私がムカムカイライラするのは、これも思い過ごしとはわかっているが、こうやってのべつまくなし、顔を見ると「お休みですか?」と聞く人って、「わあ、いいですね、大学の先生は」と言うか、「まあ、大変ですね、大学の先生も」というか、どっちにしたって、要するに、「それに比べて自分は恵まれてないなあ、不幸だなあ」と自己憐憫に酔うか、「恵まれてるようで、案外この人不幸なんだなあ、私の方がましかも」と自己満足にひたるか、どっちかをめざしてるとしか思えないからだ。そして私は実にしばしば、こういうかたちの「自己発見」「自分探し」の基準の対象に選ばれてきた実感があるからだ。独身だとか、外見だとか、地位だとか、収入だとか。やめてほしい。能力だって、ごめんだね。私を基準に何かをあきらめたり夢見たりなんてしないでくれないか。休みがあろうとなかろうと、金があろうとなかろうと、健康だろうと病気だろうと、人のことなど気にするなよ。
私がこういう問いかけにいらいらする理由の一つは、私の状況が休みなんだか休みでないのか、一口に言い表せないということもある。それは金でも健康でも同じで、正確に自分の状況を伝えることは実はかなりに難しい。ところが、こういうことを聞く人というのは、休みかどうかいつも何度も聞くことで、私の生活や状況を把握できたつもりになるのが恐ろしい。
案外それが、この手の質問で私が一番いらだつ原因かもしれない。私のことなど何も知らないのに、知ったつもりになろうとしている人がいるということが。
思えば私は家族にも同僚にも指導している学生にも地域の隣人にも、親しくしてはいても、個人の予定や生活は何も教えていない。いつが休みか忙しいか熱があるか金がないか、まったく気にしないで学生は私に指導を求めてくる。家族も私の予定などまったく聞かず、必要な時だけ私と予定を調整する。同僚や地域も同様。これこそが私は実に快い。よくぞ周囲をしつけたものだと自分をほめてやりたいぐらいだ。
結局、私の私生活に口をはさんでくるのは、時々顔を出すお店の人だけというわけか。あれま、かなりぜいたくな悩みかもしれないな、この状況は。