近代イギリスにおける生活文化史

   ジェントリーの進出と『開かれた貴族制』

                           西口美穂子


 

目次

はじめに

第1章 貴族と新興ジェントリー

  1. 17世紀イングランドの社会
  2. 新興ジェントリーの登場
  3. 貴族の諸様相

第2章 「ジェントルマン」階級

  1. 「ジェントルマン」階級の形成
  2. 「ジェントルマン」階級の意識差
  3. 「ジェントルマン」階級の生活

第3章 「二つの国民」の社会

  1. 都市・地方それぞれの支配
  2. 貴族とジェントリーの繋がり
  3. 「開かれた貴族制」

おわりに

参考文献一覧


 

はじめに

 現在においても、イギリスは国王を頂点として、厳然とした身分制度が残っている。敬意を表す呼びかけの言葉は身分によって異なっており、貴族に対しては「ロード」、ナイトに対しては「サー」などの呼称がある。現在、男性一般に対して使われる「ミスター」は、もともとジェントルマンへの呼びかけの敬称であった「マスター」が身分を離れて一般化したものであり、「レディ」も同様に、貴族の妻に対する敬称であった。時代の流れと文化の流れに伴い、言葉の意味も変化している。今日、私たちは、「ジェントルマン」と聞くと英国紳士をイメージしてしまうが、この言葉も時代とともに意味が変化したものであり、イギリスではもともと階級を示す言葉であった。(1)

 近代イギリス社会において、後にジェントルマン階級を構成することとなるジェントリーが登場してくる。「ジェントリーの勃興」に対しては、修道院解散からピューリタン革命にいたるまでの1世紀間に、伝統的な土地経営を変えようとしなかった貴族層は経済的に衰退し、逆に競争地代を取り立て、各種の企業活動を展開するなど、資本家的な経営を行なったジェントリー層がその勢力を強めていった、とするR.H.トーニーの学説と、この1世紀間にそれぞれ勃興した者も没落した者もあり、その分れ道は資本家的な経営にあるのではなく、豊かな報酬が約束される宮廷の官職に就けるかどうかこそが決定的な要因である、とするトレヴァ=ローパーの学説があり、有名な「ジェントリー論争」が繰り広げられた。どちらも、ジェントリーの勃興をみていくうえで、重要な要素であると思われるし、ジェントリーは事実、勃興したと考えられる。(2)

 筆者がここで注目するのは、「平民」であるジェントリーが「貴族」とともに支配階級として一つの社会集団をなしていたことである。「ジェントルマン」は、大きく言えば、貴族および爵位はないが貴族とかわらぬ由緒ある家柄を誇り、広大な所領を持つジェントリーからなる地主階級を指す言葉であり、彼らはその居住地域社会に多大な影響力を行使できた。しかし、身分制度のあるイギリスにおいて、有爵の「貴族」と、爵位を持たない「平民」であるジェントリーとが同じ一つの階級をなしていたことには驚きを覚える。たいてい、身分制度のある社会における「貴族」と「平民」の差は歴然であり、当時のイギリス貴族は「平民」が自分たちの社会へ入ってくることに対して、何ら不満はなかったのであろうか。

 この論文で、筆者は、ジェントリーが勃興したという事実を前提として、ステュアート朝治下のイギリス社会を政治的、経済的に概観し、新興のジェントリー層が社会へ進出し、更には貴族社会へ進出しえた原因、また貴族とともに共存しえた原因を検討したうえで、当時のイングランド社会に見受けられた「開かれた貴族制」との関係、「開かれた貴族制」が果たした役割について明らかにしていこうと思う。その際に、彼らジェントルマンが当時どのような社会生活をしていたのか、彼らの社会的位置や生活文化をも合わせてとらえていこうと思う。


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