No. 2005,9,4.発行   編集:佐々木直子(H4年度生)

     ろうあ者の要求ー堺編4 


平和のとりくみ

 8月は平和について振り返る機会になるのですが、ときを逸してしまい9月になりましたが、書かせていただきます。堺のろうあ者のとりくみでいいなあと思うとりくみは、「愛と平和を語るつどい」のとりくみです。平和について興味のある会員の方が中心となって、各地の戦跡をまわる、平和に関する映画上映等をおこないます。毎年開かれるわけではありませんが、多数のろうあ者・手話関係者が参加しています。
 今までには長野県松代にある「松代大本営」(2回)、被爆地広島がありました。今年は沖縄の予定になっています。「松代大本営」では、終戦前に東京から松代の山の地下へ大本営の移転計画が秘密裏にあって、その掘られた跡が残っているわけですが、その夜の交流会であるろうあ者の方が「自分は実は昭和20年の8月はじめまで広島に住んでいた。引っ越したすぐあとに原爆が投下されて、多くの友人を失った」ということを初めて語られました。たまたま広島にいた、いなかったという違いだけで運命はこんなに変わってしまうのだと、そして、子どものころ一緒に遊んだ子どもたちが無残な姿で死んでしまっただろうというに至って、涙がこぼれはじめ、「広島に行きたい」と言われました。
 そして、その翌年には被爆地広島を訪れて、今の広島の街は復興していますが、原爆ドームや資料館を見て、被爆の様相を少しですが知ることができました。
 映画はイベントの一部として行われ、上映の前に高齢ろうあ者の戦争体験や手話コーラスなどが行われて、そして上映され、半日の企画となります。今まで上映されたのは「月光の夏」(出征する前に若い兵隊がベートーベンの「月光」を弾く)「コルチャック先生」(ユダヤ人大虐殺)「月桃の花」(沖縄戦)「夏少女」(原爆で亡くなった少女が現代に座敷童として・・・)です。
 戦争体験談は、戦争体験のあるろうあ者の方に舞台で体験を語っていただきます。堺も空襲を受けたため、堺に長く住んでいる人は空襲の記憶があります。中には、ずっと持っていた防空ずきんを持ってこられて、かぶった姿で逃げ惑う演技をされて、怖い思いを表現された方もいました。高齢ろうあ者が語る戦争は、ろうあ者にとって屈辱的で、そして怖くて、もう二度と経験したくない、戦闘機が襲来する様子、空が燃える様子、家が燃える様子、家が倒れる様子・・・それらが大きな手話表現で語られます。逃げて堺の街を振り返ると火の海で「遠くで見たらきれいだった」と言葉はそうなっていますが、表情は悲しみで満ちておられます。どのような心境で「きれいだった」と言われているのか、戦争体験のない私には想像ができませんが、そして私自身戦争とは何か、平和とは何か、語れることはなにもないですが、市民に悲しみと死をもたらすものであるということくらいは理解できます。障害者にとってもそうですが、平和は誰もが賛同できる願いなのではないでしょうか。
 もちろん、愛と平和を語るつどいで、日本が加害者なのか被害者なのかというような難しい話をしているわけではなく、戦争や平和に関する企画をおこなって、そして感想を集めるくらいなのです。それぞれ感じたことばらばらでも構わない、何らかの問題意識を残してくれれば、それくらいの位置づけです。
 という私も、テレビでイラクの戦争の状況を見ながらご飯を食べたりしていて、はて?なんか感覚がおかしくないかな?という意識の低さですが。映像を提供されているのに銃弾に脅かされている他国の人たちの状況の痛みも知らず、ブラウン管を隔てて、呑ん気にご飯を食べている・・・平和とは何か戦争とは何かを知らないでいる愚かな人間の象徴が私なのかな?と思ったりします。
 とにかく堺の、協会が主催ではないですが、このとりくみは大阪の府下のろうあ者の方も参加されている、貴重なとりくみだと言えます。ぜひ継承していきたいと考えています。

次回はろう重複障害者(主に知的障害)について書きます。

 余談
 堺の名所

堺事件記念碑
  昔、フランス人に切りつけたということで土佐藩士が死刑の判決を受けます。堺で刑が執行されたのですが、合計12人の武士が順番に切腹する凄惨な様
子を見てフランス人がおびえ、11人の切腹が終わったところでやめるように嘆願されたとか。