授業報告「尺には尺を」5時間目

8 おまえの言うことは、常識では頭から疑われよう、だが頭を切りかえれば、一理あると信じられよう。
(「終わりよければすべてよし」)

 五時間目には、口頭で述べたこともあったし、資料にして配付したこともあったが、イザベラの論理と行動を理解するための考え方として、次のような私の意見を述べた。

(配付資料)
1・イザベラは兄を救うためならアンジェロと寝てやってもいいのに、と思う人へ
 その場合、特に日本では伝統的な「女の人が男のために犠牲になるのはかまわない」とか「女が力づくで男の性的な欲望の対象にされるのは当然」という考え方に影響されているかどうかをチェックしてほしい。そのめやすとして「クロ−ディオがイザベラの立場で妹の命を救うためなら、好きでもない女性の権力者か、それともホモセクシュアルの男性の権力者から『自分と寝ろ』と言われたら、やはり応じるべきと思うか」ということを考える。

2・イザベラは修道女だし、潔癖で処女を捨てるのが嫌なのだろう、と思う人へ

 それもあると思うが、たとえ処女でない人でも、大勢の男性と寝ている人でも、嫌な相手から権力や金力や腕力で力まかせに迫られる肉体関係など絶対にごめんだ、という人もいるはずである。私などは、嫌いな人には笑顔を見せるのも嫌である。私の中に人を幸せにするものが何かあるとしたら、それは私の愛する人たちにだけ与えたい。力づくで求める人には決して与えたりしない。

3・アンジェロがけっこう好きだから、寝てもいい気がする、という人へ

 私もアンジェロは好きである。だから、なおのこと私がイザベラなら、この要求には応じない。このようなやり方で愛するものが手に入る、とか、権力をこのように使っても誰も逆らわない、とかいうことを、アンジェロに思い込ませてしまったら、彼はめちゃくちゃな暴君になるだろう。他の人を苦しめ、最後は自分も破滅する。王様とか親とか上司とか先生とか政治家とか、すべて人の上にたつ人は、目下の人を教育するだけではない。家来や子どもや部下や生徒や国民から教育されて、立派にもなり、駄目にもなる。目上の人がまちがったことをした時、抗議したり反抗したり忠告したりしてちゃんと罰を与える目下の人がいなかったら、目上の人は駄目になる。アンジェロがどうなってもいいと思うならまだしも、彼を少しでも好きなら、こんな状況では私は絶対彼と寝ない。

4・ガキっぽいことは言わずにわりきって、アンジェロと寝よう、という人へ

 それも一つの考え方だが、せっかくク−ルになるのなら、もうひとつついでに、アンジェロと寝てやったとしても、彼は取り引きを守ってくれるか?ということをじっくり検討してみてほしい。こういった裏取り引きは、そういう点での保障は何もない。アンジェロはまじめだが、すでに法を破っている。そういう人に約束を守る可能性があるだろうか?そこを検討してみること。

5・人の命を救うためなら、どんなこともするべきだ、という人へ

 それは正しい、大切な考えである。ただ、そういう考えの人に注意しておいてほしいことがある。命が何より大切、ということが、時々、命があるなら他のことに我慢しろ、という考えにすりかえられることがある。島原の災害で仮設住宅暮らしを長くしている人が「死んだ人のことを思えば私たちは幸福です」と言っていた。その人たちがそういうのは美しい心だが、聞いている私たちが、それに賛成してはならない。不便で苦しい仮設住宅暮らしから、その人たちを一日も早く救ってあげることを真剣に考えるべきだ。人間はむろん、生きなければいけない。しかし、ただ生きるのではなく、幸福に、豊かに、誇りをもって、健康に生きなければいけない。命のためならと他のものを捨てることを、簡単に認めてならないのだ。どちらも守り抜く方法を、ぎりぎりまで考えるべきだ。

6・イザベラの死に対する考え方についていけない、という人へ

 仏教にしろキリスト教にしろ、宗教の多くは死をおそれない。それがいずれは皆死ぬと決まっている私たちの心を救うことにもなる。また、宗教や思想は、正しいと信じたことを守るためには、自分はもとより愛する家族や恋人が殺されることにもひるまない強さを人々に与える。それは時々不気味にも見える。しかし、そのような厳しさや強さによって正しいことが守られてきたこともある。

追加・「嫌いな人には笑いたくもない」ということについて。

 「キャッチ22」という小説の中で、不正の限りをつくして来た上官が、それにあくまで抵抗した部下に、さまざまな有利な交換条件を出して、そのかわりにただ「好意を持ってくれ」ということを頼む場面がある。許せないことをしている相手に対して「好きにならない」「好意を示さない」ということは最後の、そして最強の抵抗であることもある。
 命と誇りのどちらが大事かは、人さまざまで、一方を責めるべきではない。一番悪いのは、どちらかを捨てさせるようにしむけた人。男でも女でもレイプされかけた人が、抵抗して殺されるか、されるままになって生き延びるかは、その人の勝手で、他人があれこれ言うのは大きなお世話である。一番悪いのはレイプする人なのだから。
 クロ−ディオの命のためには、イザベラの貞操は捨ててよいと思う人は、これと対照的な例として、戦争の時、いつも男性だけが、国や女性を守るためという理由で、死にに行かされることについても考えてみるべき。このような常識にもとづく役割分担に残酷さはないかどうかも。クロ−ディオのように「頼む、生きたいのだ」と言ったら、イザベラのようにののしられるだろうと思って、本心を言えないまま戦争に行った男性も多いのではないか。私が男性なら、どんな愛する女性のためでも、そう簡単に死にたくはないし、人も殺したくない。それを口に出して言う勇気があるかどうかはともかくとして。
 ただし、「別に賛成する必要はない」と強調し、反論があればいくらでもレポ−トで記すようにと言った。もし反論があれば紹介して討論を深める予定だったが、これまでのところ、納得したのか迫力負けしたのか、「たしかに、自分の属していたスポ−ツ系のサ−クルでも、下級生として率直に意見を述べて議論した時の方がいい成績になり、黙って上級生の言うなりになっていた時はチ−ムも負けてしまった」と3に同調したり、「島原の災害について、自分たちがどうかしなければというような考え方はしたことがなかったのでびっくりした」と5について述べたりするものがあっても(いずれも東海短大)、明確な反対意見というのは出ていない。「イザベラを理解し、この劇を面白く読むための一手段として」のような感じで聞いたり読んだりするせいかも知れない。
 次は、この配付資料の1の点についての学生たちのレポ−トをまとめたものである。

配付資料の項目1に関するレポ−トより。

1・男と女では、話がちがうので・・・という意見
「クロ−ディオがイザベラの立場でイザベラのようにふるまってしまうという事はありえる事ではないと思います。いくら、イヤな相手でも、やはり男の人と女の人の立場というのは違うので、クロ−ディオがイザベラの為にイヤな相手とねるということを頼まれれば男であるクロ−ディオは簡単にねることができると思います。」
「しかし権力者が女性で誘われたとしたらクロ−ディオは悩んだりするだろうか?私の友人で『女の人のちかんがいたら会ってみたい。得した気分になるもん』と言っていた男の子がいたけれど、クロ−ディオも即OKしそうな気がしてならなかった。」
「『ホモセクシュアル』の権力者にせまられるクロ−ディオというのも想像するだけで楽しくなるが、その場合『自分の命を捨てる方がましだ』と嘆いているかもしれない。」
「イザベラとクロ−ディオの立場が逆だったら、クロ−ディオはすごく悩むと思うけど、結局は、言う事を聞くと思います。(略)クロ−ディオは、言う事を聞いてしまうと、ずっと苦しんで生きて行くことになると思う。でも、『男の人』だし、強く生きていけると思う。」

2・クロ−ディオは、命を貞操より優先する人だから・・・という意見

「クロ−ディオが女の人だったら、きっと寝ると思う。彼は自分の命が助かるかもしれないと思ったら、妹のからだを犠牲にしてもかまわないと思った人なのだ。もし、クロ−ディオが女の人だとしても、そういうことはあまり問題にしないと思う。きっと兄のために自分を捧げようと思うのではないかと思う。」
「もし相手がホモであっても、クロ−ディオは妹を助けると思う。クロ−ディオはそれくらい命を大事にする人であると思う。」
「私が思うには、クロ−ディオとイザベラの性格は違うので、立場が逆転した場合、クロ−ディオだったら兄妹のために体をはって助けてくれる人だと思うのである。」
「クロ−ディオが逆なら、イザベラを助けるためにクロ−ディオはどうするか。もし私なら騎士道精神、武士道的な発想で私なら妹を助けるであろう。やはり自分の妹であるからたとえ、ホモセクシュアルであっても、とってもすっごく嫌だけれども、私なら助ける。助け出したあと、妹に『兄さんありがとう』とでも言われたら、それだけで、自分の行為に胸をはっていけると思う。しかし妹(もしくは弟でも可)を愛していなかったら好きでもなんでもない妹のためにホモと寝るのは、はっきり言って嫌です。話がそれました。
 私は、クロ−ディオなら、妹のために、なんとかしてくれると思う。クロ−ディオは妹のような宗教的拘束はない訳だから、彼は自分の信念で生きられるのだから、クロ−ディオなら、自己犠牲をするであろう。」(ル−シオ役や女役を朗読して、人気があった男子学生のレポ−トである。)
「クロ−ディオがイザベラの立場であったならだが、私が思うに、クロ−ディオは、たぶんイザベラを助けただろう。クロ−ディオの性格から見て、イザベラと逆の立場なら、クロ−ディオは楽観的だから正義感あふれて自分をすててまでもイザベラを助けただろう。イザベラは、もしアンジェロとねた場合、その後、生きていけないだろう。その点、クロ−ディオは、あれは一夜のあやまちだったと思い、その後、楽しく生きていけるだろう。まぁ、かたいイザベラだったから、アンジェロが、ほれたのは、無理もないが、その点、クロ−ディオだったら、万が一にも、アンジェロがクロ−ディオにほれることはなかっただろう。」 「妹の命を守る為にクロ−ディオが権力者の女性から『自分と寝ろ』と言われたら、応じると思う。クロ−ディオはイザベラとちがって情けがあり、『妹を守る』ことだけを願って寝てしまうだろう。(略)クロ−ディオは『寝なければ助けられなかったんだ』と強く自分に言い聞かせ、しかたなくではあるけれど誇りを持って生きてゆくと思う。」
「クロ−ディオがイザベラの立場であったら、イザベラは、自分の考えを通したが、クロ−ディオは、考えをまげると思う。クロ−ディオには、ジュリエットという恋人がいるけれども、もし命令した人が、とてもきれいな女性だったら言うことを聞きそうな気がします。だけど、もし、命令した人が、男の人で、とてもクロ−ディオにできそうもない命令だったらことわりそうな気もします。(略)イザベラも自分の考えをまげそうもないけれど、クロ−ディオも妹のために、そこまでしそうもないような気がします。」

3・クロ−ディオは何よりも自分が大切な人だから・・・という意見

「クロ−ディオがイザベラの立場だったら、アンジェロのような人(男でも女でも)と関係をもつというような勇気は絶対ないと思う。妹にこのような事をさせてまで命を助かろうと思ったり、今までの行動などからも、何をするのにも勇気が全くないように感じられる。このような事で死ななければいけなくなってしまった事に納得いかない気持ちはわかるけど、だんだん、自分の命が一番大事という気持ちだけが強くなってきているような気がする。」
「クロ−ディオがイザベラの立場であったら、クロ−ディオは、妹の命を救うために自分の体を汚すことはしないと思います。女の人が犠牲になるというのは別にこれといって問題ではないように思われているのに対して、男の人が犠牲になるという考え方(この犠牲というのは性的なことです。戦争に行く時の男性の考え方とは別です)は、一般的ではなかったので、クロ−ディオは、きっと悩むには悩むけど、それを実行することはできないだろうと思います。」
「それにクロ−ディオという男は、妹に自分の命のためにアンジェロと寝てくれとたのむようなはくじょうなヤツなので、自分を犠牲にしてまでも妹をたすけようとはしないだろう。クロ−ディオという人は、とても弱い人だと思います。愛する女性のためなら死ぬこともできるという男性もいると思いますが、クロ−ディオは命も大事だけど、誇りも捨てることができない人だと思います。」
「クロ−ディオはイザベラの立場になっても、日本男性に多い『権力を誇示』するような人なのでプライドを傷つけられるような行動はしないのではないか。」
「イザベラは心から全ての命というものを大切にしようと考えているがクロ−ディオは、『自分自身』の命が大切なのであって全ての命が大切なわけではないと心の奥で考えているのだと思う。」
「クロ−ディオはかなり自分勝手な人間だと思う。おそらくクロ−ディオがイザベラだったら、やはりアンジェロとは寝たくないと言い出すのではないだろうか。(略)僕が女ならアンジェロとは絶対寝たくない。」
「クロ−ディオがイザベラの立場だったら命をささげてまで守りぬくなんてそんなの、できないと思う。」
「俺もホモと一夜をともにするのは絶対にいやだと思う。先生の意見と同じだけど俺も、上司の女と関係をもつのはゴメンだ。」
「自分は男なので女のそのような立場はよく解からないが、自分が女のその立場に立たせられたのなら、絶対に体をゆるさない。まして好きでもない異性と寝るとなったら、なおさら拒否するだろう。」
(以上東海短大)

(ここまで来ると調子に乗ってというか泥沼にはまってというか、私は一度、次のような資料まで配ってしまったことがある。  

−私の意見の追加−

 あまり、自分の個人的な好みとか生き方を、こういう授業でしゃべるのは、いい趣味じゃないと思うけれど、「嫌いな人の前では笑いたくもない」ということについて、やはりもう少し補充しておきたい。
「同感だ。私もそうである」という意見の人もけっこう多くて、それはまあいいけれど、そういう生き方には、やはりそれなりの守るべきル−ルのようなものがあると思う。参考までに、私の憎み方や愛し方を少し説明しておく。決して私のこれだけが正しいとか最高とか考えているのではないが。
〔その一〕話をややこしくして悪いけれど、私は本当に嫌いというか許せないと思った人には、私の憎しみさえも与えるのはもったいないと思っている。だから、そういう人の前では冷たい態度さえとらない。具体的に言うと、笑いもするし愛想もいい。別に意地悪もしない。その人が幸福になろうが不幸になろうが、いっさい何の関心もない。その人が生きていてもいなくても、私には何の変わりもないし、何の意味もない。何をその人がしようと言おうと、まったく気にならないし腹もたたない。自分がその人をどう思っているかを知らせようとも思わない。これが、私が最も人を見限ったときにする反応である。 〔その二〕そこまでは見限ってない人の場合には、私は貴重な時間とエネルギ−を費やして、ちゃんとその人を憎んであげる。そのことを相手にわからせる。でも、その場合、私が守るル−ルの一つは、周囲や他人にはそれを気づかせないことだ。私は見限っている人や憎んでいる人の悪口は決して他人には言わない。その人について何か意見を求められたら、どちらかというとほめる。ル−ルのもう一つは、その人に対する礼儀作法は守るし、してあげなければならないことは完全に皆してあげるということだ。嫌いな相手に対するほど、私は礼儀正しく親切にきちんとふるまう。迷惑はかけないし、なれなれしくしないし、すきを見せない。つっけんどんな態度や、みえすいた意地悪は子どもっぽいし、いいかえればそれだけ相手に甘えていることにもなる。私に憎まれることによって仕事の上や日常生活でその人が絶対に何も損はしないようにする。だから私を好きでない人の場合には、私から憎まれても痛くもかゆくもないはずである。私が甘えたり弱みを見せたりしなかったら淋しくて悲しくて不幸になるという人が相手の場合にしか、この方法は相手を傷つけない。それでよいというか、それが肝心だと私は思っている。
〔その三〕私がこうして誰かを見限ったり憎んだりするようになるまでは、とても長い年月と深いつきあいが必要である。十年以上つきあっても、いっしょに暮らしても寝ても、家族や親友でさえ、私は相手をまだよく知らないと思うことが多い。そう思っている間は私はその人を嫌ったり憎んだり見限ったりすることはない。いいかえれば、相当深くつきあわない限り、私にしんから嫌われることはない。
〔その四〕私は前回の授業で「嫌いな人の前では笑うのも嫌」と言った。また、『キャッチ22』という小説の中で、卑劣なことばかりした上官が、それに反抗する部下にとうとう負けて、取り引きを申し出た時、部下にすごく有利な条件を出して、「そのかわりには何もいらないから自分に好意を持ってくれ」と言った話を紹介した。私が言いたかったのは多分次のようなことである。
 人は皆、どんな人でも絶対に、他人や周囲を幸福にする能力を持っている。それは大変貴重なものだ。だから、それを大切にしなければならない。力づくで奪おうとしたり、粗末に扱ったりする人の手に渡してはならないし、お金とか出世とか誇りとか命とかとひきかえにしてしまってはいけない。どちらが大事とかいう問題ではない。それは何かとひきかえにするようなものではないのである。何かとひきかえに、それをあなたに要求する人がいたら、その人はまちがっているのである。何かとひきかえに与えても、それは本物ではない。うけとった方も与えた方も幸福にはなれない。
〔その五〕その能力は誰でも持てるし、いろんなかたちがあるだろう。人の目を楽しませるような美しい外見とか、皆を楽しませる話し方とか、正しい判断、豊かな知識、手先の器用さ、力の強さ、ありとあらゆるものがある。やさしい言葉や、明るい笑顔。抱き合って性的な喜びを与えることもあるだろう。そして、そういう能力は、やはり自分で努力して作っていかないと弱まって消えてしまう。いつも自分で磨いて育てなければならない。それとひきかえに何かを得て、自分が幸福になるためにではない。自分が幸福にしたい人たちのために、強制もされず、報酬も求めず、ただ、自分がそうしたいからというだけの理由で、その能力を思いっきり使うことができるために、磨くのである。自分では一生懸命そうしたつもりでも、それが相手には迷惑になったりすることがないように、本当に相手を喜ばせることができるように、その能力を本物にしておくのである。
〔その六〕その能力は、そうしたい相手に直接使うのでなければ意味がない。たとえば、私がその能力を使いたくない相手(権力者など)に使って、その相手が、私がその能力を使いたかった人(恋人、親友、家族)を幸福にしてくれたとしても、それは私がその人たちを幸福にしたのではない。私が幸福にしたのは、権力者である。私の恋人や親友や家族を幸福にしたのは、権力者である。どちらの関係にも屈辱がつきまとい、誰もが決して本当には幸福にならない。ある意味では、権力者が一番不幸である。
 現実には、どうしようもなくて、力を持っている人の望みのままになって、愛する者を救うという場合はありうると思う。しかし、それはもう、とりひきでありかけひきであって、誰かを幸福にするとか愛するとかいうことばとは、関係のないできごとである。
〔その七〕私は相手が男でも女でも、また自分が男でもホモセクシュアルであったとしても、力づくの愛だけは得たくない。何かで相手を縛ったら、相手が本当に自分を愛しているのかどうかが、わからなくなる。愛や人間関係には、どうしてもそういう束縛やかけひきは完全にはなくせないけれど、できるかぎりは少なくしたい。権力や金や暴力を使わなくても、愛してほしい相手が自分を愛してくれる、という快感は一度知ったら忘れられない。その快感を知らないのは悲劇である。その意味では強姦などは、された方よりした方が被害者である。そういう関係のしかたでしか、性や愛を味わえず理解できなくなることは、とりかえしのつかない損失である。
〔その八〕原則として私は、自分の憎しみがどんなに激しくても、それを相手には見せない。相手が私を嫌っていて、憎しみを見せていてもである。人の気持ちは変わりやすい。どんなに激しい嫌悪や憎しみも何かのはずみに消えることがある。その時、それまでに自分が憎しみをあらわにして相手を傷つけていたら、もうとりかえしがつかなくなってしまうことがある。自分の嫌悪や憎しみはもう消えていても、それが相手に残した傷は決して消えないということがある。今は消せないけれど、いつかはなくなるかもしれないという可能性にかけて、憎しみや嫌悪は自分の中にかくしておきたい。)
1時間目 2時間目 3時間目 4時間目 5時間目 6時間目 7時間目
その他へ