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それは、一種の分裂症だった。心が二つに割れてしまったのだ。決心がつかなかった。戦争は怖い。でも国外に逃げることもやはり怖かった。私は私自身の人生や、私の家族や友人たちや、私の経歴や、そういう私にとって意味のある何もかもを捨てていくということが怖かった。私は両親にがっかりされることを恐れた。私は法律を恐れた。私が生まれたのは大平原の中にある保守的な小さな町だった。そこでは伝統というものが重んじられていた。きっと人々はお馴染みのゴブラ−・カフェのテ−ブルを囲んで、コ−ヒ−カップを手に、口を開けばオブライエンの息子のことを話題にするのだろう。あの腰抜け息子は尻に帆たててカナダに逃げたんだぞ、と。
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まさにそのとき、対岸を眼前にして、私は悟ったのだ。そうするべきだとわかっていても、私はそうはしないだろうということを。私は、私の生まれた町から、祖国から私の人生から泳ぎ去ることはしないだろう。私は勇気を奮い起こすことはないだろう。自分を英雄に、良心と勇気に溢れる人間にしつらえていたあの古い夢は、所詮空疎な幻想にすぎなかったのだ。 |
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(略)私には勇気を奮い起こすことができなかった。それはモラリティ−とは何の関係もない。体面、それだけのことだった。
そしてそこで私は屈伏してしまった。
俺は戦争に行くだろう――俺は人を殺し、あるいは殺されるかもしれない――それというのも面目を失いたくないからだ。
私は卑怯者だ。それは悲しいことだった。そして私はボ−トのへさきに坐って泣いていた。 |
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私は思うのだけれど、人は誰しもこう信じたがっているのだ。我々は道義上の緊急事態に直面すれば、きっぱりと勇猛果敢に、個人的損失や不面目などものともせずに若き日に憧れた英雄のごとく行動するであろうと。 |
| (永田被告は)自己顕示欲が旺盛で、感情的、攻撃的な性格とともに強い猜疑心、嫉妬心を有し、これに女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味が加わり、その資質に幾多の問題を蔵していた。 |
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(略)女一人でもやっていける生き方や、解放される、する強い人間になりたい為、活動に入ったのである。・・・その過程で、人を愛する、包摂する、憎む等は頭の中にあっても、現実的にはその中から逃げてしまう。自分のいたらなさとして逆規制して総括してしまったのである。これこそ総括とはいえない代物だが。人間らしい生き方を欲しているとは裏はらに人間味のない政治しか提起しえなかったのは事実です。
(略)「秋は死ぬ」このことを前提としたからこそ、いままで切り捨てていた女としての自分を一回でよいから体現してみたかったのです。それがあなたとの結合であり女としての自分を徹底的に追求してみたかった・・・。
(略)「死」を前提とした結合を、生きた事により、更に自分では何が何だかわからない程複雑になったのは事実でした。これを切開せず、またもや、政治にかりたて、だからこそ『中性の怪物』としての答でしかでなかったのです。
人類には、男と女しかいない。人間らしくということは、女らしくということではなく、現実に女であるならば、その女が体現できる可能な限りをついやす事が人間らしくという事につながるのではないかと思います。(略) |
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殴り終わったあと、Tさんを逆えび型に縛り始めたが、その際、M氏が、
「Tの足の間にまきをはさんで縛れ」
と指示した。私はこれを聞いた時ひどいことをすると思ったが、Tさんが両足を崩して坐っていたことをもって、総括しようとせず女を意識していると批判したことから女を意識させずに総括させるためのものだと思い、反対できず何となく悶々とした。M氏の指示でTさんの足にまきをはさもうとした時、T氏が、
「男と寝た時みたいに足を拡げろ」
といった。すると、これに男性たちが笑い出した。お腹をかかえて笑った人もいた。私は思わず、
「そういうのは矮小よ!」
と叫ぶように批判した。笑いはやみ、M氏は早く縛るように指示した。
(『十六の墓標』より) |
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それで、まきをひざの裏に挟んで足を折り曲げさせたが、その時、T氏が、
「男と寝た時みたいに足を広げろ」
といった。これに私たちは笑ったが、女性たちは一様にいやな顔をし、永田さんが、「そういうのは矮小よ!」と批判した。私たちはあわてて笑うのをやめたが、N氏、Tさんへの激しい暴行は、私たちの気持をすさませ、より残酷で下劣なものにしてしまっていたのである。
(植垣康博氏『兵士たちの連合赤軍』より) |
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しかもTさんは、他の人が発言している際中に、ブラシで髪をとかしたり、クリ−ムを唇に塗ったり、ねそべったりしていた。私は、こうした態度を苦々しく思った。とはいえ、私は苦々しく思っただけで、それを批判する意図は毛頭なかった。(略)私たちはシュラフを取り出し小屋のすみにひとかたまりになって寝ることにした。この時、Kさんが、
「赤軍派から女性兵士が一人参加すると聞かされて、楽しみにして来たのに、失望した」
というと皆そうだというようにうなずき合っていた。私も、苦々しく思ったのは私だけではなかったのかと思いながらうなずいた。
(『十六の墓標』より) |
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しかし、たくさんの女性活動家がいたことは、男の兵士ばかりのなかで活動していた私にとっては、うらやましいことだった。おかげで、彼女たちの存在に惑わされてしまった。しかも、女性たちが平気で男性の隣りに寝たりしているので、びっくりしてしまった。 |
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私は、大槻さんを最初に見た時、一体どこのかわい子ちゃんなんだ、来る場所をまちがえたんじゃないのかという印象をうけた。しかし、坂東氏たちでさえあごを出して何度もへばったこの急な坂道を、へばらずに私の後について来るのを見て、その印象を全面的に改めなければならないと思った。
(植垣康博氏『兵士たちの連合赤軍』より) |
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私は、この時、初めてKさんが共同軍事訓練で実射できなかったことを知った。
「実射できなかったの?」
「知らなかったの。お腹の子供にひびくといけないからといわれて、やらせてもらえなかった」
「お腹でかまえるのはできなくても、肩でかまえるのならできるのにねえ−」
「そうよねえー。だから、実射もさせないでそれではどうして共同軍事訓練に連れて行ったのかといったら、また批判された」
「おかしいわね」
私が転んで出血したことを心配すると、Kさんは、
「すぐ止まったから大丈夫。心配させまいと思っていわなかったのに、それを隠していたといわれて・・・」
「旅先だといって、Sさんにつき添ってもらって婦人科の医師にかかったらどうかしら?」
「そんな必要ない。大丈夫よ」
「シンパの人が出産する時には預ってもよいといっているので、その方がよいと思っているけど、どう?」
「そんな・・・。私は山で産む」
「そういってくれる人がいるので、シンパの人の所で出産することもできることを頭に入れておいて」
「はい」
そのあと、私たちは雑談した。
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夜寝る時はいつもの通りめいめいが勝手に寝た。だから、私は植垣氏がどこに寝たのか全く気にしなかった。ところが、翌朝、顔を洗っていると、Kさんが笑いながら「いやになっちゃう。植垣君が夜中に顔を手でさわったり足をさわったりしたのよ」といった。私も夜中に顔を手でさわられ何だろうと思いつつ払いのけたことがあったので、そういうことだったのかとわかり、
「私もよ」
といった。Kさんはそれを聞くとお腹を押えて大笑いするので私も笑ってしまった。それで、
「今度からは男の人の間に寝かせることにしよう」
と話し合った。
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大槻さんをかなり長い時間追及したあと、M氏はKさんへの追及に移った。M氏はO氏に決闘させたことを批判したこと、官僚的で表面的な厳しさのみを求めること、指導部の者と被指導部の者に態度を変えること、主婦きどりであること、妊娠中なのに食事に配慮せず任務で外出した時に食事をしそれを隠していたこと、Y氏との離婚を安易にいったりして情愛に欠けること、などを追及した。これにたいし、Kさんは首をかしげ、そうなのかわからないと答えるだけであった。本当にわからない、そういわれては困るといった様子で、M氏の批判を認めようとしなかった。すると、M氏は「総じて永田さんに反発し、男を利用して自分の地位を確立しようとしている」と批判した。これにKさんは、
「違います。永田さんに反発するなどということはないし、男を利用しようなんて思ったこともありません」
と反対した。私も、
「私に反発するということは感じない」
といった。M氏は、
「そんなことはない。そうなのだ」
といったが、それ以上このことはいわなかった。
(いずれも『十六の墓標』より)
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私がKさんのことで胸が痛くなる一つは、「共産主義化」の闘いの中で、Kさんに対する総括要求が繰り返されている時、指導部会議でYさんが困惑のあまりか、その性関係において女のKさんが積極的だったと批判的に語り、それに男の指導部は皆、「ホウ−!」という声をあげ、興味ありげな様子をしたことである。ここには、女が性関係において積極的になることを蔑視する傾向さえあった。ところが、女の私はこれに不愉快になりながらも、何も言えなかった。私が女としての意欲や欲求を抑え、そうすることでしか活動をやってこれなかったことが、女性蔑視とも闘えなくさせてしまったのである。
(永田洋子『続十六の墓標』より)
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まき拾いをしていた時、Kさんが、主婦的だの官僚的だのといった批判をはね返そうと、まき拾いの作業に必死の面持ちで加わってきた。私たちは、Kさんのすさまじい気迫に驚き、
「無理しない方がいい」
「こっちで運んだものを小屋で整理してくれればいい」
といったが、Kさんは外の作業を続けた。
(『兵士たちの連合赤軍』より)
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M氏に続いて坂口氏、坂東氏も殴った。そのあと私が平手うちで思いっきり殴った。しかし、六回程殴ったのが精いっぱいでハアハアしてしまった。
Kさんは、殴られ始めた頃、涙をひとしずく流したが、その後は悲鳴をあげ、
「何をするのよ!」
といった。それは、殴ることにはっきり抗議したものだった。ただ、私が殴った時は悲鳴を上げなかった。私が殴ったあと、再びM氏、坂口氏、坂東氏が殴り、続いてA氏、Yさん、O氏が殴った。 |
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私は、大槻さんとKさんの所に行き、
「総括しろ」
といった。そばにいた人が、
(略)「Kのお腹を圧迫せずに縛るのは大変だった」
といっていた。Kさんは榛名ベ−スと同様に無表情で、暴力的総括要求に同意しないぞという態度であった。私が「総括しろ」といっても無表情だった。
(『十六の墓標』より)
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Kさんは、その頃から床下で作業している私たちに声をかけるようになり、
「植垣君、永田さんが縄をほどいてもいいといったから、縄をほどいて」
といって、私をあわてさせたこともあった。Kさんは、縛られていることにけっして従順ではなく、反対に、それを認めないぞという気迫に満ちた態度でいたのである。
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小屋に着いた時は、もう夜中の一二時を過ぎていた。小屋に入ると、Kさんが床に腰かけるようにしていたので、私とA氏は、
「ちゃんと立ってろ。それが総括する態度か」
といいながら、Kさんを立たせようとした。すると、Kさんは、激しい口調で、
「なにするのよう!」
といった。私たちは、あわててKさんから手を離し、
「おっかないなあ」
といい合った。私たちは、Kさんの気迫に圧倒されてしまったのである。
(ともに『兵士たちの連合赤軍』より)
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会談で、私と彼はちょっとした論争をした。ベトナム戦争の戦局をめぐる話の中で私は「米軍は戦術核兵器を使用するに違いない」と確信ありげに述べたのである。これに対しM君は、アメリカが戦略的退却局面にあることや、核兵器を使用した際の国際世論の反発を考慮し、「戦術核は使わないだろう」と反論した。論争は明らかに私の負けだった。私の硬直した思考は、話していて浮き上がっていることが分かるほどであった。
二人の論争を側でジッと聞いていた永田さんは、この時からM君に心を傾けていったようだった。彼女によれば、革命左派と赤軍派の接触は、その初めから革命左派の分析力の不十分性や非論理性を痛感させるものであった(『十六の墓標(上)』)、
という。そうだとすれば、この日の論争で、そうした思いを決定的に強めたことは、十分にあり得たはずである。
(坂口弘氏『あさま山荘1972』より)
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全体会議を終えると、また指導部だけの会議を持った。(略)
この席でM氏は、(略)静かだが、威圧的に、われわれ革新左派メンバ−に川島さんとの訣別を迫った。
永田さんがまず同調した。続いてT君が同意した。二人に引き摺られるようにして三番目にY君が同意した。
今しがたまで同じ側にいた三人が、アッという間にM側に移って行ったため、私はひしひしと孤立を感じることになった。だが、川島さんは私にとって巨大な存在である。そう易々と裏切ることは出来なかった。私は腕を組み、目を瞑って、黙りこくっていた。
(『あさま山荘1972』より)
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M氏は赤軍派の総括をとうとうとよどみなく語り、私たちは圧倒されてしまった。この総括によって、私たちのM氏の信頼は絶対的なものになったのである。私たちがM氏の総括に感嘆していると、M氏は、
「力量の違い」
といって得意そうな顔をした。
(『兵士たちの連合赤軍』より)
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M氏は、
「K君は、土間の近くの板の間にデンと坐り、下部の者に口やかましくあれこれ指導しているではないか」
と説明し、(略)そのあとも、
「K君は下部の者に命令的に指示しているが、これも大いに問題だ」
と批判していたが、そのうち、ハタと気がついたような顔をして、
「今の今まで、K君に会計を任せていたのが問題なのだ。永田さんがそのことに気づかずにいたのは下から主義だからだ。直ちに、会計の任務を解くべきだ」
といった。
(『十六の墓標』より)
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永田同志の『十六の墓標』の中でも、比較的永田同志の本音の感情が書かれておりいろいろ動揺したことが書かれています。しかし、私や同志達に映っていた永田同志は、そんな人間的感情のひとかけらもない「鬼ババア」でしかありませんでした。私も当時は、恐ろしい人、動揺しない人と考えていたのですから、下部の人が、私たち指導部を「お上=神」と恐れたのも無理はありません。
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動揺したというのは、自分にとっての事実ではあると思いますが、客観的事実は、同志を殺したということであり、同志に映っていた「鬼」「おかみ」という姿こそ、私達の姿、本当の姿であると思うのです。その革命的でも、美しいものでもない姿を、自分の真の姿として認め、否定し、否定しぬくことによって初めて、総括の第一歩が始まると思います。
(どちらも『永田洋子さんへの手紙』より)
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M同志にしても、こんなことをいうとへんに聞こえるかも知れませんが、どこにでもいるやさしい、町の人格者とでもいうべき人で、もし大衆運動の指導者であればきっとすばらしい人であったろうと思うのです。
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個人批判の問題がひとまず終わったあと、M氏は、それの延長のようにして、
「今後は女性の問題にも関心をもつことにした。これまで、関心をもたなかったのは自己批判的に考えているが、生理の時の出血なんか気持悪いじゃん。だから、そういうこともあったのだ。しかし、もうそれではやっていけないことがわかった」
といい出した。(略)私が黙っていると、M氏は、
「女はなんでブラジャ−やガ−ドルをするんや。あんなもん必要ないじゃないか。(略)」
といった。一体いかなる根拠に基づいて、M氏が女性の下着について批判したのかわからないが、私は、あまりにメチャクチャな発言と思い、
「ブラジャ−やガ−ドルを必要ないとはいいきれない。私も使う時がある」
と反対した。M氏は、
「そうか。何しろ教えてもらわないとわからないのだから、教えてくれ」
といった。(略)続いて、M氏は、
「どうして生理帯が必要なんや。あんなものいらないのではないか」
といった。私は、
「出血量は人によるけど、どの人も必要と思う」
と反対した。M氏は、これには黙ったが、今度は、
「今後、トイレで使うチリ紙は新聞紙の切ったものでいいんじゃないのか。チリ紙などもったいない」
といってきた。私は、あまりに極端なことをいうと思い、
「女性は生理の時にはチリ紙がいるし、新聞紙では困ることもある」と反対した。
(『十六の墓標』より)
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M氏は、それ以上何もいわなかったが、「K君は僕の方ばかり見ている」といったあとその時のことをもち出し、「そういうK君だから、Y君から僕に乗り移っているのだ。(略)」といった。M氏の発言があまりにもおかしいと思った私は、わけのわからない怒りがわきそれを否定しようとして、Kさんに、
「Mさんをどう思う?」
と聞いた。Kさんは、少しとまどっていたが笑いながら、
「目が可愛いいと思う」
といった。すると、M氏は、
「ほらみろ。目を可愛いいなんていうのは、指導者にたいする言葉でない。まるで子供扱いだ」
と怒り、さらに、
「Y君から僕に乗り移ろうとしているから、K君はそう見るのだ。永田さんはそういう風に考えたことがないからわからないのだ」
といった。他の中央委員はM氏に同意的であった。
(『十六の墓標』より)
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| ●「永田洋子さんへの手紙」 | 坂東国男 | 彩流社 | 一九八四年 |
| ●「兵士たちの連合赤軍」 | 植垣康博 | 彩流社 | 一九八四年 |
| ●「愛と命の淵に」 | 瀬戸内寂聴・永田洋子 | 福武書店 | 一九八六年 |
| ●「私 生きてます」 | 永田洋子 | 彩流社 | 一九八六年 |
| ●「優しさをください」 | 大槻節子 | 彩流社 | 一九八六年 |
| ●「続十六の墓標」 | 永田洋子 | 彩流社 | 一九九〇年 |
| ●「あさま山荘1972」(上・下) | 坂口弘 | 彩流社 | 一九九三年 |
| ●「獄中からの手紙」 | 永田洋子 | 彩流社 | 一九九三年 |
| ●「坂口弘歌稿」 | 坂口弘 | 朝日新聞社 | 一九九三年 |