「吉野の雪」あとがき

     あとがきにかえて   ― 佐藤忠信への手紙 ―

    
佐藤忠信様
 私の友人に中司圭子という、当年とって三十三才になるオールドミスがおります。しがない大学の国文の先生をしておりまして、およそ色恋沙汰などにはとんと無縁な女ですが、なぜかあなたに、ほれております。
 もっとも別に彼女だけでなく、私の友人たち、むろん私も、大なり小なり皆あなたのファンです。いったいどこがそんなにいいのかよくわかりませんが、とりとめのないおしゃべりの間から出た結論では、「みちのくから来たというのがいい」「兄弟というのがいい」「義経に忠実というのがいい」などというあたりに落着きますようで…。
 何も私たちにはじまることでもないようですね。中司圭子の母上(これがこの作中の荘司尼のモデルなんですって、おとろしー)は、小さい圭子がよんでいた「義経物語」をよんで、「この兄弟がかわいらしい、かわいらしい」と、そればっかり言ってたそうですし、もう九十才近いおばあさんは、若い頃からなぜか「義経千本桜」の大ファンなのですって。で、圭子めはいばるのであります。
 「忠信ファンということでは、私の家系が一番由緒正しいのじゃぞー」とね。
 ですけど、他の友人たちも彼女になかなか負けてはいなくて、たとえばNHKはじめ、いかなる局のドラマにおいても、佐藤忠信を演じた役者には、義理として皆ほれてしまうというバカとか、忘れもしないNHKの大河ドラマ「源義経」で忠信役だった目もとすずしいきれいな若い俳優さんが、のちにどっかのポルノ映画に出てをのを見て(映画を見たんじゃありません、新聞広告見ただけだそうです、 念のため)一晩ヤケ酒のみあかしたバカとか、最近あなたの故郷の信夫に行き、医王寺まいりをして、あたりの景色の美しさに心をうたれ、「二人とも帰りたかったでしょうねえー」とため息をつき、なおかつ、その地に今では「忠信もなか」と「バウムクーへン継信」というおかしが売られているのに仰天し、仰天しつつ買ってきて私たちに見せびらかし、一つもわけてはくれないで、全部一人でかみしめて食べちゃったバカとか、言えば、かぎりがないのですよ。
 私と圭子とは、一応その中では冷静な方で、ただ、いろいろな日本の古典の中に、そう思ってみると、本当によくあなたがとりあげられているのを見て、昔から人々は、あなたにひきつけられたのかなあなどと話しあっていました。近松の作品にも、謡曲にも、舞にも、本当にあなたはよく登場してきます。自浪五人男の一人だって忠信利平で、あなたをもじっているぐらいですしね。
 そんなあなたなのに、幸か不幸か、最近の義経を扱った文学の中では、あなたはちょっとひかえめで、いつも定説にのっとって、つつましく義経のそばにひかえ、あまり奔放に登場してはくれません。吉川英治さんも村上元三さんも司馬遼太郎さんも、あなたを好意をもって扱ってくれてはいますが、吉野での奮戦とか、堀川館での最後とかはほとんど書いてくれず、吉川さんも村上さんも、「吾妻鏡」の説をとって、あなたを九月の暑い日に死なせることにしています。どうせ吉野であなたが戦ったということからして、「義経記」にそれとあるだけで、史実かどうかわからないのだから、吉野で残ったことにするぐらいなら、やっぱりあなたを堀川の館で死なせてほしい、と圭子はよくぼやいておりました。
 本当はどうだったのでしょう。本当のあなたがどんな人だったのかは、私にはわからないし、多分誰にもわかりません。怒らないで下さいね、それをいいことに、圭子はついに、大胆不敵にも、あなたが義経さまを、実は憎みとおしていたのだという恐るべき話を書いてしまいました。
 そして圭子は、この話の中で、これまで自分がかかえてきた、夢と現実の問題、中央と地方の問題、恵まれた者としての生き方の問題、そういったもののすべてに一つの結論を出すことができたとほざいております。
 かつまた彼女は、はじめの内、何も見ないで、あなたとお兄さんを二つちがいにしたり、義経さまのよろいの色を紫裾濃にしたりしておいたら、あとで調べたら、全部それがそのとおりだった、私には何かがついておる、と口走ったり、この物語の中には、いわゆる「平家」「義経記」などにはっきり出てくる人物以外の架空の人物は一人も登場させてはおらぬ、これが作家の良心じゃ、といばったり、日頃の冷静さもどこへやら…ほんとにあなたが、ついたのかしら。
 たしかにまあ、たとえばあなたのひざで遊んでいたお兄さんのあの子は、のちに義信と呼ばれるあの子だし、あのおだやかなお義姉さんと、あのけなげなみちのくの娘さんとが、のちに、あなたのお母さんをなぐさめて、あなたたちのよろいかぶとを着てみせる「二人の嫁」になるのですものね。それをのちに芭蕉があそこを通りかかって感動して「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」とよむのですよね、キャイキャイ。(20世紀の日本ではこのような奇怪な嘆声がはやっております)
 あなたを主人公にした話は、圭子にかぎらず私たち皆が、何度も書こうとしてきました。とりわけあなたの死んだと同じ年、二十八才になったときには、皆必死で、「今書かなきゃもうだめ」と言って、いくつも書こうとしました。しかし、なぜか皆失敗しました…多分、女の人が書けなかったからでしょう。
 そして私たちは皆、あなたより年増になり、三十一才で死んだ義経をも追いこしました。そして皆が「あーあ」と顔を見あわせてため息をついていたころ、何と突然、中司圭子が書きました。
 彼女はある日、大学で、ひょいと、学生たちに「平家物語」のあらすじをしゃべってやったのだそうです。別にあなたのことにはふれなかったのに、しゃべって、帰ってくる途中、急にもう、あなたのことがいとおしくてたまらなくなり、帰って、こたつに入るなり、一気にボールペンをつかんで、終章全部を、書いたのだそうです。それからきっかり、本当にきっかりとひと月かけて、この物語を、彼女は完成させました。彼女は昔々、高校のとき、ノートのはしに、冒頭の場面だけを走りがきして、 それを大切に持ちつづけていました。それを彼女は、そのまま使っているそうです。冒頭、あなたが雪の岩の上にいる場面から、あなたが立って歩き出すまで、何と、十六年かかっているのです!
 なぜかいつも、あなたを主人公にしたこの小説の題は、私たちは「吉野の雪」ときめていました。多分、圭子がその冒頭の一文を、かりにそう呼んでいたからでしょう。この作品が結局彼女によって完成させられたことは、その点で、よかったのかもしれません。もうはじめからこうなることと決まっていたのかもしれません。
 これからも私たちは年をとりつづけ、二十八才で死んだあなたをますます追いぬいていくでしょう。しかし圭子がこれを書いてくれたことで、あなたといつでも会える場が一つできたような気がして、少しほっとしています。圭子も、私たちも、よい作品をかこうとしたわけではありません。あなたと会う場がほしかったのです。「平家」「義経記」「新・平家」…その他の義経さま関係の本をひっくりかえしては、あなたがちらちら出てくるのをさがしつづけるのにうんざりして、「どうしてもっと彼のこと書いてくれないのよう」「ええい、私たちが書いちゃおうよ!」と、だいたいこういう心境で、書きはじめたお話なのです。
 圭子が書いたものですが、このお話の内容については、そういうわけで、私たち皆が責任があり、書いてあることに多々ご不満の点があっても、忠信さま、どうか、圭子にだけとりついて、とり殺したりなさいませんよう。(彼女にだけそんないいめを見せてやることはありません)そして、今、あなたがどこにおいでになるのかわかりませんけれど、たとえば義経さま、荘司の尼さま、その他のこの作品の登場人物の皆々さまに、ご連絡がとれるようでしたら、その方々にも、どうぞ、くれぐれも、 気を悪くなさいませんよう、よろしくおとりなし下さいませ。
 何しろ、私とならんで冷静をほこっていたはずの圭子まで最近少々おかしくて、あなたのふるさとの医王寺で、あなたとお兄さまのお墓の前の鉄さくにもたれて、「いつまでもこうしていたい」とつぶやきましたら、ぎいっと鉄さくがひとりでに中にひらいちゃって、「カギがかかってると思ってたのに…あれはきっと二人が私を呼びいれてくれたのだわ」と、十六、七の小娘でも恥ずかしゅうてようロにできんようなことを申したり、そのあと、何でも、あなたたちのお墓のそばにある、お父さまの基治さまと、お母さまのお墓の前に行って、「お父さん、お母さん、息子さんを私に下さい。きっといい作品を書きます」と言ったとか言わないとか…。年増が狂うと恐しい、と私ひそかに嘆息しておる次第です。
 お心ひろくがまんして、どうか圭子のこの作品の成功を祈ってやって下さいね。そしてこれからも末長くおつきあい下さい。あまりご迷惑かけないように、私たちも自重いたしますので。
 「義経記」を信じるなら、もうすぐ年があけて一月六日、あなたの命日がまいります。あやしげな計算を必死でくりひろげて、あなたと義経さまは辰年(私の計算ではウサギになる!)ではあるまいか、などと言っておりますわが友人たちは、あなたの命日までに、何とか圭子のこの作品を清書し、コピーをとって各方面に発送し、かつまた出版の手続をとってしまえ、と私にしつこくせまっています。完成したらあなたのお墓に報告に行こう、と言ってる者もいますが、私は冷たく、あなたのお墓は福島の医王寺だが、首は鎌倉に埋められたはず、死んだのは京の堀川、どこに行くのじゃ、と皆をあしらっておるところです。
 圭子の言ってる恐しいせりふで、このお手紙をしめくくりましょう。
 「どこだっていいけどさ、早く行っておかないと、私のこの小説が発表されたら、どこも皆、名所になっちゃって、観光客が押しかけて、ゆっくり風情を楽しめなくなると思うわよ!」
   
                                一九七九.一二.一五.
  
                                       板坂耀子
    
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