・第三章 個別化した信仰と『ギルガメシュ叙事詩』・

 本章では、古バビロニア時代に変化したイデオロギーについて明らかにし、『ギルガメシュ叙事詩』の成立の背景を、宗教的側面から分析する。

・第一節 個別化した信仰・

 前述したように、イシン・ラルサ時代に進んだ社会の「個別化」現象は、イデオロギーにも影響を及ぼした。とりわけ、人々の成長した自意識が明瞭となる。個人の権利能力と行為能力は明白に増大し、とくにそれは都市において目覚ましいものであった。

 古バビロニア時代に、生活のほとんどあらゆる領域を対象とする私的な手紙が数多く残されるようになったことも、その現象の一つである。

 また、印章の所持と使用がこの時代に普及しているが、この現象も個別化の現れである。印章は、行政文書などの改ざんを防止するための手段として用いられていた。それが、古バビロニア時代において私的経済の発達によって、個人的契約に関する文書においても用いられるようになり、個人を特定する手段として普及する。この現象こそ人格つまり権利能力の現れであると言える。

 以上のような、人々の成長した自意識は、信仰においてもはっきりとした現象として現れる。

 それまで、彫刻だけでなく浮き彫りでも好んで用いられたモチーフに、紹介の場面というものがある。その場面では、神の前に歩んでいく人間あるいは神なる王が、とりなしをする神に手を取られて、玉座に腰かけている主神の前へと導かれる。このように、その人間の面倒を見、彼の用件を主神に斡旋する仲介者が介在していた。しかし、確かに「紹介の場面」のモチーフは古バビロニア時代の彫刻においても重要なものではあったが、しかし、時おり構図の転換がなされて、とりなしをする神の前に人間が現れることがある。また時には、取りなしする神が欠けて、人間が彼の神に単独で向かい合っている。ここには、成長した自意識が人間と神々との間のレベルに移されて表明されている。

 そして、それはさらに信仰の個別化をも生みだした。

 国土神や都市の神と並んで「個人」の神という存在が信仰において重要な位置を占めるようになる。以前ならば、人間は災いや病気をもたらす魔物に大して無力感を禁じえなかった。しかし今や、成長した自身の可能性と大きな責任とを認識している人間は、ある特定の神、つまり彼にとっては守護神であり、彼を助けることができる神、いやそれどころか助けてくれるのが当然な神にもそういう可能性と責任の認識があるものと考えた。おそらく、すでにウル第三王朝時代において、とりなし役を演じる神は個人の神と化していた。神に対する人間の立場はその後明らかに変化する。主神ではなく、直接に守護神にたよったのである。神と人間の関係は、共同社会の問題から個人の問題となった。

 このような経過をたどり、個人信仰の対象として頭角を現したのが、太陽神シャマシュであった。

 

・第二節 シャマシュ信仰・

 シュメール語でウトゥと呼ばれた太陽神の崇拝は、すでに古アッカド時代から新シュメール時代にかけて、広くメソポタミア各地に広がった。しかし、シュメールの公的パンテオンにおいて、至高の位を占めるのは天空神アン、大気神エンリル、水神エンキの三神であって、アン(ときにはエンリル)の息子でイナンナの兄弟と見なされるウトゥではなかった。ウトゥは、冥界に引かれていったドゥムジを冥界の諸霊から一時的に開放したり、イナンナと月神ナンナルと共に、病に臥せるルガルバンダを善霊をもって助けたりするものの、シュメールの神話や叙事詩においては、総じて、中心的な位置を占めてはいない。前二千年紀以降も、アッカド語でシャマシュと呼ばれる太陽神はパンテオンの最高神になることはなかった。にもかかわらず、シャマシュ崇拝は人々の間に広く浸透していった。イシン・ラルサ時代のラルサが、それ以降は、シュメール時代以来の都市シッパルがその崇拝の中心地であった。

 太陽神シャマシュが広く崇拝された理由は、この神の多岐にわたる特性ないし宗教的機能による。以下にそれをまとめる。

 第一は「正義の神」としての特性が上げられる。地上をあまねく照らす太陽の神は、ひろく「全知の神」として認識されていた。その思想をもとに、シャマシュは法の守護者、正義を守る裁判の神として崇拝された。有名な例としては、ハンムラピ法典碑において、ハンムラピに正義を授けるシャマシュの姿が描かれている。シュマシュはしばしば「真実と正義の主」、「裁き主」、「運命を決定する方」とも呼ばれる。

 第二は「生命を守る神」としての特性が上げられる。太陽神は、夜間、地下の冥界を照らすと考えられていたため、地上で生者の生命を脅かす冥界の悪霊・悪鬼・死霊をも制御する機能をもつ、と信じられた。冥界の諸霊に起因する疾病や災厄からの救いをもとめて唱えられた「呪祷」は、神々のなかでも、シャマシュに向けられたものが最も多く 105種類で、続くマルドゥク32種類、イシュタル29種類などに比べ遙に多い。

 第三は「卜占の神」としての特性である。古代のメソポタミアでは、公的にも、私的にも、肝臓占いをはじめとする様々な卜占が行われていたが、シャマシュは「内臓に神託を記し、卜占の詞を示す御方」として、卜占を掌る神であった。

 さて、古バビロニア語版『ギルガメシュ叙事詩』において、もっとも言及されている神はシャマシュである。ここで、『ギルガメシュ叙事詩』に見られるシャマシュ崇拝について考える。

 シャマシュの特性ないし宗教的機能は、前述した三つにまとめられるわけであるが、これらのいずれも、『ギルガメシュ叙事詩』の前面にでることはない。強いて言えば、人々に災厄をもたらす冥界の悪霊として認識されるフワワの制圧をシャマシュが助ける点に、第二の機能の片鱗を読み込めなくもない。また、ギルガメシュがシャマシュに犠牲を捧げて夢占いを繰り返すくだりには、第三の機能が垣間見えはする。しかし、太陽神シャマシュに特有の「正義」(第一の機能)については、『叙事詩』は完全に言及していないように考えられる。

 『ギルガメシュ叙事詩』に登場するシャマシュが帯びる性格は、むしろ、個人的守護神のそれに近い。前述のように、古代メソポタミアの人々は、とりわけ古バビロニア時代以降、公的パンテオンとして序列化された神々とは別に、ふつう「誰それの神」と呼ばれる守護神を生涯にわたって祀っていた。『叙事詩』におけるシャマシュは、ギルガメシュの個人的守護神として描かれているように見える。ギルガメシュが祈りを捧げ、祭祀を行う神はシャマシュの他になく、フワワとの闘いにはシャマシュが直接介入する。ギルガメシュに対して長老たちがシャマシュのことを「あなたの神」と呼び、ギルガメシュ自身もシャマシュのことを「わが神」と語りかけている。

 それでは、シャマシュがギルガメュの個人的守護神とされた理由は、どこにあるのだろうか。シュメール語の伝承において、ギルガメシュは数度ほど太陽神ウトゥの力をかりている。古バビロニア語版編者は、シュメール語の伝承と当時の個人的守護神信仰を踏まえつつ、シャマシュをギルガメシュの個人的守護神として位置づけたと推測される。しかし、ニネヴェ版においては、個人的守護神としてのシャマシュの性格づけは幾分か希薄になっている。

 

・第三節 ハンムラピ王と宗教・

 王の主権は宗教・祭儀分野での支配者の役割と密接に結びついていた。ハンムラピ王は、自身を神として崇拝させはしなかったが、その43年の治世の3分の1以上の年号は祭儀に因んだものであった。その様子は一連のシュメール語およびアッカド語の建築碑文によって補足される。シッパル市での建設、ラルサでのシャマシュ神殿の建立、イシュタル女神とマルドゥク神の聖堂に関する工事がそのなかには語られている。たとえばラルサでの神殿建立について報じている碑文は以下のように述べている。

 「シャマシュ神、天地の主、彼の主のためにハンムラピは、アヌ神の選び給うた者、エンリル神の僕、シャマシュ神のお気に入り、マルドゥク神の御心を楽しませるため牧人は、シュメールとアッカドの王、四界の王、大神たちの聖堂を修理し奉った王は、シャマシュ神が彼にシュメールとアッカドの支配をお任せくださり、その笏をお授けくだされたとき、シャマシュ神のために、彼の生命をお守りくださる主のために、主の愛される聖堂エバッバル神殿をその支配なさる都市ラルサに建立し奉った。」

 ハンムラピ王は、この文献ではすっかり太陽神で正義の神であるシャマシュのひいきを受けている者として自身を描き出している。彼は、ハンムラピ法典の碑のなかではその文章でもまた画像においてもシャマシュ神への帰依を告白している。それは法典の発布がこの神の「管轄」に属しているからだと考えれば、説明がつく。ところが、他の碑文においても、王はシャマシュへの帰依を告白している。護符であったと考えられている小さな瑪瑙玉には「天地の偉大なるシャマシュよ、あなたに従順な君主ハンムラピに生命を与え給え」と刻まれている。さらに、シャマシュ神の一番の信仰中心地シッパルを行在所としたことさえあるほど、王は、シャマシュ神に傾倒していた。シャマシュは、ハンムラピ王の「個人的守護神」だったのである。

 それでは、バビロン第一王朝の首都バビロンの守護神マルドゥクは、ハンムラピ王にとってどのような存在だったのであろうか。火の神マルドゥクは、バビロン第一王朝の繁栄により、それまでの最高神エンリルに代わりパンテオンの最高神となっている。しかし、ハンムラピ王の治世、マルドゥクはパンテオンの最高神となってはいなかった。ハンムラピ王の治世末期に編纂された法典の序文では、なおアヌとエンリルを首席に配しており、建設碑文でも同様である。

 それでは、ハンムラピ王がマルドゥクではなくシャマシュへの帰依を行っていた理由は何であろうか。まず一つ考えられるのは、シャマシュ信仰の中心地シッパルの富を、王の経済的基盤の中へ組み入れる目的があったのではないかということである。シッパルは、シャマシュ信仰の中心地であると同時に、貿易の面でも重要な根拠地であり、住民は貿易で利益を得ていた。シッパルおよび、そこにある神の聖堂は、シャマシュ神の名のもとに、王の特別な保護があたえられ、住民たちは、ふつうならば要求されるシャマシュ神のための賦役から免除された。王自らシャマシュを信仰することで、シッパルへの保護を宗教的に正当化し、シッパルの富を見方に引きつけるという経済的効果を配慮したのではと推測される。

 第二に考えられるのは、公的パンテオンと民間信仰との間のズレを解消する目的があったのではないかということである。

 メソポタミアの宗教において、パンテオンの神々は宇宙を創造し支配する存在である。神々の支配は、全ての事柄おいて、メソポタミアの人々が運命と呼んでいた強力な決定を下すことで行われた。人間もその決定によって、神々の奴隷、神々に対する奉仕者として誕生する。人間の役割は、神々が必要とする物財(食料、衣類等)を労働を通じて供給することであった。物財の余剰分は、人間が利用することもできたが、それは二義的なことでしかなかった。あくまでも人間の生には、存在理由においてもその究極目的においても、神々に仕えるという意味しかなかった。もし、神々への奉仕を怠るならば、厳しい懲罰が必ず下される信じられていた。以上のような思想は、人々の生活のすべて、そして神的なものに対する態度を規定した。紀元前三千年紀の中葉にはすでに、王権の所在の正当性をパンテオンの最高神の決定であると主張すること、また王は神の意思の代行者であると主張することで、民衆を王の支配下に置くことが一般的になっていた。それは、あわゆる社会的束縛が王の意思に起因すること、そして束縛が人々に強制力を持ち、失敗した場合には懲罰が与えられると同様に、共同あるいは個別の生活において強制される事柄のすべてが、神の明白な意思の表明であるがゆえに意味を持つからである。

 パンテオンは、主神を中心とした部下ないし地位的に下位の多数の神々が存在するというピラミッド型に構成されている。ごく古い時代には、集住共同体が個別に独自のパンテオンを持っていたが、共同体の拡大や統合などによってパンテオンが合併するようになると、政治的変遷の影響のもと、シンクレティズムが起こった。二つまたはそれ以上の類似した神格が、同一視され、もっとも強力な性格をもった神、具体的に言えば、最も信者の心を捉えたか、あるいはその信奉者が政治的に勝利した神が、より弱小の神を吸収していった。パンテオンの頂点には、天空神アン、大気神エンリル、水神エンキの三柱神が存在した。その中でも、最高神とされたのは、はじめはアンであり、ウル第一王朝時代からはエンリルであった。そしてハンムラピ王の栄華によって、その後マルドゥクが最高神となった。

 ウル第三王朝時代まで、公的にも私的にもパンテオンの最高神はエンリルであった。だからこそ、エンリル神の名のもとに正当化された王権は、神の代行者あるいは神そのものとして権力を行使し、人々の崇拝と奉仕の対象と成りえた。しかし、個人信仰が盛んになり、人々は物事の解決を自身の守護神に直接祈願するようになってしまった。民衆にとって、公的パンテオンの長は信じるに値しない、力のない存在になってしまった。公的パンテオンは、王の権力を支えるには、その威信を失い過ぎていた。王権の正当性を主張しても、王権の拠り所となっている神々自体の影響力が薄れれば、その王権は民衆の奉仕の対象とはならない不安定な存在となってしまう。その解決策として、王のシャマシュ信仰があったのではないか。王自らが、民衆の守護神として崇められているシャマシュを信仰することで、その王権の民衆へ対する影響力を強化しようとしたのではと考える。

 ハンムラピ王は、パンテオンの最高神をエンリルとしていたが、王のシャマシュ信仰によって、シャマシュは民衆の中でさらに力をもつようになり、後に、マルドゥクはシャマシュとの類似のために、シャマシュの特性を吸収し、公的にも私的にもパンテオンの長として力を持つようになる。

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・おわりに・

 『ギルガメシュ叙事詩』は、その起源をシュメール語の伝承に認めることはできるが、シュメール語において既に『ギルガメシュ叙事詩』が編纂されていた可能性は、完全に否定できるものではないが、かなり低いものである。

 『ギルガメシュ叙事詩』から読み取れる、人間の有限性を見据えた上での現世的享楽主義は、決してその人生を悲観したものではなく、古来からシュメール人が抱いていた無力感を前面に押し出し冥界に救いを求める人生観とは、相反するものである。それは、強力な搾取と抑圧の時代よりも、内政的に安定して、かつ人間がその権利と行為の能力において自信を持ちはじめた時代、つまり、ハンムラピの治世においてこそ生まれえるものである。

 さらに、『ギルガメシュ叙事詩』からは、個人的守護神と化したシャマシュへの信仰がはっきりと読み取れる。人間が、個人的守護神への崇拝が顕著になるのは、イシン・ラルサ時代においてであり、その点においても、『ギルガメシュ叙事詩』の編纂は、古バビロニア時代に行われたと考えられる。

 ウル第三王朝の搾取と抑圧の体制が崩れ、その反動もあって、イシン・ラルサ時代の混乱期のなかで、私的営業と私的所有が発展する。ハンムラピ王は改めて中央集権化を行うことになったが、経済的にも宗教的にも個別化した社会をまとめるには、民間の経済的宗教的行為を抑圧することはさけなければならなかった。

 ハンムラピ王のシャマシュ信仰は、ハンムラピ王の中央集権化を経済的にも宗教的にも支えるものであったと考える。経済的側面では、シッパルの富を王の経済的基盤に組み込むという目的があった。宗教的側面では、王権の影響力を強化する目的があった。

 しかし、シャマシュ信仰は、個人信仰というレベルを越えることはない。シャマシュは、確かにシッパルを中心として崇拝されてはいたが、シッパルの守護神ではなく、一地方神として存在したことさえなかった。国土の守護神としての地位は全くなかったのである。公的パンテオンにおいてもその地位は、パンテオンの長になれるものではなかった。

 このようなシャマシュへの帰依を、王が公然と行うには、それなりの理由付けが必要だったであろう。たとえ最高神エンリルをないがしろにしてはいなくとも、神々に対して第一の奉仕者で、人間の統治者である王が、それ以上にシャマシュを信仰する。これによって、王が最高神へ奉仕を怠っていると見なされる恐れは十分にある。

 『ギルガメシュ叙事詩』は、ハンムラピ王の治世に編纂された。その背景には、ハンムラピ王のシャマシュ信仰が、英雄ギルガメシュの時代から続く伝統的なものであると主張する目的があった。以上が、筆者の結論である。


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