旅路廼日記(三十一丁)・文久三年(五十才)の時、「浪花近きあたりの台場築造おふせごとかうふりて」江戸を発ち、中仙道から美濃路を経て大坂に着く。やはり淡々とした記述で落ち着いている。
恵廼露(二十四丁)・文久三年、砲台を浪花のあたりに築く命をうけて、そのついでに大坂近郊、京都、奈良をめぐる。他の作品と同様に淡白で地味な印象だが、行っている方面がやや珍しいためか、少し変化に富む感じをうける。
旅寝のすさみ(十四丁)・明治九年(六十三才)に、祖先の墓参をかねて箱根に行った折のもの。江戸期のものと、作品の感じに全く変化は見られない。これ以下はいずれも明治に入ってからの作品で、伊香保前橋の記(十二丁)・越路日記(三十三丁)・旅路のすさみ(三十四丁、明治二十年のもの)・東総日記(八丁)・旅寝の夢(九丁)・霧積紅葉見の記(九丁)・松島日記(十二丁)が収められている。先述したように、これといった特徴に欠け、やや平板な恨みはあるが、「松島日記」の七十八才まで、長い時期にわたって、ていねいに記されており、てらいのない静かな味わいがある。
鈴の屋紀行 本居大平
京都大学図書館蔵。写本一冊。外題「鈴の屋紀行」。内題「本居翁が名児屋なる人のこふま@にゆかむとて出立たる道の記」。十一行書。二十一丁。寛政元年、本居宣長が、伊勢の松坂から、名古屋の門人に乞われて旅だった折に同行したもので、自分のことを「稲掛大平とか何とかいふ人」と表現するなど、読者を意識し、わかりやすい記述をこころがけている。和歌を交えた和文は、紀行の作品の多いこの作者らしく、手なれていて読みやすい。春の旅で、雰囲気は明るく、大館高門をはじめとした門人たちの名も多く出る。後半は旅中で詠んだ自他の和歌をまとめて記している。
すAみぐさ 建部綾足
「建部綾足全集」第六巻所収。寛政六年刊。伴蒿蹊の序文がある。関西・関東方面をはじめ、四国や九州の各地について、旅した時の印象や見聞を、それぞれ短い文章で記す。また末尾には、旅の記に使用する言葉などをまとめてあげている。松尾勝郎氏の解説によると、明和八年頃の成立で、作者は板行を意図していたが実現せず、没後十九年を経て書肆が板行を思いたったという。この間に橘南谿の「東西遊記」の流行などもあって、この作品の持つ独自の形式(旅の時間的経過に従わず、順不同に記すなど)が評価されるようになったこと、あるいは地誌的な紀行に理解の深かった伴蒿蹊の板行への努力もあったかもしれない。松尾氏は、この作品に「近代的な叙情と、感性の萌芽」を見ておられる。そのような感覚も、また、他の紀行作品にも共通する奇談集的性格なども含めて、綾足は近世紀行文学史上、見逃せない位置に存しているといえよう。
住谷信順回国記行 住谷信順
東京大学史料編纂所所蔵。写本一冊。27.4×19.3cm。茶色表紙。十行書罫紙使用。三十五丁。同所所蔵の「住谷信順履歴」一冊によると、作者は水戸藩士で勤皇派として活躍、慶応三年刺殺された。この作品は同人の作品の中では、最も紀行文としての形式を整えている。安政五年から六年にかけて、江戸から下総、上州から中仙道を経て、北陸へ向かい、若狭から京都に出る。旅の様子や風景描写を漢字と片仮名で歯切れよく記している。大正三年の写で字体はきわめてよく整う。
住谷信順廻国日記 住谷信順
「住谷信順回国記行」と同様の体裁。十九丁。外題「住谷信順廻国日記」。中表紙題「廻国日記」。内題なし。安政五年から六年にかけて、越前や土佐を巡ったときのもので、「廻国記行」と同時期のものか。記述は簡単で記録的である。
住谷信順帰国日記 住谷信順
「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。六丁。外題「住谷信順帰国日記」。中表紙題「安政四年 帰国日記」。内題なし。同年六月の江戸から水戸への旅の折のものか。関所手形の写しなど、覚書の体裁で、旅の記事のようなものはない。
住谷信順帰府日記 住谷信順
「住谷信順帰府記行」と同様の体裁。27.5×19.2cm。六丁。外題「住谷信順帰府日記」。中表紙題「辰十二月十六日江戸出立南上巳正月十三日帰府日記」。内題はなし。安政三年の末から翌年初めにかけて、江戸から小田原などを旅したもので、記述はきわめて簡単である。
住谷信順上京日記 住谷信順
「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。八十二丁。外題「住谷信順上京日記」。中表紙題「上京日記」。内題なし。元治元年四月から五月にかけて水戸から江戸、東海道を通って京都へ行き、そこでの日々を記す。この作者の紀行の中では最も長く、和歌なども交じるが、内容はやはり記録的で、紀行としての面白さは薄い。維新関係の資料としては貴重であろう。朱が少々入る。
住谷信順道中日記 住谷信順
「住谷信順廻国記行」と同様の体裁。27.4×19.1cm。三十二丁。外題「住谷信順道中日記」。中表紙題「道中日記 坤」。内題なし。「廻国記行」に続く部分か。安政五年、大坂から船で四国の丸亀に向かい、四国の各地を巡った後、紀伊に戻って、吉野や伊勢を巡り、桑名から東海道を通って、江戸に帰っている。記述は「廻国記行」に比してかなり簡単になっている。朱少々あり。なお作者については、「書簡」「上書草稿」「奏議」などの資料が同所に所蔵されている。
清街筆記 哲阿弥
国会図書館蔵。「叢書料本」二三。写本一冊。24.3×16.5cm。茶色表紙。外題「叢書料本 二十三」。中表紙題「清街日記 哲阿弥」。12行書。25丁。朱あり。彩色絵あり。五月廿四日の日付からいきなりはじまり、冒頭がやや唐突な印象である。あるいは省略があるか。内容は出羽方面の旅で、能代を中心に唐船番所などを見物する。発句がしばしば記される。末尾の方は字の大きさもまちまちで、ととのっておらず、稿本の状態であろう。ただし港のさまや船乗りとの交流など、記事には面白いものが多く、記述も細かくわかりやすい。
即次録 河田興
東北大学狩野文庫蔵。写本一冊。十行書罫紙使用。五十五丁。外題「即次録付摘勝記」内題「即次録」。天保九年、妻の母と友人、従者一人と計四人で江戸から出発し、中仙道を通って京坂に遊び、東海道を経て帰宅する漢文紀行。旅の様や風景を細かく描いて面白い。この紀行は二十七丁で、その後に旅中の漢詩を記し、ついで「日光摘勝記」を付す。
袖濡の日記 義門
京都大学図書館蔵。ほぼ同様の内容のものが二点存する(いずれも写本一冊)。大正九年と十四年の写で、書写の過程は九年写の一本の冒頭に詳しい。四国の白峰に参詣するため、近江から播磨を経て、船で金比羅に渡り、白峰に詣でた後、備後へ赴き、福山を見物し、その後陸路で再び播磨まで帰り、大坂に滞在する。和歌をまじえ、知人友人との交流のさまがよく描かれている。また中国地方の陸路の紀行としても珍しい。
袖の雪 天野信景
鶴舞図書館蔵。写本一冊。正徳五年、名古屋から東海道を通って江戸に赴く紀行文。時代が古いこともあって、文体は漢文調でめりはりが強く、やや古風な印象もうける。しかし、父母が死んだら畑に埋めて、その内いっしょに耕してしまう、地方の風習など珍しい記事もあり、あちこちで細かく熱心に見聞を記しているのは魅力的である。十一行書。二十三丁。その後に十九丁、種々の雑記がある。享保七年の津島社の改修の時の記事もその中に見える。