あの女のいる家へ私を連れていったのは、たしか伊勢三郎義盛と、駿河次郎だ。片岡八郎も含めてこの三人は、よくそのへんの女たちの家へ遊びに行っていて、泊まってくることも多かった。私が彼らより年下なのに、あまり遊びに出歩かぬのが彼らには目ざわりで煙ったいらしく、何かと口実をつくっては、私を連れて行きたがった。
言わせてもらえば、彼らは忘れているのかしれぬが、私だって平泉では国衡兄弟たちといっしょに、村の娘たちとけっこうよく遊んでいた。義盛たちは殿の回りにかたまっていて、平泉の他の連中とつきあいが少なかったから、あまり知らないのかもしれないが。それが、鎌倉でも都でもほとんどと言っていいほど私が女とつきあわなかったのは、第一、仕事が忙しすぎたのだ。別に文句を言う気はないが、義盛にしろ、駿河にしろ、いくさ以外のときにはのんきなもので、全く何もしないというか、馬の手入れや武具の整理など、一応皆がやる仕事をしてしまったあとは、ひまでひまでしかたがないという顔をしていた。あとは町の女たちと遊んだり、昔の仲間たちらしいあやしげな連中のところに行って酒をのみあかしたりして、さまざまな情報を集めてくるのが、むしろ彼らの仕事だった。…面白かっただろうと思う。それにひきかえ、弁慶や海尊、私や兄は、なまじ少々文書の整理や訴訟事の裁定ぐらいはできるので、殿の手伝いで、そっちの方の仕事に追いまくられ、社寺からの願いごとの手紙をよりわけたり、法皇さまからの使いに殿の口上を伝える返事を書いたり、公家たちが殿に申しこんでくる会見の、どれが重要でどれは無視していいか決めたり、それにもとづいて殿の行動の予定をたてたり、目まぐるしいやら気を使うやら、一日おわると神経がすりへらされてくたくたになり、ばったり倒れて寝るだけだった。鎌倉でも少しはそうだったが、都に入ってからはそれがますますひどくなり、「ひまなときほど忙しい」と弁慶はよくこぼしていたのである。この上、女の相手など、正直いってごめんこうむりたかった。
その夜、うかうか私が二人にさそい出されて出かけたのは、おおかた、二人のしつっこさに根まけしたのだったろうと思う。私はしつこくさそわれると、めんどうくさくなってきて、案外あっさり言うことをきいてしまうのだ。それに、義盛と駿河をきらいではなかった。かつて盗賊と舟のりだったというこの二人には、何か、私などには決してまねのできない、息をのむような気持のよさが、いつも、その生き方のどこかにあった。
小さい家がいくつもいくつも背中あわせに立っていて、どの家からも明かりがもれる狭い通りへやってきて、二人はその一軒にあがりこみ、窓べに座って、ぼんやり庭をながめていた女を見て、「何だ、今夜はおまえ一人か」と言った。
女はけだるそうにふり向き、「その内皆戻ってくるでしょうよ。お酒のしたくでもしましょうかね」と、投げやりな口調で答えた。まだ若いらしいのに、妙にたるんだ生気のない顔をしていた。
「まあ、おまえでもかまわねえや。今晩こいつを泊めてやってくれ」
駿河次郎がそう言って、私をそちらにつきとばした。
女は感情のない目で私を見て、何も言わなかったし、私も黙っていた。
ほどなく、女の言ったとおり、他の女たちが滑ってきて、酒もりがはじまった。私は二人に適当にさかなにされながら、どうせ酔いつぶれるのは二人の方が先だろうから、それから私は帰ればいい、と考えていた。義盛も駿河もロでいうほど酒は強くないのだ。
はたして二人は、そのうちすっかりいいきげんになり、私のことなど忘れはてて、女たちと抱きあい、ころげ回り、わけのわからぬことをわめきちらしながら、どこかへ運ばれていってしまった。
ころはよしと思って私が立ち上がり、門口からぬけ出そうとしていると、さっきの女が追ってきた。
「逃げるのが上手ね」
そう言いながら女は私と肩をならべた。
「私の家は、そのすぐ向こう…来るんでしょ?」
思っていたより酔っていて、少し休みたかったこともあるが、私もいたずら心がおこり、帰る前にこの女をからかってみるのも悪くないと思いはじめていた。
「あの二人、いつもああなのか?」
私はふり返りながら聞いた。
女は首をかすかにすくめた。
「そうね。よく来るわね。源氏のお侍たちは、にぎやかなのがお好きなよう」
「平家はどうだった?」
「気になるの? でも私、もう忘れてしまったわ」
低い声で笑いながら、女は私の先にたって歩いた。
やはり小さな暗い家の一軒に入っていって、女は灯をつけ、私を呼び入れた。
「そこに座っていらしって。今、お酒のしたくでもするから」
「酒はもういい」
私はへやの中を見回した。すすけた低い天井で、障子の紙もくすんでいる。朱色の糸が色あせた小さいまりがすみの方に一つ、ころがっている。私は壁によりかかって、両手でひざをかかえた。
女は灯のそばに片ひざついたまま、私を見ていた。
「義経さまの、ご家来? あのお二人もそうだと聞いているけれど」
「ああ」
「堀川のお館にいるのね?」
「知っているのか?」
「誰だって知っているわよ。前にはあそこに義仲さまがいらしたでしょう」
女はたもとで口をおさえた。
「何がおかしい?」
「あのお方のことではいろいろ面白い話があるもの。都のしきたりを何もご存じなかったとか…あら、蚊が出てきた」
高い、かすかな羽音が飛んで、私と女の間を横切った。
「このへんは虫が多くていやだわ」
女はたもとを空にふった。
「川が近いからだろう。それに灯が明かるいからひきよせられて飛んでくるのさ」
「誰かさんたちのようにね」
女は低く笑って立った。
「とにかく、そこの窓を閉めましょう。少しはちがうわ」
「まだいいだろう。そんなに虫がいるわけではないし」
「通りからのぞかれるのよ」
「そんなら灯を消したらいい」
女はちょっと気おされたように私を見つめた。
「落着いてるのね…」
言いかけて女の目が、急に何かを思い出したように、大きく見開かれた。
同時に、女と同じことに気がついて、私自身もあっと息をつめていた。
私は京ことばを使っていたのだ。いつからだったかわからない。女も今になってはっとしたところをみると、二人のどちらも気づかないうちに、ひょいとかわってしまっていたらしい。
昔なら珍しいことではなかった。信夫の里で私は母や京から来た旅人の前では都のことばを使い、兄や、里の子どもたちと遊ぶときはみちのくのことばでしゃべっていた。よくそうも使いわけられるものと、ときどき人があきれるほど、ことばのなまりから、口調の流し方まで完全にきりかえて、私は二つのことばをしゃべれた。
都ことばをしゃべるのをぴったりやめたのは、それも、殿の来たあの夜以来だ。死んでももうしゃべるものかと固く心に決めていた。さすがに母の前ではそれまでのくせもあってやめられなかったが、殿がみちのくで京ことばをしゃべって、それが皆に通じなくても、意味がわかっていても私はそしらぬ顔で通し、むろん殿に対しては、いつも自分は奥州ことばで通しつづけていた。京に来て、他の東国の武士たちが面白がって京のことばを習おうとしたり使おうとしたりしても、私は絶対、仲間に入らなかった。
それほど気をつけていたのに、みごとにうっかりこうして切りかわってしまったわけは、私にはすぐわかった。認めるさえもいまいましい理由からだ。平泉でも鎌倉でもこの京でも、京ことばをしゃべる女と話したことは私はまだない。そして、それが一番危いのだ…母といつも話をしていた私にとっては、一番つられやすい場合になるのだから。
今さら何を思いめぐらしても、思いあたっても遅かった。私は唇を固くかんだ。太刀をつかむが早いかその場から立った。
「帰る!」
「お待ちなさいよ」
女の声が急に自信ありげな笑いを帯びた。
「何をそう急にあわてるのよ? 追いつめられた鹿みたいな顔をして。京の人なの?」
「ちがう。そなたの知ったことか。そこをどかぬと斬るぞ!」
「おお、こわいこと」
女はたもとをくるくると胸にまるめて、逆に私に近よってきた。
「今の私の早口をそれだけ聞きとるようであれば、これはますます東国や、みちのくの方とは思えぬけれど。お座りなさいよ。面白い方だわ。都に何か、恨みでもあるの?」
私は聞いていなかった。口を開けて笑う女の肩ごしに光の動く町の通りが暗い木の間の向こうに見える庭の方へと目を走らせ、早く出ようとあせっていた。
「どけと言ったら…」
女をつきのけようとしたとき、逆に女に手をつかまれた。女は笑いつづけていて、その、鼻にかかった、子犬の鳴くような声を聞いている内に、私の頭はしびれてきた。背中にきつく回されてきた女の腕をひきのけようとしたはずの私の手から、太刀がすべって、床に落ちた。あけはなしの裏窓から月の光が四角く流れこんでいたのをぼんやり覚えている。冷たく硬い光だった。女の肌はその光の中に何度もちらちら動いては、またその外の闇の中に消えた。長い夜…そして暗い夜だった。女と抱きあったままのあけ方のまどろみの中で、私は自分が死ぬ夢を見た。どこか、荒れはてた館の縁先である。目の前にたくさんのたいまつの灯がゆれて、大勢の人が私を見つめている。私は刀を自分の腹につきたてて、それでも、どうしても、死ねないのである…
八
いくつもの夢が、消えていった。一つ、また一つと、重なりあった布が次々、すべりおちていくように。火のもえる音がした。そして誰かの重い足音。
私ははねおきて、へやのすみにとんだ。
危いところだった。せまい入口いっぱいに、腹巻をつけた黒ずくめの大きい僧兵のかげがあった。私がはねおきたと同時にそのかげは、おどりこんできて、太刀がふりおろされ、風がおこって、ばっと灰が散った。
次の僧兵の姿がもう入口にある。狭い廊下いっぱいが、敵だ。
私は手さぐりで壁に手をのばし、そこにたしかあったはずの狭い階段の手すりをつかむと、身をひるがえして、かけのぼった。
階段の上に、板戸があった。ばたんとそれを下ろしてしめると、私はそばの壁にたてかけてあった経机を、しばって支えてあったなわをきり、机を板戸の上に倒れ落とさせた。これでもう彼らは上がって来られない。
もっとも私ももう下りられない。
いざとなれば自害できる場所だけがあればいいのだ、と思いながら、私はあたりを見回し、天井の低いへやの中を走って、外に面した障子をあけて、見下ろした。
五十人近い僧兵たちが大なぎなたをふり回して雪の庭を走り回っている。火をかけろ、焼いてしまえ、と誰かが言っているのが聞こえる。
閉めた板戸のすき間から、まもなく煙がのぼりはじめた。本当に火をつけたらしい。
「九郎判官どの、九郎判官どの」
庭の方から大音声に、そう呼ぶ声々がのぼってきた。
「お覚悟めされて、出て来られい。そのままいては、焼け死にまするぞ。屋根から庭へ、とび下りなされい。お命は助けて進ぜるほどに」
そして、どっと笑い声がおこった。
とびおりる…それはいい考えだ。なぜか、そう思った。なぜだろう。私の頭の中で、とびおりる、ということばがひっかかり、何か、一つの風景をしきりに思い出させようとした。
板戸は炎を吐きはじめている。
ぱっと私の頭の中に、求めていた景色がひらめいた。疲れはてて、この塔に入ってくるとき、塔は、黒く雪の中にそびえていたが、その背後の一方に、たしか、見えた…ぐっとせり出した雪の崖がちょうど塔の三階あたりと、ほぼ同じ高さに。
すぐに、私は障子をいっぱいに開け、屋根に身体をのり出して叫んだ。
「気の毒だが私は義経さまではない。郎党の一人で、佐藤忠信というものだ。火をつけてくれたのはありがたい。ここで私は自害する」
太刀をいっぱいに抜きはなち、それをわき腹にさしこむふりをして、私は後にとびすさり、彼らの目から姿をかくした。すばやく太刀をさやにおさめ、机をけとばし、板戸をひきはいで、はずした。
炎が一気に吹きあげてきた。激しい煙に私はむせた。燃えている板戸を床に投げ、あたり一面を火にしてから、再び階段をかけ上がって、最上階までたどりついた。
煙と炎が塔の下方を包んでいて、僧兵たちの姿もよく見えない。私は用心深く身体をかがめて、らんかんのへりを回り、崖のあったと思った方へ行った。
見下ろして絶望した。たしかに、崖は塔の近くにあるし、そちらに人かげはないが、屋根から崖までの間は開きすぎている。しかも悪くすると、崖のはしは雪だけだろう。とびうつるのに失敗したら、庭にころげおちて、死ねればいいがもし万一、足でも折るか気を失ったらそれこそもうどうしようもない。
ままよ、と私は心をきめた。これがとびこせないとしたら、私の運ももうそれまでだ。死のうと生きようと、やるしかない。
よろいをぬいでいるひまはなかった。第一、よろいだけ見つかってはまずい。火はもう、二階をなめはじめている。私は屋根のはしまで歩み出し、思いきりはずみをつけて、崖のはしへと、身を投げた。