No. 2006,6,25.発行   編集:吉田優子(H12年度生:ドイツ特派員)
                   
 ドイツ研修レポート No.10


6/23受信


「首都 ベルリン」
 
6月の第1週目の週末、次の月曜が祭日だったので、3連休を利用して、友人と一緒に、ロンドンにいた頃の友人を訪ねて、ベルリンに行ってきました。このところ、私用で忙しかったため、レポートが遅くなりましたが、首都ベルリンで、歴史的なものに触れてきましたので、私の記憶に残っていることを、皆さんにお伝えしようと思います。
 この頃、ドイツは6月に入ったにもかかわらず、まだまだ寒く、ジャッケットにブーツ、マフラーという出で立ちで、ベルリンへ行きました。ドイツは、公共の交通機関が比較的高いのですが、インターネットのサイトで「相乗り」する車を探すことができます。日にち、行き先を入力すると、同じ日に自分の車でその場所に行く人を検索でき、時間や乗せることのできる人数が書かれています。自分に都合のいい相手を捜して、連絡を取り、予約すれば、当日車で目的地に行くことができます。行き先にもよると思いますが、私たちはこのとき、一人片道25ユーロ払いました。もし、電車でベルリンに行くと片道80ユーロ位するそうです。

写真1
 Gedachthis-kirche
写真2
 みごとなステンドグラス



 ベルリンに着いた日は、友達と合流して、夕食を食べ、近くの公園であっていた、文化交流目的のフェスティバルのマーケットに行きました。その前に少し時間があったので、動物園近くの「Gedachthis-kirche」という教会に行きました(写真1)。
この教会は、戦時中にうけた打撃をそのまま残してある建物で、規模は違うかもしれませんが、日本で言う原爆ドームのようなものです。建物は小さいのですが、中は小さな博物館になっていて、戦争に関する展示などがありました。その隣には、ミサに訪れる人のために新しい教会が建てられているのですが、外から見るとこの建物、ごく普通のビルのように見えます(写真1の右)。が、中に入ると、全面ステンドグラスの壁に魅了されてしまいます(写真2)。私たちはちょうど、夕方のミサの時間にここに訪れたので、その様子も少し見学しましたが、パイプオルガンが素敵でした。

写真3
特設スクリーン


 そして、次の日はこのフェスティバルのメインイベントのパレードを見に行きましたが、人が多く、あまり楽しむことができませんでした。それから、ベルリン在住の友達とSony Centerに行きました。ソニーの造ったビルですが、1階のオープンスペースもすべて、無線LANが走っているので、ベンチにはパソコンを広げて座っている人がたくさんいました。ビルには、映画館やレストランが入っていて、日曜ということもあり、賑わっていました。そのオープンスペースの中心にワールドカップに向けて、特設スクリーンが設置されていました(写真3)。今頃、あそこは多いに盛り上がっていることと思います。ミュンヘンでは、特設のスクリーンは大きな公園にしかないように思いますが、ベルリンでは大きな交差点の中央など、様々な場所に設置しているのをこの3日間で見かけました。

写真4
国会議事堂
写真5
特設スタジアム


 3日目は、首都ベルリンを本格的に観光する日ということで、まずは「国会議事堂」に行きました(写真4)。イギリスのもの同様、古い建物で何とも言えない風格を感じました。中が見学できるようでしたが、長蛇の列だったので、やめました。そして、この建物の向かいにも、某スポーツ用品会社がワールドカップ用の特設スクリーンをかねて、スタジアムを建てていました(写真5)。周りには、各国の選手の顔写真が展示されていて、日本の顔は「中村俊輔」でした。

写真6
路上に残る壁の跡
写真7
Tacheles
写真8
いろいろなアート


 ここから、私の今回の旅の1番の目的だった「ベルリンの壁」の跡を見に行くことに。まずは、すぐ近くに残っている壁の跡を道路上に発見しました(写真6)。今は、壁はほとんど取り壊されているので、特別な場所に行かない限り、このような状態でしか壁の跡を見ることができません。そこから、友達のおすすめの場所「Tacheles」に行きました(写真7)。この建物は旧東ドイツの中にあったもので、元々空きビルだったそうです。そこに、若者が集まり、居座り、住み着くようになって、いろいろなアートを残してます(写真8)。独特のにおいと、個性豊かな絵を見ることができます。今は、中が少し整備され、部屋は賃貸されているようで、アトリエとして使われていました。壁に残された落書きの中には日本語で書かれたものもあって、まだドイツが2つに分かれていた頃、ここに日本人がどうな気持ちで住んでいたのかなと考えてしまいました。
 こうして、少しずつ私の知りたかったドイツの歴史「ベルリンの壁」に触れたのですが、私としてはやはり、あの壁が見たい!!小学生のとき、何となく「今世界ですごいことが起こっているんだな」思いながら見ていた「ベルリンの壁、崩壊」。その歴史的なものを生で見ずに帰れないということで、実際の壁が残されている場所を探しました。アメリカ軍が見張りを立てていた場所「チャーリーズ チェックポイント」のすぐ近くに、壁の跡をそのまま残しているところがあります。そこで、地下鉄に乗って、そこを訪れました。ここには、旧西ドイツの人が、ボランティアで、東から逃げてくる人を助けるために使っていた建物があり、今そこは「ベルリンの壁博物館」として、使われています。私が訪れた日は祭日だったため、とても人が多かったです。また、入場料も安くはないのですが(金額を忘れてしまいました。すみません)、見る価値は十分にあります。まだ、壁がなかった頃の様子から、壁が立てられた頃、そして、東ドイツから西に逃げてくる人々を助けた様子、逃げる途中で撃たれた人の体験談など、貴重な資料を見ることができます。この建物、外から見ると小さいのですが、展示物は盛りだくさんで、かなりの時間とエネルギーを要します。でも、私にとっては、日本以外の立場から真剣に、じっくり戦争について考えた始めての機会だったので、本当に行ってよかったと思いました。皆さんにも行かれることをお勧めしますし、その際はたっぷり時間をかけてください!

写真9
ベルリンの壁
写真10
ベルリンの壁


 そこから、歩いて15分くらいのところに、「壁の跡」があります。全長200メートル、壊さずに残された壁は、思っていたよりも低く、「たったこれだけのものがこの国を2つに引き裂いていたのか...」と思いました(写真9.10)。きっと、あの当時、壁は高く、厚かったはずです。でも実際、こうして見ると、頑張れば乗り超えられそうな、みんなで掛かれば倒せそうな、そんな壁で、改めて権力や戦争が意味するものの強さというか、間違った重みに考えさせられました。この壁の跡の裏手に、展示物があるのですが、悲しいことにドイツ語の表記しかありませんでした。なぜ、このような歴史的なものをドイツ語だけで展示しているのか、正直疑問です。

写真11
ベルリンの壁の1部


 先ほど、今はこのように特別な場所に行かなければ、壁の跡を見ることができないと書きました。が、「歴史的なものを残しておく必要があるはずだ」という声ももちろん多々あるわけで、街の所々に壁の本当にほんの1部が残っています(写真11)。一見落書きのように見えるペイントですが、当時の人のそれぞれの言葉にならない思いが詰まっているんだろうなと感じました。どれも、芸術的と言うか、色鮮やかで力強くて、言葉などは分かりませんが、伝わってくるものがあります。街を歩いているときに何度か、この「ほんの1部分の壁」に遭遇しましたが、たくさん見れると面白いと思います。
 こうして、今回のベルリン訪問は終わりましたが、ロンドンの頃の友達にも会え、私の知ってる身近な歴史を感じることができ、今までになかった角度から戦争を考えるきっかけになったので、短い時間でしたが、本当に行ってよかったです。
 また、今まで「ミュンヘンに住んでいます」と言うと、「いいね、綺麗なところよね」、「ドイツ人が1番住みたいところだよね」と言われていて、ミュンヘンから出たことのない私は意味がよくわからなかったのですが、今回その意味も分かった気がしました。ベルリンは、ミュンヘンに比べて都会で、大きなビルも多く、近代的ですが、ゴミゴミしているのも事実です。また、1歩路地に入ると、西と東に分かれていた頃の名残でしょうか、空き地になっていて、廃墟という言葉がぴったりくるような場所を見ることができます。それに比べて、ミュンヘンは街の中心にも緑が多く、郊外の住宅地もとてもかわいらしくて綺麗です。そのおかげで、ドイツの中で1番物価の高い街で、苦労しているのも事実ですが、素敵な街に住んでいると分かってうれしいです!日本でも同じですが、地域によって全く雰囲気が違うので、これからもミュンヘン以外のドイツを見ていたいなと思いました。