授業報告「尺には尺を」4時間目

7 人殺しの罪跡の現れるよりも、気取られまいと思ふ恋の、色に出る方が早い。
(「十二夜」)

 四時間目。アンジェロとイザベラの二度目の会見である。この場面は、シェクスピアの全作品の中でもおそらく屈指の名場面だろうと私は思う。でも正直言って何が書いてあるのか、ほんとのところはよくわからない。と言うのは、他もそうだがこの場面では特に、私が知っている二つの訳・・一つは明治の坪内逍遙のもの、もう一つは最近の小田島雄志氏のものなのだが・・が細かいところであちこち違い、どちらも意味がはっきりしない。原文も一応読んで見たのだが、こんな昔の英語の細かいニュアンスなど私にわかるわけがない(と、開き直ってどうする)。結局何が書いてあるのかはよくわからないのだが、わからなくてもわかるのは、これが名場面だということである。要するに、ここではアンジェロが自分の気持ちを打ち明けたいのだが、拒否されたら恐いし、何とかイザベラの気持ちをさぐろうとして、あいまいな言葉を駆使して反応を見ているからこうなるのである。しかも、それをアンジェロは、クロ−ディオの助命云々にからめた法律論、人間論のかたちをとって展開している。

 「そう思うのか?では一つ難問を呈しよう。おまえはどちらを選ぶ、厳正な法律によって兄上のいのちを奪われることか、兄上を救うために、兄上に汚された女同様、汚らわしい快楽にそのからだを投げ出すことか?」
 「魂を投げ出すよりはからだを投げ出すことを私は選びます。」
 「魂の話ではない。強いられた罪は罪であってもとがめられぬということだ。」
 「とおっしゃいますと?」
 「いや、保証はせぬぞ。自分が言ったことをいつでもとり消すことができるからな。この問いに答えてもらおう。いま国法の代弁者たる私が兄上の死刑を宣告しておいて、そのいのちを救うために罪を犯すとすれば、それは慈悲にもなるまいか?」
 「あなた様がそうしてくだされば、魂にかけてそれは罪ではありません。慈悲そのものです。」
 「魂にかけておまえがそうしてくれれば、魂と慈悲との重さがあいなかばすることになろう。」(小田島雄志氏訳)

 あるいはまた、

「兄上のいのちを救う道がほかにないとすれば───どっちみち私には認めるわけにはいかぬのだが、一つだけむだ話として聞いてもらえば───あの男の妹であるおまえに、あるものが思いをかけたとする、そのものは裁判官を動かし、あるいは高い地位により国家の礎石たる法律の束縛から兄上を解き放つことができるとする、そしてそのいのちを救う道はこの世にはたった一つしかないとする、つまりおまえがそのものにたいせつな処女を捧げなければ兄上は死なねばならぬわけだ。そうなればおまえはどうする?」
 「たとえ兄のためでも自分のためにすることと変わりはありません。私が死ぬと決まっておれば、鞭の痣もルビ−のように喜んで身につけますし、この身を死にさらすことも待ちこがれた寝床に飛びこむように嬉しく思うでしょう、私のからだを汚すぐらいなら。」 「とすれば死なねばならぬぞ、兄上は。」
 「そのほうが犠牲が少なくてすみます、兄が一思いに死ぬほうがまだましでしょう、その妹が兄を救おうとして永遠のいのちを失いますよりは。」
 「となると、おまえが残酷だと非難した死刑の宣告と同じように、おまえも残酷ではないか?」
 「恥辱と引き換えの助命と心からなる赦免は生まれた根がちがいます。正当な慈悲と不当な救済は似ても似つかぬものです。」
 「いままでおまえは法律を暴虐とののしり、兄上の犯したあやまちを罪悪と言うよりも道楽にすぎぬと弁護していたようであったが。」(同上)

 こんな哲学問答で、しかも巧みに迫るのはアンジェロの優秀さと愚かさをあますところなく示しているが、彼が必死なのはよくわかる。こんなに奇妙で切実な恋のかけひきの会話を、私は他に知らない。
 それはともかく私は学生たちにこう説明する。アンジェロはまじめで清らかで厳しく、弱さなどなく、曲がったことなどしたことのない人であるから、自分のイザベラへの恋をどうやってイザベラに伝えていいかわからないし、知られることを恥じてもいる。でも伝えたいとも思っている。だから彼なりのかけひきをする。このへんの感情は、あなたがたにもわかるだろう。たとえば好きな人の部屋に行って、「今夜は泊まって行って」と言われているのかそうでないのか、まちがったら大変だし、自分から「泊まりたい」とは言いたくないが、そう伝えたいし、相手はどうだろうかとか、いろいろ必死で考える時もあるはずだ。アンジェロは多分あなた方よりずっと、そういうことに慣れていない。そう考えて読みなさい。
 また、イザベラがアンジェロのほのめかしにまるで気がつかないのを鈍いと思う人もいようが、これまた、相手が一生懸命告白めいたことを言っていても、こっちにその気がなかったらまったく気がつかなくて、何年も経って「あの時は実は・・」とか言われて「え〜っ!」と絶句するような経験も、これまたある人は多いはずだ。
 その程度の説明をして、二人のやりとりを読む。学生たちの誰もが予想できなかった、この会話の結末とは、このようになる。

 「(不審さうに)わたくしには二種(ふたいろ)には口は利けません。御前さま、どうぞさっきの通りのお言葉でおっしゃって下さいまし。」
 「では、はっきり解るやうに・・・わしはお前を恋しているのだ。」
 「(じっと相手の顔を見て)兄がヂュリエットと恋をしましたので、それであなたは、兄を死刑にするとおっしゃるのではございませんか?」
 「イザベラ、お前がわしの言ふことを聴きさへすれば、死刑にはしない。」
 「(信じかねて)あなたはお徳の高いお方ですから、そんな事をおっしゃって、人をお試し遊ばしても、お名の汚れにも何にもなりませんわねえ。」
 「いいや、信じてくれ、わしの名誉に掛けて、ほんとの要求を言ってゐるのだ。」
 「えっ!(と初めて呆れて)そんな要求をする人に何の名誉があらう!何が信ぜられよう!・・・ああ、外面(うはべ)ばかり、外面ばかり!(と退りながら)・・・わたしは此通りを世間へ言い触らします。待っておいでなさい。・・・さ、兄を直(すぐ)に赦すといふ指令書をお書きなさい、さうでなくば、わたしは、大きな声をして、此事を世間へ吹聴します。」
 「(冷然として)だれがそれを事実(ほんと)だと思ふものか?嘗て汚されないわしの名前、厳格なわしの生活、公爵の名代たるわしの職権、それらを楯にお前の言ふことを説破してしまふから、お前は忽ち言句が詰って、讒誣者、中傷者とばかり疑はれることになる。斯う一旦乗りかけた以上は、もう此心の駒の手綱は弛めない。此するどい欲望に対して、諾(うん)と言ひな。おい、内々は望んでゐながらも、何もああのかうのと体裁ぶって、うぢうぢと羞恥んでゐるには及ばん。わしの言ふ通りに身を任すか、否といへば、兄の命がないばかりでなく、その無情(つれな)さへの面当(つらあて)に、わざと長い間苦しませてから殺すことにする。明日までに返辞をしな、返辞をしないと、今の此感じのまま、兄へ酷くあたるぞ。其方(そっち)は其方で、勝手に何なりと言ひ触すがいい、真実(ほんと)の事を言ったって、虚言(うそ)で顛覆(ひっくりかへ)して見せる。」(坪内逍遙訳)

 こう言い捨てて、アンジェロは去る。坪内逍遙が、まるで歌舞伎の悪役のような台詞にしているのは多分正しいので、ここでアンジェロは正義と高潔の権化から、一気に悪の典型となる。絶望したイザベラは、次のように独白して牢獄のクロ−ディオのところへ飛んで行く。

 「(絶望して)あ、だれに訴へたらいいだらう?この通りに話したって、だァれも事実(ほんと)には為ないに相違ない!おお、おそろしい口!おなじ一枚の舌で、人を生かしもすれば殺しもする。其舌一枚の力で、法律をも自分の心のままに追ひ使ひ、邪をも非をも上手に釣寄せて、自分の情欲の餌食にする!・・・ 兄さんの許(とこ)へ往かう。一旦の情欲のために心得ちがひをお為だったけれど、気位が高くって、恥を知ってゐる兄さん、二十たび首を切られなくちゃならないたって、妹をそんな汚らはしい目に遭はせるよりか命を棄てるとお言ひに相違ない。・・・ぢゃ、イザベラ、お前は是非とも貞操を守って兄さんを見殺しにお為。貞操といふことの方が、同胞(きゃうだい)よりも大切です。・・・ともかくも兄にアンジェロ−の要求を話して、覚悟をさせることにしよう、安心して死なれるやうに。」(同上)

 ここはもうひきつづき、一気に読む。学生たちに読ませてよいが、イザベラ役は先に言ったように、声の明るいきれいな人か、この役をよく理解している人を選ばなくてはいけない。できればアンジェロも濁った暗い声ではなく、澄んだ涼しい声の人を選んだ方がいいだろう。クロ−ディオは、どんな声でもそれなりに面白いが、これもあまり陰気な声だと、真に迫りすぎてちょっとまずい。人の良さそうな声、甘いやさしい声、陽気で軽い調子の声などが、どちらかと言うといい。
 クロ−ディオは、イザベラの話を聞くと「おまえにそんなことはさせられない!」と激怒するが、その内、次のように言い出す。この部分の訳もあまりはっきりせず、彼の気持ちがどのように変化したかはつかみにくい。しかし、どのようにであれ、変化したのは充分によくわかる。これも学生たちの予想もつかなかった展開だろうが、更に次のイザベラの反応は、彼女があくまでヒロインであるのだとすれば、多くの人の想像を多分絶したものだろう。

 「そんな事をする男に人情があるといへるか?まるで法律を泣かせるといふもんだ、いよいよそれを励行するとなりゃア。・・・決して罪悪ぢゃない。罪悪であるにしても、七大罪悪の中では一(いっ)ち軽いんだ。」
 「え、何が一ち軽いの?」
 「よしんば大罪であるとしたって、神さまは賢明であらせられるから、ほんの一時の心得ちがひを永久にお罰しなさるといふやうなことはなからうぢゃないか?・・・(絶望的に)おお、イザベラ!」
 「ま、兄さん、何をいふんです。」
 「死ぬのは怖ろしいこった。」
 「だって、恥をかいて生きているのは浅ましいことです。」
 「だけれど、死んでしまって、何処だか知れない處へ往くのは!冷く動かなくなッちまって、腐ッちまふのは!此、温く生きて動いてる肉体が土団子のやうになッちまって、愉快なことに慣れてゐた此たましひを火の海に浸らせたり、体中が凍え亘る氷の地獄に押込めたり、中(ちゅう)に垂下(ぶらさが)ってゐる地球の周辺を、目に見えない旋風(つむじかぜ)に滅多無性に吹廻されたりするのは!人間の、滅法界な当推量も及ばんやうな苦痛(くるしみ)をするのは!おそろしくて堪らない!老衰や病苦や貧窮や禁錮が人間に課する一等厭はしい、一等辛い現世の生活だって、死んじまってからの怖ろしさに比べりゃァ極楽だ!」
 「(呆れて)あら、まァ!あら!」
 「妹、どうぞわたしを生かしといてくれ。兄の命を助けるためにしたことなら、どんな罪悪だっても、自然がそれを緩和して美徳にするから」
 「(義憤を起して)おお、人非人!卑怯者!なんて情ない、破廉恥な人です、あなたは!あなたはわたしに不正(わる)いことをさせて、男一疋にならうといふのですか!現在の妹を辱しめて生きてようてのは、邪淫も同然ぢゃありませんか?(煩悶して)ああ、どう思ったらよからう!どうぞどうぞ、お母さんがお父さんに対して、夢にも不都合なことをなすったてな事のございませんやうに!かりにもお父さんの血統(かたわれ)に、こんな歪んだ恥知らずが生れる筈はないんだけれど。・・・(クロ−ディオ−に)これが縁切の言葉です。死んでおしまひなさい!わたしの屈辱であなたを運命から救ふことが出来ても、わたしは救ひません。わたしはあなたの死ぬのを千万返も祷ります。あなたを救ふためには、只の一言だって言ひません。」
 「まァさ、さういはないで、聴いてくれ。」
 「いいえ!いやですいやですいやです。あなたは出来心で悪い事をしたのぢゃない。それが専門(しゃうばい)なんだ。あなたに深切を尽すのは、わるい事の手引をするやうなものです。あなたは早く死んだはうがましです。」(と行きかける。)
 「まァさ、聴いてくれ、イザベラ!」(同上)

 ここで神父に変装した公爵が介入する。
 朗読が長かったため今回の授業ではもうあまり時間もないが、学生たちに第四回のレポ−トを書いてもらう。課題はアンジェロ、イザベラ、クロ−ディオ、それぞれについての感想である。まとめて次にあげるとしよう。むろん次回の授業では、これをそのまま資料として配付している。

第四回レポ−トより。

(アンジェロについて)
「アンジェロみたいに自分の権限を利用して自分勝手な事を言うやつがいたらひっぱたいてやりたい。私がイザベラだったらひっぱたく。(略)アンジェロの事は絶対好きになれない。大嫌い。・・・でも、かわいそうな人かも・・。寂しいのかも・・。あまり人を愛したことがないのだろう。甘えたいのかも・・。同情はするけど、やっぱり嫌いだ。」
「Hなやつである。修道女になりたいイザベラがそんなことしたいわけがないのに。馬鹿なやつだ。笑かしてくれる。自分の地位、権力、善良さを逆手にとって強迫するとは汚い人である。男性の欲求といえばそれまでだが、だからといっていきなりそこまでもっていくのは、かなり無理がある。こんな暴君ははやくやめさせるべきだ。しかしこれだけやってイザベラがおちなかったら、ある意味で彼はかわいそうに思う。『あわれよのう。はっはっはっ。』と思ってしまう。」
「アンジェロの表現の仕方はすごく不器用だけれど誰もがもっているような人間らしさがあってなかなかいいと思いました。アンジェロ大好き@」(註5)
「自分の権限を利用してイザベラに体を要求しようとするとはセクシャルハラスメントそのものだ。しかし氷のような性格かと思っていたが、アンジェロはまだ素直で人間らしい面も持っていたのだと、今まで私はこのようなタイプは大嫌いだったが少しは好ましく思えた。」
「自分の権力で、皆が皆、言うことを聞くと思うのは大間違いだということをアンジェロ自身わかっていませんね。最初からあまり好きではなかったけど、今日の授業で大嫌いになりました。」
「もうちょっとアンジェロも素直になれたらよいと思う。それとイザベラとどういう関係になったとしてもクロ−ディオの死刑は行われると思う。〔昔は自分の行動にも厳しかったけれど、今は自分の行動にはあまくなっていると思う。(他人には厳しいので)〕」
「普段まじめな人が切れるとすごいことになるなあと思った。きっとどこで止めていいかわからなかったんだと思う。(略)根がまじめだと、今まで女とつきあったりしたことがないだろうから、テクニックというものを知らないのだと思う。かわいそうといえばそうであるが、ばかといえばばかである。」

(イザベラについて)
「(クロ−ディオが)生への期待を膨らませていく場面は、にわかには信じがたい。それにひき比べイザベラはなんと勇敢であることか。公爵の言葉に『美徳は勇敢であり、善良は恐れを知らぬ』とある。この時代のうら若い女性、しかも自分の正義や、名誉や、貞淑のためなら、一切の不道徳、不義をよせつけようとしない所にすがすがしさを感じる。」「自分の信念を変えようとせず、意志を最後まで貫きとおすところが立派であるとはいえるが、こういう『ゆうずう』がきかないタイプは、ただの自分勝手で、人に対しての思いやりに欠けた人だと思うので私はイザベラがたとえ男の人であったとしても大嫌いだ。自分の考えを貫きとおすのは勝手だが、それを人にまで強要し、自分の考え方が一番正しいと思っているようなタイプは、あまり人に好かれないと思う。」
「イザベラは自分だけがかわいい、とは全然思っていないはずだと思います。『ウラの手を使って助けられたところで兄さん、あなただって後ろめたくていやでしょう?プライドを捨て恥を感じて生きるなら、いっそ死んでしまった方が楽でしょう?』という、日本の武士的な気持で生きているだけだと思うのですが。」
「自分の身を犠牲にすることと人をおとしいれることと同じ程度のことに思えるけど、イザベラにとっては天と地の差があるように思えます。こういう場面での日本では女の操をすてようとして男はそれを止めようとするパタ−ンですが『尺には尺を』ではまったく逆になってしまって、いまいちうけ入れにくい所があると思います。イザベラは心情的にもう修道女つまり神様のもとにいっているわけだから、兄と神をてんびんにかけると、神様を取るんだろうと思う。私もやっぱり自分がかわいいし、イザベラのことをそこまで悪いとは思わない。今までイザベラは、なんかとっつきにくく思えたけれど、とても人間らしくていいと思います。」
「先程イザベラと友達であったら大変だろうと書きましたが、やっぱりこれ程正しいことを貫ける人なら、友達になるとおもしろいかもしれないと思いました。しかし、こんな状況ばかりであれば、この人の頑固さはおもしろいけど、我々の実生活上でこんな奴がいたらもしかしたら異様な目で見られるかもしれないなとも思いました。アンジェロはなんかもうイザベラの個性が強すぎて、とるにたらない登場人物の一人にしかおもえなくなりました。」 「イザベラも、せっかく兄が死を覚悟したのだから、助かる方法なんて、言わなければよかったのに。」
「なかなか鈍くさくてかわいいと思った。」(註6)
「イザベラは自分の操を犠牲にするぐらいなら兄にいさぎよく死んでもらおうと考えているようだが、冷たいと言ってしまえばそうかもしれないが、言いかえればそれだけ強い意志というか、清らかな部分をもっているのではないかとも思った。」
「イザベラは(兄に)うらぎられたという気持ちが強かったのではないか。(略)イザベラも兄に死んでほしくはなかったが、兄(のうらぎり)に対する怒りのほうがうわまわってしまったのだと思う。私個人としては、イザベラの気持ちは、よく理解できるような気がした。」
「この女はアンジェロよりもひどい人間だと思う。クロ−ディオの申し出をことわるのは良いと思う。しかし公爵の案を喜ぶなんてひどすぎると思う。人ごとだと思っているのではないか。僕はとても許せない。」
「私はイザベラに対しては好意的である。私がもしイザベラの立場だったらやっぱりクロ−ディオを見殺しにしただろうと思う。クロ−ディオが他人を犠牲にして自分が助かりたいということを平然と自分の前で言われたら、私は絶対に頭にくると思う。イザベラが男であっても女であっても、クロ−ディオの妻であろうが妹であろうが、イザベラの言ったことに間違いはないと思う。それにみすみすアンジェロの言いなりになってしまうのも嫌だと思う。それならいっそ自分も死んだ方がましだと思う。」
「(イザベラは兄が)本当に死ねばいいと思ったのではなく、期待はずれでがっかりして言ってしまったんだと思う。」
「イザベラは、最初に教会の戒律がこんなものでいいのか、と言ったほど自分にも他人にもきびしい人で、自分の兄であるクロ−ディオも当然自分の考えをわかってくれて、いさぎよく死ぬだろうと思っていたのだろう。クロ−ディオがどんな形でもいいから生きのびたいと言い出したのに対し、妹を売ってでもたすかりたいのかという気持になり激しく怒ったのだろう。」

(クロ−ディオについて)
「この国の法律もおかしいが只黙って死刑を待っているだけで、自分では何もしようとしないクロ−ディオはずるい。最初のフリ−タ−or店員というイメ−ジは変わらない。」「登場人物の中で一番『最近の若者』って感じの人だと思う。」
「処置なし。」
「僕はこの人が一番人間味にあふれていると思う。始めは嫌いであったが段々かわいそうになってきた。」
「死ぬ覚悟が出来たかと思えば、死にたくないといいだしたり、コロコロと気持ちが変わって、なんだかよく分からない人だな・・・と思った。最初は、そんなに悪い人ではないと思ってたけど、今はあんまりいい印象は受けません。」
「何という人だろうって言いたいところだが私自身もさあ明日死んで下さいと言われればこうなるかも知れないと思うと何も言えない。」
「普通の人間である。自分よりはいさぎよい人だろうと思う。」
「もし劇をやってクロ−ディオ役をするならば、見かけは頼りなさそうでいかにもはくじょうなやつという感じのやつがいいと思います。でもそのはくじょうと見える中にも実は妹のことを思っているというのを見せる人がいい。でも僕の立場において考えてみると、もし僕に妹がいてこういう場面に出会ったら、妹をすててまでもやっぱり僕は生きのびます。これはあくまでも僕の意見で本の中の内容とは関係ないです。でも人間というものはいざ死に対面するとどんな手をつかっても、例えそれが一番大切なものでも自分が生きのこるために、それを利用するのではないでしょうか?」

(その他)
「もしかしたら公爵はアンジェロのことが嫌いなのか。アンジェロの頭のかたい、情に流されない所が気にいらないのかもしれない。(略)シェクスピアのこの物語は少し予測できないところがあるが、公爵がおいしいところを一人でさらっていきそうだ。」
「マリアナという女性はすごいなあと思う。今までずっと裏切ったアンジェロを思いつづけるなんて。それにアンジェロはイザベラの体を求めたいといっていたので、そこでマリアナがその身がわりになるというのは、私だったらプライドが許さないので身がわりになるのをことわるのではないかなぁと思う。公爵はすべてをいいように円くおさまるように解決策を出してきたのですごいなぁと思う。でも私は公爵のような、みとこうもん+大岡越前+遠山のきんさん、立場の人はすきです。」
「公爵について思ったことは、なんでこの人は、こんなにまわりくどいことをして解決しようとしているのだろうかということだ。金さんよりもたちが悪い気がしてならない。自分だけが真実を握っていて悪事を裁いていこうとでも思っているのだろうか。私には屈折した奴のようにしか思えない。」(以上リハ学)
 なお、ここでイザベラを批判した学生の一人が「もし彼女が男であっても」と言っているのは、私がレポ−トを書いてもらう前に、「イザベラはアンジェロと寝るべきだと思う人は、彼女が男性であっても同様に思うか考えること」との注意をしたからである。また最初に述べたように、なるべくイザベラに味方して考えて見てほしいとも言ったと思う。これらの注意をしないか、軽くすませておくと、「兄は結構自分勝手なヤツだと思った。でも兄のコトを思うなら、やってやってもいいんじゃないか。」「本当に兄さんを死なせたくないと思うのなら忌まわしい行為だってできるはずだと思います。」(どちらも東海短大)といった意見がかなり多くなる。これは上記のレポ−トでもそうだが、イザベラに好意を持つ者の中にも、兄に対する怒りを彼女の人間らしい弱さ(要するにエゴイズム)と解釈している意見がある。
 授業で私は、それらの意見を絶対にまちがっていると否定はしない。イザベラが嫌いとか弱いとかどうしても考えずにはいられないのであれば、無理はしないでいいと言う。そういう読み方をしても、それなりに楽しめるだろう。しかし、これは学生に言っても言わなくてもいいことだが(文学作品としての鑑賞が主の授業なら言うべきだし、東海短大の授業のように「現代社会と文学」などという講義題目であったら言う必要はあるまい)、この話全体の仕組みとしては、そのように「誰もが自分のことしか考えない、弱い人間でした」ということを確認しただけの話だと、あまり特徴のない陰気な劇に終わってしまうし、後半せっせと活躍する公爵の努力も宙に浮いてしまうだろう。どんなに学生たちの常識からはずれていても、イザベラはやはり正義のヒロインであるべきである。それでは彼女を理解するには、どのような考え方が必要だろうか。
註5(本文へ)
「イザベラもル−シオも悪役にするつもりもないし、好きな登場人物の中の二人なのであるが、私にはアンジェロの性格に一番共感できるのである。最後まで読んでいないのでわからないがアンジェロはどうにかして最後には救われてほしい。どんな方法でも、どんな結末でもよいので、ただアンジェロが、精神的に楽に柔軟になってほしい。でないと、私も救われない気がする。」(東海短大)と、速い段階でレポ−トに書いた女子学生がいたように、男女を問わず、私が特に注意しなくてもアンジェロにはかなり強い共感を寄せる者がいた。反感や拒否反応もむろん多かったが。私もアンジェロは、イザベラに魅かれる前の聖人君子の時点ですでに、高潔で清廉な魅力と色っぽさがなくてはいけないと思う。ついでに言うなら、現代の文学や社会は、このような人の魅力を忘れかけているとも思う。楽しみを一つ減らしているわけで、もったいない。
註6(本文へ)
教育大でも、イザベラの真面目さを、馬鹿っぽくてかわいい女という風に感じて好感を持つ男子学生のレポ−トがあった。たしかにイザベラの真面目さにそういう面もないことはない。一方で、教育大では「このような人になりたい、現実にいたら友だちになりたい」と完全な支持を示す女子学生もいた。また知人の女性の一人は、私が『江戸の女、いまの女』という本の中で、イザベラを「烈女」の一人ととらえたのに対し、次のような手紙をよこした。「さて、シェ−クスピアの『尺には尺を』のイザベラに共感する声が少ないということでしたが、私は全面的に彼女を支持します。兄を見捨てた『非人間的』な女として告発されるというなら、進んで弁護を引き受けてもいいとさえ思います。領主のような卑しい男は世間にはウジャウジャいるのですから、そんなものは無視すれば済みます。けれども、肉親である兄の場合は、肉親であるだけにいっそう許せない気持ちになるのが当然ではないでしょうか。勿論彼女だって肉親の情があるからこそ、領主のもとに自ら赴き、兄を許してもらおうとしたのです。そうではあっても、兄が救う値打ちのない人間だと解った以上、彼女にはそちらの判断に従う方が自然だったのだと考えます。まったくあんな人間は死んだ方がいい。『烈女の系譜』の章にイザベラが書かれる理由すら私には納得いかないくらいです。残忍で冷酷で、人の首を切り落とすくらい朝食前といった感じを受ける、例えばカテリ−ナ・スフォルツァなら『烈女』と呼ぶに相応しいかもしれませんが、日本の場合まったく当たり前と思われる行為に対しても、それが女がしたことであれば『女傑』といったレッテルが張られてきたような気もします。」

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