授業報告「たどりつく話」

    1・発端

 「たどりつく話」という授業のイメージが生まれたのは、私の家に泊まりに来ていた卒業生が職場の同僚に電話をかけて、約束していたその日の集まりに、間に合うようには行けないということを連絡しているのを、聞くともなしに聞いていたときだった。その卒業生は、人気があって忙しい上に、人が良くつきあいがいいため、いつも約束をしては遅れたり断ったりしていた。私にも会いたがって、よく訪問の約束をするのだが、大抵は行けなくなったと電話がある。ようやく来ると、今度は必ず、その日の夜や次の朝、他の約束を断る電話をよそにしている。
 私もルーズなことでは人後に落ちないから人のことは言えず、また迷ったり困ったりしたあげく、結局約束を反故にする彼女を忙しいのだなと同情したり、かわいいとも思ったりするのだが、それらをいっさい棚に上げて、その朝、彼女の電話を聞いているとき、稲妻のように頭をよぎったのは、「いろいろあるけど要するに、この人はどういう人かというと、決して『たどりつけない人』なのだな」ということばだった。事情はやまほどあるだろう。またそれがいいも悪いもない。とにかく彼女は、ほぼ常に、めざした時間、めざした場所には、たどりつけないようにできている人なのであると。
 その学期、私はもっとまじめで普通な他の授業も計画していた。だが、その朝以来、このことばをテーマに授業をしてみたいという誘惑がしつこくつきまとって、はなれなくなった。「たどりつけない」彼女のような人がいるなら、逆に、常に何としてでも「たどりつく」人もまた存在するにちがいない。その差はどこから生まれるのだろう。そして私はどちらだろう。何が私をたどりつかせ、何が私をたどりつかせなかっただろう。「たどりつく話」といったとき、人は皆、何を連想するのだろう。
 そして私は、誘惑に負けた。(註1)

 註1 ちなみにこの時の彼女に「たどりつく」という語から何を連想するかと聞くと即座に「結婚!」と切実そうに答えた。これはぜひ、たどりついてほしいものである。

    2・準備     

 授業にとりかかる前に、私は資料の収集のつもりで、友人知人など回りの人すべてに、「たどりつく話」と聞いて、どういう話を思い出すか、思い出さないなら自分で作るとしたら、それはどういう筋、あるいは情景かと質問して回った。(これを読んでおられる方も、できたらここで、考えてほしい。)
 私には、考えていくと、かなりさまざまなパターンの話が思いうかんでいた。そして、授業では、その中の一つ「菊花の約(ちぎり)」が入っている「雨月物語」をテキストとして使うことに、だいたいは決めていた。だが、私には想像もつかない答もあることを期待して、たずねて回ったのである。
 孫悟空、母をたずねて三千里、宇宙戦艦ヤマト、走れメロスなど、だいたい私がイメージとして持っていたものと、そう変わらない答が出たが、中に「ロビンソン・クルーソー」と言った男子学生がいた。「ああ、最後に故郷に帰るのね」というと、「いえ、そうじゃありません。難破した船から泳いで島にたどりつくんです。浜べが見えて、ヤシの木が見えて、波うちぎわに泳ぎついて倒れてる男の姿がぱっと目にうかびます、『たどりつく』と聞いたら」という。
 「ずいぶん短い距離ね」と私は言った。「それに、そうすると、それは長い話としたらラストではなく、はじめの方で『たどりつく』場面になるのね」
 「ラストで『たどりつく』という感じはまったくありません」と彼は言った。「つまり、その目の前の島に最終目的はないんです。しかし、さしあたり、とりあえず、そこに上陸しないと死んでしまうので、そこをめざすのですが、そこでゆっくりたべものを見つけて、元気になって、じっくり準備をして本当の目的地をめざすんです」
 私が考えこんでいると彼は、私を混乱させて悪かったと思ったか、今のは自分の個人的イメージだが、もっと客観的な話として作ってみるなら、広い砂漠を旅する旅人だと言い出した。らくだに乗って、ほこりにまみれて、長い苦しい旅をする。あるとき、ついに崖の上から見下ろすと、眼下に、めざしていた町が広がっている。
 「で、その町でくらすの?」私は聞いた。
 「でも、長い間じゃないでしょうね」彼は言った。「そこで準備をして、何かほんとにめざすもののために、また港から船に乗って…」
 「あなた、それは崖が浜べに、町が島に、らくだが船にかわっただけで、さっきとまったく同じじゃないの」私は言ってやった。
 彼はいささかショックをうけたようである。「そうか、僕は結局のところ、とりあえず、さしあたり、で生きているのか」と、しきりにくり返していたが、それはもう、私の知ったことではない。
 もう一つ、私が異和感を抱いたのは、はじめとは別の卒業生の女性が答えた「浦島太郎」だった。
 「その場合、たどりつくのはどこなの?竜宮城?」
 「いやいや、ラストの浜べですね。竜宮城で思う存分楽しいことして、いいことの限りをつくして、玉手箱をあけると一気に老人になってしまう。それがたどりつくということだと思えるんです」
 「じゃあ、たどりつくっていうのに、めでたいとか楽しいとかいうイメージはないわけね?」
 「ないですねえ。そういうことはもうその前に、すべて終わっちゃったあとですね。思う存分、遊んで楽しんで、まあ最後はやっぱりこうなるのだと」
 「浜べのボート」派も、「浦島の玉手箱」派も、聞いていくと、それぞれ他にも一人か二人いた。他に印象に残っているのは、ある男子学生が答えた「何か追いかけて来るものがいて、それから逃げつづける。まちがった道をえらんだら逃げきれない。あれかこれかと迷ったり試したりしながら正しい道をさがして走りつづける」というイメージである。「『風雲たけし城』の見すぎよ」と笑ったのだが、「浜べのボート」派の「さしあたり」思考や、「玉手箱」派の「歓楽尽キテ」思考と同様に、この「追いかけてくるもの」と「選択肢」の存在もまた、私の「たどりつく」というイメージには、まったくなかったものだった。いずれにしても、話しているとこれは奇妙に心理テストじみてきて、各自の人生観までひき出しそうになることがあるのに気づき、その一方で、一つの語の語感というものについての、かなり微妙で精確な国語学的知識も要求されそうなことがわかってきて、授業のやり方はけっこう難しい…というより、結局中途はんぱなものになるしかあるまいと、この時点で既に、覚悟を決めた。

    3・スタート

 授業の題目は一応「国語科教育研究U」ということになっていて、体育系や理科系の学生ばかりの七十人程度の二クラスだった。例年私は、西鶴や芭蕉のような有名な古典をわかりやすく教えることにしている。今回も、秋成の「雨月物語」の概要でも覚えてくれればいいし、古文に少しでも親しみを感じてくれれば更によく、あとは、「たどりつく」という語にもとづいて、ことばのイメージの持つ広さと深さを感じとるのと、「たどりつく話」で、さまざまな文学作品を私が引用するのを聞いて文学一般に興味を抱いてくれれば上々と、まあそのあたりを目標にした。一方で私の方では、とにかく二百人近い、それぞれ異なる個性と経歴の人間が「たどりつく話」と聞いたとき何を連想するかという、純粋なただの好奇心があった。
 テキストは、こういう場合には口語訳がついていて、見た目にきれいな本がいいと思って、旺文社文庫を選んだ。
 最初の時間に授業内容と目標について一応の説明はした。しかし、おそらく実際にやってみないとわからないだろうと思った。私にもわからないのだから。そして一時間目には、とにかく白紙を配布して、自分の思いつく「たどりつく話」を、創作でもいいから記すようにと言い、提出してもらった。学生は皆、相当とまどったり、あきれたりしたようだが、あまり顔には出さなかった。教育大の学生は皆、こういう点は人間ができている。 

     4・脱線

 自分自身が学生に伝えたい「たどりつく話」がかなりいろいろあったので、最初は学生のレポートは、私が参考として見るのみで、授業に使うつもりはなかった。ところが目を通していると、つい使いたい・・・というより、こちらがそれについて何か言いたくなってきた。
 発想として新しいものは特になかった。一対一でじっくり聞いたのとちがって、いきなりレポートで書かされたからかもしれない。あるいは国語科以外の学生なので、いわばそういう文学的なお遊びにとっさについて来そびれたのかもしれない。皆、いろいろと書いていたが、大半はありふれていた。
 ただ逆に、国語科なら出なかったかもしれない傾向があった。一つは「政治家になって世界を支配する」的な野心の達成をあげたものが二、三あったことである。もう一つは、スポーツに関する努力について記したものが圧倒的に多かったことである。そして、このように多くのレポートを読むと、内容とは別に数の多さも一つの印象、説得力として、こちらを動かす。その意味では後者には回答したかったし、前者の野心にもふれたかった。
 そこで次の時間には、政治的野心の達成について記したレポートを読みあげて、「雨月物語」冒頭の一編「白峯」をとりあげた。

 この短編は歴史的事実を基とし、西行と祟徳院の哲学的な問答も多くて難解である。私はそれをすべて省略した。では何も残らなくなるではないかと言われそうだが、要するに天皇継承をめぐって武士も貴族もまきこんだ政争があり、それに敗れた祟徳院は、激しい失意の日々を送り、そこを訪れた西行は、まあいろいろ言っているが要するに、「あなたはまちがった野心を持ったのだからあきらめなさい、その方があなたにとっても幸せなんだから、自分が悪かったと言いなさい」と説得している、それに対して祟徳院は「それはわかっている、自分もそう言いたい、あきらめたい。でもそう言えない、どう考えたって私は悪くない。正しかったのに負けたのだ」と言いつづけている、そういう話なのだと説明した。ついでに言うと、だいたいが人はハッピーエンドや正しい解決を好むから、敗北した人や不幸が重なる人に、何もその原因となることがないと不安で、「前世で悪いことをした」「先祖が悪いことをした」「死後には報われる」というように多くの宗教が説明するのも、やはり何か正しい解決があってほしいと願う、人々の心によるのだろう、しかし私自身はやはり祟徳院のように、納得できない不幸があったら「納得できない」と言いつづけ、「それはあなたに原因がある」と指摘されつづけて苦しくても、やはり、ちがうと思ったらちがうと言いつづけると、ついまた人生論めいてしまった。ただし学生はけっこう思いあたるのか、真剣に聞いていた。つまり祟徳院は、まあ単に位の継承のしかたであるにせよ、正しい政治のあり方を理想に描いて行動し、その目的に「たどりつけなかった」人である。そして彼は、あくまでたどりつこうとするために、人間以外の魔力に身をゆだねるのであると言って、ラストの場面を読み、結末にふれて、歴史的ないわば雑然とした事実の一つ一つがすべて、一人の人間の願望の成就であるという幻想としての解釈がここにあるのだと述べた。学生は、何か面白いことを聞いたがよくわからないといった顔をしていた。私の授業ではよくあることである。ただ少なくとも彼らは「白峯」がむずかしい話とは全然思わなかったと思う。もちろん私のこの「白峯」の解釈も、あるいは幻想としてのそれかもしれないのであるが。
     ※
 次の時間には圧倒的にレポートに多かった「努力」について、やはり「雨月」の中にある、「蛇性の淫(本当は女へんです)」をひきつつ、考えた。
 この作品は真名子という蛇の化身の美しい女性が、豊雄という優しい青年に恋をし、周囲の人々や高僧の力でひきはなされても、くり返しまた接近して彼の心を奪おうとする話である。これもかなり長いのだが「白峯」同様、いくつかの場面をとりあげながら、ごく簡単に紹介した。後に読む「菊花の約」をじっくり進めたかったので、それと区別しておきたかったのである。
 ただし、「蛇性の淫(←女へん)」にふれる前に、学生たちのレポートに数多くあった「努力」ということについてふれた。まず「努力」ということばを好きか嫌いかと挙手でたずね、次に「棚からぼたもち」ということばについて同じ質問をした。それからひとしきり、相当好き勝手なことをしゃべった。
 皆のレポートに、長い苦しい練習をし、努力を重ねて優勝や記録の達成をめざす、というものが多かった。それはそれで立派なことと思う。ただ私のまったく無責任で個人的な感想として、「わあ、これだけ大勢の人にめざされて、じわじわとにじりよられている、優勝カップやゴールのテープは、きつかろうなあ」ということがある。そうやって、ひたむきに努力を重ねて、わき目もふらずににじりよって来られると、私がカップやテープなら、つい逃げ出してしまいたくなる。そして、何の努力もせず、鼻歌まじりに通りかかった人の手に、ひょいと入ってしまいたくなる。
 皆にもそういうことはないであろうか。たとえば「蛇性の淫(←女へん)」の女性は、ひたむきに相手を愛し、決してあきらめないで、つきまとう。この話の場合、本人どうしではなく回りが仲をさいているので、ちょっと別の要素もあるけれど(註2)、こうやって、ひたむきに愛されるのは相当、負担になることがある。
 かつて、私をとても愛して迫ってくれた人がいた。信じられなければ私の友人の話として聞いておけばよい。とにかく、私は決してすきを見せてはいないし、きちんと拒否しているのだが、なお一途に愛を捧げる。そういう人の一人はスポーツをやっており、一人は芸術にたずさわっていた。私は彼らの不屈の努力を見ていて、ああ、こうやってこの人たちは、それぞれの分野で何かをなしとげてきたから、こうやって、あきらめずに全力をかけてがんばっていれば、いつか必ず報われるという確信があるのだろうなあと思った。
 そして猛烈に腹がたった。その時に私は、こういう努力はしょせん怠惰と同じだと思った。そのことがわからないなら、この人たちは絶対に、スポーツも芸術も本当にはわかっていないと思った。だって、本当にスポーツなり芸術なりにすべてを捧げて努力したのなら、努力すれば報われるということではなくて、どんなに努力しても絶対にどうにもならないということが世の中にはあることを、人は必ず悟るはずだ。スポーツや芸術やその他において、死にもの狂いの努力をして得る、本当の成果は、それを悟ることではないのか、と。

     ※
 学生は多分言いたいことがあったと思うが、それよりとにかく驚いたというか、あきれた顔で聞きいっていた。私はそこでまた、黒板に「手をかえ品をかえ」と「ねばり勝ち」という二つのことばを書いて、同じ努力でも前者はまだがまんができるのだが、後者は私は絶対に許せず、何であれ、私に対して「ねばり勝ち」などしようと思う相手には、どんなことでもしてのけていいとさえ思っている、と言って、更に話を続けた。
 かつて、学生運動をしていたことがあり、今も組合活動などで、さまざまな政治闘争などの話を聞くことが多い。その中で昔も今も私が大きらいなのは、たとえば一人の活動家が理屈も何もなしに「ストはやるべきだ」とくり返し言いつづけて、次第に回りを動揺させ、情勢をかえていくというパターンだ。同じことをくり返しつづけ言いつづけることによって、周囲が影響されて変わっていくということはたしかにあるが、私にはそれが、例えこちらに有利な結果になったとしても、勝利ではなく、敗北に思える。
 私は戦争はいやだが、中でもいやなのは、たとえば映画にもあった「二百三高地」のように、くりかえし攻撃をかけて次々に味方を死なせてゆく、そして、いつかは何とかなると思っているやり方だ。最近の映画「ハンバーガー・ヒル」を見ると、アメリカもベトナムで似たことをしていた。日本はかつてアメリカの豊かな資材に大和魂でたちむかおうという精神主義で、あのような無意味な攻撃を重ねて失敗した。しかし、そのときと同じ豊かな物資を投入しまくってアメリカは今回ベトナム戦争を泥沼化させた。物資があれば合理的になれるというものではないらしい。努力という名の怠惰におちいって、ずるずると意味のない誤りをくり返す危険は、精神主義にも物量作戦にも同様にあるというべきなのだろう。

     ※
 しかしながら、これはあくまで私の好みというか傾向である。私に、ねばり強いくり返しによる戦いを行なう気力が不足していることは認めるし、それは私のやはり弱点ではあろう。また無意味な努力が罪悪といったが、たとえば次のような笑い話がある。厭世主義者のカエルと楽天家のカエルが歩いていて、ミルクの樽の中に落ちた。二ひきともしばらくもがいたが、ミルクは深く樽のふちは高く、助かる望みはなかった。厭世主義者のカエルの方は空しい努力をすることをやめて、沈んでいって死んでしまった。しかし楽天家のカエルは何とかなると思ってあきらめず、ただめちゃくちゃにもがきつづけた。しかし、夜も白むころ、とうとう手足の力がつきて、もうだめだと、もがくのをやめた。ところが身体が沈んでいかない。よく見ると何と、巨大なチーズの山の上に乗っていた。
 つまり、そういうこともあるから、空しい努力をつづけることも、いけないとばかりは言えない。
 そう言ってしめくくった。この次の時間に書かせたレポートの中に、いろいろ面白いものもあったが、一つはまじめな清々しい文章で「やはり自分は『努力』が好きである」と書いたもので、正直こちらが襟を正させられるような品格があふれていた。私はそれを皆に紹介し、あえて反論を書いてくれたことに感謝し、その、きちんとした生き方を、評価するというのもおこがましいことではあるのだが、高く評価せざるを得なかった。もう一つは理系の男子学生の、状況による努力の価値の変化といったことについて述べたもので、「もがきつづけたカエルは、ミルクの中に落ちたから助かったのですが、しょう油の中に落ちたのだったら、きっと助からなかったでしょう」と書いていた。これには私は、何がおかしいのかわからないと思いながら、かなり笑ってしまったが、学生たちに紹介すると、やはり皆大笑いした(註3)。

 註2 つまり豊雄自身が真名子といて不幸であったことはないのである。それなら仮に早死しても相手が蛇でもかまわないのではないか、二人で竜の子でも生めばいい、とも考えられる。柳田国男が言うように、動物との婚姻は、異民族や異文化に属する女性とのそれともとれるとすれば、真名子の恋は一つの戦いともとれるのである。

 註3 この学生は私がチーズと言ったのをまちがえてバターと書いていた。私がそのことをからかうと、試験の答案で「チーズには発酵作用が必要であるから、カエルがかきまぜてできたのはやはりバターであろう」と反論が記してあった。

    5・作品講読

 さて、そういうことをいつまでもやっているわけにはいかない。そろそろ「菊花の約」に入ろうと思って、その前にもう一度「たどりつく話」にふれた。
 はじめのレポートを出してもらった時、記述するヒントとして、私はいくつかの質問を出していた。つまり「たどりつく」という語からの連想について、「長い話なら、はじめの方か、終わりの場面か」「目的地に着いて後、ひき返すことはあるか」「道は一すじか、それともいくつもあって迷うか」「道づれはいるか」「ライバルはいるか」「追手がいるか」「目的地にどんなものがあるか」「目的地に誰か待っているか」「出発点に誰か待っているか」などである。
 それを、もう一度考えてもらった。そして、特に私自身の「たどりつく話」のイメージにかかわるのだが、「目的地に誰かが待っているか」ということについて考えてもらった。
 このことをイメージとして持っている学生はあまりいないようだった。前に知人たちに聞いて回ったときも、そのような要素をあげた人はほとんどなく、その少なさに、私は驚いていた。というのは、文学作品などでは、むしろそういうパターンが圧倒的に多い気がしていたからである。私自身の「たどりつく話」のイメージも、ほとんど「そこで待つ人」と結びついていた。だが、私が聞いた多くの人にとって、目的地は、むしろ誰も知人はいない未知の世界だったようである。
 ちょうど休日が近づいていた。「唐突ですが休日の予定は?」と私は学生たちに聞いた。「田舎に帰省する人はいますか?親にそう約束している人?」何人かいたので私はたずねた。「その予定、守れそうですか?」
 皆、またふしぎそうな顔をしていた。私の質問の意図がわからなかったらしい。私も返事を期待していたのではない。

     ※
 私は田舎で育った。母と祖父母との四人暮らしで、都会にいる叔母や叔父が、楽しい雰囲気とみやげを持って訪ねて来てくれるのがいつも非常に楽しみだった。みやげは大したことではない。彼らが来るということが、ある華やかな行事であり、祭りであり、退屈な長い田舎の毎日での胸おどる冒険だった。予定がかわって彼らが来れなくなったときの幼な心の失望を今でも鮮やかに思い出す。
 年老いた祖父母は後に、その頃はもうそれぞれの分野で成功し、第一線で活躍している分忙しくなり、海外や中央で目まぐるしい日々をすごして何年も帰って来ない叔父たちを、じっと待っていた。私はもうその頃、大学や大学院に行って都会に住んでいたから叔父たちの状況も多分よくわかっていた。時代の先端や文化の中心にいると、時間のたつのは恐ろしく速い。日々は戦いの中にすぎ、一分一秒の時間も惜しい。
 しかし、田舎では同じ時が、恐ろしいほど長く、遅く流れる。時代から忘れられたようにそこに残って、たまに訪れ、帰ってくる人をただ待っているだけの者にとっては、更に時間はのろい。
 大庭みな子氏が何かに書いていた、「海外で暮らすと、親戚づきあいなどの縁が切れてわずらわしさから解放されてよい」といった文章を読んだとき、私は妙にひやりとする胸苦しさを味わったものの、しかし大庭氏や、そのように都会や海外に住んで、わずらわしい田舎の血縁関係などを忘れてしまいがちな人々を、私は決して責められない。それが忘れてならないものとは私も考えたくないからだ。私はただ、自分の幼時の記憶と晩年の祖父母の思い出から感じる、あの田舎における圧倒的な時の流れの遅さを忘れられない。あのような、時間がとまり、人々に忘れ去られた地点から、都会を見、文化を見、人々を見る体験を長く持ったことが自分にとってよかったか悪かったか。とにかく、あの実感がなかったら、何を訴えても要求しても理解してもらうことは困難だろう、私だって決して理解しなかっただろうと私は思う。

     ※
 私自身、日々の忙しさの中で、祖父母や母が必要としたとき、決してそばに居なかった。それでも、たとえば入院して、あまり人の見わけもついていないかもしれない祖母に、「今度はクリスマスに来る」と約束したら私は、たとえ事情がどう急変して、会議や論文の〆切があっても、それこそ超人的な悪知恵をしぼってどうにか予定をかいくぐり、やりくって、約束した時間に祖母のベッドのそばに来た。日時やその他に関する判断が祖母の中でもしもおぼろになっているならなおのこと、それを混乱させたくなかった。何よりも病院のベッドの中で、祖母があの、私を待つ長く楽しい恐ろしい時間をすごしているかもしれないと思うと、必ずその時間は、私がそこに現れることで終わらせなければならないと思った。
 行っても何もすることがあるわけではないし、祖母が私をわかっているのかも不確かだったが、別に苦にはならなかった。それは、田舎に帰省して、こたつで母とむだ話をしていても同じだ。たとえば、その間、研究室にいれば良い論文の一つも書け、会議に出て発言すれば私の望む方向に学内情勢を変えることができるかもしれなかったと思っても、それに比べて、その、祖母のベッドのそばで、何をするでもなく、別に話もせずに、ぼんやりとすごす時間が有効でないなどとは、私は少しも感じなかった。それは私が祖父母や母を愛していたということとも少しちがっていたような気がする。それはむしろ私の好んだ生き方だったのかもしれない。

     ※
 大学時代の友人が相手の場合は、同じようなことが、もっと気楽な遊びだった。私は日常、時間にかなりルーズなのだが、忙しい友人と無理な予定の約束をすると、時間通りに行くことが困難なほど、何とかやりくって障害をのりこえ、所定の日時にその場所に到達しようとやっきになった。成功すると一人でひそかに満足し、失敗すると「たどりつけない人になった」とおちこんだ。

     ※
 それらの体験や実感がどれだけ反映しているか、架空の話としても、私の「たどりつく話」には、必ずそこで待つ人がいる。それどころか間に合うように行かなければ、その人は私の敵に殺されてしまう。だから私はそこについたら、どんなに疲れはてていても、敵と戦わなければならない。「アイヴァンホー」の主人公がレベッカを救いに行く話などがあてはまるが、もっと単純に言えば、月光仮面か白馬童子なのだ。もちろん現実には私は誰かを救ったこともなく、戦ったこともないのだが。
 そういう話を学生にした。そして「菊花の約(ちぎり)」を読んだ。

     ※
 赤穴(あかな)宗右衛門は年下の友人丈部(はせべ)左門と「九月九日、重陽の日には帰る」との約束をかわして旅立つが、権力によって遠い城にとめおかれ、間にあうように帰れなくなる。彼は自害し、幽魂となって左門のもとに帰り、事情を説明して消え去る。左門は深く嘆き、赤穴をとめおいた主君の城を訪れ仇を討つ。
 赤穴と左門の関係をはじめ、問題とされる所の多い短編である。一応冒頭から読みすすめ、正確に訳していったが、中心はあくまで、約束を守って赤穴がその日に現れることが二人のそれぞれにとってどのように大切だったかというところにおいた。左門の母が彼をたしなめて言うように、長い道なのだから赤穴だって一日ぐらい遅れることはあるだろうからそんなに心配しないでもよいというのは、健全で正しい常識だが、二人の間でそんなことは通用しない。どのように道が長くても、どのような事情があっても、それでも来るのが赤穴であり、赤穴がそういう人間と知っているのが左門であり、それをまた赤穴も知っている。一日遅れてあらわれたら、それはもう赤穴ではなく、それを赤穴と認める左門ももはや左門ではないのだ。そして赤穴はたしかに左門の思ったとおりの赤穴であったけれど、その意味では互いは変わることも消え去ることもなかったけれど、だからこそ現実には赤穴は死んで消えるしかなかった。
 学生たちは充分に理解できなかったかもしれないが、一応は感動していたようである。だいたい、的確に解釈すれば、けっこう泣くところでは泣いてくれて、名作の偉大さと、人間の素直さを、こもごも感じて驚くことが、授業をしていると、割合に多い。

     ※
 「ところで」と私は言った。「このように、自分を待っている者のところへ、何が何でもたどりつくというのは大変なことではあるけれど、考えようによっては、たしかに待っている者がいることがわかっていたら、まだそれだけ楽だともいえる。」
 そして、映画「人間の条件」で主人公の梶が、戦乱の中で愛妻の美千子が、もういなくなっているかもしれないと思いながら、それでも彼女が待っていることを信じて荒野を歩きつづけて行く話をした。また「犬になりたくなかった犬」という本の中で、飼われていたふくろうが、家主がかわっていると知らないで、長い旅をしてやっと自分の家を見つけ、窓に舞い下りて、撃ち殺された話をした。また、昔バート・ランカスターが主演した「泳ぐひと」という映画で、森の中から海水パンツ一つであらわれた男が道を横ぎり、人家にたちより、さまざまな人とふれあいながら、「プールのある、家族が待つ、自分の邸」をめざしてひたすら歩きつづけ、日ぐれにやっとその家らしきものに着くが、そこは荒れはてていて人影はなく、男は次第に暗くなる中で、玄関のすぐ外の地面にじっとうずくまっているところで終わってしまう、実に見ていてわけもなく落ちこむ話をした。
 「そうなると今度は、待っている人の役割も重要になってくる。たどりつく人がいるためには、待ちつづける人がいることも大事になる。たどりつく話とは、たどりつく人がいると信じて待ちつづける話でもある」
 そして、ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」や、フランス映画「かくも長き不在」にふれたあとで、「雨月物語」の中の「浅茅(あさぢ)が宿」を読んだ。

     ※
 戦乱の続いていた頃、美しくやさしい妻の宮木を故郷に残して商いのために旅にでた勝四郎は、自分の病気やその他のさまざまの事情があって長く家に帰れない。「妻はもう待っていないだろう」と思って、ついつい更に帰宅をのばす。そして長い日々がすぎて帰ってみると、荒れはてた村の、荒れはてた家の中に、やつれきった妻がそれでも自分を待ってくれていた。驚き感動して妻と一夜をあかすけれど、翌朝目がさめると妻の姿はなかった。彼女は既に夫を待ちつづけてその家で死に、霊魂が一夜の契りをかわしたのである。
 これも、はじめから少し時間をかけて読んだ。ただし、この作品では勝四郎の気持ちに重点をおいた。彼は妻を愛していたし、帰りたくなかったのでもない。むしろ一定の時間がすぎてしまったとき、彼の心に生じた恐れは、帰っても、もう村も家も妻も存在しないのではないかということだった。それを見ること、たしかめることの恐ろしさが、あべこべに彼に帰宅を延ばさせる。彼は弱気な男かもしれないが、愛情はむしろ深かったのかもしれない。妻や家の消失を確認するより、幻想の中ででも、存在の可能性を残しておきたいほど、妻を愛していたのだともいえる。それが彼を、たどりつかせぬ人にした。
 学生たちは私の説明をどの程度正確に把握したかはわからない。だが、大筋はつかんでいたと思う。極論を言えば私の話がわからなくてもいいと私は思っていた。私の話と作品とから、何かの印象をつかんだら、それでいいし、それは各自はつかんでいると思った。
 もう残り時間も少なく、そろそろまとめに入る時期だった。だが、この頃になって、少し気になることが出てきた。     

    6・まとめ

 あまり前例のない形式の授業で、やや不安でもあったから、授業中しばしば学生たちにレポートを出させていた。ところが、この段階になると、その中に「たどりつく」という語についての自分の感覚を分析したり、作品に即しての「たどりつく」論を展開するものがけっこう多くなってきた。前述したように、実技系と理系の学生が主で、男女はほぼ半々だったが、特にその傾向に差はなく、全般的にそういったレポートが増えた。
 自分の感情や作品について、そういった理論的な検討や分析をすることを面白がる者が増えてきているようだった。これは私としては喜ぶべきことでもあるのだが、同時にそれを充分に処理して発展させる力量が自分にはないことにいらだつことにもなった。

     ※
 とりわけ私があわてたのは、私自身が考えていなかった「雨月物語」の作品論にもつながりそうなレポートが、しばしば出はじめたことである。もっとも学生たち自身は、自分たちが、そんなものを書いているとは、おそらく思っていなかったろう。彼らは結局、「『菊花の約』の赤穴は、はたして『たどりついた』といえるのか?」「『菊花の約』と『浅茅が宿』のたどりつき方はどこがちがうのか?」「『菊花の約』はハッピーエンドか?作品としては結末にたどりついているか?」といったあたりに、教師の私をさしおいて、勝手に興味を抱きはじめ、あれやこれやとうれしそうに好き放題な分析をしていた。私も似たようなことをしゃべって聞かせていたのだから文句は言えぬが、恐いのは、彼らのそういった分析は、何しろ実感に基き、妙に現実的でもあって、どうかすると、けっこう作品論として体をなしていきそうだった。

     ※
 私は驚いた。実は私はまだ今のところ、秋成も「雨月物語」も把握や理解はできていないと自分で思っている。だから、この授業でも「雨月物語」そのものを理解し、鑑賞しようという気は、まったくなかったのである。むしろ「雨月」をだしにして、「たどりつく話」を考えさせようと思い、単にそういう題材としてしか使う気はなかった。
 だが、ある作品を題材として利用して、あるテーマを考えることは、逆にテーマを煮つめていくとき、実にごく自然なかたちで再び作品の分析に戻ってきて、作品そのものの正確な理解と把握につながらざるを得ないのだ、という事実を、漠然とだが否応なしに、学生たちのレポートから、私は知らされるはめになった。
 そうかといって今さらどうしようもなかった。学生たちが面白がって書いていることの一つ一つをよく整理し、あなたたちが書いている、こういうことがそのまま国文学の研究なのだと教えてやったら、彼らはきっとびっくりしつつ喜んで、そして、まあどうなるかは別にいいが、とにかくそのことを私は彼らに伝える義務があると思った。だが、わかるように話す能力がなく、準備をする時間ももうなかった。私は結局、そのままにした。
 語感の面でも同じだった。予定していた通り、最後の授業で、私は国語学の論文のいくつかにふれ、辞書の作り方などについても話し、「たどりつく」という一つの語をめぐっても、多くの微妙な個人差が出るのは、各自のそれまでの体験も含めて、その語が使用されてきた歴史にもよるといったことなどを説明したが、準備も知識も不足していえて、到底事情を正確に説明できたとは思えない。

     ※
 思いつきと面白半分で私がはじめた授業であったのに、大半の学生が的確に、国語学と国文学の専門的な分野にまで、それと知らずに近づいて、ほとんどふみこみかけていた。そのことを私は彼らに告げてやることができず、それ以上ふみこむきっかけを与えてやることができなかった。私は結局、半年間の授業で学生たちに追いこされたのである。だが、そのことにも彼らは気づいていないだろう。    

    7・試験 試験は、現代語訳や漢字の読みを問う筆記試験であったが、「『たどりつく話』について論述せよ」という大きな問題に六〇点の配点をしたため、結局、ほぼ全員が合格した。不必要に甘い点はつけていないのだが、そうなった。おかげでその後数年間、「単位をくれる先生」という噂がたって、受講生が増えて往生した。なめられているということもあるが、後輩にあの先生のをうけてみろとすすめるとき、「単位はくれる」と言ってしまう傾向も作用しているのだろうと思う。
 答案のいくつかを紹介しておこう。ただ、どの答案も非常に長いので、いずれも一部を抜粋する。

     ※
 「私がはじめて『たどりつく話』という課題を与えられて作ったストーリーは未完成のままだったが(略)この場合『たどりつく』というのを、もといた場所にもどる、という解釈で私はとらえ、話をふくらませた。しかし講義の際、『たどりつく』話の構成を『主人公は一人か、複数か』(略)などなど数々の視点で分類する機会をもち、私は驚いた。(略)先生の質問に挙手で答える学生側の、話、すなわち解釈の多様さ、またその視点の発想には感動にも値するほどである。」(体育科 女性)
 「『たどりつく話』についての自分のイメージは、この授業をうける前(前半)は、誰かある目的をはたすためにいろいろ苦労しながらその場所にたどりつき『めでたしめでたし』で終るという感じを持っていた。しかし、この授業で『雨月物語』を読み、他の人の『たどりつく話』のイメージを聞いてから、ちょっと変わってきた。(略)今となっては、たどりつくためには、どんな手段も選ばず、たとえ友達や親を殺してまでもその目的を果たすといった、ドロドロとしたイメージも生まれてきたようだ。こんなイメージは、もしかしたら、昔からもっていたのかもしれない。でも、自分のどこかで、そのドロドロとしたイメージを認めたくなかったのだろう。」(体育科 男性)
 「『雨月物語』を授業で学んで『たどりつく』とは『何かを手に入れる』ということだけではなくて『自分を待つ人のためにそこにたどりつく』ということがあることを知った。(略)この試験にも出ている『菊花の約』は、授業でした『雨月物語』の中の4つの作品の中で最も好きな話だ。私は今まで『たどりつく』とは『手に入れる』ことと私利私欲のことばかり考えていて恥ずかしくなった。『菊花の約』のような話を知ることができてよかったと思った。(本当に素直にそう思いました。)」(数学科 女性)
 「講義でみんなの『たどりつく話』を聞いてなるほどと思った。(略)似ているようでそれぞれいろんなことを考えているんだなと思ってきいていると楽しかった。(略)最初のレポートで私が考えたものと、みんなが考えたものがちがっていたと二回目のレポートで述べた。その違いが今、わかった。みんなが考えたのはスタートがあってどこかにたどりつくのがほとんどである。(そこがゴールなのかはわからないが) ○←start(1図)しかし、私が考えたのはいろいろなことをしてもあるところに帰着するという意味での『たどりつく』なのである。→○←(2図。実際の答案の図ではもっと四方八方からの矢印が○に集中しているのだが、パソコン画面で表示できないで、このようになっている)」(数学科 女性)
 「人それぞれの『たどりつく話』を聞くと、実にいろいろとあっておもしろい。どうして、こんなにたくさんの話がでてくるのかと不思議におもったこともあった。しかし、最後の授業で『たどりつく』という言葉のニュアンスの受けとめかたのちがいだということがわかり納得した。」(肢体不自由児科 女性)

     ※
 「しかし、物語又は話自体が『たどりつく話』ではないかと最近思う。あたりまえであるが、どんな話でも、初めがあって終りがある。様々な出来事があって最後は何らかの形で終結する。何かから始まって結局は何かの出来事にたどりつく。途中で終ってしまう話はない。全くないとは言えないかもしれない。ある作家が途中で話を切って売り出したとしたらそれは『たどりつく話』ではなくなってしまうだろう。しかし、そのような作品は、売り出されることはまずないだろうし、途中までの話をつくる作家もいないだろう。結局現在私達が一般に読むことができる話や物語は、何らかの形できちんと終っている(あることにたどりついている)ので、すべての話、物語が『たどりつく話』であろう。『たどりつかない話』などは、一般には存在しないと私は思う。(註4)」(体育科 男性)
 「宗右衛門は左門との約束を守ったということを左門と確認しあえた。私は『たどりつく話』で絶対必要な条件というのは、たどりついたことをその相手と確認し合うことだと思う。その先、どのように不幸になろうとそんなことはあまり関係のないことであると思う。とにかく、ここまで来たのだ、ということをその相手に伝え、相手が『よくここまで来てくれた』と喜んだ時点でたどりつく話というのは成立するという感じがする。だから私は『浅茅が宿』は、たどりつく話とは、ほど遠い話であると思う。」(数学科 女性)
 「どちらも人間とそうでないものとが待ちつ待たれつして再会に至っているわけだが、『浅茅が宿』の場合、勝四郎は、たどりついたとはいえないという気がする。それは『たどりつく話』を自分を待つ人がいて、その人は自分が行かなければ崩壊してしまうというような意味で考えると勝四郎は結局、生きた宮木と会えなかったのであって、もう宮木は死んでしまっていたのだ。つまりたどりつけなかったということになる。(あえて言わせてもらえばここでたどりついたのは宮木の方だったのではないか、というようにも思える。)一方の『菊花の約』では赤穴も人間ではなかったのだが、それは待っている左門に会おうとして自分で死んだのであって、その結果、赤穴は生きている左門に約束通り再会しているのである。これは『たどりついた』といえるのではないだろうか。」(数学科 女性)
 「次に『浅茅ヶ宿』そして『菊花の約』について、これらは私なりの『たどりつく論』から見れば同じような結末であり、また、きちんと『たどりついた』話だと思う。(略)他の人に言わせれば『死んでどうなる』とか『死んでしまったのだから、これこそたどりつかなかったことではないか』ということになるかもしれない。しかし、私としては、宮木も赤穴も死ぬ寸前までは『くやしい』とか『たどりつかなかった』と思ったであろう。だが、そんな二人も死んではいるものの、霊となって、恋しい人に再会し、その思いを告げることができた。そして、成仏したことだろうと思う。また、そんな憐れな姿を見た勝四郎や左門も後悔の念はあるものの、心のうちには、相手をそれまで以上に思いやるやさしい心、つまりは人間への優しさ、いとしさ等、心休まる気持も生まれたことだと思う。『たどりつく』には『死』というものはそれほど重要ではないと思う。」(数学科 女性)
 「前回のレポートでは『ハッピー・エンド』でなければ、たどりついていないということを書いたのですが(略)自分の考えに多少修正がいるかもしれないと、近頃考えだしたのです。それは『白峰』を読んでいると、崇徳院は死後、鬼と化したにもかかわらず、彼の願いはすべてかなえられています。ところが、この話、全くハッピー・エンドではありませんネ。先生は授業中たしかこの話はたどりついていないのでは・・・というふうに話されたと思いますが、これほど一人の願望が恐ろしい形をとりながらも、完全に達成されたのならば、たどりついているのではないかと思いだしたのです。そこで、たどりつくということは『願いが最大限にかなえられること』ということに定義しなおそうと思います。そしてハッピー・エンドというものは、願いが最大限にかなえられるときの一つの場面にすぎないと思い出しました。(略)そして、この意味で白峰の崇徳院は(ハッピー・エンドでない形で)たどりついていると思います。(略)因に僕は『白峰』が一番好きです。おまけに言うと『貧富論』だったかな、(一番最後の話)。ありゃいったい何なのだ。国語のよわい私には、何がすばらしいのかさっぱりわかりません。秋成も間がぬけて、つまらんことを書いたかな、ぐらいにしか思えないのですが?」(数学科 男性)
 「確かに、真名子さんほど執念深く努力を続けることは、私もちょっとどうかと思うのですが、結局一番の原因は豊雄にあったのに、何の報いもうけることなく長生きしたのかと考えると、ものすごく腹が立ちます。そういう意味で『吉備津の釜』の話は好きです。あのように真名子さんにも豊雄にたどり着かせてほしかったのですが、残念です。」(数学科 女性)
 「今年の四月にはある学校の先生としてK市に帰らなければならない私は、大学に来て長年つきあってきたある女性と離ればなれになってしまうのです。まだまだK市につれて帰る自信も何もなく、又彼女も来れない事情があり、残りわずかのタイムリミットを残すのみとなっているのです。離れてしまえばお互いに違った環境の生活の中で新しい生活を迎えることになるのです。こんな状況の中での私にとってこの女性と私がこの先どのように『たどりつく』のかという未来の話は、かなり興味深いものでした。特に雨月物語の中の『浅茅が宿』などは興味深く読んでいました。相手のことを思って『待ち続ける』ということは、やはり並たいていの努力ではできないでしょう。初任者で仕事になれない苦労の中で私も勝四郎のようになるのではないのか、又相手の女性も宮木のように一途に待てるのだろうかといった不安は、やはり心の中にあります。又、お互いに色々の苦労をしていく中で結局は一緒になるのだろうかといった期待ももっています。しかし、先輩達の卒業後の離ればなれの数々の例をみてみると大半は『別れる』ということにたどりついているようです。(註5)今は、このように色々な形ではいってくる情報に少し敏感になり、どのように将来たどりつくのかと考えているところです。二人で一緒にいる時も最近はこのようなことを考えてしまって、かえって一緒にいることが苦痛になることがしばしばあります。これは宮木が勝四郎に対してずっと感じ続けた『待つ』苦しみとあい通づるところがあるのでしょうか。相手の女性もふと将来について話すときなど『こんなになるのだったら二人が会わなければ良かった』などと勝手なことを言っていますが、やはり私同様『たどりつく』ということに不安を持っているようです。しかしこれを大きく考えていくと、人間が誰かとかかわっていく中でその人と深くつきあえばつきあうほどその人とどう『たどりつく』のかという課題はつきまとうのではないでしょうか。又、もっと大きく考えると人間は生れてきたからにはどのように『たどりつく』のかといった課題を持っているのかもしれません。こうして『たどりつく話』について考えれば考える程結論はでません。しかし、考えて行動して考えて行動していくうちに、その場その場、その時その時の状況がその人にとって『たどりついている時、場所』ではないかとも思えます。非常に簡単で難しい問題です。今後、色々な状況、場面の中で『あっ、昔はこんな風に考えていたが今はこんなになっているなあ』と感じる時があればそれがひとまず『たどりついている話』なのかもしれません。」(体育科 男性)
 このような答案を見ていると、当初の目的であった、「雨月物語」にふれて古典に親しみを持つということでは、授業でとりあげなかった作品を読んでいる者も多く、また「たどりつく」という語の広さや深さを感じとることも一応はなされているようである。しかし、前章であげたような問題はなお依然として残るであろう。

 註4 この答案もそうだが、一つの傾向として出てきたのは、小説における時間の構造と「たどりつく話」を結びつけて考えるものである。ミュア「小説の構造」で性格小説、劇的小説、年代記小説と分類して小説を検討したような観点に近づくレポートが多かった。この方向に授業をもってゆくことも時間が許せば可能であったと思う。

 註5 これは私も知っている。本学は田舎にあり、都会に就職した者が在学中の恋人を訪ねてくる内、忙しさの中で遠ざかり、どちらかに新しい恋人ができるといった例をよく見聞した。一方のクラスではそのことも例にひいて話したのだが時間の関係でこの学生のいるクラスでは話していなかった。それでもそれを連想したらしい。なおこの学生は体育科で入試にも、それ以後も古文の試験はなく勉強する機会も必要もないはずであるのに、彼は『浅茅が宿』の勝四郎と宮木の会話の現代語訳を複雑な掛詞も含めてすべて正確に訳し、高い点数を取っていた。


 この授業は昭和六二年度後期に福岡教育大学で行なったものである。なお授業中にとりあげた作品には文中に引用した他に、ソビエト映画「誓いの休暇」、フランス映画「あの胸にもう一度」、その他多くがあったが割愛した。

(一九八九年四月五日)

その他へ