次に、内題「帰尾紀行」。10丁。漢文。寛永十二年八月、亜相公に従って、江戸から帰る時のもの。正保四年写の奥書あり。感じは前二点とかわらない。
次に、内題「中山日録」。25丁。漢文。寛永十三年、亜相公に従った日光行。中仙道を経由する。やはり食べ物のことなど多く、面白い。佐野から栃木へ出て、日光に至り、江戸に帰る。法会のさまなど、ややわかる。奥書なし。
近治可遊録 広瀬蒙斎
国会図書館本による。「国書総目録」には、版本とあるが、写本二冊である。白表紙、左肩白題簽。23.1×15.8cm。第一冊44丁、第二冊44丁。10行罫紙使用、「小沢文庫」等朱印、朱・青点多し。外題「近治可遊録 巻一」、内題なし。冒頭に明治十年十一付の小沢圭の識語があって、作者が奥州白河藩の儒者であること、明治維新後に家が衰え、本もなくなり、この書も巻二及び巻五以下が欠することを記す。内容は漢文集で、紀行以外のものも多く混じている。ただし三、四集の「黒羽紀行」(2丁。「典」と署名)や、「甲子湯山小志」(5丁。「成器」と署名)などには、土地の風俗なども、しばしば記されるが、これは作者以外の白河藩の人々の手に成るものか。
久佐麻矩羅 速水行道
九州大学図書館蔵。写本三冊。嘉永五年、作者が主君に従って、美濃の郡上に行った折りのものである。郡上から筆を起こす。その後、一行と別れて一人で、岐阜に出て大垣を経て京都から舟で大坂に至る。天王寺など見物して、湊川から明石へ行く(以上第一冊、上巻)。明石を見物の後、湊川に戻り、尼崎から奈良へ行き、見物の後、京都へ戻る。遊覧の後、近江へ行き、石山寺、蛍谷を見る(以上第二冊、中巻)。その後、熱田神社や箱根の湯、鎌倉などに立ち寄りつつ、東海道を通って帰る(以上第三冊、下巻)。冒頭に国の成立や、紀行文についての長文の述懐あり。国学者の立場から、紀行を考察している。全体の記述も、国学者風の丁寧な和文で、故事なども、よく引用し考察している。やや平板な印象もあるものの長編の力作であろう。
九条尚忠御来行記 九条尚忠
日本史籍協会刊「九条尚忠文書」二に活字あり。「御東行記」とする。嘉永六年十一月に徳川家定の将軍宣下に参向のため、京から江戸へ下った折の東海道紀行。和歌も多く優雅な和文で記される。後半は和歌が少なく、記述が多い。しかし内容は名所に関する記述や美文の風景描写などで、当時の社会状況などはうかがわれない。なお、同じ「九条尚忠文書」二の中に収録する「桜田一見余聞」中にも、一部分、紀行が存している。桜田門の事件に関する書類中、高橋多一郎父子、金子孫二郎らの日記がそれで、こちらは、より記録的で、旅の実態や時代の反映なども見える。
口まめ草 大原幽学
「大原幽学全集」に翻刻あり。文政九年、三十才の時から、天保十三年、四十六才までの十七年間に、大坂や江戸の近郊、四国、木曽路など、諸国を遊歴した日記である。口まめに和歌や俳句をよんでいるのが、題名の由来という。軽妙な筆致で、旅の実態をよく描く。同行の人々や、茶店の老婆、雲助らとの会話には、しばしば「膝栗毛」風の口語調が交り、「夫れよりひざくり毛の真似して行べしとて、互ひに戯れつ@」などと、各所に同書の影響が強い。
雲鳥日記 春湖・蒼山
豊橋市立図書館蔵。写本一冊。冒頭に「書をよむ事百巻ならずして、たAに風月をあざけるもの二人、冬籠りのつれCBに『奥の細道』を取出て、うたがはしき處々、問も答もするついで、か@る跋渉もまなびみんとおもふこ@ろ起れり」とあるように、「おくの細道」の影響がある。安政二年に名古屋を出発、伊勢参詣をはじめとして、各地を巡る。発句を交えて、記述は比較的、簡単である。九州の部分が、かなり多い。
栗原日記 松涛軒
宮城県立図書館蔵。写本一冊。嘉永二年、東北の松山から、近郊の浜田、登米、栗原、塩釜等を巡った遊覧記である。短い作品であるが、楽しげで、茶店の様子、村人に医者と間違えられて、灸治を施すことなども詳しく記してあって、旅の雰囲気をよく伝える。冒頭に、これは塘翁が秘蔵していた軸物で、書写を許されたが、虫損がひどい旨の、無署名の書入れがある。
月園翁旅日記 源真澄
国会図書館蔵。写本二冊を一冊に合。茶色表紙、右肩白題簽(第一冊は剥落)。11行書、26.1×18.7cm。各冊末尾に、天保十年、景光写の奥書あり。外題「月園翁旅日記」。内題なし。第一冊に「上つふさ日記」7丁、「雨降山の日記」3丁、「上つふさに再遊る日記」25丁、「は@そのしつく」5丁、第二冊に「筑波日記」11丁、「かみつふさにみたび遊る日記」19丁、「杉田日記」12丁、「かみつ総に五たひ遊るにき」7丁を収める。いずれも天保頃の紀行で、和歌も交えるが、少い。国学者風の、丁寧でまじめな紀行。「杉田日記」には、清水浜臣との交流が見える。字は少し、読みにくい。
甲寅紀行 水戸光圀
旧彰考館蔵。「房総叢書」八に一部分、翻刻あり。延宝二年、光圀が四十才の時、史料調査のため、房総から鎌倉へ赴いた紀行という。翻刻分では四月二十二日から五月一日までを日付にしたがって記している。歯切れよい文体で、日々の行動や、寺社をはじめとした土地の古跡について述べる。注によれば、二日に鎌倉に入り、九日に江戸に帰宅している。
弘化乙巳紀行 今井克復
「碧冲堂叢書」65所収。簗瀬一雄氏の解題がある。大坂の総年寄で、中島広足門下の作者が、弘化二年、任地の長崎から大坂に帰る時の紀行。長崎から小倉に赴き、瀬戸内海を船で大坂に至る。短く、和歌が多く、記述は簡単であるが、癖のない穏やかな和文である。広足の添削が多い。
高原院殿尾府御発駕御道之記 徳川春子
鶴舞図書館蔵。写本一冊。寛永十年四月、名古屋から江戸への東海道の旅である。和歌を交えた和文で、短く、記述も簡略である。時代が早いのと、女性であるためとであろうか、旅の辛さを強く感じており、そのような述懐が多い。
甲戌紀行 宝井其角
帝国文庫「続紀行文集」所収。元禄七年、友人達とともに、江戸から東海道を経て、伊勢、紀州、大坂方面を遊覧した時のものだが非常に短く、大半は発句である。ただし、雰囲気は明るく、悲壮感などは見えない。
江左翁記行抄 宝晋斎江左
天理図書館蔵。写本一冊。表紙に「宝晋斎江左翁 洛陽 熱海
麻生 防長 身延山 日光山 佐倉 記行」とある。内容はその通りで、享和元年から、天保三年の間に行った旅行のそれぞれの紀行文である。いずれも比較的短いが、歯切れよい文章で具体的に記していて、注目すべき記事も多い。すべてを書き留めるのではないが記事の選択が巧みであり、詩人の目を感じる。後になるほど句が減って、記述が増える傾向がある。
庚子道の記 武女
帝国文庫「続紀行文集」・有朋堂文庫「日記紀行集」所収。享保五年、名古屋から江戸へ行った、東海道の紀行文。作者は白拍子の類の女性とも言われ、短編だが、和歌や漢詩も交えた流麗な文章で時に笑いもこめながら旅の実態をよく描き、名作として知られる。
庚子游草 永山十兵衛
大阪大学図書館蔵。写本一冊(「癸卯游草」と合)。10行書、25丁。天保十一年、東北方面を巡った時のもので、水戸、仙台、米沢、会津の項目に分かって、土地の風俗や政治法制等について、漢文で記す。日付などは無く、紀行というよりは報告書の体裁であるが、興味深い記事が多い。中表紙題に「肥前永山十兵衛著」とあり。奥書なし。
甲申旅日記 小笠原長保
帝国文庫「続々紀行文集」所収。文政七年、江戸から浦賀へ行った時のもので、東海道の様や、伊豆、鎌倉のことなどが記されている。狂歌めいた歌など交えた明るい雰囲気の中に、寺社の由来、人々の生活、動植物などについても興味を抱いて、細かく記した、内容豊かな作品である。近世紀行の名作の一つといってよい。
高麗渡 藤原忠泰
無窮会図書館神習文庫蔵。写本一冊。秀吉の朝鮮出兵の時のものか。近世の作ではないが、前半は高麗の歴史を紹介、後半は船旅を中心とした従軍記で、当時の武将の心理などがうかがわれる。
心つくし 税所敦子
屋代熊太郎氏注解「心つくし」(泉文社刊)による。嘉永六年、鹿児島藩士の夫、篤之に先立たれた二十八才の作者が、幼い女子を連れて、夫の郷里の鹿児島へ赴く時の紀行文。前半は夫の死と、その後のことが記されている。二月に京都を出発し、駕籠に乗って陸路で中国地方を過ぎ、六月初めに鹿児島に着く。吉備津神社、厳島などに参詣し、山鹿温泉にも興味を示している。それほど珍しい記事はないが、女流紀行らしい、細やかな筆致で、自身の心情や美景の描写を行っている。
こゝろの旅の日記 古軒
内閣文庫蔵。写本「墨海山筆」三六(国書総目録は二四とする)所収。十行書、八丁。作者が和歌を指導していた、准后一品の宮が江戸から京都に移るにあたって、河崎まで見送って別れを惜しむ。それ以後、宮が旅して行く道のさまを、日を追って思い描き、「八日には、ひねもす富士を見給ふべし」「しふしちにちには、せきのむまやにまくらからせ給ひなむ」と、その場の情景に思いをはせて和歌を詠む、変わった形式の紀行文である。当然、記事は常套的で珍しいものはないが、「いでや御かどでのとき御なごりしたひて、そへたてまつりし心の、猶御あたりさらずありなむを、『しぞけ』とも、のたまはで、さいはひにそひたてまつらむは、わが身よりわけしこ@ろながら、へだて@は、またうらやましき物におもはざらんやは」などと末尾に述べる、その心境は興味深い。その後に「此法眼古軒者姓都築氏江府下谷人也 天保七丙申年仲冬上旬写之 梅處閑人旭岱子」と記す。
五種日記 小津久足
無窮会神習文庫蔵。写本一冊。天保七年「真間の口すさみ」、同九年「一時のすさみ」、同十一年「三栗日記」、同十二年「花乃枝折」、同十三年「花衣」を収める。「一時のすさみ」も横滝山の桜を見に行く、花見の記である。いずれも、なだらかな和文で、旅の様子や土地のさま、伝説などについて述べる、明るい雰囲気の長編紀行で、近世紀行文の一典型と言えよう。作者には、他にも紀行文が多く、近世紀行文作家の一人としての、総合的な研究が必要である。
今初の径草 五藤直準
国会図書館「土佐国群書類従・紀行」百五に所収。内題「今初の径草」。10行書、6丁。慶応三年十一月、高知に行った紀行文。「あきの里」を出発して、西浜、新城などを経る。歌が多く、文は少ないが、下田川の乗合舟の描写など、興味を引く記事もある。
胡蝶の日記 白井千代梅
「荘内叢書」第一輯、「荘内女流文集」所収。国学者白井重固の孫娘にあたる作者が、母とともに、鳥海山のあたりから、吹浦の浜を見物に行った時のもの。天保九年、玄斎の序跋がある。和歌を交えて、中途の風景を記しており、風景描写が非常に巧みで美しい。険しい道を登る人足たちの苦労を思いやったりする、細やかさもある。象潟で芭蕉の古跡など身ているのも、資料として珍しかろう。年代は不明だが水無月の旅で、しばしば暑さになやまされている。末尾に、この旅はすべて夢であったと記すのは、あるいは、女性の長旅に対する批判を顧慮してのことか。
小西遊草 細合方明
中野三敏先生蔵。板本一冊。刊記なし。寛政五年四月、備前の河本一阿に誘われて、備前や讃岐を遊覧した時の、漢文紀行。江戸を出発して、大坂で旧知の人々と交流し、船で明石に行き、更に船で岡山や吉備津宮を訪れ、金比羅や屋島にも行く。その後、姫路に戻り一の谷や甲山を巡って大坂に帰る。同じ作者の「喜雨行記」に比すと、記述はかなり詳しく、興味深い記事も多い。また、古戦場をよく見ており、「平家物語」をしばしば引く。
小春紀行 大田南畝
「大田南畝全集」第九巻所収。文化二年十月、長崎から江戸への帰途の記。他の大田南畝紀行と同じく、路傍の風物を細かく観察し平明な和文で記している。神崎や太宰府を経て、小倉から下関へ渡る。その後、珍しく陸路を通って中国地方を通過、大阪から東海道に入って、江戸に帰る。冷水峠、赤間神宮、厳島など詳しい。三巻のうち、主として上巻は九州、中巻は中国、下巻はそれ以後の記事を収める。南畝が、よく注目する、店の看板に関する記述が少ないのは、田舎が多くて看板そのものが無かったためか。東海道、関西では、他の紀行と記事が重複しないよう工夫している。
御入国之記 伊達吉村
宮城県立図書館蔵。写本一冊。宝永元年五月、江戸から領地へ帰国する折りのもの。和歌を交えて、落ち着いた和文で綴る。記述は簡明だが、淡々とした中に、旅の風俗、土地のさまなど、気どらずによく記し、初期の名作といってよい。途中、日光に立ち寄る。また故事や古歌、古戦場にもふれている。
小森政方旅行記並中院通躬卿記御目見之次第 小森政方
無窮会神習文庫蔵。写本一冊。宝永三年四月、藩命による鹿児島から江戸への旅。女房たち六人を連れているのが珍しい。文章はやや古めかしく、記事の量なども全体に統一がない感じもあるが、女性たちに仕えて護りつつの旅の様子がわかる。京都での通躬に和歌の指導をうけた時のさまが非常に詳しく、和歌史の上の一資料ともなろう。奥書によると政方自筆本の後写である。
梧楼日記 江 五郎
「南部叢書」六所収。作者が石巻から江戸へ出て来る、六月三日から七月七日の漢文紀行である。それほど長いものではなく、記述も簡単だが、旅中の出来事や、交流した人名などが明確に綴られている。吉田松陰、宮部鼎蔵との東北旅行の数年後の旅である。
ころも手の日記 斎藤彦麿
無窮会神習文庫蔵。写本一冊。文化七年二月、友人川北常道に誘われて、鹿島、筑波、香取、日光などの遊覧を思いたって、出発する。和歌を交えた平明な和文で、描写は丁寧だが、くどくなく、わかりやすい。同行者のこと、土地の人々のこともよく出る。日光は日数が足りず、行っていない。季鷹、千蔭、春海らの名も出る。「文化七年四月十五日 藤原彦麻呂〔花押〕」の奥書があるが、後世の写である。
(ア行の補)
- 窟屋睨
- 無窮会図書館神習文庫蔵。写本一冊。12行書、26丁。内題は「寛保元年秋茸狩記行」。九月十一日に友人数名とともに、大坂か