講座スタッフ/福岡教育大学/障害児教育講座

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はろー六ツ星第17号

視覚障害教育に思いを寄せる人たちの心を伝える情報紙
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■視覚障害教育情報紙■
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▲2007年05月16日発行
▲第17号


■連載「目が見えなくても幸せ」

消えていく環境、広がっていく世界
松田忠昭(まつだ ただあき)

 年の暮れの29日には、終日もちつきをすることが 戦前から我が家の慣例になっていた。
 前日の28日には、もちつき臼ときねを、 倉の中から炊事場の土間に運び出して、 臼の中に水を張り、きねも水に付け、 もち米も水に浸(か)しておく。つきあがった もちをちぎって丸めていくには米の粉が必要だ。 粉ひき臼で米をひくのはぼくの役目になっている。 粉は細かければ細かいほど良い。そのこつは、 指先で少しずつ米をつまんでは穴に入れながら、 ゆっくりゆっくりと臼を回していくことである。 一度に米をたくさん入れたり、速く回したりすると、 粗い粉になって使い物にならない。だから、 粉ひきは結構根気のいる仕事なのだ。 倉にしまってあるもち取り台やもろぶたも出してきて、 汚れをきれいにふき取る。
 29日の朝は5時頃に起きて、臼の中の水を捨て、 そのそばにはきれいな水の入ったバケツを置く。 茶の間には、もち取り台やもろぶたを並べる。 おくどさんの近くに薪が運ばれ、これで餅つきの 準備はオーケイ。
 火の番はぼくの仕事だ。おくどさんの前に 座り込んで火を付ける。やがて薪が勢い良く燃え始める。 ぼんやりしていて、火力が弱くなると、もち米が生煮えに なってしまうのだ。ぼくが薪を補充するタイミングの 手掛かりにするのは、ぱちぱち・ぼうぼうと燃え盛る音と、 顔に伝わってくる炎の熱さなのである。おくどさんに、 はがまを乗せて水をたっぷり入れる。蒸気が漏れないように するため、わらを束ねて布で巻いた物をはがまの縁に乗せ、 その上に四角い木枠を置く。はがまの水がしゅんしゅん 沸騰したところで、布を敷いて餅米を入れた蒸篭(せいろう)を 3・4段積み重ねて乗せる。一番下の蒸篭のもち米が蒸せた ところで、それを臼に移して、新しい蒸篭を上に乗せる。 さあもちつきが始まる。父と叔父達が代わり合って もちをついていくのだ。最初の3・4分間はきねで こねるようにしていく。これを「小突き」という。 すると、米の形が崩れて粘り気が出てくる。 そうなったところで、きねを振り上げてつき始める。 「ぺったんぺったん」という、力強い音が聞こえてくる。 しかし、ただつくだけでは同じ所ばかりつくことになって、 全体を満遍なくつくことにはならない。そこで、 一つきごとに手に水をつけてそれを振り掛けながら、 周りへ広がったもちを真中に寄せなければならない。 これを「手水(てみず)」という。その役目は ほとんどおふくろが引き受けていた。つき手と 手水の呼吸が合わないと、手をつかれたり、 下手をすると頭をつかれることにもなりかねない。 ぼくは小学部の頃から何度かもちをつかせてもらったのだが、 振り下ろしたきねに力が伝わらないで、 ぽすぽすという音にしか聞こえない。その上、目標を 誤まって臼の縁をついたり、手水をしている人の 頭をつくのではないかと気になって、きねを 思いっ切り振り下ろすことが出来なかった。 つき上がったもちは台に乗せられて、米の粉を まぶしながら切り取って丸めていく。あんもち、 すやもち(何も入っていないもち)、 あられや、かきもちにする大きなもち、 鏡もちなど、次々といろいろなもちが 出来上がっていく。戦中から戦後にかけて 我が家は祖父母や叔父叔母を含めて、 12人という大所帯だったから、人の手は 十分足りていた。
 つきたてのもちもうまいが、魚の一夜干しが うまいように、もちの一夜干しを火にあぶって 食べるのもうまいものである。とりわけ、 かきもち用についた砂糖入りの味は格別だった。  もちつきをする29日から正月三日までの間は、 朝晩のお荒神さん・お水神さん・仏壇など、 我が家のあちこちの神様や仏様に炊きたての ご飯を供えてローソクをともし、子ども達も 父の後に従って拝んで回るのである。小さい頃は 「ののさんあん」と言って拝んだものだ。 神様には手をたたいて、仏様には手を合わせて 拝むというのも「ののさんあん」と一緒に覚えたようだ。  大晦日になると、しめ縄を張り門松を立て、 家のあちこち、牛小屋や鶏小屋の入り口にまで お飾りを飾ったものだ。松やうらじろなどは、 父が山から切ってくるし、お飾りはこれも 父がわらで作っていた。
 年が明け、三が日の間、雑煮を作るのは 男共の務めになっていた。ぼくも朝早く 起きて火の番をする。やがて女性群が起きてきて、 お節料理が座敷に運ばれ、そこに家族全員が集って 「おかんしゅ」という恒例の行事が始まる。 うらじろをおいたお盆に米と橙を乗せ、 それを年下のものから頭にいただきながら「五つに なりました」とか「十一になりました」と言って、 数え年で家族の皆に年齢を告げるのである。 それから、みんなで盃につがれたおとそを頂いて、 「新年明けましておめでとうございます。」と あいさつを交わして、新しい年を祝うのである。 この時ばかりは、子どもでも、盃につがれた おとそに限って飲むことが許されていた。
 弟の浩二や近所の秀俊さんをはじめとする 仲間達と一緒に、たこ揚げ・こま回し・ ぱっちん(めんこ)・すごろくなどをして 時間のたつのを忘れて遊び回った三が日。そ れはそれは楽しい正月だった。当時は住宅も まばらだったし、電線も今のように張り巡らされて いなかったので、田んぼや畑はたこを揚げるのに もってこいの場所だった。子どもという子どもが 集って来て、実ににぎやかである。もちろん ぼくもたこ揚げに加わった。小学部1年の頃は、 たこをどうやって風に乗せれば良いのか分からず、 いつもストーンと地上に落ちてしまうのだった。 それで、秀俊さんが揚げているたこの糸を持たせて もらって楽しんでいた。それも3年生になると、 浩二にたこを持っていてもらい、少し伸ばした糸を 指先に軽く絡めて風に向かって走り出すと同時に 浩二がたこから手を離す。すると、風を受けて 徐々にたこが揚がっていくではないか。そのうち、 人の手を借りなくてもたこを揚げることが出来るように なっていった。風にうまく乗って、どんどん糸が 伸びていく。風に吹かれてたこが音を立てる。 たこにつけているしっぽもひらひら揺れて 聞こえてくる。音の動きでずんずん高くなっていく 様子が分かる。糸を引いたり少し緩めたりの あんばいでたこは風に乗って高く高く揚がっていく。 指の間を滑るようにして伸びていく糸の感触と、 高い所から聞こえてくるたこの音にぼくの心がときめく。 このままたこにぶら下がってどこか知らない所へ 連れていってくれないかなと、ふとそんなことを 思ったりしたものだ。もっと高く揚がりたいという たこの気持ちを指に感じながら、ゆっくりゆっくり 糸を巻き取ると、たこは静かに下りてくる。 こうして、風の不思議を思い、たこの不思議に浸りながら、 飽きることのない時間を過ごした後の充実感。
 正月の15日になると、近所の人達が我が家の 近くにあるお宮の境内に、しめ縄・お飾り・門松などを 持ち寄って「どんど焼き」をし、ぼくたちは、 その火で竹串に挿した餅を焼いて食べるのである。 そうすると、今年も元気でいられるのだとお年寄りから よく聞かされたものだ。
 今では、餅つきも、たこ揚げも、どんど焼きも ほとんど影を潜めてしまった。しかし、その環境は、 ぼくの貴重な体験として今もなおぼくの体と心の中に 生き続けているのである。
 去る3月5日から24日まで、中米の7カ国を旅する機会に 恵まれた。ジャングルのお陰で今日まで保存されてきた マヤ文明の遺跡を訪ねながら、山道を歩き回った。 行列を作って山道を横断していく大きなアリ。 蛇が道路を横断し終えるのをじっと待っているバス。 ジャングルの谷あいに掛けられた吊り橋の大きな揺れと、 その下を流れていく水の音。あちらこちらで鳴き交わす野鳥の さえずり。枝と枝との間に糸を掛けていくくも。 風雨に見舞われたトレッキング。そこには、自然と人が 共生しながら心の豊かさを求めていこうとする熱意と 努力が溢れていて、ぼくが小さい頃経験してきた 環境を思い出させてくれたのである。 また、人と自然環境とのかかわり方について 再確認することの大切さを改めて痛感させられる旅でもあった。
 現地ガイドをしてくれた高橋愛子さん。彼女は、 野鳥の研究をしながらガイドの仕事をしている。 いま、コンゴインコのDNAをテーマに論文を書いている ところだという。その愛子さんに、中米の野鳥を 集録したCDを見つけてもらった。ぼくは日本の 野鳥のCDを送る約束をした。メールのやり取りも することになった。また、一緒に旅をした人達からは、 その内、松山で再会しようという話が持ち上がった。 帰国後、次々と写真が送られてくる。
 一般のツアーに加わって海外旅行をした時に、 必ず聞かれることがある。それは、 「何にも見えなくて何が楽しみで旅行するのですか」である。 今回もまた同じ事を聞かれた。でも2・3日経つと、 皆さん異口同音に「こんな山道なのに、どうして私達と 遜色のない歩きが出来るのですか」と言って、ぼくに 対する見方が変わってくるのである。そこでぼくは、 盲人の出来るあれこれについて話をする。皆さんからは、 ぼくの知らない世界の話を聞かせてもらう。 ぼくがこのツアーに参加したことで、少しは盲人に 対する理解を深めてもらうことが出来たようで、 とてもうれしく思っている。こうして、この二十日間の 中米の旅が、ぼくの世界をまた大きく広げてくれたようだ。

■連載 妻として、母として(part seventeen)

「まどろむ季節の追憶1」
和田佳子(わだ けいこ)

 美しいばかりでなく、むせるような 良い香りをはなつ花の季節となりました。 ゆらゆらと揺れる春のぼんやりとするような、 けだるいようなそんな空間の中で、 私は幼かった自分自身とその頃の環境を よく思い出します。
 本当に田舎で、山の山の麓(ふもと)に あった実家に両親と妹の四人で暮らしていました。 良く言えば、厳しく優しい父母と、内弁慶な妹と、 そして弱視の私でした。本当に周りは自然一杯で、 一日中遊んでいてもずっとあきずに過ごせるような のんきな空間でした。そして家の周りには やはりたくさんの花が咲き、緑に包まれ、 土を感じて空はどこまでも青く澄んでいました。 時々近所の子供達が遊びに来て、大きなお兄さんや、 お姉さん、そしてとても仲の良い年の近い友達も やってきて、一緒に遊びました。庭に絵を描いたり、 木登りをしたり、花で首飾りを作ったり、 隠れん坊をしたり、ゴム跳びをしたり、ままごとをしたり、 数え切れないほどの遊びをして、ずっと楽しんでいました。
 でも、やがて夕暮れになるとみんな帰って行って、 我が家も夕食になり、暗くなると私はほとんど 見えなくなるので、急いで家に駆け込んだものです。
 今は生活リズムの違う家族がそれぞれに食事を したりしますが、当時は必ず全員が手を洗って 揃ったところで父が「いただきます。」と声をかけ、 食事が始まりました。いろいろな話をしながら 楽しく食べるのですが、それでも、視力の悪い私は お箸の持ち方をしつこく直されながら食べ、 白いお茶碗に残った白いご飯粒は見えないので、 指で触っているとすぐに頭を叩かれ、水分を 飲めない状況で食べないといけない場合もあるからと 限度なくはお代わりを許されず、お残しは 許されなかったので、その当時大嫌いだった 分葱(わけぎ)のぬたがメニューの一品目に出ると、 ずっと座って食べました。へたをすると6時くらいに 食べ始め、10時くらいまでかかった事もあります。 あまりに遅いと灸をすえる線香を間近に据え付けられて 泣きながら食べた事もありました。今となっては、 分葱のぬたはこの季節ならではの美味だと 思えるのですが・・・。
 それから母が沸かしてくれた五右衛門風呂に入り、 どんなに厳しい季節でも、「湯加減はどう?」と 外から母の声が聞こえます。「ちょっとぬるいよ。」と 言えば、パチパチと音がして、母が薪をたいてくれるのです。 「ああ、良い気持ち!」と言いながら、ばたばたしていて 釜に手足がひっつくと、たちまち「あっちっち。」となるので、 おとなしくつかっているのです。げす板(五右衛門風呂の 下に直接足が釜に当らないようにしく板)も あんまり動き回るとバランスを崩して浮かび上がります。 すると、たちまち熱い釜にひっついてしまい あせって元のように沈めてその上に静かに座って 温まるのです。その頃はそれが当たり前でしたが、 今思い出すと母に厚く感謝してしまいます。
 床(とこ)について眠る時間になると いつも父が本を読んでくれました。視力の悪い私は 小さい活字が読みにくかったので、薄暗くした部屋で 物語を読んでくれる一時は、本当に楽しみにしている 時間でした。西遊記や芥川龍之介などの作品は 本当に嬉しかったのですが、時々は子供達が なかなか眠らないので、怪談話を読むことも ありました。そうすると、怖くて怖くてもう布団の中に 顔を埋めてがたがた震えながら、それでも 何となく耳は聞いていたような気がしたものです。 今でも「耳なし法一」の話は父の声が聞こえてきて、 そこに法一が座っているようにすら思えます。 とにかく自然の中で喜怒哀楽をそのままに 快活に過ごした時と時間は、かけがえのない 大切な宝物です。

■連載 情報処理と私(17)

情報通信の原点であるモールス符号電信
和田 浩一(わだ こういち)

 この4月に松山市に司馬遼太郎の小説を テーマとした「坂の上の雲ミュージアム」が 開館しました。安藤忠雄氏の設計による 三角柱のしゃれた記念館です。PTAの 行事で出かけ、同僚にガイドをしてもらい 観覧しました。小説の中で紹介された松山市の 地域の情報をタッチパネル式の情報端末で紹介したり、 たたみ1畳ぐらいの大きさのディスプレイが 3角柱の各面に設置され、映像で説明していました。 小説の時代背景や文化を当時の写真、絵画、書などの 資料によって、テーマごとに整理して展示していました。
 ほとんどの展示物は視覚情報であるため、 同行した方の説明を受けないと、展示の内容を 知ることは難しいといえます。直接展示物に 触れたり、視覚以外の感覚で、実体験できる物が なければ、見えない者の単独での観覧は楽しめません。 このような視覚情報が中心の展示会であっても、 同行者とコミュニケーションを取りながら 観覧することで、大きく変ります。同行者が 感じたことを伝えてもらったり、展示物の 内容を説明してもらうことで、実体験に変ります。 共に展示物を観覧していることで喜びや感動を 味わうことができます。窓に広がる景色の 様子や窓ガラスが微妙に傾斜していることを 聞いて窓に触れて安藤忠雄の設計に思いを はせて窓の傾きを感じたり、バルコニーが あるが安全のため外には出られないとの 説明を聞いて、バルコニーに出られたら 気持ちがいいのに残念だと、外から聴こえる 鳥の声を聴きながら想像をふくらませて 楽しむことができました。
 今回の展示会で、私が最も興味を持ったのは、 モールス通信の機械が展示されていて、 体験できた所でした。アマチュア無線で モールス通信をしていたことがあったので、 大変懐かしく、夢中になって電鍵を叩きました。 そして、このモールス通信を「六ツ星)の 連載のテーマに取り上げようと思いました。 現在の情報通信の原点であるモールス通信の 歴史的な背景を調べて、情報通信について 考えてみたいと思います。

■視点

氏間和仁(うじま かずひと)

「はろー六ツ星」の感想を寄せて頂いた中に 次のようなエピソードが添えられていました。

==<ここから>==
途中から引用します。
「伊予鉄の環状線が上一万の停車場から どのようにポイントを切り替えて、日赤 方向に曲がってくるのか知っていますか? という質問をY大学(関東の大学)の 先生から受けたわけです。 ご存じのように、上一万で道後行きは右に、 日赤方面は左に曲がるわけですが、そのポイントの 切り替えは、運転手がマイクで市駅にある (あるいは古町駅かもしれませんが)運行本部と 通信して変えているわけでも、運転台にある スイッチで操作しているのでもないと初めて知りました。 あれは、停車場に入る時の速度でどちらに なるか決まっている由です。そういえば、 乗っている電車の前に電車が居て、 それが停車中だったりすると、上一万停車場で 停止する位置よりだいぶ手前で一旦停車して、 停車場に進入してくるなあと感じたのは 覚えが在ります。
 その最後の区間での速度が早い(詳しい速さは 忘れてしまったのですが)と日赤方向に 曲がってくるポイントに切り替わるように なっている由です。
 道後行きにはだいぶ乗っていないので、 今度乗った時に計ってみたいと思いますが、 こっちは進入速度が環状線より遅いはずと いうことになります。
 さすがに工学部の先生です。ふしぎと思ったら、 何度も何度も乗って(3日間、松山にいたのですが 一日乗車券を3日とも購入した由)、どうなって いるのだろうと考えに考えて、最後は運転手に 聞いたようです。」
==<ここまで>==

 少し、解説しますと、松山は城山の周りを路面電車が 環状に走っています。その環状線は上一万(かみいちまん)と いう停車場で道後方面の軌道に別れています。道後に分かれずに そのまま環状線に乗っていると、電車は環状に走り 日赤病院方面に向かうことになります。 上一万の停車場は環状線の東側にあり、反時計回りに 回ってきた電車は、右に分かれて行くと道後方面に、 そのまま環状線を走ると、左に曲がり日赤方面に 行くことになります。
その上一万にあるポイントについてのお話です。
 私たちは職業柄、たくさんの子どもと接します。
そして、私たちは彼らに対し教育を行います。 そんなとき、彼らを様々に評価するのですが、 ここに登場するY大学の先生のように、冷静に、謙虚に 、情熱を持って対しているのだろうか?と、 ふと考える機会を与えられるきっかけになった エピソードでした。
 このY大学の先生も、既成の概念に無理矢理 上一万のポイントを当てはめていたら このような発見には至らなかったでしょう。 目の前のポイントを不思議に思い、3日間、フリーパスを 購入してポイントを、そしてそこを通過する電車を、 あるいは運転士を観察する情熱。 それでも分からないという結果に至る冷静な分析。 最終的に運転士に尋ねる謙虚さ。 そして、真理にたどり着いたわけです。
私も目の前の学生や療育などで関わる子どもたちを、 いつのまにか自分の既成概念の枠組みの中に 押し込んでしまい。個人を限定的に規定していないだろうかと 「ひやっ」とした思いがしました。
療育の場面での子どもたちとの関わりや、 授業中、学生との関わりの中で無意識的に、 「あぁ、こういうケースの子は、よくそんなことするんよ。」 とか、 「そんなことするのは、こういう子どもよ。」 などと気楽に使ってやしないだろうか?
「この障害の子どもは、こういうもんよ。」 なんと恐ろしい言葉でしょう。 工学部の先生が目の前のポイントに情熱を持ち、 謙虚に情報収集し、冷静に分析したのと同じように、 私たち教育に携わる者も、まずは目の前の人に対したいもの だなぁ、そんな思いを起こさせたエピソードでした。
ちなみに、松山には路面電車(軌道)と郊外電車の線路が 交差する、電車マニアにとっての名所があります。 通称「ダイアモンドクロス」といいます。

■連絡

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 本紙のバックナンバーをweb上でご覧になれます。 http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~k-ujima/index_j.htm このページを開いて、「はろー六ツ星」のリンクをたどってください。
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文光堂より「眼科プラクティス」14巻が出版されました。 今回のテーマは、ロービジョンケアです。 氏間も7ページほど執筆しております。
おわり