゆとりはなくなるのではないかと思われる。さらに、休みが増えれば、そのぶんだけ塾通いをする子供が増えるのではないかともいわれている。そして、塾通いをしていない子供でも、学校以外での過ごし方を知らない、つまり遊び方がわからないこどもなどは、ただの無駄な時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。
ゆとりある教育活動というのは、何も勉強面のことだけではない。たとえば、週に2日休みがあるならば、地域の行事に参加してたくさんの人と触れ合ったり、また学校・学年単位での課外活動をするなどして、異年齢での集団活動を体験したりしていくこともとても貴重な体験になる。そういった体験活動をしていくなかで、自分で問題を見つけ解決していく力が備わってくるのではないだろうか。そしてその力が、生活の中に生きてくるのだ。こういった活動を通して、人との付き合い方、共感できることなどを残していくのである。
こうした課外の活動こそ現在の子供に足りないものであり、これからますます必要とされるものである。こういった活動を、教師は積極的に行いできる限りの環境作りをしていかなくてはいけない。そのためにも、まずは、教師間のチームワークが何より大切である。そして、教師自身もいろいろなことを体験していかなくてはいかない。もちろんそれだけではなく、子供を主体としわかる授業を行い、限られた時間の中で子供が興味関心を持って取り組めるものにしなくてはいけない。
ただ勉強に追われるだけでなく、学校生活の中でたくさんの体験を通して社会の中で生きる力を養っていかなくてはいけない。
4.現代、学校教育において、ゆとりある教育が注目されてきている。それは、ゆとりある教育環境でゆとりある教育活動を展開する中で、子どもたちひとりひとりに生きる力をはぐぐむことを今後の教育の課題とするというねらいから生まれたものである。その結果、2002年度より完全週5日制が導入され、授業時数は週当り2時間減らし、教育内容は3割削減された。これにより、子どもがゆとりを持って生活するというねらいなのである。
完全学校週5日制により、どのような効果が期待されるか、家庭教育、学校教育、地域社会教育の3つの立場から考えると、まず、家庭教育の面では、親子のふれあいが深められ、基本的生活習慣などのしつけにとりくめる時間ができる。学校教育の面からすると、指導内容が精選され、子どもの学習負担が軽くなり、ゆとりが持てる。社会教育の面からすると、スポーツ、奉仕活動の参加、自然・文化とのふれあいをする時間が持てるようになると考えられる。
しかしゆとりある教育の対策を進めることで生じることは、必ずしもよいことばかりではない。例えば、学力の低下である。授業時数の削減により、子どもに国民生活に必要とされる、基礎・基本を徹底的に習得させるようになっているが、入試制度自体はあまり変わりが無いため、家庭が不安になり塾通いの子どもが増加しているのである。このように、ゆとりを与えるはずの改革が、かえって、子どもたちに不安を与えてしまうことになりかねないのである。
以上、このように考えると、ただ、子どもの授業を減らしても、必ずしもゆとりは生まれないのである。ゆとりとは、ひとりひとりの精神の安定の中で育まれるものである。よって、学校におけるゆとりとは、教師と子どもがともに、心安らかに生活できる場を教育活動に創り上げる過程に生まれる。勉強の場はあるが、生活の場が無い学校にゆとりは生まれない。各教科などを関連づける授業や、子どもひとりひとりの人間の違いを判断し、認めることのできる教師の育成や、入試制度の抜本的な改善も行なうべきである。そこではじめて、ゆとりが生まれ、生きる力が育まれると私は考える。
5.ゆとりある教育とは、生活や教育が変化するとともに始まった。高度な学習内容についていけない子どもが増えたために、教育内容を厳選し、学校5日制を導入して、ゆとりのある教育活動を行い、基礎基本の確実な定着を図ることがねらいとされた。ゆとりというのは、余裕があるということだが、単に時間に余裕があることだけではなく、心に余裕をもつことを含めて「ゆとり」を考える必要があると思う。そこで、ゆとりのある教育を行うためにはどうすればいいかということについて述べたいと思う。
まず、物事をじっくり考えていくことが大事であると考える。自分で課題をみつけ、課題を解決するために試行錯誤してじっくり考えることが考えるゆとりではないか。それは、時間のゆとりと心のゆとりがあってこそできるものだと考える。また、答えの正誤ではなく子どものそれぞれの学習過程を認めていくことができる、個を認めることを実践することも大切ではないだろうか。そのようなゆとりのある教育を行うためには、また教師自身もゆとりのある心をもって指導にあたることが必要だと思う。子どもにいろいろな視点から助言をできるゆとりをもつことや、ゆとりのある環境を作っていくことを心がけていくことが教師にとって大切なのではないだろうか。
次に、ゆとりのある教育を行うためには、社会全体にゆとりをもたせることが必要なのではないか。これは、学校だけでできるものではなくで、地域社会との連携を図ることによって、地域社会全体にゆとりをもたせることを行っていけばいいと思う。例えば、学校5日制によって生まれる時間の余裕をボランティア活動や地域の行事参加にあてることによって、体験的な活動を通して心に余裕をもたせることで、地域社会をもふまえたゆとりのある教育をするなどが考えられる。
以上が私の考えるゆとりのある教育であるが、学校5日制とか授業内容の厳選など形のゆとりにとらわれるのではなく、子どものゆとりだとか、教師のゆとりだとか、環境のゆとり、心のゆとり、じっくり考えるゆとりなど、ゆとりのある教育を行うためには、まずゆとりの意味をきちんととらえながら、生きる力を育むこと、基礎基本の定着をねらいとして教育をしていかなければならないと思う。
6.ゆとりある教育を展開するにおいて、様々な角度から、あらゆるゆとりについて考える必要がある。ゆとりある教育とは子どものゆとり、教師のゆとり、ゆとりある学校、家庭・地域社会が一緒になってこそ展開されるものである。
子どものゆとりについては、子どもが物事をじっくり考えたりする自由に過ごす時間が確保されることや、一人一人の個性を生かす教育や、体験的な活動、地域社会に根付いた教育から生まれてくる。また教師のゆとりは、心の余裕を教師自身がもつことから生じる。しかし、ゆとりとは単に時間にがあるということではなく、人に喜んでもらったり、何かを成し遂げたときの達成感、成就感によって感じるものではないか。ゆとりのある学校においては、学校にゆとりを生み出すための工夫、改善をどのように推進していくかによって左右される。各種会議、会合などの精選や見直しを行ったり、学校組織の見直し、改善を行うことや、職員の意識改革を行うことなどが挙げられる。
このようにゆとりある教育を展開するために、時間的ゆとり、精神的ゆとり、物理的ゆとりが各々で重要になってくる。しかしこれらのゆとりが揃ったとしても、それが本当にゆとりある教育につながるかどうか疑問である。生きる力を育て、個性を伸ばす教育をするには、いろいろな面において改善したり推進したりと、あれもこれもと求める気持ちも大切であるかもしれないが、苦労して物事を成していくことの感動や感激や感謝を伝えたり、達成感や成就感を味わうことが心にゆとりを生み、ゆとりのある教育につながるのではないだろうか。更に学校だけでなく教育に関わる家庭・地域社会の役割を明確化していく必要がある。具体的には、家庭の過度の学校依存体質への対応や、学校の地域への積極的な情報発信、地域に開かれた学校づくりなどである。これらの課題に取り組んでいくことが子どもにとって良い教育環境をつくりねゆとりを生み出していくのではないだろうか。
最後にゆとりある教育の中で重要になってくるのが、一人一人に応じたきめ細かな対応である。学校のみならず、家庭、地域の中においても同様にし、子ども一人一人が生活の中で充実感を味わえるようにしなくてはならない。
7. 第15期中央教育審議会の第1次答申(平成8年)において、「生きる力」と「ゆとり」を子どもたちに与えることが強調された。しかし、「ゆとり」の教育は昭和52年の学習指導要領改訂ですでに取り組まれている。それまでの系統的な学習や教育水準の向上により、「落ちこぼれ」、「非行」、「学校嫌い」が生じ、子どもたちに「ゆとり」が必要であるとされたからである。その内容は、「ゆとりの時間」の設置や授業内容の1割削減などである。「ゆとり」の教育は今に始まったわけではないのである。
しかし、時代の急激な変化、受験戦争や受験の低年齢化が生じ、教師からの一方的な知識習得型の授業形態が拍車をかけたことが、子どもの「ゆとり」を奪い取る結果となった。よって、それまでの教育内容では子供たちに過度の精神的・身体的ストレスがかかるということで、今回の平成10年の改訂では「ゆとり」の中から「生きる力」を育てていくことを根本として作成された。
では、「ゆとりある教育」を実践するために中央教育審議会が提唱した内容を挙げてみる。
@.授業時間の大幅削減(年間70単位)と教育内容の厳選(3割削減)
A.学校週5日制の導入 B.授業内容や授業時間の1時間単位の弾力的な運用
が主な内容である。
「ゆとり」を得るために@、Aのように子どもたちの精神的・身体的ストレスの軽減を目的としたものもあるが、それ以上に、地域住民の中で、ある特定の能力に秀でている人を学校に招き授業の実施や授業の枠を取り払った学習など、授業そのものにも「ゆとり」をもたせることを目的としたBのようなものもある。また、その他にも中高一貫教育の導入により中学校・高等学校の6年間の長い計画によって教育内容を決めたり、学力試験を廃止し、人物重視の選考基準に変更したりすることができ、ますます教育・学校に弾力性が生まれてきている。しかし、改善策として提唱されたこれらのことが「学力低下」に一層追い討ちをかけるのではないかと叫ばれているが、「ゆとりある教育」から、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、豊かな創造性を育むためには、「ゆとりある教育」は必要なのである。但し、教師は「ゆとり」ではなく「緩み」にならないような授業作りを行っていかなければならない。「ゆとりある教育」とは子どもたちがよりよく学校生活・学習活動を送ることができる手段の1つであり、これからの教育に重要なものである。
8.ゆとりある教育は1977年度の学習指導要領改訂より、我が国の教育に課せられた大きなテーマである。今のところ、この大きなテーマについての解決の糸口は見つかっていないのが現状である。今度の新学習指導要領でも一段のゆとり教育の充実を推進するために、授業内容の厳選と授業時間数の削減があった。どのようにすれば教育現場にゆとりがもたらされるのか、考えたい。私自身、自分のいままでの学校生活を振りかえると、ゆとりがあったかどうかは答えが出せない。それはゆとりの基準があいまいであったからである。私は自分なりにゆとりを捉えるとき、忘れられない先生との出会いがある。小学校6年生のとき、私のクラスの担任教師は、とても児童の興味を引く授業をしていた。授業中よりよく内容を理解させるために、時間を多く割いていたのである。漢字の筆順を学習していたときのことである。「今から、先生が漢字を書きます。みんなは漢字探偵になって、よく見ていてください。」といった後、わざと筆順を間違えた。当然クラスのいたるところから手が挙がって、クラスは活気にあふれた。筆順の学習は、ともすれば単調になりがちで、そこでつまずく児童も比較的多い。私自身筆順の学習は面白くないと感じていた。しかし、その教師のおかげで今では筆順には自信が持てるようになった。私はゆとりとは、ゆとりある授業の間ではないかと考える。ゆとりとは時間的なもの、物質的なもの、空間的なものとそれぞれある。しかし私が考えるゆとりはそれぞれ少しずつ違う。とりたてて意図的に作るものではない。この教師のように、ちょっと立ち止まり、児童が授業や活動についてきているかどうかを確認する間ではないかと考える。授業を少し違った角度から見るゆとりであり、みんなが理解することに重点を置いたゆとりである。このようなゆとりが、基礎・基本の確実な習得を可能にするのである。間やゆとりを大切にしていくことで、教師自身も、児童も落ち着いて授業に取り組めるのである。ゆとりは何もしなくていい時間ではない。児童全体を見渡したあたたかいゆとりこそが今求められるものである。私はこれらのことを念頭において、ゆとり教育を推進していきたい。
9.現在の社会は情報化、国際化など様々な変化を続けている。これからの変化の激しい社会において、いかなる場合でも他人と協調しつつ自立的に社会生活を送っていくために必要となる人間としての実践力は「生きる力」と称されている。「生きる力」を育んでいくためには、子どもたちにも、学校や学校や社会全体を含めた社会全体にも「ゆとり」が重要であると考えられている。
「ゆとり」と聞くと時間的なことを考えがちであるが、精神的なことも含まれているのである。今日の子どもたちは全体として「ゆとり」のない忙しい生活を送っており、様々な体験活動の機会も不足し、主体的に活動したり、自分を見つめ思索するといった時間も少なくなってきている。家庭や地域社会における豊富な生活体験、社会体験や自然体験は、社会性や自立性を養う上でも重要な役割を果たすのである。子どもたちが家庭や地域社会で生活する時間、つまり主体的に使える自分の時間である「ゆとり」の時間の確保が困難になった原因として、子どもたちの学校生活時間が多いことが挙げられてきた。そのため、平成4年9月から月1回の学級週5日制が導入され、平成14年度から完全学校週5日制に向けて段階的に進められてきた。完全学校週5日制の導入により、子どもたちの「ゆとり」が確保され、「生きる力」がますます育まれていくことが期待されている。
しかし、完全学校週5日制の導入が受験競争を激化させ、過度の塾通いを招くのではないかと懸念されている。子どもに「ゆとり」を確保し、家庭や地域社会での豊富な体験の機会を与えるために実施される完全学校週5日制の趣旨を親が理解するような働きかけを教師は積極的に行っていく必要がある。
子どもの「ゆとり」を確保するためには、教師自身にも「ゆとり」が必要なのである。近年、複雑な社会の状況を反映して、学校の果たすべき役割が増大し、教員の多忙化が一層進んでいる。教員が仕事に追われ子どもと接する機会が減少してしまえば、一人一人の子どもの個性を尊重したきめ細かな教育を推進し、子どもたちに「生きる力」を身に付けさせることは困難である。教師を含めた社会全体が「ゆとり」をもつことにより、子どもたちに時間的、精神的な「ゆとり」をもたせることができるのである。
10.私は「ゆとり」の中には“時間的なゆとり”と“精神的なゆとり”のどちらの意味も含んでいると考える。昭和52年の学習指導要領においても授業時間数を減らし「ゆとり」をつくることを試みたが、このときは“時間的なゆとり”だけを考えたため、効果が上がらなかった。このことからも“時間的なゆとり”がいくらあっても“精神的なゆとり”がなければその時間はゆとりの時間とは考えにくいということが示唆される。では、授業中の「ゆとり」とは一体どんなものなのだろうか。
今回の改訂で授業時間数が週あたり2単位時間削減され、完全週5日制になった。まずこの時点で“時間的なゆとり”は確保されたわけである。また、授業内容の3割削減により、基礎基本を身に付けることが重視された。私はここに、授業中の「ゆとり」を見出すことができると考えている。これまでよりも授業内容を削減したことで、「ゆとり」の中でじっくり学習し、その確実な定着を図ることが可能になる。つまり、これが“精神的なゆとり”のきっかけである。そこで、私は、授業中におけるゆとりある教育を以下のように考える。
まず、児童一人一人が十分に考える時間を確保する。時間に追われずに考えることができるため児童に精神的なゆとりが生まれる。高学年の授業においては、課題選択を導入し、自分の興味・関心に応じた学習が可能になることで、児童が受身ではなく主体的に取り組むことができるようにする。この場合、最初から精神的に追い詰められるということは考えにくく、教師がいかに自分でも精神的ゆとりを持ち、関わっていくかが重要になる。また、基礎基本が身についていなければ、「ゆとり」というよりも授業自体が単なる時間の浪費となる可能性が高い。この対策として、学習内容や児童の実態に即し、個別指導やグループ別指導、繰り返し指導、ティ−ムティーチングを行うなど指導体制の工夫が考えられる。ただ単に画一的な指導体制で授業を行うのではなく、変化を持たせながらしかも分かりやすい授業をしなければならない。
「ゆとりある教育」とは、子ども自身、教師自身が“時間的なゆとり”の中で“精神的なゆとり”を持って初めて成立するものと考える。また、学校教育だけではなく、家庭や地域社会が「ゆとり」をもつことが大切である。
11.平成8年7月の中央教育審議会第一次答申において、これからの学校教育の在り方として、「ゆとり」の中で自ら学び自ら考える教育活動の展開が重視された。
ゆとりある教育を考える上で、まず完全学校週5日制の実施は外せないだろう。時間的なゆとりが生まれ、精神的なゆとりにつながっていくことを示している。この観点は、各教科の教育内容の厳選、年間授業時数の縮減によって、子どもが基礎・基本をじっくり学習できるようにするとともに、興味・関心に応じた学習に主体的に取り組むことができるようにする必要がある、ということである。
しかし、新しい学力観、つまり学力観の転換が、ゆとりある教育の中で最も重要であると私は思う。これは、学力を単なる知識の量としてとらえる考え方から転換して、自分で考えたり判断したり行動したりする力が本当の意味での学力ではないか、という新しい考え方が出てきたからではないだろうか。知識をたくさん覚えこませる授業では、子どもたちが自ら学び取るものが少ない。私自身、教え込ませるだけの教育を受けて育ってきたが、印象に残っている授業など皆無だ。残っているのはうろ覚えの公式だけである。知識だけを積み重ねていって、授業で何を学び取るかなど考えたこともなかったのが現状だ。
ゆとりのある教育は、「総合的な学習の時間」においての体験的な学習や、問題解決的な学習を中心とした教育活動であると私は考える。各教科においては、例えば、国語科では話し合いなどを充実し、自分の考えをもちそれを表現する能力の育成、理科では見通しをもった観察・実験やものづくりの充実、算数科では公式の詰め込みではなく、作業的・体験的な活動など算数的活動を充実するなどして、考える力、表現する力の育成は図れるだろう。授業は、将来の準備のためにあるのではない。例えばかけ算・割り算という、新しい知的世界を発見すること。例えば水泳でクロールができるようになって、達成感を感じること。ともだちの自分とは異なった考え方と出会い、自分の意見の変化や深まりを実感すること。そういう知的充足を子どもたちにもたらすことによって、初めて授業の存在意義が認められ、ゆとりのある教育につながっていくのではないだろうか。
12. 1996年の「21世紀を展望した我が国の教育の在り方」についての第1次答申では、「家庭や地域社会の中での生活時間の比重を増やし、子どもたちが主体的に使える自分の時間を増やして『ゆとり』を確保することは、今の子どもたちにとって極めて必要なことである」と提言している。
この答申の中の「ゆとり」ある教育とは具体的にはどのようなものだろうか。私は2つの側面から考えていきたい。
第一は時間的な「ゆとり」である。この答申を受けて2002年4月から完全学校週5日制が実施されることとなった。またこれに伴って授業時数が削減され、学習内容もほぼ3割削減された。このように学習内容を削減することによって、子どもたちに時間的なゆとりを与えようというものである。学習時間にゆとりを持ち基礎・基本を徹底していくということは、それだけじっくりと丁寧に学習課題や問題に取り組める。これによって学力低下の問題も叫ばれているが、これからは「学力」そのものの意味や従来の入試制度を見直していく必要があると考える。
二点目は時間的な「ゆとり」があることによって生じる、心の「ゆとり」である。現在の子どもたちは学校のみならず、家庭においても習い事や塾に通うなどしている子どもたちが多く、そのため心にゆとりがなくなってしまっている子も多い。このことが学級崩壊やいじめなど、子どもたちの荒れの要因となっている場合も考えられる。心のゆとりを持つことで、子どもたちの身近な人たちとの接し方も変わってくるであろうし、学習に対しても積極的に取り組めるであろうと考える。
このように、これからの学校教育は「ゆとりある教育」によって時間や勉強ばかりに追われるのではなく、様々な体験を通して社会の中で生きる力を養っていかなくてはならない。そのためには、教師は時間的なゆとりを有効に活用し、子どもたちにとって価値ある体験や活動ができるように考えていくべきである。
13.まずゆとりは大きく二つに分けることができる。その二つとは、時間的なゆとりと心のゆとりである。私は教育の求めるべきゆとりは、心のゆとりであると考える。
現在、完全学校週五日制の下で、各学校がゆとりある教育活動を展開することを目標に掲げている。果たして完全学校週五日制の導入で、現場ではゆとりある教育は実現されているのであろうか。
振り返ってみると、私が中学生だった頃、時間割のなかに「ゆとり」の時間が設けられていた。しかしこの「ゆとり」の時間に何をしたかというと、時間数が不足していた教科の授業や試験勉強、進路指導などであった。これらは全て、単に補助的な役割をし、時間的なゆとりを提供しているだけであった。「ゆとり」の時間はけっして心のゆとりを提供するものではなかった。
では、完全学校週五日制は心のゆとりを提供することができたのであろうか。完全学校週五日制で休日となった土日に子どもたちがやっていることとは何であろうか。私の知る限りでは、多くの子どもが塾通いに追われている。考えられる理由としては、週五日制にと真なう学習内容の削減で学力低下が懸念されることや、過密化した時間割になり授業についていけなくなったことなどが挙げられる。この理由からすると、学校でも塾でも学習に追われている子どもたちの姿が想像され、心のゆとりは感じられない。
完全学校週五日制は、教育が求める心のゆとりを学校現場ではなく、家庭に求めているように思われる。学校では過密な時間割に追われ子どもたちは疲れ果てている。この疲れを土日の休日で回復させるという構想である。しかしこの構想も前述した塾通いで崩れ、求められる心のゆとりは、学校でも家庭でも消化不良を起こしている。
そもそも心のゆとりは、日々の生活の中で自分や周囲を見つめなおすものである。したがって、土日の休日でまとめてできるようなことではない。私自身、体育祭や合唱コンクールなどに時間をかけてじっくり取り組んでいく家庭の中で、様々な心の動きを体験し、心のゆとりを感じてきた。また友人との会話や部活動でも感じてきた。心のゆとりは、日々の積み重ねなのである。ある限られた時間や環境に心のゆとりを求めるのではなく、日常生活の中で心にゆとりのある教育を展開していきたいものである。
14. 本年度から完全学校5日制が完全実施され、ゆとり教育が社会的にも叫ばれるようになってきたが、真のゆとりとは学校が休みであるということだろうか。学校が休みになり、授業は減ったが本当に子どもたちにゆとりはできたのであろうか。学力低下が問題となって逆に塾に通う結果が生まれている。これでは生活の中にゆとりは生まれない。
せっかくできたゆとりの時間をうまく活用するためには学校側もそういった場を提供していくべきである。子どもたちの中には、休みを利用して自分の趣味やボランティアに時間を使う子もいる。しかし、そういった場や趣味がない子どもはただの休みになってしまう。そこで、学校として有意義な休みにしてもらうために、地域の人々と協力して普段学校ではできない経験をする場を与えるべきである。今まで学校は勉強だけだった。5日制になったことで益々勉強だけの学校になってきている。だからこそそういった場が必要なのである。このような場で沢山の人と触れ合ったり、様々な体験をすることで子どもに足りなかった力を伸ばしていくきっかけともなっていく。
そのためには、まずそういった場を提供する学校側の教師が活動を前もって体験しておく必要がある。教師が体験させたいだけではなく、子どもたちが興味を持って取り組めるような活動を設定する必要はある。
家の中に閉じこもってばかりいる子どもたちを外に連れ出して、様々な経験をさせることがゆとりの中で生きる力をともに養う上においても大切なことである。
15.平成9年に提示された中央教育審議会答申「21世紀を展望したわが国の教育のあり方について」では「子どもに[生きる力]と[ゆとり]を」という副題がある。この中央教育審議会答申の中で説く[ゆとり]は、[生きる力]をはぐくむために必要なものであると明記されている。では、[ゆとりある教育]とはどのようなものだろうか。これを、現在の教育の現状を踏まえて明らかにすることとする。
現在、子どもたちは過剰な受験戦争による塾通い等により、多忙な生活を送っている。このため、生活体験・社会体験・自然体験をする機会が奪われ、勉強も「受験のためのもの」と割り切り、勉強に対し興味関心を持って行うという感覚をなくしている。こうした中では、全人的な力である[生きる力] を培う機会を逃してしまう。そこで、これからの教育のあり方として必要になるのは[ゆとりある教育]なのである。
ここで、[ゆとり]といっても2種類あるといえる。「時間のゆとり」「心のゆとり」がそれである。「時間のゆとり」は、完全学校週五日制の実施や学習指導要領の3割減など、文部科学省によって実施されようとしている。では「心のゆとり」はどうだろうか。
まず、「心のゆとり」とはどのようなものであるかというと、自分のペースで物事を考え行動することであると考える。なぜかというと、現在の子ども達は、「皆と一緒でなければいけない」「皆とあわせなければいけない」という意識がある。というのは、「皆と違う」と仲間から浮いた存在になり、いじめを受ける対象となってしまうからである。それは皆と劣っていても優れていても同じである。皆と同じであろうと、本当は出来ることを表現できなかったり、出来ないことを気にして隠したりと、自分のペースで考えたり行動したりする、つまり個性を主張することを抑えられている。この状況を「心のゆとりがない」ことだと言えると考える。
子どもたちに「心のゆとり」を取り戻すにはどうしたらいいのだろうか。まず、教師としては、個性を主張することが恥ずかしいことではないこと、そして他人の個性を尊重することの大切さを子どもたちに伝えていかなければならないであろう。そうすれば、子どもたちは、何のためらいもなく個性を発揮し、自分なりに考え行動できると思う。よって、子どもたちに「心のゆとり」を取り戻す「ゆとりある教育」とは、一人一人が個性を主張することの喜びをあたえるものであると言える。
16.現在の子供たちは様々なことに積極的に取り組んでいる。習い事といえばピアノや習字くらいしか出てこなかったひと昔前とはずいぶん様変わりし、英会話やダンススクール、また最近では放課後にタレント養成学校に通う子供も急激に増えているという。また、塾に通わない子供はいないといっても過言ではないほどの割合の子供が塾に通っている。そういった積極面が現代の子供たちの良い点であると評価する一方、学校外での活動が多すぎて、もしくは急激な土地開発により遊び場がなくなったせいか、外で遊ぶこどもを最近見かけなくなった。そういった子供たちは、限られた自由時間をテレビゲームとともに過ごしている。もう、自由時間をどう過ごしていいかがわからなくなってきているのだ。こどもたちの毎日は窮屈でまさにゆとりがないのである。
一方これからの我が国は、国際化、情報化、科学技術の進展、環境・エネルギー問題、少子・高齢化など、変化の激しい先行き不透明な厳しい時代を迎えると予測されている。これからの学校教育は不易と流行を見据え、ゆとりのある教育がなされることが課題とされている。
ゆとりのある教育とは、子供たちに時間的なゆとりと、心のゆとりをもたらすことであると考える。まず、時間的なゆとりのために教師は学校の授業で学習の要点をしっかり押さえ、基礎基本的な事をしっかり定着させることが大切である。子供たちまたは保護者が塾に通わなくても大丈夫と思えるような中身のある授業を展開することが望まれる。また、学校でも習い事でも、何でも詰め込まれていたのでは本当に受け入れるだけの人間でしかなくなってしまう。自ら学び、考える力を養うことが、今の社会に生きるためにも必要である。心のゆとりに関して、今の子供たちは社会性に欠ける部分があり、また、健康や体力が低下していることも問題として挙げられる。教師は放課後の指導に携わることが難しいから、せめて休憩時間や昼休みを利用してこども達に外で遊ぶことを今後は教えていく必要があると考える。心のゆとりは、道徳教育の充実などでも図れるかもしれないが、子供たちが子供たち同士で遊ぶ中である程度自然に身につくものである。自分のことや友達のことを考える経験をさせていくことが必要である。教師はこどもが逞しく生きていけるようゆとりのある教育を心がけていかなくてはならない。
17.平成11年5月学習指導要領解説・総則編の中で「21世紀に向けて、我が国の社会は国際化、情報化、科学技術の発展、環境問題への関心の高まり、高齢化・少子化などの様々な場面で大きく変化しており、これらの変化を踏まえた新しい時代の教育のあり方が問われてきた。このような背景の下に、「ゆとり」の中で自ら学び、自ら考える力などの「生きる力」の育成を基本とし・・・」として、ゆとり教育が言われている。ゆとりある教育を展開する為、完全学校週5日制が導入され、授業時数の改善、授業内容の削減などが行なわれた。また、改訂の基本方針のAには「ゆとりある教育活動を展開する中で、基礎・基本の完全な定着を図り、個性を生かす教育を実施すること。」としてあるように、ゆとりある教育とは、生涯学習の考え方に基づいた、「精神的・時間的なゆとり」、「基礎・基本をじっくり学習できるゆとり」や「興味・関心に応じた学習に主体的に取り組むことができるようなゆとり」のことである。具体的な実施としては、各教科の教育内容を授業時数の縮減以上に厳選し、基礎的・基本的な内容に絞り、ゆとりの中でじっくり学習しその確実な定着を図るようにしたり、高学年の社会科や理科などで課題選択を導入したり、年間総授業時数を現行より週あたり2単位時間削減したりなどがある。
ゆとりある教育の中で上記の改善が行なわれたが、以前として子供たちに課されている問題は変わる様子はない。ゆとりで週休2日制になったことで、学力の低下を危惧する保護者たちは塾に通わせ、授業内容が削減されたとはいえ、授業時数の減少が見合っておらず、詰めこみ教育であることが多い。ますます勉強のできる子、できない子の落差を広げているのも事実である。しかし、知識とは教科の勉強だけではないということをしっかり教え、総合的な学習の時間などにおける心の教育を、ゆとりある教育と供に進めていく必要がある。
このように、ゆとりとは学習においてのことが前提で進められているように思うが、一番大事にすべきは「心のゆとり」である。今学校における様々な問題は、そのほとんどが心の問題が根底にあるからである。「ゆとりある教育」とは、心を豊かにする教育でありたい。
18.ゆとりある教育とは、平成14年度から導入された週5日制において、子どもに様々な面においてゆとりを持たせ、家庭や地域社会との関わりを増やそうというものである。核家族化が進み、地域社会との関わりが希薄になった現代の中で、子どもたちの学ぶ範囲が狭くなってきているように思う。学ぶこと、学ぶ場、学ぶ時間などをもっと広げ、それぞれが自分の興味があることを追求していくことが個性の育成に役立っていくのだと思う。ゆとりある教育のゆとりを特定の方向から考えるだけでは、必ずどこかにしわ寄せがきてしまう。週5日制という時間的なゆとりにばかり目を向けると、子どもたちの塾通いが増え、精神的なゆとりがだんだんなくなっていくように思う。そこで、ゆとりある教育では、子どもにおいて様々なゆとりを確保していかなければならない。まずは、時間的なゆとりである。子どもたちがそれぞれの速度によって自分の考えを見出せるようなゆとりを与えたり、友達や教師と話し、相談したりする時間を確保することが大事だと思う。2つ目は、空間的なゆとりである。教室も作業や学習しやすいようなゆったりとしたスペースが必要である。また、自然が身近にあるなどという安らげる空間も必要だと思う。3つ目は、心のゆとりである。信頼できる教師がいるというゆとりや、自由や規律がうまく調和している学級、学校、社会の雰囲気が大切だと思う。4つ目は、学びのゆとりである。良いところを認められ、失敗しても責められたり見放されたりしないという安心感を養っていかなければならない。5つ目は、関わりのゆとりである。まずは、遊んだり相談したりできる友達がいるということ。そして気軽に声をかけてくれる先生がいるということ。その上でひとり一人の違いを認めてくれる雰囲気があることが大事である。このように子どもにとって多くの面においてのゆとりがあることが本当のゆとりある教育だと思う。そしてそれをつくるのが教師を含む社会だと思う。まずは教師や親がゆとりを持ち、子どもに目を向け、話しを聞いてあげる余裕を持たなければならない。子どもにゆっくりでもいい、自分のペースでいいという信頼感や安心感を持たせ、個性を大事にすることによってはじめて、子ども自身にゆとりができるのだと思う。
19.従来の学校教育は児童生徒に一定の学力をつけさせることを目標の一つとし、受験などはいかに学力が高いかを競うもので、主体的な活動とは言えなかった。その結果、競争に疲れ、学習意欲をなくしてしまう子どもが増えているという。こうした背景により、ゆとりある教育の必要性が叫ばれてきている。
ゆとりある教育とは、学習時間を減らしてもっとゆとりのある生活をしようというものではない。知識を大量に詰め込むのではなく、まず基礎・基本の確実な定着を図り、そして自分の興味・関心のあることに応じた学習を取り入れ、意欲的に課題に取り組んでいく学習を進めるものである。
ゆとりと同様に叫ばれているものに生きる力の養成がある。生きる力を育てるために、自分で課題を見つけ、それを解決していく学習を取り入れているのだが、生きる力はゆとりの中で育つものである。興味・関心のあることについて学ぶので、主体的に学習に取り組むことができる。また、誰と競うわけでもなく、自分のペースで学習が進められるため、精神的にもゆとりを持つことができるのである。ゆとりある教育は週五日制でも分かるように時間のゆとりを必要としている。しかし、それ以上に心のゆとりを必要としているものである。
また、ゆとりある教育は個性を尊重した教育でもあり、教師は子ども一人ひとりの良さ、性格、学習に対する態度、苦手分野などの個性を把握したうえで個に応じた指導を行っていく必要がある。従って教師は基礎・基本の徹底に努めながらも、個に応じられるような幅広い知識・視野を持っていなければならず、また柔軟な発想や対応能力も兼ね備えておかなければならないのである。
20.ゆとりある教育とは、子ども一人ひとりをしっかり見ることができ、それぞれに合わせた授業展開ができる教育であり、学習だけでなく、学校行事の充実も重要な要素ではないかと考える。現在の学校教育は、週五日制、総合的な学習の時間の導入などから、授業を進めるスピードが上がっているという。学校行事が削られることもあるようだ。学校が勉強をするだけの場所になってしまうのではないか。
ゆとりある教育は、学習面においてもゆとりをもって進めていきたい。子ども達の状態に合わせて、進度、授業の仕方、教材などを工夫していく。一人ひとりに視点を合わせ、それぞれに必要な手助けをしながら授業が進められるような教育をしていきたい。子ども達が意欲的に学習に取り組んでいけるような配慮もしていくべきである。学習すべき範囲をこなすだけの教育ではなく、子どもの理解の程度に合わせた速度で進めていく教育を進めていく。
また、学校行事の充実ではないかと考える。学校行事は子どもの楽しみの一つである。学校行事においても子ども達は学習では学べない多くのことを学ぶ。学校行事があることで学校生活にもメリハリができる。例えば、運動会があるとすれば、競技、演技などの練習、準備を行なう中で、協力し合ったり、子供同士で工夫しあったりするなかで友達を思いやる心や、みんなと協力すること、最後まで努力することなど、大切なことを学んでいくのではないかと考える。また、一つの行事を乗り越えるごとにクラスの一体感が高まったり、子ども同士のつながりが強くなったりするなどの効果も得られるのではないだろうか。学校行事の充実は学校生活にメリハリをつけるだけでなく、普段の学習では学べないことを学ぶことができる。学習ばかりではない、さまざまな経験ができるような教育もゆとりある教育と言えるのではないかと考える。
子ども一人ひとりに合わせた学習指導、さまざまな経験ができる学校行事を行なっていくことがゆとりある教育につながるのではないかと考える。
21.現代、塾に通う子どもが多く、塾での勉強などに時間を多く費やし、疲れやすい・朝、食欲がないなどの子どもが増えている。その様な状況を踏まえ、第15期中央教育審議会は、家庭や地域社会での生活時間の比重を増やし、子ども達が主体的に使える自分の時間を増やして「ゆとり」を確保することは、重要なことであるとし、完全学校週5日制も実施している。この完全学校週5日制は、子ども達の家庭や地域社会での社会体験や自然体験の機会を増やし、主体的に活動し、自分で考える力を育成することをねらいとしている。しかし、実際には休養する時間として土曜日は利用されており、本来の目的として機能しているとは言い難い。そこで、地域の施設を開放するなどして、子ども達の体験活動の場を多く設けるなどの取り組みも行われている。このように、ゆとりある教育には、学校・家庭・地域社会の連携が大切であると考える。
また、ゆとりある教育として、教育内容の厳選と基礎・基本の徹底も中央教育審議会は提言してしる。これまでは、受験競争も激しく、教育も知識習得型であったが、自ら学び、自ら考えるなどといった生きる力の育成を重点的に行うことが、教育の目標として掲げられ、教育が実施されている。このことによって生まれるゆとりを活かすことで、ティームティーチングや個別学習など個に応じた教育を図ることができ、一人一人の多様な個性が伸ばされていくのである。
つまり、ゆとりある教育とは、忙しいスケジュールに追われる子ども達に、自分で課題を見つけ、自ら学び・考える力や他人を思いやる心などの生きる力を育むために、時間のゆとり、心のゆとりを与える教育のことである。激しい社会の変化に対応していくためには、主体的に行き、自己実現することが大切であり、そのためにも、ゆとりある教育は重要な意味を持つと考える。
22.現代の子ども達は、小学生にも関わらず、とても忙しい日々を送っていると感じます。学校が終了してからも塾や習い事に通ったり、土日さえも1日塾で勉強している子ども達がいます。平成8年に中央教育審議会で「ゆとり」の中で「生きる力」を育んでいくことの重要性を指摘しましたが、学歴社会の風潮が現代の子ども達を「ゆとり」から遠ざけているように思います。「ゆとり」が示す言葉は「時間的なゆとり」、「心のゆとり」、「考えるゆとり」が挙げられます。このことを反映し、学校には「ゆとりの時間」が設置されました。具体的な対策として、各教科の授業時数についての削減や、授業内容の精選を行い「ゆとりの時間」を「学校が創意を生かした教育活動を行う時間」にしました。しかし、そうすることによって、「ゆとりの時間」は行事活動や運動・保健に関する活動や音楽活動といったものになり、逆に企画や準備のために今まで以上の時間を奪われる結果となってきました。このことから考えると、「ゆとり」のある教育とは、ただ授業時間の削減のように時間に余裕を与えるだけのものとは違うのではないかと思いました。実際、私は一週間で家にいる時間が朝と寝る時だけという多忙な小学時代を送ってきました。その経験もあり、本当の「ゆとりある教育」は「心のゆとりに関わる教育」ではないかと思います。現代の子ども達は、学校でも競争、塾でも競争と心に「あせり」や「不安」が感じられます。そうすると、いくら時間に「ゆとり」を作っても、本人が「ゆとり」を感じることができなければ「ゆとりの時間」が効果的に活用できないと思います。そのためにも、「心のゆとり」は大切だと思います。例えば、授業の難易度が上がるに連れ、俗にいう「落ちこぼれ」と呼ばれる子が出てきます。この子はおそらく、周囲に対して「あせり」「不安」を感じてくるでしょう。そのために教師は「落ちこぼれ」を作らないように配慮することも「ゆとり教育」と関係してくるのではないかと思います。学習面以外でもいつも子どもの相談に乗ることや、スクールカウンセラーとの連携を取り、子ども達の心に「ゆとり」を持たせる配慮を大切にしていくべきだと思います。
23.これまでの詰め込み教育からの脱却を目指し、文部省が2002年度から実施したのがこ
の「ゆとり教育」である。戦後日本において、復興という目標のため、優秀で、同じような能力を持った人間を「大量生産」することが、教育現場における至上命題であった。そうした教育を受けた人間は、やがて企業や工業技術の優秀な担い手となって高度経済成長を支えるようになった。結果として、確かに国民全体がボトムアップし、均質な社会を築くことができた。しかし、国際化や高齢化、IT革命、情報化社会などといった変化の時代には、これまでの画一的ボトムアップでは通じなくなった。理由はさまざまであるが、大きく言えば、こうした時代では個性が尊重され、それを活かすことが生き残りの条件になってきたからである。では、個性的な人間をつくるためには、まずこれまでの同学年全ての生徒が全く同じ内容の教科を学習するという方法を改め、必修以外の時間は、各生徒が自主的に学びたい分野を選択するというシステムを徹底することが望ましい。これが「選択のゆとり」である。この「選択のゆとり」によって、今までは表に出せなかった自分の持っている個性を発揮できると考えられる。また、失われた学習へのモチベーションを復活させ、授業が分からない子どもをなくすために、一度学習したものを十分に咀嚼できる「反芻のゆとり」が不可欠になってきている。教育におけるこれらの「選択のゆとり」や「反芻ゆとり」は、子どもたちに「気持ちのゆとり」を与えることにつながっていく。今までは決められた時間割で、皆が同じ教科を学習していたが、それでは一人一人の個性を育てることが難しく、これからの社会に適応できる人間を育てることは困難であった。また、一人一人が「気持ちのゆとり」をもつことの難しい学習カリキュラムであった。そこで、現代のような「個性の時代」に求められる人間を作るのが、「ゆとりある教育」であると考える。
24.現在の学校教育は、ゆとりのある教育といえるだろうか。教育とは、学校での教育のほかに、家庭での教育、地域や塾などでも教育を受けている。たとえば塾での教育は、ゆとりある教育とは言えないのではないだろうか。テストのための、意味も分からずに丸暗記をする教育はゆとりある教育とは言えない。生きる力を養うためや実際に生かせることを学び、生活していくうえで必要なことを学ぶことも大切なのではないだろうか。学校でのゆとりある教育だが、塾のように頭に詰め込むだけの教育になってはいないだろうか。週五日制になり、指導要領の改正によってい学年で学ぶ量は減った。しかし、ゆとりある教育のために地域で遊ぶ時間を増やしたり、友達と遊んだり、家でのんびりする時間を増やすために週五日制になったが、実際にゆとりが出てきたかは、疑問である。週五日制にしたことにより、授業が減り学校の、文化祭、社会科見学などの行事が減ってしまい休みが増えたことで、塾に行く時間が増えただけになったりもしている。本当にゆとりある教育のためには、授業の中でテストのためだけではなく、楽しんで生きる力を学べるようにすることが大切なのではないだろうか。
25.平成10年の学習指導要領の改訂で、授業時間数は週あたり二時間削減され、教育内容も三割削減された。さらに、学校週五日制が導入され時間的なゆとりは生まれた。本来、知識の詰め込み教育や学級崩壊、不登校の教育問題を抱え「心のゆとり」が必要とされ実施されるにいたった。しかし、このゆとりが「学力低下」の波紋を呼び、土曜日は塾に行き、土曜日も授業が行われている学校の方が魅力的であるとする親も見受けられるようになった。しかし、私はこの「ゆとりある教育」という方針についてとても素晴らしい物であると考えている。そのように私が考える理由を述べたいと思う。
本来、学問とはゆとりの中から生まれたものであって決して強制ではならないものであるからである。日本の識字率は世界最高で何よりも誇れる物であるが、詰め込み学習によって小学校からつまづきを与えるような教育であってはならないと思うからである。基礎・基本を徹底させ、土台をしっかりと築いておけばゆとりの中からもっと高いレベルの学習をしたいと願う者がいて、ゆとりの時間をつかって自分で決めた範囲までの学習を理解できるまでじっくりやるという者がいてこそ教育だと思うからである。
また、時間に追われがちだった子どもたちは経験が著しく乏しいことが予想される。様々な年代の人と付き合い、自然にふれ、自ら体験していくことは子どもたちの将来にとって貴重な物となる。時間のゆとりがうまれ、経験が生まれ、心のゆとりにつながっていくことだろう。
このように子どもたちの学習に使う時間にゆとりを持たせることは様々な社会の変化にともなった子どもたちの変化、多様性にも対応できるものとなるはずである。
26.昨今、わが国の学校教育において、学校生活に「ゆとり」を持たせて教育を行っていくということが言われている。実際に、1998年に出された中央教育審議会答申では、「ゆとりある学校生活で子どもの自己実現を図ろう。」とし、a)教育内容を厳選し、自ら学び自ら考える教育をすすめよう。b)トライ・アンド・エラーが可能で多様な努力を評価する入試改革をすすめよう。c)子どもたちに読書を促す工夫をしよう。というような具体策まで示され、ゆとりをもたせて教育を行おうとされている。なぜ、「ゆとり」を教育に持たせようとするのか。現在、教育の現場ではいろいろな問題が問われている。このような、問題が起こっている原因を考えたときに、「ゆとりのない学校生活」が原因と考えられている。受験戦争や、無理のある教育のカリキュラムなど、子ども達がまったく余裕を持って生活できない環境が作り出されているということである。このような現実があるために、しきりに「ゆとり」のある教育が叫ばれているのである。しかし、学校教育に「ゆとり」をもたせることによって、これらの問題が解決するのかというとそうでもない。学校に「ゆとり」を持たせるということは、ある意味で学校の役割の縮小ととらえることもできる。学校の役割が減少し、そのかわり、周りの家族や地域のひとびとが減少した分を担って教育を行わなければいけない。では、ゆとりある教育とはどのようなものなのだろうか。今の教育には「ゆとり」がない。「ゆとり」がないというより、「自由」がないのではないだろうか。学校ではいろいろな教育活動が行われている。子どもに対して学習指導や、生徒指導を行っている。このような指導においても、「一人一人の個性を図りながら」ということは無視され、規則・統制を校則という形で子ども達に強いて子どもたちの「自由」を奪っているのである。私が思うに、今の教育ではただ、子どもを間違った方向に行かないようにと縛り付けているだけの部分が多くあると思う。やはり、ただ縛るだけでなく、個人の特色を教師自身が認め、一人一人をしっかり見て教育していかなければいけないと思う。また、「ゆとり」を持たせることで学校の役割が減少すると考えるのではなく、子どもが自ら学ぶ姿勢を手助けし、子どものいろいろな面、優れている面、努力している面を常に見つけ出しそれを誉めることによって、子どもに自信を持たせるような教育をしていかなければいけないのではないだろうか。
27.従来の詰め込み教育の反省や学級崩壊の現状から今の学校教育に必要とされているゆとりであるが、果たしてゆとり教育とはどういうものであろうか。
まず、時間的ゆとりと精神的ゆとりの側面から考えてみると、授業時数は週2時間、内容は3割削減され、基礎・基本の定着を図る上での時間的なゆとりは生まれた。その一方で行事を減らしたり放課後の時間を活用し補充授業を行うという学校が増えている。また、学校で学習する内容を補うために塾に通う生徒は急増している。この現状から時間的ゆとりは確保されたが精神的なゆとりには疑問が残る。子どもたちにとってのゆとりとは仲間と熱中し何かに取り組み達成感を味わったり、体験的な学習を行うことで感じることができるものであると考える。以上のような要素を含んでいるものとしては日ごろの学習活動に加え、総合的な学習の時間や特に子どもたちが楽しみにしている行事がある。
学校でのゆとり教育を充実させるためには行事への取り組みは不可欠である。時間的ゆとりができた今だからこそ、子どもの個性がより発揮でき、協力や達成感と言う心のゆとりを体験することが今の子どもにとっては大変意義があることがあると思う。
ゆとり教育を行うには教師にとってのゆとりも必要である。しかし、現状では総合的な学習の時間が大きな負担となっているとよく耳にする。教師のゆとりのなさは必然的に子どもたちにも影響してくる。子どもに声をかけ事が少なくなったり、子どもの変化に対応できなくなったりなど始めは些細なことであっても学級崩壊やいじめ問題など重大な問題へと発展していく可能性も大いに考えられる。
教育界が大きく変わろうとしている中、保護者や社会からの教師への要望は強くなっている。教師にとってもゆとりある教育を進めるためにはティームティーチングが必要とされていると思う。
生徒が協力してひとつのことを成し遂げ自信をもつことには生徒の主体性も大切だが、教師のサポートによるところもまだまだ大きい。生徒一人ひとりのニーズに対応するためにはティームティーチングは意義あることではないだろうか。
28. 現代の子ども達は、小学生にも関わらず、とても忙しい日々を送っていると感じます。学校が終了してからも塾や習い事に通ったり、土日さえも1日塾で勉強している子ども達がいます。平成8年に中央教育審議会で「ゆとり」の中で「生きる力」を育んでいくことの重要性を指摘しましたが、学歴社会の風潮が現代の子ども達を「ゆとり」から遠ざけているように思います。「ゆとり」が示す言葉は「時間的なゆとり」、「心のゆとり」、「考えるゆとり」が挙げられます。このことを反映し、学校には「ゆとりの時間」が設置されました。具体的な対策として、各教科の授業時数についての削減や、授業内容の精選を行い「ゆとりの時間」を「学校が創意を生かした教育活動を行う時間」にしました。しかし、そうすることによって、「ゆとりの時間」は行事活動や運動・保健に関する活動や音楽活動といったものになり、逆に企画や準備のために今まで以上の時間を奪われる結果となってきました。このことから考えると、「ゆとり」のある教育とは、ただ授業時間の削減のように時間に余裕を与えるだけのものとは違うのではないかと思いました。実際、私は一週間で家にいる時間が朝と寝る時だけという多忙な小学時代を送ってきました。その経験もあり、本当の「ゆとりある教育」は「心のゆとりに関わる教育」ではないかと思います。現代の子ども達は、学校でも競争、塾でも競争と心に「あせり」や「不安」が感じられます。そうすると、いくら時間に「ゆとり」を作っても、本人が「ゆとり」を感じることができなければ「ゆとりの時間」が効果的に活用できないと思います。そのためにも、「心のゆとり」は大切だと思います。例えば、授業の難易度が上がるに連れ、俗にいう「落ちこぼれ」と呼ばれる子が出てきます。この子はおそらく、周囲に対して「あせり」「不安」を感じてくるでしょう。そのために教師は「落ちこぼれ」を作らないように配慮することも「ゆとり教育」と関係してくるのではないかと思います。学習面以外でもいつも子どもの相談に乗ることや、スクールカウンセラーとの連携を取り、子ども達の心に「ゆとり」を持たせる配慮を大切にしていくべきだと思います。