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私は、このクラリッサにすっかりまいってしまっている女性に向かって手紙を書い
た。つぎに掲げるのは彼女の返事の若干の個所である。
「……『あの女(ひと)は、父親の呪いに絶望したこの女の子(クラリッサのこと)を見て笑っている』ですって!あの女(ひと)は笑っています。それでいてひとの母
なんです。私はこの女(ひと)はけっして私の友達であることはできないとあなたに
申しあげます。私はあの女がかつて私の友達であったことを恥じています。……
「『あの女(ひと)の意見では、クラリッサの才知は文章を綴ることにあり、彼女が
二、三の文章を作ることができたら、それで彼女は慰められるのだそうです』。打ち
わって申しますが、そんなふうに感じ、そんなふうに考えるのは、とんでもない罵言
でございます。そうです、とんでもない罵言で、あの娘(こ)(クラリッサ)がそん
な罵言を浴びるくらいなら、私は自分の娘が私の腕の中で即刻死んだ方がましでござ
います。自分の娘!……そうです、私はあの娘(こ)のことを考えました。が私はいま申したことを取り消しはいたしません。
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はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を一の巻よりして、
人もまじらず、几帳の内にうち臥してひき出でつつ見る心地、后のくらひも何にかは
せむ。昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火を近くともして、これを見るより
ほかの事なければ、をのづからなどは、空におぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに
夢にいと清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、「法華経五巻をとくならへ」
といふと見れど、人にも語らず、ならはむとも思ひかけず、物語の事をのみ心にしめ
て、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、容貌(かたち)もかぎりなくよく
髪もいみじく長くなりなむ。光るの源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこ
そあらめと思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
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自分の本よりも図書館から借りだした本でよんだ方が書物はよめるという人がいる
のも私は知っている。だがこれは私には理解できないことだ。たとえば、私は香をか
いだだけで自分の本の一冊一冊がすぐ分かるのである。ただ鼻先をページの中につっ
こんだだけで、私にはすべてのことがぴーんとくるのだ。愛蔵しているギボン、つま
り装釘(そうてい)のしっかりした八冊本のミルマン版ギボンなどは三十年以上も読
みつづけてきたものだが、それを開けるとたちまちそのゆかしいページの香が、始め
てこれを賞品として貰ったときのあの天にも昇る喜びをまざまざと私の心によみがえ
らせてくれるのである。(略)
私は本の陳列台の前や本屋のショー・ウィンドーの前にたち、知的欲望と生理的欲
求の板ばさみに幾度苦しんだことであろう。胃袋は食物を求めてうなっていようとい
う食事時間に、ある一冊の本の姿に私の足はクギ付けにされたこともあったのだ。そ
の本は長いこと探し求めていたもので、また実に手頃な値段がついていた。どんなこ
とがあっても見のがしておくわけにはゆかなかった。しかし、それを買えばみすみす
飢えに苦しむことは見えすいていた。(略)六ペンスの値段だった。実に六ペンス!
(略)それだけあれば、一皿の肉と野菜が食べられるはずであった。(略)ポケット
の銅貨を指先で数えながら、店頭を見つめながら、私の内部に争う二つの欲望に苦し
みつつ舗道の上をうろうろ歩いた。結局その本は手に入れた。そして家にもって帰っ
た。バタつきのパンでどうにか正餐のかっこうをつけながら、私はむさぼるようにペ
ージをめくった。
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早く夕方にならないかなあって、一日中首を長くして待っています。夕方になると、
「勉強中」というふだを戸にぶら下げて、とても着心地のいい赤い湯上りを着て、羽
毛でふわふわしたスリッパーをはいて、寝台の背の後に、ありったけのクッションを
もたせかけて、肱のわきに真鍮の学生用スタンドをつけてから、読んで読んで、読み
まくるの。一冊くらいじゃ物足りなくて、同時に四冊も平行して読んでいます。今の
ところ、テニスンの詩集と「虚栄の市」とキプリングの「プレイン・テールズ」と、――どうぞ笑わないで下さい――「若草物語」です。「若草物語」を知らずに大きくなった女の子は、カレジを通じて私ただ一人です。
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ラッド、僕あオーデンとイシャウッドに関しちゃ、君に賛成できんな、とだれかが
こたえる。
太い、重々しい声をした、がっしりした身体つきの、黒い頭髪をした学生が発言し
ている。われわれはオーデッツのものをやるべきだとおもう。オーデッツは、アメリ
カで、とにかく真剣なものを書いている唯一の劇作家だ。すくなくとも、彼は普通一
般の人間の希望に根をおろしている。
ブウウウウウ、とだれかが喚く。
オニールやエリオットこそ唯一の劇作家だ。
エリオットとオニールはおんなじベッドに寝る作家じゃないぞ。(笑声)
議論は一時間つづけられる。ハーンはだまっていろんな名まえを聞いている。イプ
セン、ショー、ゴルズワージーなど、いくつかの名は彼も聞いて知っている。だが、
ストリンドベルク、ハウプトマン、マーロー、ローブ・デ・ヴェガ、ウェブスター、
ピランデロの名は、一ども聞いたことがない。名まえはつぎつぎにあげられていく。
彼はもっともっと読まなくっちゃならん、と絶望的に独語をいう。
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突然キーファがたずねた。「ジョゼフ・コンラッドの『ロード・ジム』を読んだこと
があるかね?」
「イエッサー。読みましたが」
「なかなか面白いじゃないか」
「彼の作品としては最高じゃありませんか」
「きょうの出来事に奇妙にあてはまるな」小説家は重々しく頭をめぐらして自分の
副長を見つめやった。ウィリーは礼儀ただしくそ知らぬふりをしていた。「そう思わ
んかね?」
「どんなふうにですか」
「つまり、飛びこんではならぬときに飛びこんだのだよ。(略)さっきと同じよう
に、見境もなく卑怯な真似をしたのだ。(略)そのことが生涯つきまとって離れない
(略)」
(略)
「ゆっくりしていったらいいじゃないか、ウィリー。大丈夫だよ。おれはただ、一
生『ロード・トム』になるのかとおもうと、やりきれなくなっただけの話さ(略)」
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大前田、神山、それに南北両側の全員が計らずも橋本、鉢田の二人を遠巻にしたよう
な不時の静寂のうちで、私の心の眼は、小説『破戒』の最高潮情景を追跡していた。
(略)その明治三十年代(一九〇〇年代)某年十二月朔日の午後、信州下水内(みの
ち)郡飯山町の小学校高等四年級教室では、担当教師の瀬川丑松が、「皆さんが御家
へ御帰りに成りましたら何卒(どうぞ)父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんに
私のことを話して下さい――今迄隠蔽(かく)して居たのは全く済まなかった、と言って、皆さんの前に手を突いて、斯(か)うして告白(うちあ)けたことを話して
下さい――全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です。許して下さい。」と詫び入りながら、並みいる生徒たちの足下、板敷の上にひざまずいている。
だが、私の肉眼がただに見る、ここの元隠坊橋本庄次は、営庭の地面にひれ伏して
いるのでもなく、誰人に許しを乞うているのでもない。直下する白日と下士官兵の環
視との真中に、橋本は、昂然と面を起こして立っている。のみならず、「日本の戦争
はそげなあってあられんごたあるめずらしいことをしよるとでありますか。」と橋本
は、虐殺者大前田とその背後の国家権力とを二つ合わせて田楽刺しにもせんず勢いの
批判的一突きをさえ試みたではないか。
(略)
私の魂は、わななくほどに感動していた。「社会外の社会」部落の出身者が「社会
外の社会」軍隊で現今一般にどのような立場に置かれているにもせよ、橋本の行ない
は一個の小さからぬ勇気と決断とを必要とする「破戒」でなければならなかったと私
に信ぜられる。そこに至る橋本があわただしく通過したであろう内部葛藤の種種相を
私がいたずらに臆断することはできない。ただ私は、そのとき橋本の面貌から生色が
一挙に消え失せるのを私がまさしく見た、と証言することができるだけである。
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見ていると、この鐘つき場は、ひらいたりとじたりしているようだった。一定の間
をおいて、その高い窓がまるきり白くなるかと思うと、つぎにはまったく黒くなって
いる。鐘つき場をすかして向こうの空が見えるかと思うと、すぐまた見えなくなって
しまう。(略)
彼は地平線の上に立っている鐘楼を、つぎつぎにながめていった。左手のクールテ
ィ、プレセ、クロロン、ラ・クロワ・ザヴランシャンから、右手のラズ・シュール・
クーエノン、モルドレ、レ・パヘ、そして正面のポントルソンと、すべての鐘楼に目
をこらしてみた。やはり、どの鐘楼も、交互に黒くなったり白くなったりしていた。
いったい、これはどういうことなのだろう?
つまり、どの鐘も揺れ動いているということだった。
しかも、あのように鐘が現われたり隠れたりしているのだから、きっと、ものすご
く揺り動かされているにちがいないのだ。
これはいったいどうしたというのだ?いうまでもなく、警鐘をうちならしているの
だった。
警鐘がうちならされていた。それも狂ったようにはげしくならされていた。いたる
ところで、ありとあらゆる鐘楼で、すべての教区で、すべての村でうちならされてい
たのだ。しかも、その音は老人の耳には少しもきこえてこなかったのだ。
あまりに遠いので音がとどかないということもあったが、海の風が音とは逆の方向
から吹いていて、地上のあらゆる物音を地平線のかなたに運び去ってしまうからだっ
た。
狂い立つような鐘の音があちこちから呼びかけてきているのに、老人にはなにもき
こえなかった。これほど無気味なものはなかった。
老人はじっと目をこらし、耳をすましていた。
警鐘の音はきこえなかったが、鐘を目で見ることはできた。警鐘の音を目で見ると
は、まるで奇妙な感じだった。
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ユゴーの『九三年』にこんなところがある。ラントナックが砂丘にすわっている。
そこからはいくつかの鐘楼が一ぺんに見える。どの鐘楼にも人が右往左往し、鐘が全
部警報を鳴らしているのだが、疾風が鐘の音を流してしまい、彼の耳には何もきこえ
てこない。
ネルジンは子供のころから一種異様な聴覚でこの音なき警鐘ともいうべきものを、
――間断なく吹く執拗な風に流されて人間の耳にはとどかない、死にゆく者たちの呻き、叫び、わめき、嘆きを聞いてきた。(略)
十二月のある朝、人垣を押しわけて新聞の掲示してあるウィンドーの前に立ち、キ
ーロフが殺害されたという記事を読んだのは、ネルジンが九年生のときであった。な
ぜか突然キーロフを殺害したのはほかならぬスターリンだという考えが彼の頭にひら
めいた。なぜといって、キーロフを殺して得をするのはスターリンだけだからだ!す
ると彼は胸をしめつけられるような孤独感に襲われた。そばに群がっている大人たち
にはこんな簡単な真理がわかっていないのだ! (略)
本当に人びとは聞きとれなかったのだろうか?(略)自分たちはプーシキンやトル
ストイの伝統を受けついでいる、と豪語していたロシアの作家たちは甘たるいことば
で暴君を称揚した。ゲルツェン通りの音楽院で教育されたロシアの作曲家たちも、競
って自作のへつらいの頌歌を彼の足もとに捧げた。
青年時代を通じてずっとグレープ・ネルジンの耳には音なき警鐘がひびいていたの
だった!そして彼の心には、是が非でも知ってやる、是が非でもわかってやる、とい
う決意が抜きがたく根をおろしていったのだった。
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私はいがらっぽい兵隊タバコをふかしながら感動していた。爽快な惨敗が体にあっ
た。みごとであった。今日までずっと私はトウェインの文章を追いながらアーサー王
朝とこの南ヴェトナムをくらべて、あれがちがう、これがちがうと内心でかぞえつづ
けてきたのだが、いま終章を読み終って、抵抗を放棄した。相違点よりも一致点が私
を圧倒した。(略)トウェインは種において完璧な人であった。なぜ彼がアメリカ人
から『真のアメリカ人』と呼ばれ『アメリカ文学のリンカーン』と呼ばれるのか、こ
の小屋まできてようやく私はわかったような気がする。
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だから、自叙伝などといふ「二次的文学」を書くのはためらつたのだが、といふのがソルジェニーツィンの考へ方なのだ。
かういふ意見は間違つてゐるし、滑稽である。この自叙伝は非常にすぐれたものだが、この本の価値自体と、この文学論の錯誤との対立は、むしろ驚くに堪へる。すくなくともわたしにとつてはさうであつた。わたしの考へ方は「文学に関する文学や、文学をめぐる文学、文学によつて生まれた文学」を一次的文学よりも低く見るのがをかしいといふのではない。さうではなくて、あらゆる文学がもともと文学に関してゐるし、文学をめぐるものだし、文学によつて生れた、といふのだ。つまり、ソルジェニーツィンの分類で言へば彼が一次的文学と思つてゐる『イワン・デニソヴィッチの一日』も、わたしに言はせれば、ドストエフスキーの『死の家の記録』がなければあり得なかつたゆゑ、あれは二次的文学といふことになつてしまふのである。
文学は伝統によつて成立するから、かういふことになる。『古今集』と『長恨歌』がなければ『源氏物語』はあり得ず、その『源氏物語』がなければ『新古今集』はなく、さらにその『新古今』がなければ芭蕉はあり得ない。さういふ、文学によつて文学を作るといふ原理をうんと自覚的・意識的にしたのが、二十世紀の文学、殊にジョイス・プルースト以後の文学者たちであり、それを最も極端にしたのがナポコフであつた。ソルジェニーツィンにとつて、さういふナポコフ的文学観はおそらく対岸の火事みたいなものなのだらう。そのことをわたしは、妙に寂しい気持で考へる。
そしてさう断つた上で、ソルジェニーツィンふうの考へ方から見れば対岸どころか別世界みたいな話をすることになるのだが、文学から文学を作るといふこの二十世紀的文学観をいはば図式的なくらい露骨に示してゐるのは探偵小説ではないか。これは在来の探偵小説論ではさつぱり指摘されてゐないことだけれど、どうもさう言へるのではないか。
ポーとシャーロック・ホームズがなければそれ以後の探偵小説はすべてなかつた。これはまつたく当り前の話だが、そのぞろぞろつづく名探偵の系列は、互ひに前の名探偵たちをひどく気にしてゐて、つまり、その分だけ、探偵小説は探偵小説から作られてゐる。いや、たとへばアガサ・クリスティーの小説がドイルの小説から作られてゐるといふ文学史的事情の、いはば縮図のやうなものとして、一人の名探偵のシリーズが、そのシリ−ズの以前の諸編から作られるといふ事情がある。つまり、ドイルで言へば『赤毛組合』や『まだらの紐』から『踊る人形』が作られるといふ具合に。探偵小説の作家たちが同じ名探偵による物語を書くのは、自分自身が前に書いた探偵小説の決定的な影響下に書くのだ、と言ふことができるのである。彼らは、一方では先行する作家たちによつて書き、他方では、自作によつて書く。コナン・ドイルからレイモンド・チャンドラーまで。あるいはさらに、池波正太郎まで。わたしはさういふ彼らの創作法に、いはば文学史が圧縮されてゐるやうな印象を受けることがしばしばなのである。
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「でも、これが推理小説だとしたら、少佐は間違いなく犯人ですよ」とバーンズが
言った。「推理小説作家は、いつも、おっとりとした年寄りの紳士を犯人に仕立てあ
げる――読者はそういう人が犯人だとは夢にも思いませんからね」
「ところがこの頃では、もっと手がこんでいる。そのトリックを読者が知りつくし
ていて、一人の人物が年寄りで人情家であればあるほど、そいつは怪しいということ
を承知しているのだからね」
「それが、ぐるっと一回りして、またもとへ戻っているんじゃないんですか」バー
ンズは笑い声で言った――「年寄りの紳士だとか、浴室の椅子に腰かけている中風の患者だとかは、またナンバー・ワンの容疑者になっている――作者がそんなに見えすいた手を使うことはよもやあるまいと読者は考えるものですからね。それはともかく、これは推理小説じゃないんですから、ムーン老人が犯人でないことは間違いありません」
「そうなると残るはきみとぼくと三人の女の子だけだ」皮肉な笑みを浮かべてイー
デンは言った。「なかなか面白い情況じゃないか」
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