最近、買い物についての本がよく目につく。ソフィー・キンセラ「レベッカのお買い物日記」(ヴィレッジブックス刊・780円)、中村うさぎ「だって、買っちゃったんだもん!」(角川文庫・438円)、ポール・ラドニック「これいただくわ」(白水Uブックス・1180円)など、ちょっと思いつくだけでもすぐにいくつかあがり、しかもそれぞれ面白い。
これは、消費が娯楽の大きな部分を占める現代社会が背景にあるのかとも思う。が、その一方で、買い物ということは人類の昔から、どんな場所でもいろんなかたちで行われており、それを見ることで、歴史や社会、家政や経済、ひいては哲学、心理学といったさまざまな分野にまでふれて行けそうな気がする。
また、「買う」という行為に対して、「奪う」「盗む」という行為を比較したり、逆に「売ってはならないものがあるか」と、「買わない場合」「売買してはならないもの」について考えたりすることによって、臓器売買、情報セキュリティ、性の売買、援助交際といった、今日的な問題を考える基礎とすることもできるだろう。
そこで、他の何人かの先生方のご協力もいただきながら、私の勤める大学の「比較言語文化概論」(受講者数 国際共生1年生38名)の半期十五回の講義のテーマに「買い物をするということ」をとりあげてみた。
やってみるほどに、どこまでも拡大深化するテーマで、学生たちのレポートも増えつづけるので、一応このようなかたちでまとめておく。
これは大学の授業としてやったわけだけれど、実は一般家庭の主婦(主夫)の皆さん、商工会や企業の皆さんなどにも、ぜひ読んでいただきたいし、お考えを聞かせていただきたいし、周囲の方々と話し合ってみていただきたい。
「ものを売る」とは「ものを買う」とは、いったいどんなことなのか、と。あらためてそれを考えることから、いろんな未来が開けてくるかもしれない。
第一回 アキレウスはなぜトロイに行ったのか?
世界最古の文学といわれる、ホメロスの「イーリアス」はトロイアとギリシャの十年間にわたる戦いを描いたものである。この戦いには、ギリシャ諸国の王や英雄が参加したが、人間の父と海の女神テティスの間に生まれた勇士アキレウス(アキレス腱の語源ともなった有名なギリシャ方の勇士)は、やって来なかった。母親のテティスがこの戦いに参加すれば彼が死ぬことを知っていて、「息子をリュコメーデス王の宮廷に送り、乙女の姿に変装させて、王の姫たちの間に身を隠すようにさせたのである」(T・ブルフィンチ「ギリシャ神話と英雄伝説」 講談社学術文庫)という。
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するとアキレウスというのは、よほど美形だったのか、と喜ぶ少女漫画ファンもいるだろうし、しかしそこでアキレウス自身の意志というもんはどうなっとったのであるか、と不思議がる人もいるだろうが、そのへんのことは何も書いてない。(この部分は「イーリアス」にはなく、ブルフィンチが典拠にした本を私は知らないし、見ていない。)
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しかしともかく、ギリシャ方としては彼は貴重な戦力であり、ぜひこの戦いに参加してほしかった。そこで、「イーリアス」でも登場するたびに「賢い」と形容詞がつくほどの知恵者で知られた英雄オデュセウス(「イーリアス」と並ぶホメロスの叙事詩「オデュセイア」の主人公でもある)が、アキレウスを説得しに行くことになった。
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ところが、そもそもアキレウスがどこにいるのかわからない。リュコメーデス王の宮廷にいるとわかっても、姿がどこにも見えない。オデュセウスはやがて、姫たちの中にまぎれこんでいるらしいと見当をつけるが、近づいてたしかめられない。(ヴェールでもかぶってるのだろう。)そこで「賢いオデュセウス」は一計を案じる。
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「その後、オデュセウスはアキレウスがその宮廷に隠れていることを耳にしたので、自分は商人に変装して宮殿に赴き、そこで女性用の装飾品を姫たちに見せてやった。しかも、その中にはいくらかの武器も混ぜておいたのである。王の娘たちは商人が持ちこんだ包みの装飾品にあれこれと夢中になっていたのに、アキレウスは武器に手を触れて、その使い方を調べていたのでオデュッセウスの鋭い目で自分の正体が暴露されてしまった。こうしてオデュッセウスは全く苦労せずに、アキレウスを説得して母親の打算的な助言を無視させ、それから皆と一緒にこの戦争に参加させたのである。」(「ギリシャ神話と英雄伝説」より)
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なお、他の本でもこの話を紹介しているものがあったので、あげておく。で、出典はあいかわらずわからない。すみません。どなたか教えて下さるとありがたい。
「まずアキレウスは、もし従軍すれば、必ず討死にするという運命を荷なっていた、名誉ある早死にか、さもなくば無名のまま故国に老いるか、これが彼の生まれたとき、運命の女神らが紡ぎ出した糸の筋だった。母である女神のテティスは、息子の夭死を怖れ、遠征軍への誘いを避けるために、早くから彼をスキューロス島に隠しておいた。その王リュコメーデスに頼んで、彼の娘たちの間に女装させて入れておいた、というのである。トロイアの攻略に彼の参加がぜひ必要だと予言されたとき、謀略に長けたオデュッセウスは彼の所在を嗅ぎつけると、さまざまな化粧品や婦人用のアクセサリーに交えて、鋭い剣や鏃(やじり)などの武器を持ち、リュコメーデスの宮廷を訪ねて、娘たちに好みの物を取らせた。他の娘はもちろん喜んで美しい手提げやハンカチなどを選んだろうが、アキレウスはひそかに砥ぎすました剣を眺めていた(取ったともいうが)、それをそしらぬふりで監視していた商人に化けたオデュッセウスは、ただちに真相を見抜き、彼の手を取って従軍を懇請したという。」(呉茂一「ギリシャ神話」 新潮文庫)
◇
ここからいくつかのことがわかる、と大げさに言うほどのことでもないが。
ひとつ、紀元前、今から数千年の昔でも、買物は深窓の女性たちにとって大きな楽しみであり、出入りの商人もちゃんといたこと。
もうひとつ、買物は女性だけの趣味と思われがちだが、男性だってこのアキレウスのように自分の好きな品物だったら(剣、鎧、馬、銃、車、などなど)夢中になって買物に熱中すること。
◇
アキレウスが参加しなければ、トロイ戦争の結末もどうなっていたかわからない。それほど重要な彼の参加を決定するエピソードに、「買物」が使われているのを見ても、人類の歴史や文化にとって「買物」の占める役割は決して小さいものではないだろう。
◇
と、いうことで、この授業の第一回では、受講している学生に次の二点について書いてもらった。
(1)印象に残った買物体験、買物場面。
(2)売買してはいけないと考えるもの。またその理由。
◇
受講者38名(欠席者も若干)の意見の結果を要約し、抜粋して紹介する。
まず(1)について。
「姉が車を買った時。一緒に行った両親がなかなか決断しないので、なぜかと思っていたら、より多く値引きしてもらうために決断をのばしていることがわかった」
「小学校1年の時、中古のエレクトーン(7万)をどうしてもほしくて、自費で買った」
「アニメの『サザエさん』が買物に行く場面が昔ながらで大変印象的。ぬくもりを感じる」
「外国での買物。ついつい大きなお金を出してしまい、小銭で財布がパンパンになった」
「中学2年の時、フリーマーケットで値切って買っていた。今ならできない。あのころの私はすごかった」
「買物は目標を決めてする。一緒に行く人数は3人までが限度だろうなと考えている」
「バイトをしたお金で財布を買った時。初めて自分が働いて得たお金で欲しいものを買ったから」
「人には高価と思えるボーダーラインがあり、それをはるかに超えるともう高いと思えなくなる。それはなぜかを考えたい」
「友人のジーンズを買うのに同行して似合うかどうか真実を言えなかった。日本に留学して時間がたつにつれ、本音を言えなくなってはいないか」
「魯迅先生の短編小説の買物場面は読むたびに笑う」
「テレビ番組で見たマイケル・ジャクソンの買物風景」
「そのものが欲しい、というより、安く買えそう、という期待が大きい。ローンを組んでも高いものを買う心境はわからない」
「店員さんの押しに負けてつい買って後悔することも。自分は買物をしてものを手に入れるより、お金を使うことに爽快感を感じているからではないだろうか。時給643円でバイトをしてお金の価値がわかり、少し考えが変わった」
「高校の時、禁じられていたが学校のパソコンでこっそりネットショッピングをしてネット販売限定の欲しかった絵本を買った。とても満足した(う、情報処理センター長の立場からすると、これはちょっと。でも気持ちはわかるけど。←板坂)」
「自由に使えるお金ができ、欲しかったものを買った時の快感を覚えて、だんだん買物がストレス解消法になってきている」
「店員さんにのせられることが多い。買物って悪徳商法のような心理作戦と同じだなあと思う」
「映画『ホーム・アローン』の少年の買物。後でそれが悪者退治に役立つのがわくわくした」
「ディズニーシーでアトラクションが見られなかったため、気持ちが沈んでいたがおみやげを買う時にはそれを忘れて興奮し、ふだんはケチな私が魔法にかかったように夢中で買い込んだ」
「幼稚園や小学校の時、何十円かをにぎりしめてお菓子を買いに行っていた時のこと」
「一人ぐらしを始めてすぐ、電気屋で買った展示用のサンプルの商品が帰って使ったら動かず、その日のうちに交換しに行った」
「中村うさぎの作品が大好き。日常ではありえないことを疑似体験できる」
「買うのは主に服。ありったけのお金を使い切る。そのためにバイトもがんばれる。でもこれでいいのかやや不安」
「自分で初めて稼いだお金で買った服(男性)」
「旅先で、そこでしか買えないものは夢中で買うが、帰って自分の部屋におくとつまらないものに見えたりする」
「中国に行った時。初めて値切って買うという体験をして満足した」
「テレビでもやっている、幼い時の買物体験」
「本当に買うべきか、よく考える。自制心は強く衝動買いはしないが、ときには本当に欲しいものは買う思いきりのよさも必要なんだと思う」
こうして見ると、あらためて、わが大学の学生はつつましいし、まじめだなあと痛感する。タイプのちがう大学でやったら、まったくちがった発言が飛び出しそうな気がする。
以上は抜粋したものだが、以下のまるごとの引用である。
「中古CD屋で井上陽水の『少年時代』を買って帰って開けてみたら尾崎豊の『I LOVE YOU』だったこと」
「最近母と姉と天神に買い物に行ったときに『質流れ大バーゲン』というのがあっていたので、母に連れられて行きました。
会場に入ってみると、信じられないくらい多くの若い女性から年配の女性がいました。
そして会場のところどころに山積みにされたヴィトンのバッグを買いあさっていました。
1人で10個近く手にしている女性もいて、びっくりしました。専門店とかに行くとお店の人は白手袋をつけて触っているのに、そこではキズがついても何でもいいといった様子でした。しかし、値段は高かったのです。
いかにも、自分はブランド物しか持たないといった様子のおばさんもいました。それなら質流れとかに来るなよと思いました。」
「私の印象に残っている『買い物』は、映画『プリティ・ウーマン』の買い物場面である。家賃も払いしぶっているような若い女性が、一度の出会いで、全くお金に困らない人生を送れてしまう。本当にうらやましいシンデレラストーリーだ。ジュリア・ロバーツが、高級なお店が並ぶ通りをとても爽快な顔で歩いていく。全くうらやましい。私は純粋に、『私もあんなに買えるくらいお金持ちになりたい』と思う。
買い物をすると、欲しいものが手に入って、うれしい。確かにそうだが、私の場合、その後に必ずと言っていいほど、『あぁ・・またお金使っちゃった・・。はぁ・・・。』と少し落ちこんでしまうのである。たぶん、私は、『買い物がしたいからお金がほしい』のではなく、ただ単に『お金がほしい』のだろうと思う。
高い物を買った後ほど強くおちこむ。私という奴は、お金に強い執着があるのだろう・・・。
母が、よく『良い物を見なさい、聞きなさい』と言う。オペラとか、舞台とか、すばらしいものを見聞きして、自分の糧にしろと言うことである。たしかにそうだと思う。しかしその割には、両親はそんな芸術的に使うためのお金を私に与えてくれない。
私自身は、前述したように、買った後よくおちこむので、完全に『これだ!!』と思えないものは、決して買わないようにしている。」
「実家が商売をしていたため、様々な買物場面を見てきたが、一度、5才ぐらいの女の子が1人でおつかいに来た。いつもはジュースをほしがって駄々をこねる子だったが、その日は言いつけられた分以外の商品には目もくれないで買物をして行った。その時のその子の一生懸命な様子と、無事買物が終わった時のうれしそうな表情は忘れられない。」
「古着屋で、シャツを買ったときに、店員さんに『君はいい目をしてるね。これは僕も気に入ってたよ。』と言われたことです。非常にうれしかったです。うれしすぎて、そのシャツをたくさん着すぎてしまいました。そのせいで大変、色褪せてしまい、もう着れません。非常に残念です。(男性)」
二ヶ所ほど、「書いたのは男性」と注をつけてしまって申し訳ないが、つまり現代では男性でもまったく女性と同じように「服を選び、買う」ことを楽しみ、熱中しているということを、特に年配の方に理解していただきたかった。もう二十年ほども昔、前にいた大学で、現代文学のやや無頼派風の先生が、食堂で初対面の男子学生どうしが「その服、どこで買いましたか?」と会話しているのを聞かれて「世も末だ」と悲憤慷慨しておられたが、今の若い人たちは「何で?」とぽかんとするだけだろう。私は悲憤慷慨はしない。どちらかというと、いい時代になったと欣喜雀躍する。
(2)について
これについては、私がうっかり授業予定を見せてしまったため、そこに書いてあった「援助交際」「売春」「下着を売る」ことをあげた者が多かった。大半は否定的だが、「当人どうしが納得なら」「きちんと責任とれるなら」として認めるもの、「売買していけないものはない」という意見もいくつかあった。
他に例としてあがったものでは、買収、個人情報、命、臓器、麻薬、ゴルゴ13のような暗殺、など。ただし、人命の売買はいけないというが、ではペットは売買してもいいのか、という問いかけがいくつかあった。(2003.10.9)