No.   2007,3,20.発行   編集:佐々木直子(H4年度生)

     現在の大阪教育大学平野分校付近

 

 若いときに通った、大阪教育大学平野分校。(地下鉄谷町線平野駅下車徒歩2、3分)
 現在大阪教育大学は、天王寺分校に二部を残し、池田、天王寺、平野の3分校を統合移転して、柏原市に本校があります。
 平野分校は、太田学級もあった懐かしい土地です。太田学級は現在、福岡に移転しています。
 平野区は、大阪の24区内で一番人口の多い行政区(20万人くらい)で、大阪市の南部に位置します。また、地名の呼び名も独特で「流
町(ながらまち)」「出戸(でと)」「喜連(きれ)」「瓜破(うりわり)」。懐かしくなります。
写真を撮っているこのあたりは、私の住んでいる堺市からはほぼ11キロメートルの距離があります。平野区と堺市は隣接しておりません。途 中松原市や東住吉区を通ります。平野区はもともと、坂上田村麻呂の息子が開拓した場所で、その息子の名前の「広野」から来ていると言われています。(開拓するときに多くの沼を埋め立てて「野が平らになった」から来ているとも言われています?さあ、どうでしょう、調べてみてください)
 私はここの街に、9年在住しました。ということは、堺市に移ってからの年月とそう変わらないことになります。平野区聴言協会の青年部で活動したこともあります。それ以後は堺市に住んでいます。堺市に移住してからは、青年部の活動をしていませんが、それを堺で言いますと「それは年を食ったからだろう」、と突っ込まれています。

平野分校の正門
今では、学生の頃に「あつい、さむい」と散々文句を言った、昭和2年に建てられた古いキャンパスも跡形もなく、さびしい限りです。自分自身も歳を取ってみると、ああいう建物の味わいが少しは分かるようになってきて・・・。でも、看板は健在です。
平野分校の通用門
 通用門の看板も健在です。こうやってみてみると、跡地は結構狭く感じます。学生時代はかなり広く感じた建物だったのですが。奥の建物は、大阪教育大学付属平野小学校です。
平野分校正門より平野本町方向(東)
 南港通りを東に進み、流町交差点を過ぎると、一気に車の通行量が減ります。モダンになったとはいえ、静かな風景に感じます。裏の方に行くと、昔のままの建物がたくさんあります。
平野分校正門より流町交差点方向(西)
 昔と変わっていないのは、アンバランスに横たわる阪神高速の高架です。阪神高速の平野は入口だけあります。
洋菓子のブルメン

 ありました。今でも変わりなく。
 学生の時、「いつかはここのお菓子をお金の心配をせず食べてみたい」と思っていましたが、かないませんでした。今はカロリーを気にして食べられませんでした。おいしいと評判のお店でした。平野分校は女子学生が多かったので、ケーキを楽しみにしていた方々も多いのではないでしょうか。今でも経営されています。
安くてたくさん食べれる中華料理店跡

 平野分校のすぐ東側にあります。
 学生のときは、ここの安くてたくさん(中途半端な量ではなかった)
食べられる中華料理は重宝しました。昼と夜と兼ねられるのですから。
でも、今は売り物件になっているようです。

 写真はいずれも、2007年3月19日の正午頃に撮影いたしました。