「吉野の雪」(2の3)

第二章 みちのくの春に(3)

    六

 鎌倉、というと私はなぜか、平泉で殿をつきとばしてしまったときのことばかり思い出してしまう。それは多分、私たちがここにいた間、いつも新しい館や役所がたてられつづけていて、どこを歩いても、のこくずの香がしたからだろうと思う。海の香と、若葉の香が、それにまじりあっていた。なぜか、鎌倉の冬の記憶が私にはあまりないのだ。ほんの三年ほどしかいなかったせいもあるが、春のことばかり思い出すのは、あたたかい国に来て初めて迎える春だったせいだろうか。
 鎌倉の海は、少し黒ずんで、みるからにあたたかそうだった。
 ここに来て、義経さまの家来たちの様子には、また、いく分か変化が見られた。海べに近い小さな館に我々主従はくらしていたが、みちのくではあれほどのびのびしていた弁慶や義盛はじめ一同が、妙におとなしくなり、前よりも、ひっそりと、義経さまの家来ということで、一つにまとまろうとしはじめた。
 何か、鎌倉には、人をそんな気持にさせるものが、あることはあった。山と海にはさまれたせまい土地に、たてつづけに家がたち、人があふれていくさまは、力強いというより、どこか混乱していて、しかも気がつくと、頼朝さまのお力が、すみずみまで行きわたっていて、いつもどこかから見はられているような感じのするところがあった。殿とちがって頼朝さまは、あまり皆の前にお姿をお見せになるということがない。むしろ奥方の政子さまが被衣をかぶって、数人の供をつれて、道を歩いておられるのをよく見かけた。
 頼朝さまは、ここに集まらて、ひしめいている源氏の豪族たちを、しっかりと支配なさるため、わざと姿をお見せにならず、重々しくしていられたのかしれない。殿にも他のご兄弟にもそう親しくはつきあわれず、むしろ政子さまの実家で、旗上げのときから後だてだった北条一族と何ごとも相談されているようだった。そして、その北条家の人々も、決して頼朝さまに近いということで、いばるのではなく、いつも町のあちこちを馬でかけては、忙しそうにてきぱきと、いろんな指示を与えており、どこか無表情な機械のようなその正確さは、逆に自信を感じさせた。
 あたたかい海の色と、次々たっていく家と、どこかから寸分のすきもなく支配されているという緊張感。そのちぐはぐさ、居心地の悪さが鎌倉なら、それは奇妙に私の、そのときの気分とあっていた。いて愉快というのでもなかったが私はこの新しい都が好きだった。そして、少し淋しそうな殿と、それをおしつつむようによりそっている仲間たちとが何かうっとうしく、仕事のひまを見つけては、よく一人歩きをした。
 町の通りや、山の方には人が多い。海へ行くことが多かった。舟が並んだ砂浜があって、つき出した岬のはしでは、土地の男たちや、下っぱの侍たちが魚をつっていた。ときどき私は、彼らのそばに腰を下ろし、彼らがげらげら笑いながらやりとりしている、嘘か本当かわからない噂話や、頼朝さまと政子さまにまつわる冗談などに耳をかたむけながら、海を見ていた。
 ある日、そうやっていると、使いが一人走ってきて、私のとなりにいた侍に、何か耳うちした。急な用だったらしく、侍は舌うちして、あたりを見回すと、私に、ちょっと持っていてくれ、と関東なまりの早口で言い、竿をおしつけて、行ってしまった。
 しばらくすると、黒っぽい大きな魚が一ぴきつれた。そばの男に教えてもらって新しい餌を針につけようとしていると、さっきの男が戻ってきて礼を言い、別れぎわに、その魚を私にくれようとした。私が断わると彼はにやりと、ぼさぼさ髪の下の目で、笑った。
 「仕事を怠けて来てるのか? どこのお館に仕えてる?」
 「義経さまの…頼朝さまの弟の」
 「そんな弟御がいたかな」
 男は思い出せなかったらしく、ちょっと首をひねる風だった。
 それ以上、、互いのことは話さなかったが、その後もときどき顔をあわせている内に、男は自分の竿を私に貸してくれるようになり、二人で並んでつりをしたりした。
 そこで私は初めて間近に頼朝さまとお会いしたのだった。
 その日は潮のかげんがよくて、魚がわりによくつれた。男たちは例によって、べらべらとつまらぬ冗談を言いあいながら、きげんよく魚をつっていた。後の松林の方から誰か歩み出してきたのはわかっていたが、魚つりに来た一人と思っていた。
 その影は、しばらくの間、私たちの後に立っていた。ふり向いた男たちの何人かの唇から、あっというような叫び声がもれて、皆があわてて、竿を上げはじめたとき、おだやかな、丸い感じの声がした。
 「よく、つれておるようだな」
 はあっと皆が口ごもって異口同音に答え、私のとなりの例の男などは、両手をついて平伏していた。
 私はというと、まだ竿をあげなかった。もしかしたら、頼朝さまだろうか、とちらと思ったが、そのとき糸が動いていたせいもある。
 竿をあげると、銀色の魚が空に舞った。それをひきよせ、針からはずし、草の上においてから、私は初めてふり向いた。
 頼朝さまが、私を見ていた。感情をあらわさない、おだやかな目だった。
 私はかすかに目礼した。
 「いずれの家人じゃ」
 頼朝さまの声は笑いを含んでいる。殿とちがって大柄なお方で、白い直垂がよく似あっておられた。烏帽子の下の額が広く、眉も目も、ゆったりと大きかった。
 「九郎の殿に、お仕えしております」
 頼朝さまは、こころもち目を沖にそらした。
 「九郎は、よいあるじか?」
 からかっておられるのかもしれない。唇のあたりに、お顔やお姿の大らかさに似あわぬ、意地悪そうな笑いがちょっとちらついた。一呼吸おいてから静かに私は答えた。
 「はい」
 「まことか」
 頼朝さまは再び私に目を戻した。しばらくながめていてから、言われた。
 「わしがもし、九郎と同じ身分にしてとりたててやるから、家人になれと申したら、そなた、何といたす?」
 私は笑った。
 「おっしゃってみて下さいませ」
 あいまいな微笑が頼朝さまの唇ににじんだ。私には何となく、お気持がよめた。私が殿に対して持っている一種の距離が、ときどき、人には、殿に仕えることに対する不満のようにとられることがある。本当はそんなものではないのだが…不満という、そんな、いいかげんなものでは。
 頼朝さまはゆったり笑いつづけたまま、そこをはなれて行かれた。
 だが、それから数日後、頼朝さまの御所に、殿のおともをしてうかがったとき、他の武士たちとともに、控の間に居ながれていた私は上の間の方で頼朝さまが、私をさして何か言い、殿がひどく恐縮したようにうつむいてしまわれたのを見た。そして、その帰り道、二人きりになったとき、殿は私にこう言われた。
 「そなたの気持はうれしいが、忠信。兄上にあまり…思ったままを言わないでくれ」
 「何のことでございますか?」
 「気にはしておられなくて、笑っていられたが…よい家来を持ったなと言われて」
 「岬で魚をつっていて、お会いしたのです。そのときのことでしょうか?」
 「そうだろう。そなた、日本国をもらっても、私をすてて兄上に仕える気はないと申したのか?」
 殿はそれを、うれしそうというより、困ったように言われた。頼朝さまのお気持を傷つけまいとすることにかけて、殿の心のくばり方は、弁慶たちがおいたわしいとかげで涙を流すほどで、私もときどき、度がすぎると思うことがある。
 しかし今は、そんなことより、私の方が呆然とした。
 「そんなこと申し上げておりません」
 私は叫んだ。
 殿は私を見たが、嘘を言っているのではないとわかったらしい。みるみる当惑し、途方にくれた表情をなさって、じっと考えこまれた。
 「それならどうして、あんなことを私におっしゃったのだろう?」
 「家来になれと言ったらどうする、とおっしゃいましたから、言ってみて下さい、とは申しましたが…冗談と思って。でも、それきりでした。そんなことは私は言っておりません。聞かれたら、言ったと思いますが」
 私はそのとき本当にそう思っていた。殿に対する気持がそうであろうとなかろうと、頼朝さまにはそう言いたかった。私は瞬間、理屈ではなく本能的に、頼朝さまを、実に、いやな方だ、と思った。どこか、どうしようもなく、心のいやしい方だと思った。そのへんにうろうろしておられる分には気にならぬが、主としてあおぐには、絶対許せない方であり、いることさえも思い出したくないところがどこかにおありになると感じ、心の中で私は一気に、汚ないものでも扱うように頼朝さまを切りすてて、二度とまともにその人のことについては考えないことに決めてしまった。
 殿にそのことを言いたかった。けれど私は固く唇を結んだ。この方を私は憎んでいるのだ、と、私は自分に言いきかせた。頼朝さまにないものを、どれだけたくさんお持ちになっているにしろ、多分、そのゆえに、この方を私は憎んでいるのだと…。それを忘れてしまったら、もう私には本当に、何もなくなってしまうのだと。
 殿は私の最後のことばが耳に入らなかったらしい。その方が私もよかったが。思いに沈みこんだお顔で、馬の手づなをとっておられた。
 月が出ていた。私たちは波うちぎわを通っていた。砂がざくざく馬の足の下でくだけ、沖から波がよせてきた。夜の月の光の下でも、鎌倉の海はどこかのどかで、笑っているようだった。山の方からとぼけたような、ふくろうの声がいくつも聞こえた。
  
       ※
   
 私たちがそうやって鎌倉でくらしている間に、都では清盛が熱病で死んだ。
 まもなく平家は木曽義仲に攻められて都を落ちたが、かわって都を支配した義仲は乱暴なふるまいが多く、京の法皇さまからの内々のご依頼もあって、頼朝さまはついに、殿と、同じご兄弟の蒲冠者範頼さまを大将にして、都にのぼって義仲を討つ軍勢をさしむけられることとなった。
 頼朝さまや範頼さまにとって義仲さまは御従弟、むろん殿にとっても五つ程上の従兄にあたるお人である。
 それでも何の疑いもなく、鎌倉の武将たちが戦いのしたくをすすめ、弁慶はじめ殿の側近の家来たちも含めて皆が、いざ手柄をたてるときが来た、とはりきっているのを、私は恐しいことに思った。
 母はどう思うだろう、と私は思っていた。
 母のあれほど憎んでいた平家を都から追いおとした、義朝さまの一族、義仲さまを、私たちがほろぼしに行くということを。
 鎌倉はいくさへの出発準備でわきかえり、ふだんおだやかな畠山さまや土肥さまたちまでが、よく大声で楽しそうに何かうちあわせをしながら、頼朝さまの御所の庭で殿を待っている私のそばを通っていかれた。若い侍たちの中にはよい馬をほしがって、直接頼朝さまにねだる者もあらわれたと聞いた。その話を聞いても誰も笑わず、口々に、自分にもその気持はわかる、と言いあった。
 殿のお館でも弁慶や義盛その他の連中が、よろいや太刀や弓の手入れに余念がなく、敵の中で手柄になりそうなよい相手を見わける方法や、首のとり方などを夢中になって話しあっていた。
 「忠信は、静かだな」
 ある日、頼朝さまの御所からの帰り、いつもの浜べの道を歩いているとき、殿がふっと私にそう言われた。
 「何でしょう?」
 「いくさのことだ。気にならないのか? いつも一人、静かにしているが」
 私は黙っていた。法皇さまからのご意向が伝わり、頼朝さまから殿に言いわたされたいくさである。その、討つ相手が気にいらないなどと私ごときが絶対に、言うことが許されないのはわかっていた。たとえどんなに気のおけないうちあけ話としてでも。そのことは殿にもわかっているはずだった。
 だが殿は私の返事を待つようにいつまでも黙っておられるので、とうとうしかたなく私は答えた。
 「はじめてのいくさですし、準備といってもよくわかりませんし」
 「それは私もそうだ」
 殿は笑われ、またしばらく、肩を並べて私たちは馬をすすめた。
 松林のかげをぬけたとき、殿が、一人言のように言った。
 「昔、鞍馬にいたころ私は、いつも、平清盛と戦って、父上の仇をとることを夢みていた」
 海の方を見ながら、殿は続けた。
 「いつも心配していたものだ。このまま、ここで私はむだな年月を送り、清盛は年をとって死んでしまうのではないかと」
 ふっとまた、殿は笑った。
 「その心配は本当になってしまった」
 清盛と戦いたかった、と殿は私に告げておられる…じいんとふしぎな思いに私の身体が重くしびれた。殿も多分、私と同じで、義仲さまと戦うことを決して喜んではおられない…
 私も海の方に目をそらした
 「頼朝さまのご命令だし…」
 私はつぶやいた。
 「ご命令なのですから…これもやはり、清盛と戦うのと同じことでしょう…源氏のためのいくさでしょう」
 「そう思うか?」
 「そうとしか考えられませんでしょう」
 私は小声で言った。
 しばらくしてから殿がふっと、吐息のように答えるのが聞こえた。
 「…ああ」
 私たちがそんな話をしたのはその時だけだった。
 そして、弁慶たちや、他の武将の方々の前では殿は決してそんな風情はお見せにはならなかった。

    七

 
 寿永二年十月、私たちは鎌倉を出発し、京に向かった。
 母があれほど語っていた宇治川の流れを、私は初めてこの目で見た。
 いくさそのものは、さしたることもなく、味方の大勝利におわった。義仲はほろびた。
 殿はそのまま京にとどまり、法皇さまから京の守護を、まかされた。
 六条堀川にある大きな館に私たちは住んだ。鎌倉にいた時と同じように私は殿のおともをして、よく御所や、市中の見回りに出かけた。
 ニヶ月ほどして、また新しい命令が私たちに下った。
 都を落ちて播磨の一の谷に陣をかまえている平家を討てというのである。
 殿は、土肥さまに本隊をまかせ、自ら私たち側近の者を中心としたわずかな手勢をひきいて敵の背後に回りこみ、断崖の上から平家の本拠地をおそって、再び大勝利をおさめた。
 平家は舟で、海にのがれた。敦盛、経正、知章、など、子どものような平家の若武者たちの首を次々、私たちは目にした。忠度も討死し、重衡もとらえられた。
 その戦いのあと、私たちが都に戻ってきたころから、殿の名は都の人々の間で有名になりはじめた。法皇さまや公家の方々も、殿のいくさぶりをほめそやし、それぞれのお邸に招かれたり、宮中に呼んでお話を聞こうとされたりした。
 けれども殿はいつもと変わらず、むしろ鎌倉の頼朝さまの方からあまり連絡がなく、これといった指示もないのを気にしておられたようだった。
 法皇さまが殿に官位を下さることになり、殿がそれをおうけしたのもそのころである。
 鎌倉の方にお許しをえないでおうけして大丈夫ですか、と弁慶が言うと、殿は珍しく眉をひそめてふきげんそうに、鎌倉には何を聞いても何も言って来ないのだから、と強く言われた。
 その官位をうけたあと、殿は忘れたように、鎌倉や、頼朝さまのことをぷっつり口にされなくなった。
 そして、ともすればおさえていた心をゆるめて、もともとなつかしく、住みやすかったらしい都のくらしに、のびのびと羽をひろげて、とけこんでゆかれるように見えた。
 もしかすると、あのころが、殿は一番幸せでいらっしゃったのかもしれない。
 そんな殿に私もつられてしまって、我にもなくふっと心が、殿に対して明かるく開いていることがあった。
 それはやはり、都というものが持っている一つの魔力だったのだろうか。
  
       ※
  
 そういえば一度、二人で京の町を馬で歩いていて、殿がふと、
 「まだ帰るのは早いな。都の北へ行ってみぬか?」
 楽しそうにそう言い出されたことがある。そう言われたとき、殿はもう、たずなをひいて、馬の首を、北へ向けかえてしまっていられた。殿が何かをロに出されるときに、それはもう、いつも半分実行なさっておられるのだ。
 その日は半日、公家たちと四国の方に逃げている平家追討のことについて話しあわれたあとだった。頼朝さまからはあまり使いも来ず、殿は公家たちとのそんな会議には、気苦労なさることが多かったようだが、御所を出て来て、庭で待っている私の手をかりて馬に乗るときは、もう、いつも、洗われたように涼しい顔をなさっておられた。そして、私と二人して、馬をすすめて、都の狭い裏通りや、柳の葉がゆれる大路を歩いていくとき、殿はいかにも楽しそうで、屈託がなかった。この辻の西に大きな寺があって、とか、この森をぬけると社があって、その門前に、今はもうあるかどうか知らないが、狐を飼っている小店がある、などとときどき私に話された。とある小さい土橋のたもとに立って、夕ぐれじっと耳をすましておられたこともある。何かおこるのですか、とたずねると、笑って黙っておられた。しばらくしていよいよ暗くなったころ、川のせせらぎにまじるようにして、いっせいに向かいの家々から、鼓の音がひびきはじめた。そこに鼓を教えている人か何かがいるらしかった。昔からこうだった、と、殿は川を見ながら言われた。昔をなつかしんでいるというより、思っていたとおりのことがおこることを、私といっしょにたしかめて、それを満足しておられるようだった。
 都の北へ行く、と言い出されたその日は、よく晴れていたし、会議は思ったより早くおわって、今から堀川の館へ帰っても、それほどしなければならぬ仕事があるわけでもなかったから、ふっと、その気になられたのだろう。
 やがて町なみはなくなってしまって、春の光に照らされた田んぼ道へとさしかかった。れんげが赤い花をつけ、曲がりくねったゆるやかな道の向こうに、青く、鞍馬の山が見えた。
 私たちは馬を走らせはじめた。京のあたりの風景は、木々も、枝も、花も、みちのくと比べると、人がこしらえたように細やかで小さく、そのくせ色が明かるくてみずみずしく、決して私の故郷を思い出させはしないのだが、それでもこうして広いところに出ると、二人とも、平泉で遠のりに出かけていたころのくせが戻ってしまうのだ。あとになり、先になりして、道を進んでいくうちに、気がつくと、山はぐっと目の前に来ていて、私たちは貴船川のほとりまでふみこんでしまった。
 殿は息をきらせながら目をあげて、馬上にうっそうとそびえる木々の、さしかわす枝々を見ておられたが、やがてまた、どんどん馬をかって、山の奥へと入って行かれた。
 人っ子一人出会わなかったが、川のほとりに道は細く続いている。
 「鞍馬へ行かれますか?」
 殿が小道を山中へ曲がったときに私はたずねた。
 「寺へたちよるひまはあるまいが、ふもとを回って戻るとしよう」
 はずんだ声で、殿が言われた。
 奇妙な声の鳥が鳴いた。川のせせらぎが次第に背後に遠くなる。細いふみつけ道がそこにもうねうねとあった。途中で、馬頭観音をまつった小さいほこらがあったので、私はそこからすぐ、右へ折れた。
 木々にかかって、じゃまになるので、私も殿も、烏帽子を折った。殿のうす青い狩衣が私の横や後でちらちら動いた。道がせまいので、いったん先に立つと、後に下がって入れかわることができないのだ。
 今度は川のせせらぎが前の方からひびいてきた。木々の葉ごしに明かるい陽の光が見えた。もう、日が長くなりかけているのだ。夕方近いはずなのに。
 間もなく枝々をはねのけて、二頭の馬は、さっきより少し広い道に出た。川はそこにも流れている。どちらからともなく私たちは、馬を水の中にのりいれて、小石の上にとび下りた。
 しいんと気持よいほど静かだ。大きい、苔むした石をめぐって、黒ずんだ澄んだ水がかなりの速さで流れて行く。殿と私の馬にたっぷり水をのませてから、二頭をひいて戻って行くと、岸の草の上に座った殿が、ちょっと不満そうな顔で私を見ていた。
 こんなお顔は、昔、殿がまだほんの子供で、平泉においでだったとき、ときどきだが見たことがある。何か面白い遊びを中断されたときや、気にいっていたものを、仲間の少年たちからとり上げられたとき、こういう表情をなさった。身よりもなく、秀衡さまの世話をうけておられたあの頃でも、殿は決して卑屈ではなく、気にいらないことははっきり表情に出されたのだ。特に、それに、こだわられるというのではないが自分の気持を無理にかくすということはおありでなかった。それにしても今そんな表情をなされるわけは、わからなかった。私が何かしたろうか? 馬の扱い方だったら、文句を言われない自信があるのに。
 「忠信」
 殿は不満といぶかりを、重ねあわせた声を出された。
 「そなた、都は初めてなのだろう?」
 「はい」
 私はぽかんとしていた。それを見て殿の方が今度はことばに困ったらしく、ちょっと顔をしかめた。
 「だったら…」
 「どうかしたのですか?」
 「さっき、馬頭観音のところで、なぜ右に折れた? 折れるとわかった?」
 はっとした。殿は続けた。
 「あれは、このあたりの者とか…よく寺に詣でる女たちぐらいしか知らないはずの近道なのに。だいたい、そなたはさっきからずっと、道を知っているとしか思えなくて」
 殿はちょっと照れ笑いした。
 「山の中の道を教えて面白がらせようと思っていたのに、少しがっかりした」
 笑う余裕もなかったし、何のごまかしも思いつけず、私はその場に立ちすくんでいた。
 風の音が聞こえてきた。吹きすさぶ風の音。信夫の里で、長い冬の夜を、風の音を聞きながら、灯をひきよせて、私はいつも、母が描く、都の絵図に、みとれていた。
 「…ここが、御所。ここが、加茂。ここに一面の野原があって…ここから川は、こう曲がる」
 母の手が動いて、波を描き、木を描く。曲がった山道をするすると書きのばす。
 「そら、ここで川が二つにわかれて、こちらは貴船へ、これは鞍馬へ。川のほとりに道があった。もみじ葉も散る。桜も散る。ああ、こことはちがって、何もかもが美しい。山々の間に黒ずんだ寺があって、夕ぐれになると、鐘がひびく」
 いつか母の手はとまってしまう。夢みるように語りつづけて、母はうっとり、まなざしを、灯の向こうの闇に走らせている。
 「大きな岩のあるあたりから、山の間へわけいると、小さな、もうくずれかけた馬頭観音のほこらがあって、そこから右に道を折れると、やがて鞍馬へ行く道に出る」
 何度聞いた話だったろう。何も、この道にかぎらない。京のたくさんの道すじを、私は母とともに毎日、毎夜、たどりつづけ、まだ見ぬそれを、目に描いていた。堀川。勘解由。東洞院。それらの名前のひとつひとつは、信夫の里の地名より、私にとっては近しかった。
 母の教えた話の中には、まちがっていたものもある。私が忘れたものもある。いや、殿が来たあの夜以来、私はそれらの地名も景色も、すべて忘れ去ろうとつとめてきた。私はみちのくの佐藤基治の息子である。都とは何のかかわりもない。そう言いきかせつづけてきていた。
 そして実際かなり忘れてしまえたのだ。
 しかし、今考えてみれば、都へやってきてからこの方、いろいろなものを見るたびに、私はよく、心の中で、ああ、思ったよりも小さい、とか、思ったよりも広い、とか考えていることが多く、そのたびに心のすみで、思っていたとは何のことだ? と落着かぬ気持になることが多かった。日が沈むころ、一人で馬を走らせていて、ぼうっと黒くそびえたっている塔や山門を見て、ああ、もしかしたらこれは、こういう名の寺ではないだろうか、と思って近づいていくと、山門の額に、まごうかたなく、そのとおりの名がはっきりと記してあって、妙に胸の痛くなるような思いをしたこともあった。川のほとりで、橋のらんかんに、書かれている橋の名を見ても、同じ気持になることがあった。そんなとき私はいつも、見られてはならないことをしているような、うしろめたい、恥ずかしい思いにかられ、いつまでもそこにいたいと思いつつ、そそくさとその場をはなれてしまうのだった。
 殿は、けげんそうに、つづけられた。
 「そういえば、これまでもときどき、都の中を歩いているとき、そなたは私より先に、知らないはずの辻をさっさと曲がっていってしまうから、変だなと思ったこともあったけれど…」
 一言も答えられずに私はうつむきつづけていた。殿に対して自分の気持をかくしとおしているぐらいだから、つじつまのあう言いわけを、その場その場ですることは、決して下手でない私なのに、そのときはなぜか、だめだった。どうしていいかわからないほど恥ずかしく、身のおき場もない思いがした。ほおに血がのぼって来て、私は耳まで赤くなった。涙が目ににじんで来た。
 殿はあきれたように私を見ていた。無理もないことだが、殿の方がびっくりされたのだと思う。まもなく殿は草の上から立ち上がり、私の手からご自分の馬のたずなをとって、「帰ろうか」と何ごともなかったように言って、馬にまたがった。
 帰り道、私たちはどちらも無言で、考えこんで歩きつづけ、ごていねいにも道をまちがえ、星が出るころ館にやっとたどりついた。弁慶たちは心配していて、私はその夜、さんざん兄に叱られた。
  
       ※
  
 多分、あのころ私は、どこか気がゆるみはじめていたのだ。だからあんな失敗をした。あの女と出会ったときにしても、そうだった。
 あの女…あの女…京の女。都を出るとき、あの女に、私は別れをつげなかったし、もともと、それ以前、平家を追って西国の戦いへ赴くときも、みちのくへ戻るときもとりたてて、そのために、あの女の家を訪れたことはなかった。あの女もまた、それを気にしている風はなかった。ともに夜をあかしたあとの朝はいつも、女は少し眉をよせて、ことさらに、きつい荒っぽい口調で他人めかして私にしゃべった。丸っこい、はずみのある身体で、陽気な声でよく笑ったが、そんなときの表情は、とげとげしくて、疲れてみえた。
 あの女のいる家へ私を連れていったのは、たしか伊勢三郎義盛と、駿河次郎だ。片岡八郎も含めてこの三人は、よくそのへんの女たちの家へ遊びに行っていて、泊まってくることも多かった。私が彼らより年下なのに、あまり遊びに出歩かぬのが彼らには目ざわりで煙ったいらしく、何かと口実をつくっては、私を連れて行きたがった。
 言わせてもらえば、彼らは忘れているのかしれぬが、私だって平泉では国衡兄弟たちといっしょに、村の娘たちとけっこうよく遊んでいた。義盛たちは殿の回りにかたまっていて、平泉の他の連中とつきあいが少なかったから、あまり知らないのかもしれないが。それが、鎌倉でも都でもほとんどと言っていいほど私が女とつきあわなかったのは、第一、仕事が忙しすぎたのだ。別に文句を言う気はないが、義盛にしろ、駿河にしろ、いくさ以外のときにはのんきなもので、全く何もしないというか、馬の手入れや武具の整理など、一応皆がやる仕事をしてしまったあとは、ひまでひまでしかたがないという顔をしていた。あとは町の女たちと遊んだり、昔の仲間たちらしいあやしげな連中のところに行って酒をのみあかしたりして、さまざまな情報を集めてくるのが、むしろ彼らの仕事だった。…面白かっただろうと思う。それにひきかえ、弁慶や海尊、私や兄は、なまじ少々文書の整理や訴訟事の裁定ぐらいはできるので、殿の手伝いで、そっちの方の仕事に追いまくられ、社寺からの願いごとの手紙をよりわけたり、法皇さまからの使いに殿の口上を伝える返事を書いたり、公家たちが殿に申しこんでくる会見の、どれが重要でどれは無視していいか決めたり、それにもとづいて殿の行動の予定をたてたり、目まぐるしいやら気を使うやら、一日おわると神経がすりへらされてくたくたになり、ばったり倒れて寝るだけだった。鎌倉でも少しはそうだったが、都に入ってからはそれがますますひどくなり、「ひまなときほど忙しい」と弁慶はよくこぼしていたのである。この上、女の相手など、正直いってごめんこうむりたかった。
 その夜、うかうか私が二人にさそい出されて出かけたのは、おおかた、二人のしつっこさに根まけしたのだったろうと思う。私はしつこくさそわれると、めんどうくさくなってきて、案外あっさり言うことをきいてしまうのだ。それに、義盛と駿河をきらいではなかった。かつて盗賊と舟のりだったというこの二人には、何か、私などには決してまねのできない、息をのむような気持のよさが、いつも、その生き方のどこかにあった。
 小さい家がいくつもいくつも背中あわせに立っていて、どの家からも明かりがもれる狭い通りへやってきて、二人はその一軒にあがりこみ、窓べに座って、ぼんやり庭をながめていた女を見て、「何だ、今夜はおまえ一人か」と言った。
 女はけだるそうにふり向き、「その内皆戻ってくるでしょうよ。お酒のしたくでもしましょうかね」と、投げやりな口調で答えた。まだ若いらしいのに、妙にたるんだ生気のない顔をしていた。
 「まあ、おまえでもかまわねえや。今晩こいつを泊めてやってくれ」
 駿河次郎がそう言って、私をそちらにつきとばした。
 女は感情のない目で私を見て、何も言わなかったし、私も黙っていた。
 ほどなく、女の言ったとおり、他の女たちが滑ってきて、酒もりがはじまった。私は二人に適当にさかなにされながら、どうせ酔いつぶれるのは二人の方が先だろうから、それから私は帰ればいい、と考えていた。義盛も駿河もロでいうほど酒は強くないのだ。
 はたして二人は、そのうちすっかりいいきげんになり、私のことなど忘れはてて、女たちと抱きあい、ころげ回り、わけのわからぬことをわめきちらしながら、どこかへ運ばれていってしまった。
 ころはよしと思って私が立ち上がり、門口からぬけ出そうとしていると、さっきの女が追ってきた。
 「逃げるのが上手ね」
 そう言いながら女は私と肩をならべた。
 「私の家は、そのすぐ向こう…来るんでしょ?」
 思っていたより酔っていて、少し休みたかったこともあるが、私もいたずら心がおこり、帰る前にこの女をからかってみるのも悪くないと思いはじめていた。
 「あの二人、いつもああなのか?」
 私はふり返りながら聞いた。
 女は首をかすかにすくめた。
 「そうね。よく来るわね。源氏のお侍たちは、にぎやかなのがお好きなよう」
 「平家はどうだった?」
 「気になるの? でも私、もう忘れてしまったわ」
 低い声で笑いながら、女は私の先にたって歩いた。
 やはり小さな暗い家の一軒に入っていって、女は灯をつけ、私を呼び入れた。
 「そこに座っていらしって。今、お酒のしたくでもするから」
 「酒はもういい」
 私はへやの中を見回した。すすけた低い天井で、障子の紙もくすんでいる。朱色の糸が色あせた小さいまりがすみの方に一つ、ころがっている。私は壁によりかかって、両手でひざをかかえた。
 女は灯のそばに片ひざついたまま、私を見ていた。
 「義経さまの、ご家来? あのお二人もそうだと聞いているけれど」
 「ああ」
 「堀川のお館にいるのね?」
 「知っているのか?」
 「誰だって知っているわよ。前にはあそこに義仲さまがいらしたでしょう」
 女はたもとで口をおさえた。
 「何がおかしい?」
 「あのお方のことではいろいろ面白い話があるもの。都のしきたりを何もご存じなかったとか…あら、蚊が出てきた」
 高い、かすかな羽音が飛んで、私と女の間を横切った。
 「このへんは虫が多くていやだわ」
 女はたもとを空にふった。
 「川が近いからだろう。それに灯が明かるいからひきよせられて飛んでくるのさ」
 「誰かさんたちのようにね」
 女は低く笑って立った。
 「とにかく、そこの窓を閉めましょう。少しはちがうわ」
 「まだいいだろう。そんなに虫がいるわけではないし」
 「通りからのぞかれるのよ」
 「そんなら灯を消したらいい」
 女はちょっと気おされたように私を見つめた。
 「落着いてるのね…」
 言いかけて女の目が、急に何かを思い出したように、大きく見開かれた。
 同時に、女と同じことに気がついて、私自身もあっと息をつめていた。
 私は京ことばを使っていたのだ。いつからだったかわからない。女も今になってはっとしたところをみると、二人のどちらも気づかないうちに、ひょいとかわってしまっていたらしい。
 昔なら珍しいことではなかった。信夫の里で私は母や京から来た旅人の前では都のことばを使い、兄や、里の子どもたちと遊ぶときはみちのくのことばでしゃべっていた。よくそうも使いわけられるものと、ときどき人があきれるほど、ことばのなまりから、口調の流し方まで完全にきりかえて、私は二つのことばをしゃべれた。
 都ことばをしゃべるのをぴったりやめたのは、それも、殿の来たあの夜以来だ。死んでももうしゃべるものかと固く心に決めていた。さすがに母の前ではそれまでのくせもあってやめられなかったが、殿がみちのくで京ことばをしゃべって、それが皆に通じなくても、意味がわかっていても私はそしらぬ顔で通し、むろん殿に対しては、いつも自分は奥州ことばで通しつづけていた。京に来て、他の東国の武士たちが面白がって京のことばを習おうとしたり使おうとしたりしても、私は絶対、仲間に入らなかった。
 それほど気をつけていたのに、みごとにうっかりこうして切りかわってしまったわけは、私にはすぐわかった。認めるさえもいまいましい理由からだ。平泉でも鎌倉でもこの京でも、京ことばをしゃべる女と話したことは私はまだない。そして、それが一番危いのだ…母といつも話をしていた私にとっては、一番つられやすい場合になるのだから。
 今さら何を思いめぐらしても、思いあたっても遅かった。私は唇を固くかんだ。太刀をつかむが早いかその場から立った。
 「帰る!」
 「お待ちなさいよ」
 女の声が急に自信ありげな笑いを帯びた。
 「何をそう急にあわてるのよ? 追いつめられた鹿みたいな顔をして。京の人なの?」
 「ちがう。そなたの知ったことか。そこをどかぬと斬るぞ!」
 「おお、こわいこと」
 女はたもとをくるくると胸にまるめて、逆に私に近よってきた。
 「今の私の早口をそれだけ聞きとるようであれば、これはますます東国や、みちのくの方とは思えぬけれど。お座りなさいよ。面白い方だわ。都に何か、恨みでもあるの?」
 私は聞いていなかった。口を開けて笑う女の肩ごしに光の動く町の通りが暗い木の間の向こうに見える庭の方へと目を走らせ、早く出ようとあせっていた。
 「どけと言ったら…」
 女をつきのけようとしたとき、逆に女に手をつかまれた。女は笑いつづけていて、その、鼻にかかった、子犬の鳴くような声を聞いている内に、私の頭はしびれてきた。背中にきつく回されてきた女の腕をひきのけようとしたはずの私の手から、太刀がすべって、床に落ちた。あけはなしの裏窓から月の光が四角く流れこんでいたのをぼんやり覚えている。冷たく硬い光だった。女の肌はその光の中に何度もちらちら動いては、またその外の闇の中に消えた。長い夜…そして暗い夜だった。女と抱きあったままのあけ方のまどろみの中で、私は自分が死ぬ夢を見た。どこか、荒れはてた館の縁先である。目の前にたくさんのたいまつの灯がゆれて、大勢の人が私を見つめている。私は刀を自分の腹につきたてて、それでも、どうしても、死ねないのである…

    八

       
 いくつもの夢が、消えていった。一つ、また一つと、重なりあった布が次々、すべりおちていくように。火のもえる音がした。そして誰かの重い足音。
 私ははねおきて、へやのすみにとんだ。
 危いところだった。せまい入口いっぱいに、腹巻をつけた黒ずくめの大きい僧兵のかげがあった。私がはねおきたと同時にそのかげは、おどりこんできて、太刀がふりおろされ、風がおこって、ばっと灰が散った。
 次の僧兵の姿がもう入口にある。狭い廊下いっぱいが、敵だ。
 私は手さぐりで壁に手をのばし、そこにたしかあったはずの狭い階段の手すりをつかむと、身をひるがえして、かけのぼった。
 階段の上に、板戸があった。ばたんとそれを下ろしてしめると、私はそばの壁にたてかけてあった経机を、しばって支えてあったなわをきり、机を板戸の上に倒れ落とさせた。これでもう彼らは上がって来られない。
 もっとも私ももう下りられない。
 いざとなれば自害できる場所だけがあればいいのだ、と思いながら、私はあたりを見回し、天井の低いへやの中を走って、外に面した障子をあけて、見下ろした。
 五十人近い僧兵たちが大なぎなたをふり回して雪の庭を走り回っている。火をかけろ、焼いてしまえ、と誰かが言っているのが聞こえる。
 閉めた板戸のすき間から、まもなく煙がのぼりはじめた。本当に火をつけたらしい。
 「九郎判官どの、九郎判官どの」
 庭の方から大音声に、そう呼ぶ声々がのぼってきた。
 「お覚悟めされて、出て来られい。そのままいては、焼け死にまするぞ。屋根から庭へ、とび下りなされい。お命は助けて進ぜるほどに」
 そして、どっと笑い声がおこった。
 とびおりる…それはいい考えだ。なぜか、そう思った。なぜだろう。私の頭の中で、とびおりる、ということばがひっかかり、何か、一つの風景をしきりに思い出させようとした。
 板戸は炎を吐きはじめている。
 ぱっと私の頭の中に、求めていた景色がひらめいた。疲れはてて、この塔に入ってくるとき、塔は、黒く雪の中にそびえていたが、その背後の一方に、たしか、見えた…ぐっとせり出した雪の崖がちょうど塔の三階あたりと、ほぼ同じ高さに。
 すぐに、私は障子をいっぱいに開け、屋根に身体をのり出して叫んだ。
 「気の毒だが私は義経さまではない。郎党の一人で、佐藤忠信というものだ。火をつけてくれたのはありがたい。ここで私は自害する」
 太刀をいっぱいに抜きはなち、それをわき腹にさしこむふりをして、私は後にとびすさり、彼らの目から姿をかくした。すばやく太刀をさやにおさめ、机をけとばし、板戸をひきはいで、はずした。
 炎が一気に吹きあげてきた。激しい煙に私はむせた。燃えている板戸を床に投げ、あたり一面を火にしてから、再び階段をかけ上がって、最上階までたどりついた。
 煙と炎が塔の下方を包んでいて、僧兵たちの姿もよく見えない。私は用心深く身体をかがめて、らんかんのへりを回り、崖のあったと思った方へ行った。
 見下ろして絶望した。たしかに、崖は塔の近くにあるし、そちらに人かげはないが、屋根から崖までの間は開きすぎている。しかも悪くすると、崖のはしは雪だけだろう。とびうつるのに失敗したら、庭にころげおちて、死ねればいいがもし万一、足でも折るか気を失ったらそれこそもうどうしようもない。
 ままよ、と私は心をきめた。これがとびこせないとしたら、私の運ももうそれまでだ。死のうと生きようと、やるしかない。
 よろいをぬいでいるひまはなかった。第一、よろいだけ見つかってはまずい。火はもう、二階をなめはじめている。私は屋根のはしまで歩み出し、思いきりはずみをつけて、崖のはしへと、身を投げた。
 思ったとおり、はしの方は雪のひさしだった。私の身体はずるっと沈み、夢中でのばした手の先が、それでも何とか、固い崖の土にふれた。身体が落ちていく前に、私はすばやく小刀をぬき、全力こめて土につきたて、両手でつかんで必死に身体をひきあげた。
 雪はずるずる身体の下でくずれていったが、崖にしがみつくかっこうで、何とか刀の柄をつかみ、くまざさの束をつかんで、私は固い地面までよじりのぼった。ようやく崖のはしに座って、小松の根もとに身体を支えたときは、目の前がくらくらして、耳ががあんと鳴りつづけていた。
 雪のくずれたあとで気づかれはしまいかとのぞいてみたが、その心配はなさそうだった。今、私がさっきまでいた塔は、ちょうどこの崖の高さの正面にあたる三階まで火につつまれてもえており、下の方でかけ回っている僧兵たちの声が炎の音と入りまじって、とぎれとぎれに聞こえてきた。
 こんなに近くてこんなに安全な場所はちょっと考えられない。私はかぶとをぬいで雪の上におき、僧兵たちのさわぎを見守った。
 日はとっぷりとくれてきた。塔がやけおちてしまったあと、かがり火をつけて僧兵たちは、私の死骸をさがしていた。この火の強さだから骨も残らなかったのだろう、と言いあっていたが、やがて、皆、ひきあげていってしまって、あとには夜目にも白い雪の中に黒々と大きな塔のやけあとだけが残った。
 私は立ち上がった。
 これでひとまず安心だった。当分追われる心配はない。
 我ながらよくやった。運もよかった。
 これがいつまで続くことやら…しかし今はとにかく山を下り、どこかで食物と着るものを見つけることが、さしあたっての仕事だった。