註
以下の註で用いる文献に関しては、初出時以後は著者名と発表年で略記する。
はじめに
タキトゥス(田中秀央/泉井久之助訳)『ゲルマーニア』、岩波書店、
1971
年。
アイヒホルン
K
.F.Eichhorn
(
1781
〜
1854
)ドイツ都市のほとんどがローマ人の手によるもので、中世都市はその継続であるとする説。
Henri Pirenne
(
1862
〜
1935
)ベルギー史の枠を超え、中世都市と都市商工業の研究を行った。
Hans Planitz
(
1882
〜
1954
)ケルン史に焦点を置いた中世都市制度研究を行う。
アンリ
=
ピレンヌ(佐々木克己訳)、『中世都市−社会経済史的試論−』、創文社、
1970
年、第
6
章。
ハンス
=
プラーニッツ(林毅訳)、『中世ドイツの自治都市』、創文社、
1983
年、第一部。
今来陸郎「獨逸中世都市の歴史地理学的考察」、『歴史学研究』、第7巻第
11
号、
1976
年。
「都市形成体たりうるためには、少なくとも比較的強度の工業的・商人的性格を持った定住地であり、しかもさらに次の標識が当てはまらねばならない。@防御施設をもつこと、A市場をもつこと、B自分自身の裁判所をもち、かつ自分自身の法をももつこと、C団体の性格をもつこと、D少なくとも部分的な自律性と自主性をもっていること」
稲元格、「中世都市リューベックの領域政策研究序説」、『法制史研究』、第
32
号、
1982
年。
特定領域内の全自由人
(
国王から農民までを含む
)
の生命と財産と生活に関する法であり、それを守るための裁判と裁判手続きについての規定。
ザクセン大公
1142
〜
80
、バイエルン大公
1156
〜
80
。
第
1
章
高村象平、『ドイツ中世都市』、一條書店、
1959
年、第
2
章。
Mikirinburg
は今日のヴィスマール市南北のメクレンブルク村にあたる。
スラブ語
ljubu
は「心地よい場所」の意。
高村象平、
1959
年、
31
頁。
瀬原義生、『ヨーロッパ中世都市の起源』、未来社、
1993
年、
548
頁。
高村象平、
1959
年、
33
頁。
同上、
34
頁。
同上、
35
頁。
小倉欣一、「ドイツ中世都市の特徴づけ−比較封建社会のために−」、『史観』、第
96
号、
1977
年、
51-52
頁。
E.Ennen
,
Eruhgeschichte der europaischen Stadt
,
bonn
,
1953
.
著者は原著未読。本稿の引用は小倉氏による和訳。
小倉欣一、
1977
年、
52
頁。
小倉欣一、
1977
年、
52
頁。
F.Rorig
,
Wirtschaftskrafte im Mittelalter, hrsg.vonP.kaebein
,
Koin
,
1956
.著者は原著未読。本稿の引用は瀬原氏による和訳。瀬原義生、
1993
年、
549
頁。
E.Keyser
,
Stadregrundungen
,
S.204-218
.著者は原著未読。本稿の引用は瀬原氏による和訳。瀬原義生、
1993
年、
550
頁。
同上、
551
頁。
同上。
ヨーロッパ中世の法制史用語。
7
世紀前半以来、国王は諸修道院などにその所領を公的裁判権力の管轄外において公吏の立ち入り、強制権力の行使、公課の徴収を禁じた。
高村象平、
1959
年、
39
頁。
2人以上の構成員からなる合議機関
(
ラート
)
。都市君主の役人によるフォークト裁判所とは異なり、一部の市民から構成される、市民独自の構成機関として成立。
稲元格、「
12
・3世紀のリューベック市における市民自治の展開−B・アム・エンデの検討」、『近代法学』、第
31
巻第
1
・
2
・
3
号、
1983
年、
105
−
109
頁。
高村象平、
1959
年、
39
頁。
高橋理『ハンザ同盟−中世の都市と商人』、教育社、
1980
年。
高村象平、『ドイツ・ハンザの研究』、慶應義塾経済学会、
1959
年、第
4
章。
同上、
137
頁。
第
2
章
高村象平、
1959
年、
37
頁。
同上、
128
頁。
Vryheit
「自由」、「免除」、「特権」、「特権の付いた場所」など。
高村象平、
1959
年、
128
頁。
同上、
123
頁。
同上、
129
頁。
同上。
詳しくは、増田四郎、『獨逸中世都市の研究』、日本評論社、
1943
年、
210
頁。
高村象平、
1959
年、
130
頁。
同上、
131
頁。
同上、
135-136
頁。
同上、
131
頁。
同上、
133
頁。
稲本格、
1982
年、
122
頁。
同上。
高村象平、
1959
年、
143
頁。
同上、
145
頁。
本稿、第
3
章第
2
節。
高村象平、
1959
年、
147
頁。
同上、
148
頁。
稲本格、
1982
年、
128
頁。
中世社会には殺人・強盗・放火などの個別暴力行為のほか、権利主張の正当な手段としての戦闘行為
(
フェーデ
)
が行われていた。
始めは主として王権のイニシアティブのもと帝国全体を対象領域として公布されるものが多かったが、中世後期においては個々の領法
(
ラント
)
を妥当範囲とするラント平和が主流となった。1年ないし
4
年の期間、暴力行為を一般的に禁止ないし制限するもの。
稲本格、
1982
年、
128
頁。
同上。
同上、
132
頁。
同上。
同上、
133
頁。
同上。
第3章
高村象平、
1959
年、
123-127
頁。
同上、
125
頁。
稲元格、
1982
年、
128-129
頁。
その最古のものは、
1230
年のハンブルク・リューベックの相互盟約。盟約の多くは永久の平和ではなく、極めて短期間の平和を目的としており、盟約期間終了後、特別の合意がない限り失効するものとされた。
稲元格、
1982
年、
129
頁。
同上。
同上、
130
頁。
同上。