「何と生き写しに似ていらっしゃるのでしょう。お父上さまと…義朝さまと。忘れはいたしません。私は決して忘れなかった。平家があなたのお父上を…私の義朝さまを、あんなに追いつめて、殺し、わがもの顔で都を支配し…私の父も都の人々も皆、平家になびいたときも、私は一人、義朝さまを愛しつづけました。あの方の面影を抱いて私は逃げました。家族から、平家の支配する都から…長い、苦しい族でした。義朝さまを思って恐しさにも、ひもじさにも、寒さにも耐えた。平泉へたどりつけば、そこには平家の手のとどかぬただ一つの都がある。そこであの方の思い出を抱きつづけて一生くらそう…ただ、それだけを、支えにして、歩きつづけたの…おわかりになって…おわかりになりますか…」
ほとばしるような思いが一言々々にこもっていた。せぐりあげるようなすすり泣きの合間々々に、母は義経さまのひざを荒々しく、訴えるようにゆさぶった。切り下げ髪がばらばらと涙に汚れたその顔にもつれかかってゆれている。私はただただ呆然とし、仰天し、どうしていいのかわからなかった。恥ずかしいような、恐いような、そして、決して、それどころではないような…ひどく気持がわるく、私はかすかに身じろぎした。
「歩きつづけて、この里を通りかかり、そこでこの二人の子の父になる男にさらわれて…抵抗してもどうしようもなく、無理にこうして妻にされ、この館にひきとめられて…けれど私、忘れたことはございません。京を、都を、義朝さまとすごした日々を! いつも夢みてまいりました。それだけを心の支えにあらゆることに耐えて、耐えつづけて生きてまいりました。ああ、きっといつかあなたがおいでになる。私にはそれがわかっておりました。義朝さま、義朝さま…その方だけを愛して私は、こんな、こんな淋しい日々を、ああ、こんなにも長く…耐えてまいりました、お待ち申しておりました…」
母の白い衣の袖がまき上がり、衣より更に白い、まだふっくらとみずみずしくゆたかな腕が、義経さまの身体にからみつき、かきいだいていた。
四
何がそのとき私に、わかったというのだろう? 考えてみれば、それまでにもう、すべてははっきりしていたのに、なぜあのときまで私には、それが、わからなかったのだろうか?
私は思い出したくない。どんな恥、どんな苦痛の思い出より、それは、ふれたくない思い出だ。
何か、それまで見えていなかった、くっきりとしたもののりんかくが突然見えはじめたような気がした。何かがはぎとられ、何かが色あいをかえた。あるいはかわったのは私だけで、他のものは何もかわっていなかったのだろうか?
母は、義経さまにとりすがって泣きつづけていた。
いつもの誇り高さも、冷たさも、やさしささえもかなぐりすてて、訴えるように、甘えるように、せぐり上げ、全身からしぼり出す泣き声で泣いていた。
女の泣き声だった。長い、長い年月を、心に染まぬくらしの中で、耐えぬいてきた女の、あらゆる意地とはりを今ふりすてて、愛するものの前に自分を投げ出しあけわたす、一人の女の泣き声だった。どこか獣のような、どこか生々しい傷口を風にさらされた負傷している兵士のような。
兄は黙って母を見ていた。いつになくまじめな、これまでにないあたたかささえ見せたまなざしだった。私はそこに、父が座っているような気がした。私たちの父、私と兄の父が。義朝さまではない、本当の、母上の、夫である人が。
許せない。私の心の中でそのとき突然何かが激しくそう叫んだ。どんな事情があったにせよ、母は父の妻であった人ではないか。ともにこの里でくらし、私と兄という二人の子をもうけまでした夫婦ではないのか。
それを、何だ、この泣き声は。
都が何だ。義朝さまが、義経さまが何だ。私はみちのくの、信夫の里の、佐藤庄司基治の息子だ。母はその私の母だ。それが母にはわかっているのか。それをこの人は、考えたことが一度でもあるのか。
信夫の里の、父とのくらし、私たちとのこれまでのくらしは、いったい母にとって何だったというのか。こんなに泣いて、義朝さまにそっくりの義経さまにとりすがって、訴えなければならないような、恥と苦悩と、忍従の思い出か。それだけか。私たちとのくらしに、母はこんなにも耐えていたというのか。私に見せていたあの笑い、あのやさしさ、あの夜々の長い話も、すべて母には、苦しい日々を笑って耐えていた、その笑いだったと言うつもりなのか。
それだけではない。
全身をかむおののきと、無念さの中で私は今初めて見る恐しい生き物を見るように、目を見はって母を見つめた。
母は私を、私と兄とを、義経さまにひきわたそうとしている!
自分の憎んだ夫の子を、自分の愛した恋人の子へ、生きたまま、ささげようとしている!
母は私と兄とを育てた。愛してさえもいなかったのに。自分のかつての恋人の忘れがたみにつかえさせ、無二の家来とするために。自分が父にさらわれたように、父の子どもたちを母は父からさらっていくのだ。
そして、私は何だったのか。兄よりも母に愛され…誰よりも愛されて、ただ一人母と理解しあえる相手だったと思っていたこの私とは。
母と語った、私の夢とは。
思えば母は一度だって、義経さまや義朝さまのことを語るとき、私を見ていたことなどなかった。
私を抱き、私の髪をかきなでていでも、母の目はいつも遠くを見、唇はいつも遠くの誰かに向かってほおえんでいた。
私など母は、どうでもよかったのだ。しょせんは私も兄と同じ、憎い夫との間に生まれた気にそまぬ、いてほしくない子でしかなかった。
母が私を愛したのは、それは…
私の全身の血が屈辱と悲しみに、黒くかわっていくようだった。私は義経さまを見つめた。
この人の忠実な家来としてだけだ。母が私を愛したのは。この、源氏の若君の家来として育てあげ、ささげて、義朝さまに喜んでもらう材料としてだけ母は私を見つめ、愛した。百姓が春の野市に売りに出す牛を育てて、いとおしむように。
そして、そうだとすれば私は、何と忠実な、子牛だったか。母の手から与えられる夢の草を何の抵抗もなくはんで、かみかえし、かみかえし、全身の血液を、その夢の香りでみたしていた、この私は。
私の心の世界は、すべて母がまいて芽を出させた夢でおおわれている。他のものが生え育つ余地さえなく、母の思い出に、義経さまへのあこがれに、ただひたりきって私は育った。今さらそれを失ったら、もう私の中には何も残らないほど。
何とうかつだったろう。何とおろかだったろう。私は心で歯ぎしりしていた。そしてまた、何と恐しい母だろう。何と恥知らずな人だろう。よくもぬけぬけと、よくもこれだけ図々しく。父の領地で、父の館で。
私の夢。私の愛。
そんなものは本当は何もなかったのだ。皆母が私がそうなるようしむけただけのことだった。
愛したのではない。愛させられたのだ。
夢みたのではない。夢みさせられたのだ。
春の河が氾濫するのを見たことがある。広い川面いっぱいに、白い乳のような泡をうかせた茶色のこってりとした水が、あっという間にもり上がってきて、さんさんと光る太陽の下で、たちまち堤をあふれこした。同時に堤はたたきこわされ、水は大きな土くれも岩もあたりに投げとばして、うす緑の苗のそよぐ田へ、つきさすようにくいいった。ありとあらゆるすみずみまで、大地はたちまち泥水と濁流にみたされ、かがやく日のもと、あらゆるものが死んでみにくく、うかびあがって、くるくる回って流されていった。何もなかった。何ひとつのこらなかった。水は、自分の正しいことを知っているかのように、容赦なく、確実にあらゆかものを根こぎにして、流れくだって地のはてへ行き、しかも、あとからあとからと水はあふれて堤をくずし、少しも力を弱めなかった。
私の心の中でも、そのときそれがおこった。あらゆるものがわきおこる濁流にのみこまれ、あらゆるものが、死んで浮いた。
私は、母を憎んだ。
同じ強さで、義経さまを憎んだ。
この二人が私の世界を作りあげ、そしてたたきこわしたのだ。私の心をいつわりでみたし、そして現実をさしつけたのだ。
これだけは、と私は思った。これだけは、もうまちがいない。誰が何といってもゆらがない実感。私がわが手でつかみとめ、わが肌にやきつけた、生まれて初めての実感。それは、この二人への憎しみ。この二人を憎いと思うこと。もう決して忘れはしないし、決して失いはしないだろう。この思いを、私は。
泣きつづける母の肩に義経さまが手をかけて、低い、やさしい声で何か言うのをぼんやりと私は聞いていた。気のせいか、奇妙なことに、それは、私が夢みていた義経さまの声に、口調に、そっくりそのままの、澄んだ、透明な声で、そのことにまた私は、強い悲しみと怒りを感じた。兄がひざをすすめて、おだやかに二人に声をかけるのをしおに、私は静かに後じさって、そっとへやからぬけ出した。
※
私は馬屋にとんでいった。日はまだのぼっていなくて、あたりはうす暗く、馬たちの吐く息が白かった。かじかんだ指で、たたきつけるようにして、私は自分の葦毛に鞍をつけた。どこへ行こうというあてがあったわけではない。ただ、もう、ここにはいたくなかった。いられると思えなかった。
だが、馬囲いの横木をはずそうとして、草原のかなたに、まっ赤に長くあらわれ出した朝やけのすじを見ると、私の手はとまってしまった。あてはないにしても、やはりどこへかは行かねばならず、どこへしようかと思うと、わからなくなる。
殿の来た方へは行きたくなかった。あれほどあこがれていた都が思い出すのも何かいやだった。では反対の方向…北の、平泉か。そこの藤原秀衡さまのお邸には、私も兄も数年前から半ば家人のかたちで仕えて、出入りしてはいるのだが…そこに行ってしまって、ずっとお館にとどまって、ここには帰らぬという手もあるが…殿も、平泉へお行きになるのかもしれなかった。夕方、たしか、そんな話をしておられた。
手づなのたばで手の甲をわけもなく打ちながら、私は考えがまとまらないまま、立ちつづけていた。葦毛が、じれったそうに、鼻を私の肩によせてきて、軽く押しまくった。
「よう…ここにおったのか」
のんきな声がして、馬屋の入口に人かげがさした。兄だった。私は眉をひそめた。
実際まったく、来てほしくない時にばかり、本当によく、とび出してくるお人だ。
兄はあくびをしながら私のそばにやってきた。
「どうした、遠のりにでも行くのか?」
「いいや」
「だって、馬に鞍をつけて…」
兄は馬を見上げていたが、私が返事をしないとみると、興味を失ったのか、あっさり話をかえた。
「おれも行くことにしたぞ、忠信」
「…どこへ?」
「義経さまのお供をしてな、平泉まで。何だ、聞いていなかったのか? 母上が言っていたろうが。そなたがお供をして、義経さまを、平泉まで送ると」
「うん…」
「聞いてなかったな」
兄は笑って私をこづいた。
「途中からおまえはいやにぼんやりして、殿に見とれていたからな。お若くて、ご立派なかただ。どこか、やはり、ちがう…義朝さまもあんな方だったかな。母上のお気持が初めてよく、わかったような気がするぞ」
兄のことばの一つ一つが朝の空気にまじって、いかにもさわやかに、とけてゆく。どうしてこんなにこだわりなく、兄はしゃべれるのだろう…こんなに平気で。
いらだって、ぶるっと鼻をならした馬の首を兄はさすって、私を見た。
「おい、行かないんなら、この馬かりるぞ。平泉には今度はしばらく長くいることになりそうだから、会ってきたい女がいる。昼までには帰るからな。それから出発しよう…したくしておけよ」
馬をひき出すと、兄は私の手から手づなをとり上げ、ひらりとまたがり、さっさと走らせていってしまった。
ひずめの音が遠ざかるのを私はぼんやり聞いていた。何という人だろうと腹がたち、気持がくじかれ、拍子ぬけしていた。行くしかあるまい…殿のおともをして、平泉へ。あるいはそこで、ずっと殿に、お仕えすることになるかもしれない。母が、約束していたように。
そうするしかないのなら、せめて自分のこの気持を気づかれまい。こんなみじめな自分の気持を、気づかれまい、気づかれてはならない、と私は必死でくり返していた。
考えてもみるがいい…もし私がここで逃げ出してしまったら、私は、母にだまされて、もてあそばれていたことを、自分で証明するようなものだ。自分がそんな母をどれだけ愛していたか、どれだけバカだったか、天下に恥をさらすも同じだ。
母はきっと笑う。兄も笑うだろう。殿も笑うにちがいない。そして三人で私をあわれむだろう。私は身ぶるいし、歯ぎしりし、しっかりこぶしをにぎりしめた。
誰が、そんなことを! 気づかせてなるか!
兄がとび出してきてくれて、やっぱりよかったのかもしれない、と、私は馬屋のさくの影を、長く地面にひきずってさしはじめた冷たい朝の光にひたされて思った。これ以上私がみじめにならぬためには、こんなにまで母を愛し、そして裏切られたことを、決して気づかせてはならない。私は、たださり気なく、殿の家来でいなくてはならない。そんなに強く愛するのではなく、もちろん憎むのではなく、ただ何でもなく、目だたない、ごくふ
つうの家来として。
そうしていれば誰も私がこれほど愚かな人間だったと気づくことはないし、とりわけ母が私を笑うことはない。
今度は私の番なのだ。母が私たちへの冷たい憎悪を押しかくしていたように、今度は私が、そうするのだ。殿に対して。母に対して。
それは初めて私が、母に対して持つ、心の秘密だった。…母を憎み、母の愛するもののすべてを、憎みぬくということが。
次第々々に日が昇り、あたりが暖かくなってくる。私にとって何もかもが、こんなにかわってしまったのに、その朝の日ざしも草の色も何ひとつ昨日とちがっていないということが、私には、なぜかふしぎでならなかった。
五
平泉で五年間、私は殿と暮らした。名目は殿が秀衡さまの客人、私は秀衡さまの家来だったから、そういつもいっしょにいたというわけではない。平泉の館には、私や兄のような地方の荘園主の子供たちもいれば、北方の蝦夷の使いも出入りし、秀衡さまの家の家来たちもいる、といったごたごたしたところがあり、互いの身分があまりはっきりしておらず、また誰もそれに、それほどこだわらなかった。母はときどきそんな話を、吉次や私たちから聞くと眉をひそめて、それだから、こんな北の田舎はしかたがない、都では官位や身分のしきたりは大変きちんとしているのに、と半ば得意そうになげいたものだ。
殿は秀衡さまにかわいがられていた。都風なお姿やものいいが珍しいのだろうと私は思っていた。柳の御所という建物に殿のお住いがあって、私もときどき訪れた。同じ年ごろの他の若者たちもやってきて、中庭で武芸の訓練をやったりすることもあった。秀衡さまの息子たち…国衡や泰衡や忠衡もまじっていることがあった。
気のおけないつきあい方だったし、殿に遠慮する者も誰もなかった。だが、木刀のうちあいでも、組み打ちでも、殿は小柄でいられるのに、すばしこくて、よく相手を見ておられて、けっこう、他人に負けなかった。技で勝たれる人なので、弓などはあまり強いものはひけなかったが、届く範囲では、ねらいは決してはずれなかった。
しかし、私はいつも何とか工夫して、その五年間、一度も、決して、殿を相手に組みうちも、競射も、早がけも、太刀うちも、しないようにつとめていた。対抗する競技では、必ず殿の組の方に入り、うっかり敵方になってしまったりすると、殿とこのままいくと顔があうな、と思った段階で、いつでもそれとなく負けたり、用をつくってはずれた。仲間は大勢だったし、競技のときには皆めいめいやっきになって大さわぎしているので、誰も、私と殿が決して一対一で対抗して何かをやったことがないことには、気がつかなかったらしい。もっとも殿は一度か二度、このまま互いが勝ちすすめば必ず私と相手になると思っていたときに、私がいなくなってちがう相手が出てきたので、おや? とふしぎそうな顔をして、目で私をさがされたことがあったが、それ以上は何も気づかなかったようだった。
私は、たとえそんな競技でも、遊びでも、殿と自分が対抗することになるのが恐しかった。虚心坦懐に戦えそうになかった。自分が何をしでかすか、自信がなかったのだろうと思う。
もともと私は自分がそんなに、執念深い方だとも、気が強い方だとも思ってなかった。信夫の里でいつも私は、兄や母の言いなりになる子供だったし、それを別に不満に感じたこともなかった。母が着せる着物はいつもおとなしく着て、じつと座っているように言われたらそのとおりにして、いいと言われるまで待っていた。激しく人を憎んだり、恨みを長く胸にもったり、そういうことは自分にはまったくできない、他人がするのもわからない、そういう風に思っていた。
それが、あの日、あの夜以来、母上と、殿に対して私が感じてしまった怒りと憎しみというのは、いく日たっても消えるどころか、逆につのって、胸にくいこむばかりだった。義経さまを見ていると、その、のびのびと楽しげなお姿が、腹だたしくて、無念だった。
この人のせいではない、この人が悪いのではない、…そう思わなかったわけではない。それがわからなかった私でもない。だが、要するに、それは理屈だった。ただの理屈である。いくら自分に言いきかせても、言いきかせつづけてぐったり疲れた心の底から、憎しみは、再び何のかわりもなく、竹が地面をもちあげるように鋭く強く、生えあがってきた。私は殿が許せなかった。いるということそのことが、もう許せなかった。
この気持をあらわにしたら、とめどがなくなる。殿どころか、信夫の里に走りもどって私は母も殺すかしれない。していいことと悪いことの見さかいが何もなくなり、ついには狂ってしまうだろう。そう思って私は、この気持を人前にほとばしらせるきっかけを、ほんのちょっとしたことでも作るまいとつとめていた。殿との対抗競技など、もっての他だった。
そういえば、あれはいつの春だったろうか。まだ殿が平泉に来て一年か二年目だったろう。兄や国衡兄弟たちと、もちろん殿もいっしょに、御所の中庭で入り乱れてのとっくみあいの大あばれをして、皆で川へ水あびに行こうと門へ向かって走り出したとき、まだあばれたりなかったらしい殿が近くにいた私の腕をつかまえて、いきなり足をかけてきたことがある。殿はそれが私と気づかなかったのかもしれないし、私は私で、さわぎが一段落したと思って、殿に近づかれないよう警戒するのを忘れていた。私は殿をつきとばした…必要以上につきとばしたので、殿はすっとんで、そこにあつた、のこくずの山の上に半ば墜落した。一瞬ぎょっとして、私は息がとまった。館の裏の田んぼからまい上がって空で舞い狂っているひばりの声が、するどく耳に入ってきた。
殿もびっくりしたらしい。きょとんと目を見はって、つかの間私を見上げていたが、すぐに笑い出して、はねおき、皆といっしょに走って行かれた。そのあと水あびをしても着物は洗わなかったから、夕方、いっしょに食事をしているとき、殿の身体からは、かすかに、のこくずの、新しい木の香のにおいがしていた。何とか言わねばと思いながら、結局私はおわびをしそこねた。
※
だから、そんな風な私の様子を、殿が気づかれなかったはずはないのに、殿は少しも私のことを、警戒したりわけへだてしたりする様子がおありでなく、それに、せめて、私はほっとしていた。
外見にしても気性にしてもその他の何にしても兄に比べると私は平凡で目だたないのに、ときどき妙に、人にこわがられるときがある。国衡や泰衡たちの兄弟など、平泉では父の秀衡さまの威光をかさにきて、相当したいことをして、兄とよく気のおけないけんかをしたりしていた。しかし兄は、やはり自分たちの方が家来すじという遠慮があるのか、もともと人がいいのか、少しゆずっているところがあった。国衡兄弟たちもそれを知ってか兄にはかなり言いたいほうだいを言うし、わがままもする。少し甘えているのかもしれない。
しかし私に対しては、ときどきあまり無茶なことを向こうが言ったときなど、私が何にも言わないのに、ただ、さっと眉をひそめたり、わずかに顔をそらし気味にしたりするだけで、国衡たちは急にたじろぎ、おずおずしたような顔になったりするのだった。気のせいかしれないが秀衡さまさえ、私と話しているときに私は何も失礼なことを言ったりしたりしていないのに、私に遠慮されるような様子をお見せになるときがある。
私はそんな自分を自慢に思うより不安で、少し淋しかった。
今考えると、ああいうとき、私は、母に似た表情やしぐさを知らず知らずしていたのではないかと思う。無礼なことをされたとき、母は、きっと身体をおこし、微笑とも怒りともつかぬ冷たい色を目にたたえて、白い美しいあごの線を持ちあげて、黙って相手を見つめるだけだが、信夫の里のどんな荒くれ百姓でも、母の、その表情を見ると、虫のように小さくなった。一呼吸おいて、母は切りつけるように、だが口調だけはやわらかい京ことばで言う。
「そなたらふぜいには、わかりますまいが…」
そんな母に、私は似ていたのかもしれない。
私のそんな態度も、私のすべてどんなところも、まるきり恐がらなかったのは、殿があらわれるまでは、母以外には、兄だけだった。兄は私が相当に怒った顔をしても、平気で私の顔をのぞきこんで、「どうした?」などとまじめくさって聞き、とうとうがまんできなくなって私は吹き出し、笑いころげてしまうのである。どんなときでも私を恐がらない兄だから、私は兄が好きだった。もっとも同じその理由で、兄を少々バカにもしていた。あの人は単純だから、恐いということがきっとわからないのにちがいない、と考えていた。
殿は、兄のように単純な人ではない。何となく、それはわかる。私の、殿へ対する気持に何かちぐはぐな、おかしなものがあることも、感づいておられぬはずがない。それなのに、殿は兄と同じように、もしかしたら兄以上に、私に対してひるんだり、恐がったりというところがおありでなかった。わざと知らないふりをしているのではない。何もかも見ぬいておられるというのでもない。何かおかしいとはわかっておられるのだが、それを気にしないで、私とつきあって、そんなに苦にもならないし、不自然とも思っていられないようだった。
殿は、苦労をなさってきて、人の気持をよく思いやる方なのに、その一方で、どこか他人を信じきって…そうするしかないと思いきっておられるような天真らんまんなところがあった。騒々しくもわざとらしくもない、静かな明かるい無邪気さで、誰にでも接され、私にも接された。私にも? 公平にみたら、私を他人より親しくとり扱っておられたかしれない。中尊寺へ写経をおさめに行くといっては私を呼ばれ、最上川の川上に遠のりに行くといっては私を呼ばれた。
「そなたが一番、ひまそうだから」
一度笑って、そうおっしゃった。ぼんやり考えごとをしていることが多かったから、そう見えたのだろうと思う。
みちのくの広い野は、空が地のはてまで広がり、雲の上の光に淡い灰色にかがやいていた。地平線に黒く、眠るけもののように山の影が長くなだらかに横たわり、見わたすかぎり一面のすすきの穂がくすんだ白い波を動かしていた。風が吹くたび野原いっぱいに光の波がゆれて、私と殿の馬の回りを、ざわめきながら通りすぎていった。そうして二人きりのとき、一段と、私は殿に向かってつつましかった。決して主従としての礼をはずしたことはない。どんなときでも殿に対して、不快な顔や生意気な態度を私は見せたことがなかった。心をこめて仕えていても、なれなれしい口はきかなかった。それは、気のおけない平泉の若者たちのつきあいの中では少しおかしかったし、私はもともと主筋の国衡たちに対しても、つくすの、つかえるのという態度は見せたことがなかったから、目だった。
「忠信はよくよく源氏の御曹子に頭があがらないと見える」
聞こえよがしにそう言って、からかう者もいた。私は黙って笑っていたし、殿も私のことでは冗談はおっしゃらなかった。
あまり、これといった話もせず、私たちは、すすきの波の中や、最上川の早瀬のそばを、黙って馬で、進んで行った。殿は私の、さりげないうやうやしさを、いつも悪びれず、落着いてうけいれておられて、川を渡るたび、私が水の中にとび下りて殿の馬をひいたりしても、おとなしく、されるままになっておられた。
多分、殿は、私が決して殿と一騎打をしようとしないのも、私がそれだけ殿を主君として扱おうとしているせいだと思っておられたのかもしれない。思えば私は一度も殿の前で、あの、きっと相手を圧する表情をしてみせたことはなかったから、殿が私を恐がらなかったのも、あたりまえのことだったかもしれない。殿にとって私は、荒っぽい若者たちの入り乱れる中で、たった一人の素直な従順な家来であり、思うさま使うことのできる、支配者としてふるまえる人間だったのかもしれない。
殿とのそんな毎日が、幸福だったか不幸だったか、私にはどうしてもはっきり言えない。殿とそうして二人きり、すすきの中や川のほとり、小暗い参道などを歩くとき、私は幸せだった。景色の中にとけこんでいきそうなほど、私たち二人は自然だった。静かで平和な信頼が、いつも影のように、私たちにまつわっていた。
だが、それとまったく同時に、その同じ瞬間でさえ、私はやっばり殿を憎んでいた。憎まずにいられなかった。私にあれほど手ひどい屈辱と絶望を味あわせながら、しかも一方で何ごともなかったように、こんなにもおだやかな風景の中で、静かな安らかさを私に与えてくれる、そもそも、そのことが、絶対に許せない気がした。これほどの安らかさを人に与える力を持っている殿。それを愛している母。二人にとって、この光景は…私と殿が、主従として、幸せに、馬にゆられてゆくこの光景は、殿のための絵であり、母の描いた夢であり、その注文通りの忠実な家来として私がその絵の中にいるという思いは、私にとって耐えがたかった。まちがいなく幸福でありながら、幸福であるそのことゆえに、まちがいなく私は不幸だった。そして、これほど心をひきさかれ、みじめに、混乱している自分に比べて、少し淋しげな清々しい表情で、無心に馬にゆられている義経さまが、いっそ斬ってすてたいほど、いらだたしいのだった。
※
平泉にいる間、殿はときどき京に戻られ、しばらくしては戻って来られた。そして、その間に知りあったらしい奇妙な男たちが、次々、平泉にあらわれては、柳の御所にわがもの顔に出入りし、殿の家来のような顔をして、そのままそこに住みつきはじめた。
一番、目だったのは、武蔵坊弁慶という、大きな荒法師だった。それから伊勢三郎義盛という、たくましい、不敵なつらがまえの男も来た。赤銅色に陽やけした駿河次郎という漁師もいた。他にも得体のしれない男たちが続々集まってきた。
どこでどうやって殿と知りあったのか、彼らは語りたがらなかった。それを言ったら自分たちが以前何をしていたか話さなくてはならなかったからではないだろうか。彼らの誰もが、どうみても、まともな侍だったとは思えなかった。
彼らは殿を尊敬し、あがめたてまつっていたが、一方でなれなれしく、殿に冗談や悪口を言いかけ、殿も笑って口ごたえしておられるという風で、ひどく気のおけない主従関係だった。そのくせ平泉の他の若者たち、たとえば国衡や泰衡、忠衡たちが、同じように殿になれなれしくすると、彼らは目を三角にして、えらいけんまくで怒り、私たちには聞きとれぬほどの坂東なまりの早口で、「源氏の若君に何をするか」などと言い、太刀をぬきかねない様子をするので、自然、他の連中が柳の御所に足ぶみしなくなり、そこは彼らの天下になった。彼らはそれを、苦にする風もなく、むしろ愉快そうで、毎日殿といっしょににぎやかにしゃべったり笑ったりしていた。
彼らが結局、平泉でうけいれて認めた若者といえば、私と兄だけだった。兄はだいたい昔からその気になれば誰とでも親しくなってしまえる人だし、私の方は…よく分らないが、私の殿への仕えぶりが、彼らのお気に召したのらしい。あるとき秀衡さまが、からかい気味に私に言われた。
「柳の御所は、このごろどうじゃな?」
「はあ…にぎやかですね、いちだんと」
「国衡たちが、怒っておったぞ。忠信は、藤原一族で、れっきとした佐藤庄の次男、郎党たちもひきつれてこの平泉に来ているのに、何の冗談のつもりで、義経さまに、ああも徹底して臣下の礼をとるのか、とな。だいたいな、言うては何だが、見ておると、着ておるものも、武具も、馬も、つきそっておる家来も、義経さまよりそなたの方がはるかに上等じゃ。それを、まるきりすました顔で、そなたがあちらに、ひざまずくわ、馬の口をとるわ、あちらもすましてそれを当然のごとくうけておるわ、では、見ておる方が混乱するわい」
私は笑ってしまった。
「そんなつもりもないのですが」
「そなたはどんなつもりもなくても、な、柳の御所のあの連中…弁慶とか義盛とかいう連中は、そなたがそういうふるまいをするたびに、いうてみれば、平泉を征服したような錯覚におちいるらしい。とろんとうっとりした目をして、満足気にしておる」
「考えすぎではございませんか」
「そら、そこがおかしい」
「何が…?」
「そなた、わしには、そのように、けっこう言いたいことを言う。誰に対してもだいたい、そうじゃ。それを義経さまには言わぬじゃろ? 柄にないほど、つつましい。いったいどういうことなのじゃ? それほどご尊敬申しあげたか?」
「ご尊敬は、しております」
秀衡さまは、太い、丸っこい指先で、かめにさしておられた、かきつばたの茎を折った。
「気をつけよ。ぬきさしならぬことになるぞ。このままでは、やがて平家をたおすための源氏のたたかいがはじまったとき、義経さまはまちがいなく、そなたをつれて行くじゃろう」
「おともいたすつもりでおります」
秀衡さまは驚いたように私を見た。
「そうか!…なぜ?」
私は秀衡さまを尊敬も軽べつも特にしていない。ただ、この方の前に出ると、時々、ふっと気持が大らかになってきて、よく考えもせず思ったことを口にできることがある。秀衡さまご自身が、人に対してどこか自然な反応をなさる方だからだろうと思う。そのときも私は、頭にうかんだままのことばを言った。
「…見とどけたくて」
「ほう?」
秀衡さまは口の中でつぶやいた。
それきり何も、おっしゃらなかった。
そして、そのとおりになった。殿が平泉に来て五年目の治承四年の秋、伊豆の蛭ヶ小島に流されていた殿の兄上、頼朝さまは平家追討の旗上げをし、殿も弁慶たちをひきつれて、関東へとはせ下った。
殿がどう思われたかは知らぬが、殿の家来たちは皆、私も、兄も、いっしょに行くものと決めていて、何の疑いも持ってなかった。一方、平泉の他の連中は、私と兄が行かないものと思いこんでいて、これまた何の疑いも持ってなかった。
私はもちろん行くつもりで、つれていく郎党たちをえらんでいたが、兄まで行く気でいると知ったときには、おどろいた。
「兄上が、なぜ行くんだ?」
「おまえ一人じゃ心細い。それにおれは義経さまが気に入ったのさ」
兄はそう答えただけだった。
総勢二百騎あまりで、私たちは出発し、富士川で頼朝さまの軍と落ちあった。戦いは有利にすすんでいたが、頼朝さまは、いったん鎌倉にひき返し、そこで都を作ると言われて、私たちもそれにしたがって、ひとまず鎌倉までしりぞいた。