第2章:神の対立
第1章では、ビザンティン帝国が滅亡に至るまでのプロセスを、宗教的な側面から大まかに述べてきた。ここまで述べてきた段階でも、ビザンティン帝国の歴史を語る上で、異教・異宗派との侵略・対立が欠かせない要素であったことがわかる。 そこで、この章では、ビザンティン帝国およびニケーア帝国のギリシア正教、第4回十字軍およびラテン帝国のローマン・カトリック、オスマントルコ帝国のイスラム教の3つの宗教の特徴について述べ、その違いを考察する。 第1節では、、ギリシア正教とローマンカトリックについて述べる。ここでは、この2つの宗派の違い、主にフィリオクエ(Filioque)問題に焦点を当てたいと考えている。 次に第2節では、イスラム教について述べる。多少基本的なところにも触れながら、イスラム教の寛容性について述べてみたい。
第1節 神と子と聖霊と・・・
ローマン・カトリックとギリシア正教は、ともにキリスト教の宗派の一つである。この2つの宗派は、1054年シスマ(東西教会分裂)によって2つの宗派に分裂した。8
この分裂の最大の原因となったのが、フィリオクエ(Filioque)問題である。フィリオクエとは、『子からも』という意味のラテン語である。キリスト教においては神と、子(キリスト)と、聖霊は同一の本質を持ち、かつ異なる実存を持つとされている。基本的には、神は『生まれざるもの』、子は『父から生まれたもの』、聖霊は『発出されたもの』とされている。ギリシア正教においては、聖霊は父から発出されたもの以外ではありえなかった。しかし、ローマン・カトリックでは、聖霊は父からも『子からも』発出されたものとされている。くわしくは以下に述べるが、これがなぜ東西分裂の原因になったのだろうか。
キリスト教では、イエス=キリストは神が人になった存在とされている。神が人になった、すなわち神の受肉とは、この世界の他者であり無限である神が、この有限の世界に人間として内在することである。これは論理的に明らかに矛盾する。有限の存在に無限のものは取り込めないからだ。この矛盾を解決しようとしたのが、ギリシア教父たちであった。彼等は、神の受肉を初めとするキリスト教の根本原理を、ギリシア哲学の教養を駆使して考えぬき、何とか適切に表現しようとした人々であった。 彼等ギリシア教父たちは、「人間になった神は、神であるが、人間にならざる神とは区別される」と考えることによって了解しようとした。すなわち、イエス=キリストは神であるが、この方を遣わされた神とは区別されると考えたのである。この場合、キリストを遣わされた神を父、キリストのことを子と呼ぶ。また、ギリシア教父は、父と子は同じ神であるが、互いに異なると考えた。しかし、同一の神に差異を認めるということもまた矛盾である。これらの経緯を経て、次のような考えがうみだされていく。『父なる神と子なる神は、その本質において同一であるが、その実存において区別され、差異される。』この理論には、さらにもう一つの要素が加わる。つまり、『父と子と聖霊は、同一の本質を持ち、かつ異質な実存を持つ。』これをもって、三位一体論という理論が生み出されたのである。 ここで出てくる聖霊とは、『一人一人の人間に臨在し、各々の人間に神の能力あるいは活動を分与するもの』とされている。キリスト昇天以後の人間にとって直接に神を見る機会は聖霊を通じてしかありえない。その聖霊が神でないとしたら、人間が神と出会う可能性を閉ざされてしまうのである。 以上のような理解は、コンスタンティノープル公会議(381年)において定義された。この会議を主導していったのは、カッパドキアの三教父、バシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリウス、ニュッサのグレゴリウスであった。 彼等は、父と子と聖霊を区別する特徴として、子は父から「生まれたもの」、聖霊は父から「発出したもの」、父は「生まれざるもの(かつ発出せざるもの)」とし、それ以外の点で3者は同一であると考えた。この考えは、カッパドキアの三教父の権威とともに、ギリシア教父の正統となったのである。
それゆえ、ローマン・カトリックの主張する、フィリオクエ(「子からも」)は納得できるものではなかった。しかし、ローマン・カトリックとしては、アウグスティヌスの三位一体論を支持する限り、フィリオクエの付加は必然であった。アウグスティヌスの三位一体論では、聖霊を父と子の愛の果実(神には性別はない)、結合の絆、抽象的にいえば聖霊は実体ではなく関係として把握する。ギリシア正教側から見れば、これは聖霊の実存を関係とみなすことによって聖霊の実存の価値をおとしめ、さらには実存の多元性を無視することになる。 ギリシア正教においては、神の実存それ自体の多元性にこだわらざるを得ない。そもそも三位一体論とは本質において一なる神が、その実存において三なる神である。すなわち、神は一かつ三であるという図式が成り立つ。この三位一体論において、この図式を利用することによって、一神論と多神論が同時に引き受けられているのである。例えば聖霊は一つの実存とされているが、一人一人の人間にたいして個別に臨在するとされているのであって、聖霊の実存はその人間の数だけ多数となろう。このようにして、三位一体論は、一神論者(ユダヤ教徒)と多神論者(ギリシア神話の神々を信仰する人々)を取り込んできたのである。また、ビザンティン人たちには、自分たちこそローマ人の末裔と考える風潮があったようだ。彼等には、古代ローマ人の文化を受け継ぐものとしての自負があったようである。古代ローマの文化を受け継ぐこととは、すなわちギリシア文明の影響を多分に受けたローマ文明を受け継ぐということである。ここで、今まで提唱してきた三位一体論を拒否すれば、彼等からの支持を失いかねない。
また、ビザンティン帝国では、すべての権限がただ一人の皇帝に集中する。大主教の任命すら皇帝が行うのである。これは、皇帝を「父」と考えると理解できる。ビザンティン帝国は、西欧のように政治と宗教の分離というものが考慮されていなかった。すなわち、すべては『「父」から発する』のである。9
皇帝への権力の集中は、神の威厳をもって保たれていた。フィリオクエ問題を認めれば、ビザンティン帝国の政治面も不具合を生じてしまう。 以上のような理由から、ギリシア正教側としては、ローマン・カトリック側のフィリオクエ問題を受け入れるわけにはいかなかった。その結果、東西キリスト教が分裂するという事態が引き起こされたのである。
第2節 「コーランか、貢納か、剣か?」
今まで見てきたように、ローマン・カトリックとギリシア正教は、ほんのわずかなことではあるが、互いに相容れないものとしてきた。では、イスラム教とキリスト教との関係はどうだったのであろうか。10
イスラム教といえば「コーランか、剣か」という言葉が有名であり、他の宗教を信じる国々を武力で制圧する、というイメージが強いようだが、実際は当時において最も寛容な宗教であった。特に、キリスト教徒やユダヤ教徒は「啓示の民」として扱われ、信仰の自由は認められていた。もっとも、完全に自由ではなく、布教の制限や税金等の不平等は存在したが。しかし、異教徒に対しては容赦のなかったキリスト教に比べれば、雲泥の差であろう。 イスラム法においては、人間は、何よりも宗教によって区別される。なかでも最も基本的な区別は、ムスリムと非ムスリムの区別である。ムスリムとは、「(唯一神であるアッラーに)帰依した者」を意味する。非ムスリムはさらに2種類にわかれる。1つは、偶像崇拝者である。「コーランか、剣か」の選択を迫られるのは、本来この人々に対してである。もう1つは唯一神を奉じ、神の啓示の書物を持つ人々である。このような人々は「啓示の民(アフル・アル・キターブ)」と呼ばれる。彼等には、「コーランか、貢納か、剣か」の3つの選択の余地が与えられる。彼等が貢納を選ぶということは、ムスリム共同体と契約を結んで、貢納の義務と、一定の行動制限を課されることを意味する。
これを承諾する場合には、彼等には「保護(ズィンマ)」が与えられる。そして「被保護民(ズィンミー)」として、固有の法と生活習慣を保ちながら、自治的生活を営むことができるのである。 このズィンミー制がいかに寛容であったとしても、多くの制約の下で存在を許容されたものにすぎない。政治的支配権はあくまでムスリムの側にあり、社会の秩序の基本を定める法はイスラムの聖典シャリーアであった。また、固有の信仰の保持が許されるといっても、自己の宗教をムスリムに布教することは、死をもって禁じられていた。教会を修理することは許されるが、新築することはできなかった。 このような不平等は残されたが、イスラム教はキリスト教に比べ、異教・異教徒に対して寛容な宗教であったといえる。 このような宗教に基づくシステムが確立していたことは、民族は異なるが同じ宗教を持つという人々の間で、異民族という意識を弱めた。当時の社会では、現代的な意味での民族意識は、一般にまだ成熟していなかった。人々のアイデンティティの最大の根源は、何よりも宗教に求められた。政治的な統合にも、同じ民族よりも、同じ宗教のほうが都合がよかったのである。特に、多民族国家であるオスマン・トルコ帝国や、他のイスラム諸国にとって都合がよかった。民族は変えることができないが、宗教は改宗すればよいのだから。ズィンミー制がうまく機能したのも、このような理由によるのである。
以上、ローマン・カトリックとギリシア正教の差異について、またイスラム教がキリスト教に対してどのような位置付けで接してきたのかを見てきた。では、ラテン帝国とオスマン・トルコ帝国の、旧ビザンティン帝国領における両国の統治状況はどうであったのだろうか。次章ではこのことについて述べることにする。