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2005,8,30.発行 編集:佐々木直子(H4年度生)
ろうあ者の要求ー堺編3
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ろうあ者の要求ー堺編3
ろう重複障害者のことについては、以前(1995年ごろ)から、市交渉をすすめる、言い換えれば、要求運動をすすめる委員会の中に、専門的に「重度重複小委員会」を作って、検討と活動をしてきました。その中で、ろう盲者については最初から言及されていて、耳が聞こえない上に、後天的に目が見えなくなった、または視野狭窄で不自由な思いをしている人の存在が、ろうあ者福祉指導員の方からあげられていました。その後、堺市内の手話サークルで活動している人を中心に、ろう盲者のガイドヘルパーや触手話通訳の研修を受けて、活動する人が広がってきて、ついに2002年、堺ろう盲者の会と、支援グループが発足しました。それまで、知的障害との重複障害の方の問題、施設関係を中心に論じていた小委員会でしたが、それを機に、ろう盲者の方自身にも小委員会に参加していただき、ろう盲者の方々の要求についても具体的に話し合われるようになってきました。
ろう盲者、というのは、ろうあ者として手話を獲得したあと、見えなくなった、または見えにくくなった人たちのことで、逆に視覚障害が先にあって、音声言語を獲得したあと聞こえなくなった人のことを、盲ろう者と呼んでいます。同じ、見えない、聞こえない人であっても、何をコミュニケーション手段にするかによって、違います。ですが、見えないこと聞こえないことで負っているhandicapはかなり大きく、私自身ろう盲者の方と接して3年にしかならないので、まだまだその困難が想像できてないと思います。
堺では、ろう盲者専門の制度はなく、ろうあ者としての手話通訳制度、視覚障害者としてのガイドヘルパー制度が利用できることになっていますが、手話通訳者では見えないことに対応できず、ガイドヘルパーだと聞こえないことに対応できない、不便な状態にありました。たとえば病院にいくときに、家から病院
まではガイドヘルパーさんが手引きをするわけですが、コミュニケーションが取れず、病院で手話通訳者と待ち合わせして、そこからやっと手話でコミュニケーションがとれるというわけです。これについては先進的に大阪府と大阪市で、触手話ガイドヘルパー制度、およびガイドコミュニケーター制度というのがありましたので、ぜひ堺市でも実現してほしいと要求を出してきました。新規制度の創設は、行政の方々は渋るところであったのですが、2006年度から政令指定都市に移行するに従って、堺市独自でろう盲者の触手話ガイドヘルパー制度(名前はまだ決まっていません)が作られることになりました。
是非ともろう盲者の方々にとって使いやすく納得のできる制度となることを願っています。
さて、ろう盲者の方々は、目が見えなくなって家に閉じこもりがちであったのが、支援する方々の献身的な努力によって、大阪市内のろう盲者専門の作業所を知ったり、またその他の情報も得たりできるようになり、外出することで気分を転換したり、新しい人間関係を築いたりする可能性が開かれてきました。ろう盲者の方々は「外出は大切」と言っておられます。できることならば、新しい堺の制度が、利用上限(時間数や派遣地域の制限)を定めないようにと要求しています。
障害者自立支援法案が国会に上程されていましたが、郵政民営化が否決され、国会が解散になったため、廃案となりました。この法案は、理念などいいところもありますが、応益負担といって、福祉サービスを障害者が受ける際、収入の多い少ないに関係なく10%の定率負担をすることを盛り込んでいました。支払い額の上限などは決められていたのですが、もしこれが復活して、秋の国会で成立することになったら、やはり一般企業で働けないろう盲者の方々も負担を迫られることになるのでしょうか。障害が重複しているぶん、受けるサービスは多くなります。それにともない、負担も多くなる・・・逆に、経済的な理由でサービスを受けられなくならないようにと祈るばかりです。
堺では、ろうあ協会とろう盲者の会と合同で、昨年から日帰りバスツアーを企画しています。昨年は京都でおたべづくりを体験、防災センターで地震体験をしました。ろうあ協会会員ともよい交流になり、また、いっしょに歩くことで、ちょっとした段差や障害物が、見えない人の足をどんなに脅かしているか実感いたしました。それでも「楽しかった」と感想をいただき、今年も滋賀のブルーメの丘に行き、パンとソーセージづくりの体験をしてきました。なるほど、たくさん援助を必要としているけれど、援助を受けることで十分にいっしょに楽しむことができるということを教えていただいています。一年に一度しかこの企画をしていないのですが、堺市ろうあ者福祉協会が年間7台分のバスの助成の便宜を図っていただいているのと同じように、ろう盲者の会にも便宜を図ってほしいと要求をしています。
昨年度堺ろう盲者の会の会員の方が重い病気で亡くなられたのですが、入院先で、話が通じず情報もあまりなく、つらい思いをされたということをきいています。この方が亡くなる前日、支援グループの方がお見舞いに行かれて、この方が手探りでなにかを必死にさがしているので何かきいたところ、「ナースコールのボタンがどこにあるかわからない」と困っておられる様子だったということで、支援グループの方が見たところ、この方の手の届かないところに置かれていたそうです。それをこの方の手に添えて、やっと「安心した、不安で眠れなかったから寝ます」とおっしゃられた、その次の日に亡くなった・・・ろうあ協会もろう盲者の会も支援グループもなぜこんな悲しいことになったのかと悔しい思いでいっぱいでした。
堺でのろう盲者問題への取り組みははじまったばかりです。これからもたくさんの課題が浮き彫りになっていくでしょう。課題をきちんと受け止めて解決していけるだけの力量をつけて、よりろう盲者の方々の心に寄り添い、活動をしていかなければならないとずっと思っています。
(つづく)