No. 2005,11,14.発行   編集:佐々木直子(H4年度生)

     ろうあ者の要求ー堺編6 


 政令指定都市になる堺市と障害者自立支援法

 堺市は2月に美原町を合併して、83万人の都市となりました。そして、10月21日には、2006年4月1日から全国で15番目の政令指定都市としてスタートすることが決まりました。
 1996年度は「中核市」としてスタートしたわけですが、わずかの間に、大きな都市となった・・・というか、合併によって大きな都市になった、といえるでしょう。ともかく、都道府県並の力を持つことができるわけです。道路財源などが増える、だから堺市も裕福になる?かどうかはわかりませんが、よい都市になっていくよう願っています。
 さて、堺市の人口83万人のうち、障害者としての認定を受けているのは、身体・知的・精神を含め3万人強です。そのうち、現在の支援費制度の受給を受けているのはその10%強だといいます。ろうあ者は、施設を利用しない限り、支援費の対象ではありません。手話通訳制度を受けていますが、(難聴者・中 途失聴者については要約筆記通訳の派遣制度)、これは長い間のろうあ運動によって「無料」を原則とした制度でした。
 2005年10月28日、衆議院厚生労働委員会で「障害者自立支援法」が可決。31日には本会議で採決されました。この法律の中では手話通訳派遣などは「訓練給付」「介護給付」という国の制度とは異なり、「地域生活支援事業」に含まれ、コミュニケーション支援ということで再編されることになるようです。「地域生活支援事業」については、デイサービスのような「地域生活活動センター」も含まれます。この「地域生活支援事業」については裁量が大幅に地方にゆだねられることになります。「障害者自立支援法」には、今まで「授産施設」としておおざっぱになっていた支援を「就労移行」「就労継続」「生活介護」「地域活動センター」など障害の程度によって振り分ける内容など、私には是とも非ともまだ判断つかない内容も含まれていて、すべてが悪いというわけではないですが、原則的に「受益者の10%負担」があり、「地域生活支援事業」についても地方の裁量とされていますが、たぶんかなりの自治体では本人負担が生じることになると危惧されています。つまり、無料で受けてきた手話通訳についても有料となる可能性が高いのです。
 それに判定の方法がほぼ、介護保険のそれと似たようなものになります。できない項目をチェックして、その結果をコンピューターではじき出す。ろうあ者の場合、介護保険では「耳が聞こえますか」「意思疎通ができますか」という項目だけあるとか。その項目だけ「できない」であれば、介護保険の対象にはならないのです。けっこうコミュニケーション障害を軽く見ています。
 堺市が、今後どのように、この「地域生活支援事業」をつくっていくのか、目が離せない状況です。なんとか有料化の流れを堺市で食い止めたい。みんながそう思っています。
 また、政令指定都市にふさわしい「地域生活支援事業」「コミュニケーション支援」であるように、関係者ももっと手話を教える技術を身に付ける、手話の技術を向上させる講座を開くなど、さまざまなとりくみをいっそうがんばらなければなりません。堺市に住んでいてよかった・・・とろうあ者が思えるような堺市にしたい。そのためには行政に求めるだけではなく、自分たちのできることをこつこつと、そして迅速にがんばらなければならないのです。

大阪府の手話通訳派遣を受けられなくなる

 こんなことが今更問題になっています。つまり、大阪ろうあ会館に手話通訳派遣を頼むことが、政令指定都市になれば、大阪市と同じようになりますから、府の派遣を受けられなくなる、ということです。大阪市の場合は大阪府と共同で大阪ろうあ会館に委託しているので、ろうあ会館からの派遣を受けることができています。堺市民であるろうあ者は、大阪府民でもありながら、ろうあ会館の派遣を受けられなくなる。ということで関係者一同あわあわしています。何とか解決策を考えていかなければなりません。
 ホームヘルパー派遣は、自由契約ですから、これは問題ないですが、果たして手話通訳派遣が今後どうなっていくのか、動向に十分注意していかなければなりません。
 今後手話通訳の養成は都道府県が、派遣は市町村が、という流れになっていくようです。
 市町村の聴覚障害者団体の果たす役割、これからもどんどん求められてくるでしょう。

堺市の名所


 旧おおはま灯台。現在は活躍していませんが、昔は、船で行き交う人たちの、たいせつな道しるべでした。

 日本で最初の私鉄、阪堺電車。
 「もののはじまりなんでも堺」と言われるとき、かならず話題の一つになる路面電車です。大阪・安倍野から、浜寺公園を結びます。堺市内では、この路面電車のある筋を「大道筋」(だいどうすじ)といいます。貸し切りサービスもあるらしく、ほくぶ作業所でいちど、それを使った企画をやろうと計画をしていました。(しかし、企画の前に、ある方が亡くなって、関係者一同悲しみに包まれ、計画を実行することができませんでした。
 亡くなったのは、ほくぶ障害者作業所が無認可の時代から、非常に献身的に、体力も知力も尽くしていただいた職員でした。まだ天命とは言い難い年齢で急逝されたのですが、そのご遺族であるご子息が、11月13日に行われたほくぶ障害者作業所の10周年記念コンサートで語りを引き受けてくださいました。
(思いがこうやって受け継がれていくのだと、うれしくて涙が止まりません。)