えひめから発信する、視覚障害教育に思いを寄せる人たちの心を伝える情報紙
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■えひめの視覚障害教育情報紙■
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▲毎月16日発行
▲2004年12月16日発行
▲第2号
■連載「木登り」
松田忠昭
ぼくの生家は、米・麦・みかん・柿などを栽培していた農家です。家はいろい
ろな木が植わっている庭を挟んで母屋と離れとが廊下で繋がっているという造り
になっていました。鯉などを飼っている小さい池もあったし、家の周辺には小川
や農業用の水路が、田んぼや畑の間を縦横に流れています。ぼくは、そんな豊か
な自然の中で、小さい頃から毎日兄弟や近所の友達と一緒に遊んだり、仕事の手
伝いをしたりしたものです。誰もいない時でも、自然を相手に独りで楽しく過ご
すことが出来ました。その一つが木登りだったのです。
6歳の頃だったと思います。登れる木はないものかと庭のあちこちを物色して
回りました。手触りの良いのは山桃の木です。低い所から枝分かれしているので、
登り易そうな気がしました。手のひらで枝を掴み、両方の足と腕に力を入れ、体
を引き上げようとするのですが、なかなか登ることにはなりません。毎日毎日そ
んなことを繰り返し、十日経ち、二十日経つうちに、少しずつ登れるようになっ
ていきました。また、降りる時の足場探しもだんだん上手になり、方々の木にも
登ってみました。椿の木に登った時には、花を取って蜜蜂のように蜜を吸ったり
したものです。
小学部3年になった頃、我が家の庭にある山桃の木が、離れの屋根まで伸びて
いることに気付きました。もしかして、屋根から木へ移ることが出きるのではな
いだろうかと思って、2階へ上がって、屋根へ出てみました。屋根は木に向かっ
て傾斜しています。足を伸ばし、腰を下ろして、ゆっくりゆっくり木に近づいて
いきました。爪先が屋根の端に届いたところで手を伸ばしてみると、そこに枝が
あった!ぼくはその枝にしっかり掴まって、爪先を屋根の端から20センチぐらい
戻して、そこに立ち上がりました。掴まっている枝を思いっ切り自分の方へ引っ
張ってみました。その手応えから「これならぶら下がっても大丈夫だ」と感じた
のです。もう一度しっかりと枝を掴み直し、右足で屋根を蹴り、腰にぐっと力を
いれて体を宙に浮かせると、爪先が木に触れたのです。その枝を両足でしっかり
捕らえ、両腕に力を入れて、体を立て直しました。こうしてぼくは、屋根から木
に移ることが出来たのです。木の葉が風に吹かれてさやさやとかすかな音を立て、
小鳥たちは、楽しそうに囀りながら飛び交って、このぼくの冒険を褒めてくれて
いるようでした。しばらくの間、木の股にまたがって一休みした後、足場を確か
めながらおもむろに降りていきました。翌日には、木から屋根へ移ることに挑戦
し、これも成功したのでした。屋根から木へ、木から屋根へ。何日も何日もそれ
を繰り返し、独りで喜んだものです。何度やってみても面白くて飽きることはあ
りません。木は上へいくほど枝分かれして細くなっていくものだと分かりました。
枝のたわみ具合、手や足の使い方、力の入れ具合、木から屋根へ・屋根から木へ
と移る瞬間のスリル。山桃の木も離れの屋根も、ぼくの大事な友達であり、沢山
のことを教えてくれた先生でもありました。
ぼくが生徒の頃、松山盲学校の運動場には、登ることの出来る木や登り棒があっ
て、遊びの楽しさとスリルを満喫させてくれたものです。目の不自由な子供達に
とって「目標を見つける環境、工夫する環境、努力する環境、目に見えない畑
『心』を耕す環境」とは何か。そんなことについて、校内にティールームでも開
店して、そこでお茶でも飲みながら気楽に話し合ってみては如何なものでしょう
か。きっと素晴らしい発想が浮んでくることでしょう。
■連載「妻として、母として」Part two
「-または、最終回-」
和田佳子
皆さん、こんにちは。季節は移ろい、はや師走となりました。師走といえば、
いろいろと忙しくなり、あれもこれもやらなければならないことが、目白押しで
はないかと思われます。その中に、私の最も苦手とする「お掃除」があります。
今日は短くお掃除のことを書きます。
そんな私でも、結婚当初はまじめに掃除をしておりました。毎日掃除機を使っ
て、猫の額ほどの廊下と、階段をまずは全ての面積を手で探ってほこりを集めて
何もなくなったのを確認してから、濡れ雑巾でもう一度ゴミを集めるような拭き
方で拭いていきます。その後、乾拭き雑巾で何度も磨くように拭いていきます。
出産で入院し家を留守にし、退院したときお姑さんに「廊下や、階段がぴかぴか
だった。」とほめられました。
わたしのまじめ掃除はまあ、大体そこまででした。子供を出産し子供が移動で
きるようになってからは、とにかく手の届くところに危険なものは置かないよう
にしました。おもちゃ以外でも触って楽しく危ない物以外は、触れるようにして
いました。食事の後は座るところがないくらい子供たちが、食べこぼしましたが、
なるべく自分で食べさせました。主人は足の踏み場がないと言って、立ったまま
座らなかったこともしばしばです。でもそんなに広くないところですから食後テー
ブル周辺を手で探って集めてきれいにするのです。「手などでしたら、汚い。」
と、言われますが、これが一番間違いなくきれいになるのです。その度に手を洗
えば手はとてもきれいになりますからね。
さて、現在はというと、子供は大きくなりましたが、それに並行してボランティ
アや、役が増えてきて掃除に割く時間は益々少なくなっていきました。子供が散
らかすということがなくなったので、見た目は驚くほど汚れているという訳では
有りません。ですから、しなくても表面上はきれいなのです。しかしほこりはい
つの間にか家にやってきているのです。このペースではいけない、最低決めた曜
日だけは必ずするという、自分の心に決まりを作ったのです。絶対その日がだめ
なら、前後の曜日に必ずするのです。やはり、廊下や階段は掃除機より、雑巾で
くまなく拭いていく方が、視覚障害者には間違いないように思います。
毎日使って、必ず汚れているガス台や、洗面所などはたまの掃除で汚れを落と
すのは至難の業なのです。そこで、ガス台なら夕食の片付け時に拭くのです。こ
びりついていないから、かえって普通に拭く労力できれいになります。洗面台も
同じで、朝自分が顔を洗う前に、軽く磨くだけで、洗面所によくできる水垢のあ
おいくまの汚れはできません。これは、目の見える友達に「毎日磨かないと、あ
おいくまができるのよ」と教えてもらったから知り得たことなのです。
おそらく全ての所を毎日こまめに、なでたりさすったりしていれば、どこもき
れいなのでしょうが、そこは掃除嫌い、最小限の所しかやっていません。すみま
せん。掃除嫌いなのです。ほこりでは死なないと信じていますから・・。
言いわけですが、雑菌の中で育った我が家の子供達は、本当に元気です。食中
毒が流行しても、大丈夫でした。父親譲りの強靱な体力の遺伝もあるでしょうね。
今回はあまり参考にはならなかったとは思いますが、どうぞお許し下さいね。
■連載「情報処理と私(2)」
―私の視覚障害との出会い―
和田浩一
私は視力が0.8程度あり、視覚障害があるとは気付かずに中学まで普通校に通
いました。その後、高校から盲学校に進みました。中学2年の時に学校の視力検
査で少し視力が低いので病院で診察を受けるように言われて、夏休みに近所の眼
科医院を受診したところ、病院の先生から親を呼んでくるようにと言われました。
なにやら深刻な病気があるらしいのですが、そのとき先生から私に対しては、現
状の見え方で維持できるようにするからと話されました。私はその時の見え方で
何も不自由を感じていなかったので、何か眼の病気があるにしても、今と同じ見
え方であれば別に問題ないと安心しました。しかし、母親に対しては失明の可能
性のある網膜色素変性症であると告げていたようです。この病気は夜盲と視野狭
窄及び色弱などの症状が特徴であり、徐々に視野が狭くなり視力も低下していく
先天性の病気で、人によって発症する年齢や進行速度も様々です。
私の場合も振り返ってみると、暗い所が見えにくいとか、色が区別しにくいと
か、視野が狭くて、足下に置かれている物につまずきやすかったり、床に落とし
た物を探すことや野球のフライのボールを見失ったりするなど、思い当たること
がたくさんありました。周囲の誰もが私の視覚障害には気付きませんでしたし、
私もみんなと同じ見え方をしていると信じていました。とくに暗い所では電灯の
明かりがはっきり見えるだけで、照らされている周辺はほとんど見えませんでし
た。それが普通だと信じていました。
小学6年生の頃、真っ暗なたんぼのあぜ道を自転車で友人の後をついていく際
には、自分のライトで前を走る自転車のテールライトの蛍光反射板を照らして、
その赤い反射光だけを見ながら、見失わないように必死で後をついていったこと
もありました。今思い出しても手に汗を握る思いがします。また、街で買い物を
して堀之内を通って一人で帰っていた時に堀沿いの道を左に曲がった瞬間、私と
自転車は空中に浮かんでいました。直ちに重力に従って、逆さまとなって頭を下
にして岸辺の雑草の生えた坂を滑り落ちていました。堀の水が少なかったことと
雑草のおかげで頭が水の中に入ることもなく、けがも無くすみました。私は購入
したトランシーバーを手探りで確認して、何もなかったかのように自転車を押し
上げて、とっぷりと日が暮れた冬の寒い道を急いで帰りました。この経験も命拾
いをした思い出です。
幼い頃は家族や友達と手をつないで歩くことが多く、暗い場所で見えないこと
を誰も気がつかなかったようです。年齢が高くなると徐々に暗い所を無意識的に
避けるようになりました。小学校の修学旅行など暗い場面を避けられない場合に
は、周囲にいる友人の肩に手が無意識的に伸びていたようです。
このように私は視覚障害と気付かぬままに出会って、無意識的に適応しつつ、
できることと、できないことを自覚しながら周囲の人の助けを受けて生活してき
たと思います。ゆっくりと進行しているので、なかなか視覚障害の状況の変化に
気付かぬままに過ごしてきたと思います。
■雑記帳
「音声ユーザのパソコン講習会」
氏間 和仁
11月末の土曜日、社会福祉会館で音声ユーザのパソコン講習とパソコンボラン
ティアのトレーニングを兼ねた講習会が行われました。私は講師として参加させ
て頂きました。実は私は音声ユーザのパソコン講習会で講師を務めるのが結構好
きなのです。毎回、毎回、今度はどうやってWindowsの世界を伝えようかと考え
るのも好きだし、それを実践するのがさらに楽しい。職業で教師として教えてい
るが、こうしてボランティアとして教えるのは何の気兼ねもなく、自由な発想を
実践できるのでそこが魅力なのかもしれません。
そもそもWindowsの世界というのは、どういう世界なのでしょうか?一言で言
うと「視覚的に拡がる世界」なのかもしれません。コンピュータの情報を視覚的
に表示することで分かりやすくすると同時に、視覚的に表示された「もの」を
「開いたり」「動かしたり」「つかんだり」という日常生活の比喩で操作」でき
る点も操作を容易にしているでしょう。しかし現在のところ、コンピュータ上で
の「もの」は視覚情報で仮想的に表示してあるだけなので、手にとってつかんだ
り、動かしたりすることはできず、視覚障害のある利用者には扱いが困難です。
この扱いが困難な仮想空間をどのように伝えるか、物を教えることを職業にして
いる私に与えられた思考の喜びでもあるのです。
視覚障害者の自立訓練の中にファミリアリゼーションという内容があります。
ファミリアリゼーションは航空機などのトレーニングでもあるようですが、一般
には慣れ親しませることとか熟知させることをいいます。特に視覚障害者のトレー
ニングでは、道の事物、地域、場所などを様々な手掛かりを用いて説明して、既
知の状態にすることを指します。これは未だ行ったことのない場所へ初めて訪れ
る時や、触ったことのない事物を短時間に正確に把握するためには必要なトレー
ニングです。
音声ユーザのパソコン講習って、私はWindowsという仮想空間のファミリアリ
ゼーションをやっているように最近思っています。ファミリアリゼーションには
全体から部分へと把握していく面状のものと、部分から部分へと延長していく線
状のものがあります。どちらを取るかは、ユーザの経験、理解力、ニーズ、指導
時間などによっても異なってきます。今、経験的に分かっていることは、パソコ
ンでやりたいことが確定していてとにかくそれをやりたいというようなユーザに
は線状のファミリアリゼーションが、パソコンを漠然と習いたいとか、さらにで
きることを増やしたいユーザには面状のファミリアリゼーションが向いているの
かな、などと最近考えています。
話はまとまりませんが、私がもつ教授力を、このパソコン講習というボランティ
アの場を試金石にしてはかりながら、まだまだだ、学ぶべきこと、学ぶべき師は
多くあるなと、さらに燃えるのでした。