なぜかいつも、あなたを主人公にしたこの小説の題は、私たちは「吉野の雪」ときめていました。多分、圭子がその冒頭の一文を、かりにそう呼んでいたからでしょう。この作品が結局彼女によって完成させられたことは、その点で、よかったのかもしれません。もうはじめからこうなることと決まっていたのかもしれません。
これからも私たちは年をとりつづけ、二十八才で死んだあなたをますます追いぬいていくでしょう。しかし圭子がこれを書いてくれたことで、あなたといつでも会える場が一つできたような気がして、少しほっとしています。圭子も、私たちも、よい作品をかこうとしたわけではありません。あなたと会う場がほしかったのです。「平家」「義経記」「新・平家」…その他の義経さま関係の本をひっくりかえしては、あなたがちらちら出てくるのをさがしつづけるのにうんざりして、「どうしてもっと彼のこと書いてくれないのよう」「ええい、私たちが書いちゃおうよ!」と、だいたいこういう心境で、書きはじめたお話なのです。
圭子が書いたものですが、このお話の内容については、そういうわけで、私たち皆が責任があり、書いてあることに多々ご不満の点があっても、忠信さま、どうか、圭子にだけとりついて、とり殺したりなさいませんよう。(彼女にだけそんないいめを見せてやることはありません)そして、今、あなたがどこにおいでになるのかわかりませんけれど、たとえば義経さま、荘司の尼さま、その他のこの作品の登場人物の皆々さまに、ご連絡がとれるようでしたら、その方々にも、どうぞ、くれぐれも、
気を悪くなさいませんよう、よろしくおとりなし下さいませ。
何しろ、私とならんで冷静をほこっていたはずの圭子まで最近少々おかしくて、あなたのふるさとの医王寺で、あなたとお兄さまのお墓の前の鉄さくにもたれて、「いつまでもこうしていたい」とつぶやきましたら、ぎいっと鉄さくがひとりでに中にひらいちゃって、「カギがかかってると思ってたのに…あれはきっと二人が私を呼びいれてくれたのだわ」と、十六、七の小娘でも恥ずかしゅうてようロにできんようなことを申したり、そのあと、何でも、あなたたちのお墓のそばにある、お父さまの基治さまと、お母さまのお墓の前に行って、「お父さん、お母さん、息子さんを私に下さい。きっといい作品を書きます」と言ったとか言わないとか…。年増が狂うと恐しい、と私ひそかに嘆息しておる次第です。
お心ひろくがまんして、どうか圭子のこの作品の成功を祈ってやって下さいね。そしてこれからも末長くおつきあい下さい。あまりご迷惑かけないように、私たちも自重いたしますので。
「義経記」を信じるなら、もうすぐ年があけて一月六日、あなたの命日がまいります。あやしげな計算を必死でくりひろげて、あなたと義経さまは辰年(私の計算ではウサギになる!)ではあるまいか、などと言っておりますわが友人たちは、あなたの命日までに、何とか圭子のこの作品を清書し、コピーをとって各方面に発送し、かつまた出版の手続をとってしまえ、と私にしつこくせまっています。完成したらあなたのお墓に報告に行こう、と言ってる者もいますが、私は冷たく、あなたのお墓は福島の医王寺だが、首は鎌倉に埋められたはず、死んだのは京の堀川、どこに行くのじゃ、と皆をあしらっておるところです。
圭子の言ってる恐しいせりふで、このお手紙をしめくくりましょう。
「どこだっていいけどさ、早く行っておかないと、私のこの小説が発表されたら、どこも皆、名所になっちゃって、観光客が押しかけて、ゆっくり風情を楽しめなくなると思うわよ!」