ビザンティン帝国――1204年と1453年――小学校教員養成課程社会科 染河 和哉


目次

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

第1章 宗教側面からみたビザンティン帝国滅亡までの歩み・・・・5〜14

第1節 第4回十字軍召集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5〜9

第2節 ラテン帝国、ニケーア帝国・・・・・・・・・・・・・・・・・9〜12

第3節 ビザンティン帝国滅亡・・・・・・・・・・・・・・・・・・12〜14

第2章 神の対立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15〜20

第1節 神と子と聖霊と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15〜18

第2節 「コーランか、貢納か、剣か?」・・・・・・・・・・・・・18〜20

第3章 ビザンティン帝国の滅亡と復活・・・・・・・・・・・・・・21〜29

第1節 ラテン帝国統治下のビザンティン帝国とニケーア帝国・・・・21〜23

第2節 オスマン・トルコ帝国統治下のビザンティン帝国・・・・・・23〜25

第3節 ビザンティン帝国の滅亡と復活・・・・・・・・・・・・・・25〜29

おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30

・・・・・・・・・・・・・31〜

参考文献一覧


はじめに

 冷戦が終結した現代世界において、世界の対立軸は多様化の様相を示し始めている。「資本主義」対「共産主義」といった明確な対立軸は完全に影を潜め、代わって民族問題、宗教問題、南北問題といった対立軸がより前面に押し出されたばかりでなく、これらの対立軸が複雑に絡み合うことによって、問題の解決は、より困難なものとなりつつある。 このような最近の対立軸の多くが比較的新しい起源のものであるのに対し、宗教問題はかなりの歴史的起源を有するという点で特異な存在といえよう。その宗教問題の中でも、例えば90年代前半を通じた旧ユーゴスラビア内戦におけるそれのように、キリスト教対イスラム教という図式は、1000年以上にも及ぶ歴史を有しており、宗教対立の典型例と呼ぶにふさわしいものである。 本稿で取り上げるビザンティン帝国もまた、宗教的な問題の絶えなかった国である。ギリシア正教を国教とするビザンティン帝国は、キリスト教社会全体とイスラム教社会の東の境界に位置していたばかりでなく、ローマ・カトリックを国教とする西欧諸国との間でも対立していた。こうした地理的状況の下で、ビザンティン帝国は1204年には第4回十字軍に、そして1453年にはオスマン・トルコ帝国による滅亡を経験したが、このことは直ちに異教・異宗派による支配を意味していた。 だが極めて興味深いことに、1204年の滅亡時はニケーア帝国という亡命政権を経て復活を果たしたのに対し、1453年の滅亡時は、そうしたことは起こらなかった。 なぜ1261年には復活したビザンティン帝国が、1453年には復活しなかったのか。従来の説によるならば、このことは軍事的バランスの観点から説明されるものであり、筆者もそのことに反論を加えるつもりはない。しかしながら筆者はここにもう一つの観点、つまり宗教対立という観点を加える必要性を感じている。簡単に言えば、ローマ・カトリックとイスラムとの間のビザンティン帝国領における宗教政策の相違を勘案する必要があるのではないかと考えるのである。 従って本稿は、ビザンティン帝国、第4回十字軍、オスマン・トルコ帝国という三つの要素のそれぞれに関して宗教的側面から概観し、さらに三者間の絡み合いや、相違に注目しながら、13世紀から15世紀半ばまでのビザンティン帝国の動向を、宗教政策の相違によって説明することを志向するものである。ここでは通説で取り上げられるところのパワーポリティックや、軍事的バランスの問題は必要最小限の言及に留められることに留意されたい。