ハプスブルク帝国
――帝国の終焉と諸民族――
田中芳征
【目次】
はじめに ──────────1
第1章 民族意識高揚の背景 ─────────4
第2章 マジャール人の民族運動 ──────────14
1.
マジャール人の自治拡大 ─────14第3章 チェコ人の民族運動 ──────────22
1.
ボヘミア人とチェコ人とスラヴ人の狭間で ─────22第4章 帝国の終焉と二つの民族 ──────────29
終わりに ──────────39 註 参考文献
図・表
本稿は、
15世紀半ばから20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨し続けた『ハプスブルク帝国』の滅亡原因を考察することを目的とするものである。ヨーロッパに長い歴史を持つハプスブルク家。彼らの支配した地域を俗に『ハプスブルク帝国』というが、その領土は結婚政策を中心とした外交なり戦争なりの手段によって、幾多の政治単位を吸収しながら拡大していった。「戦は他国にさせておけ、幸いなるオーストリアよ。汝は結婚せよ。」という有名な言葉は、そのような彼らの家領拡大の過程を端的に表している。この家系が興ったのは10世紀の西南ドイツ地方であるが、1273年に当主ルドルフ4世がドイツ国王に選出されることによって、突如歴史の表舞台に出てくる。そして、1452年にフリードリヒ3世が神聖ローマ帝国皇帝に選出されてからは、その帝国が崩壊する1806年まで皇帝の位を独占し、その後もオーストリア帝国皇帝として存在した。
他のヨーロッパ諸国と比べ、ハプスブルク帝国は民族基盤がしっかりとしたものではないという特徴を持っている。それは1526−27年にボヘミア・ハンガリー諸領邦が家領に統合されたことに端を発する。それまでドイツ系民族の地であった帝国は、それらの地域を獲得して以来支配領域を拡大するにつれて、様々な非ドイツ系民族をその支配下に入れていくことで、「多民族国家」としての性格を持つようになる。1)
ハプスブルク帝国が崩壊への道をたどった主な原因を一言で述べるならば、多民族国家であるがゆえの民族問題である。しかし18世紀前半までは、帝国を揺るがすほどの民族の問題は浮上しておらず、多民族国家としての性格を持ったままそれまで存在し続けていた。それが18世紀後半から帝国内の諸民族の民族意識が芽生え始め、帝国に大きな問題を突き付けることとなるのである。その当時の帝国を歴史的観点から大別すると、狭義の世襲地であるドイツ的オーストリア地方――上及び下オーストリア、シュタイエルマルク、ケルンテン、クライン、ティロルなど――、ボヘミア王冠の諸地域――ボヘミア、モラヴィア、シュレジェン――、ジーベンビュルゲンを含むハンガリー地方であり、この他別個の行政単位としてネーデルランドとロンバルディアであり、1772年にはガリツィアとブコヴィナが加わる2)。そしてその領土の中でドイツ人、マジャール人、チェコ人、スロヴェニア人、クロアティア人、セルビア人、イタリア人、スロヴァキア人、ルテニア人(オーストリア=ハンガリー領内のウクライナ人)、ポーランド人、ルーマニア人などおよそ11の民族が共存していた。@
このようにハプスブルク帝国内の民族構成は非常に複雑で、1つの民族が個別に固まって住んではいたが、区別された領土の中にいくつかの民族が含まれている「モザイク」状態であった3)。それゆえに領土を基盤として支配を行う帝国側としては、その内部の各民族に対しては的確な対処がなかなかできないという問題を含んでおり、また諸地域に対する支配形態を異なったものとしたり1つの民族を特別視するようなことがあれば、それに対する諸民族の反発を引き起こすという問題が出てくるのは当然であろう。また帝国内の諸民族は、過去に独自の国家をもったことのあるマジャール人、ポーランド人、チェコ人、クロアティア人等の「歴史的民族」と、その他の未だかつて国家をもったことのない「非歴史的民族」4)とに区別され、民族意識・ナショナリズムに関して考えるならば、やはり独自の国家を所有したことがあり、伝統的な国法の観念や国家国民の自己意識のある前者の民族意識が強いことは、ハプスブルク帝国末期のそれら「歴史的民族」の動きから予測できるであろう。そしてハプスブルク家の、この「歴史的民族」それぞれに対する対応の違いが帝国の崩壊を運命付けたと考えられる。さらに筆者は、「歴史的民族」の中でも、マジャール人とチェコ人に注目する。なぜなら、両民族は人口的にも帝国の非ドイツ系民族の中では第1・2位を占めており5)、ポーランド人に関してはハプスブルク家よりもむしろロシアとの関わりのほうが強く、クロアティア人に関してはマジャール人の支配領域であるハンガリー地域に含まれるからである。
したがって本稿では、ハプスブルク帝国の滅亡原因がマジャール人とチェコ人に対する支配の違いにあると考え、2民族の民族運動の様相からそれぞれの帝国観を読み取り、帝国の滅亡について考察する。その際、帝国を崩壊させるほどの諸民族の民族意識を促した要因についても考察することを試みる。以下第
1章では民族意識が覚醒する背景を、第2,3章ではマジャール人とチェコ人の民族運動の様相を概観し、第4章で『ハプスブルク帝国』滅亡原因を明らかにしたい。