「そこまでは言うまいと思っていましたが、申します。兄上を殺したのは、あなたです。あなたのその、虫のいいあこがれが、私たち二人を戦いにむかわせ、兄上を、あんな砂と石ばかりの浜べで死なせたのです。兄上の墓は、荒れる海に面して、汐風に吹かれています。塚が倒れれば、もう花をたむける人もいないでしょう。信夫の里の丘も小川も、紅葉も若葉も、もう兄上は見ることができない。多分、あの浜には雪もふらぬでしょう。ここを思い出させてくれるものは何もない、岩の間に、兄上
はいます。これがあなたの夢の結末です」
よくもあんなことが言えたと今でも思う。少し狂っていたのかもしれない。母のことばにあの、よく知っている、一種のなまめいた、うきうきしたひびきがにじみはじめたと思ったとたん、頭の中に火花が散って、何ひとつわからなくなってしまったのだ。
気がつくと、母が、ひきつったような蒼白な顔をして、私をにらみ返していた。
そんな顔の母をまだ一度も見たことはなかった。人間の顔ではない。何かを力まかせにはぎおとされた、死人のような顔である。しらじらとうつろな、荒れはてた古家のようなその目の中に、突然、何かをやきつくすような、すさまじい炎がもえ上がった。
「それならおまえはどうなのだえ?」
しわがれた、老婆のような声で母は叫んだ。
「おまえはなぜ、義経さまに従った? 私のことばかりせめて! おまえがついていかなければ、継信だって行きはしない。死にもしなかったろうよ。なぜそうしてくれなかったのです? なぜ一人で帰ってくるの? 帰ってきたと思えば、えらそうに、わけのわからぬことをならべたてて、私をさげすみ、私をせめる、そんな子よりも、継信が生きて帰ってきてくれた方がどれほどよかったかしれはしない。なぜおまえが死ななかった? え? なぜ継信が帰って来ないの? あの子はここを愛していた。海のそばの荒地の中でも、そなたなら耐えられるだろうにね。そなたの冷たい心なら…」
「おやめになって下さいまし!」
障子の外ですすり泣きのまじる鋭い声がひびいた。反射的に私は障子を開き廊下に出た。あの娘がうずくまって、身も世もなげに泣いていた。
母も廊下に歩み出てきた。まだ眉をつり上げ、唇をひきつらせて、彼女は私に向かって叫んだ。
「継信を殺したのは、そなたです!」
「あなたですよ。ご自分でおわかりのはずだ」
私も言い返した。
「やめて下さい。お二人とも、どうかおやめになって下さい」
娘の声が弱々しくひびいた。
「聞いていられない。お願いですから、やめて…」
兄がいたら、と私は思っていた。
こうなる前にどこからか、きっととびこんで来てくれたろう。
歯をくいしばりながら私はまん丸くなっている娘の身体をよけて、歩き出した。
「そなた…どこに行くの?」
母がとげとげしい声を後からかけた。
「馬に鞍をつけて、京に戻ります」
そっけなく、私は答えた。
「私がいても母上には、もう目ざわりなだけでしょう」
へやにたちより、まだほどいてもいなかった荷物をつかんで、私は郎党を呼び馬のしたくをさせた。やっとくつろいだばかりだったらしい郎党たちは、あっけにとられ、もうひきかえさねばならぬのかと絶望して、泣きそうな顔をしていた。
「したくは私の馬だけでいいのだ」
私は安心させてやった。
「おまえたちはゆっくりしていろ。初めの予定通りでいい。私は一足先に帰る」
半分ほっとし、半分気がかりそうな顔をしている彼らをのこし、門を開けさせて、夜の中に、私はかけ出した。
※
怒りをひづめでたたきつぶすように、私はただ、かけにかけた。まっしぐらに広い草原の中に入った。地平線まで、星が見える。
と…。
闇の中に、馬のひずめの音が、もう一つひびきはじめた。やがて、激しく白いあわを吹きながら、目を血走らせた馬の首が、すぐそばにあらわれてきて、私の馬に、ひたと並んだ。乗っているのはあの娘だった。
「忠信さまっ」
風の間に声がちぎれる。夢中で馬をとばせているから顔は前に向けたままだ。娘の馬は私を追いぬきかけている。一瞬、ほんのこころもち、私がたずなをゆるめたとき、娘は半身、私をぬいて、どんと斜めに馬を私の馬の首根へうちつけてきた。
「行かないで。戻って下さい! 私が悪かった。戻って下さいませ!」
おまえは何も悪くない。私はそう言おうとした。二頭の馬がぶつかりあってぐるぐる回り、私たちは激しくゆれた。娘の髪は風に吹きちり、目はつり上がって細められ、顔は血の気を失っていた。
その指がたずなを振って空にすてた。あっと思ったとたん、馬の背から空をとんで娘は私にとびついてきた。まさかと思っていたものだから、抱きとめるのがやっとだった。たずなが火のような熱さで手のひらの中をすべってはずれていき、私たち二人は馬からころがり落ちた。
馬の足が数本、すれすれに、私の頭のすぐそばを通った。それにも気づかないように、草の中で娘は私にしがみつき、死にもの狂いで、ただくり返すのだった。
「帰って下さい。お母さまに会って下さい。私が悪うございました。帰って下さい。私がいけなかった」
私はどうしようもなく疲れてきた。ばかばかしくなってきて、ぐったり私は身体の力をぬいてしまった。
「…放して下さい」
娘をしがみつかせたまま、私はぼんやりした声で言った。
私の身体から顔を上げて、娘はたしかめるように私を見た。
「帰って下さいますか?」
「とにかく、起きて下さい。馬がにげてしまう」
「お母さまから、言いつかっていました。あなたを、よくお迎えするようにと。…それなのに、私は。愚かな、田舎者で、何もわからなくて、…あなたに何を言ったらいいのか」
せきこみながら、とぎれとぎれに娘は語った。泣く間も惜しいと言ったように、あわただしく鼻をすすっていた。
「あなたが悪いのではない。悪いのは母だ」
「お母さまは、いい方です」
思いがけないほどきつく、娘はそう言い返し、荒々しく私の胸をゆさぶった。
「忠信さまには、おわかりじゃないのです。お母さまは、お淋しくて…あなたのことばかり言っておられて、あなたのことを話す相手がほしいばかりに、私のようなものでも、こんなにもかわいがられて…。あなたがそばにいらっしゃらないから、あなたにゆかりのあるものを、この地につくって、手もとにおいておきたいとお思いなのです」
草が回りで鳴っていた。私の背中の下で土はつめたく、私の心も冷えきって、そのくせ、そのどこか奥では、暗い炎がちらちらと舌を動かしはじめていた。
「あなたはそれで、満足なのか? あの人の好む世界を、作り出させるためだけに、そうやって生かされていて!」
「ごめんなさい…許して下さい」
娘はふるえあがったように、再び私にきつくしがみついた。
「私の言い方がうまくないので、どうしてもうまくお話できなくて」
「言わなくてもわかっている。私があなたを抱けばいいのか。あなたを愛すればいいのか。そうすれば満足するのか。あなたも、母も」
何が私をそれほどに怒らせたのかわからない。娘がどんな顔をし、何を言ったのかも覚えがない。私は娘の腕をつかみ、はねおきざまに逆にその身体を、大地の上にたたきつけて押し倒した。
「それならばそうしてやる。私の子どもがほしいなら生め。私の種がほしいなら、おまえにくれてやる。みちのくに。母に。だが言っておくが、それでおわりだ。私は二度とここには帰らぬ。母にそう、伝えておけ!」
娘が悲鳴に近い声で、何かしきりに叫んでいた。だがもはや、そんなことを、私は聞いていなかった。考えてみれば、そのときほどに、私の心も身体も激しく燃えたことはない。それにしてもなぜ私がこうやって、人と愛しあおうとするときに、それはすぐ、憎しみと結びついてしまうのだろう。
草の中に横たわったままの娘をあとに残して、私はさっさと馬に乗った。鞍にはさんでおいた鞭をとって、馬を勢いよく走り出させながら、本当に、もう帰るものかと私は思いつづけていた。後へ後へと流れ去る草原の色を、山の端のすじを、心にきざみつけながら、同時に次々、ふりすてた。ここでおこったことのすべてを忘れ、会った人のすべてを忘れる。ここはもう私のふるさとでも何でもない。あの娘とあの母が、私について勝手に何を語ろうと、私の子どもがこの地に生まれて育とうと、ここはもう、私のふるさとではない。
兄も死んだ。私がもうこの国の思い出を、誰と語りあう必要もない。
冷たい涙がほおに流れた。風のせいだ、と私は思った。