兄は、私がそうしてちょいちょい雲がくれしてしまうことに、別に文句はいわなかった。だいたいが兄は細かいことにはそうとんちゃくする人ではなかった。やることが乱暴で、力のかげんをせず、私も意地になって対抗するので、ときどき腕を折られたり、沼に放りこまれてかぜをひかされたりしたことはある。そのたびに母は気狂いのようになって兄を怒ったが、私は兄を恨んでなかったし、兄も何が悪かったのかよくわからない顔をしていて、それがますます母を怒らせるのだった。
とにかく兄は、どれだけ母に叱られても、ふてくされもせず、しよげもせず、平気だった。そのくせあとで、私が寝ているへやへ、ひょいととびこんできて、生まれたばかりの雀の子をどこからかとってきたのを私の手ににぎらせて、またとび出していったりした。鳥の子はめったに育たないものだが、そのときの雀の子は大きくなってよく私になれ、狩衣の胸に入れておくと、忘れてしまって、気がついてとり出してみると、ぺちゃんこに平たくなって、押しっぶされて、かたちがかわっていたりした。
「兄上、雀がつぶれてしまった!」
私がそう言ってべそをかくと兄はびくともせずに、
「何、見せてみろ」
そういって雀を手にとり、両手でこね回してもとのとおりのかたちにした。
「そら、もとどおりになったろうが」
雀は目をぱちぱちさせて、ちゃんと生きていた。そんなことが何度もあって、まもなく私もそれになれ、雀が平たくなってしまうと、両手ではさんで、もとの形に直してやれるようになった。母は私がそうしているのを見るたびに、いつも涙が出るほどおかしがって笑いこけた。
「そんな雀は見たことがないわ。本当にそれは雀なのでしょうかね?」
あの雀はどうなったのだったろう。覚えていないところを見ると、どこかへとんでいってしまったのだったろうか。
雀をもってきてくれたときのことでもわかるように、兄という人は、実によく、どこにでも、とび出したり、とびこんだりして来ては、また、あっという間にどこかへ行ってしまう人だった。母上によく叱られたというのも、一つには、母上のきげんの悪いときにかぎって兄がわざわざとびこんできてばかりいたせいもある。冬の昼下がりの静かなへやで、障子に映る日を見ながら、私と母が京の話をしたり、本をよんだり手習をしたりしているときに、中庭でけたたましい叫び声やかけ声がおこったと思うと、郎党の子どもたちといくさごっこをしていたらしい兄が、追いつめられて、土足のまま、縁にとび上がってきて障子をがらっとひきあけ、
「あれ、母上、いたのですか!?」
と叫びつつも、勢いあまってとまらずに、反対側の障子からころがるようにとび出して行き、「おーい、こっちだ、こっちだ!」と郎党たちに叫んでいる声がみるみる遠くなっていく…そんなことはしょっちゅうだった。母のけわしい表情にもかかわらず、私は大抵そんなとき、おかしくてたまらなくなり、笑えば今度は私が母に叱りつけられることはわかっていたから、よみかけていた本を、ひしと顔に押しあてて、笑いをかくしているのだったが。
※
そのころ私はよく、恐しい夢を見た。
他にも見たか知れないが覚えていなくて、とにかく、いつもくりかえして見る同じ、一つの夢があった。もうそれがはじまると、ああ、あれだ、とわかってしまう夢だった。
まず、吹きすさぶ風の音が、闇の底から聞こえてくる。次第に高く、勢いをまして、それが地をはって、せまってくる。
そして私は、自分の回り一面に、地平線まで限りなく、草がそよいでいるのを知る。闇の中で、それが、風に吹かれてひきちぎれそうに、右に左に、細い刃のようになびくのだ。
空が私の上にある。あおむけに、自分が草の中に倒れ、何かが胸を重苦しくおさえつけていて、私は起き上がることができない。誰かが私の上にのしかかり、ひざで私をおさえつけ、一方の手でのどをしめつけ、もう一方の手で刃をかざし、ゆっくりとそれを私の、胸に、のどに、つきたててくる。それが誰かということが、いつも私にはわかっているのだ。兄なのである。
血の味が口の中にあふれる。刃につらぬかれる胸やのどは、ぎりぎりと冷たく、痛く、やがて熱く燃える。私は叫ぶ。兄上、私です、私です、どうしたのです、やめて下さい…しかし、いつでも兄の耳には聞こえない。それとも聞こえないふりをしている。耳まで口を開くようないやな笑い方で兄は笑い、らんらんと光る目で、私を見下ろし、私の首を切りおとそうとするのである。
そこでおわるならまだいいのだ。もう完全に殺されて、あたりが闇にかわったと思った瞬間、なぜかいきなり位置が逆転してしまい、私が兄の、首のない死体の上にのしかかって刃をにぎって、暗い、夜の闇の中にいる。
地平線まで、びょうびょうと、吹きまくる風に草がなびいているきりで、誰一人いない。私はただ、兄の死体と二人きりなのだ。
左手に何かを私はにぎっている。ずっしりと重い何かを。それが、私が切りとった血まみれの兄の首…舌をつき出し、目をむき出した、兄の首だということを、見なくても私は知っているのである。
※
この夢からさめたあと、いつも私は、全身びっしょり冷汗をかき、涙でほおをぬらしていた。そして、かたわらで眠っている兄の気楽そうな規則正しい寝息を聞いている内に、やっと少しずつ心が落着いてゆくのだった。ときどきどうしても不安に耐えきれなくなったとき、何度か兄をゆすりおこしたこともある。いつでも兄はむにゃむにゃ言ってろくに起きてくれず、はっきり目をさますと、かんかんになって怒った。なぜおこしたか私は理由を言わなかったので、わけもなくま夜中に人をおこすなんて、おまえは人間じゃない、と兄はわめいたのである。もっとも朝になると兄はそうやって自分がわめいたことさえも、もう覚えてはいなかった。
「兄上は、夢を見ないの?」
一度さりげなくそうたずねると、兄は、見るかもしらんが覚えていない、と言った。私から起こされたことさえ覚えていないのだからそれはそうだろうと私も思った。
やがてだんだん別の夢を見るようになって、その恐しい夢を見る回数は少くなり、とうとうまったく見なくなった。それは多分、私の、本当に幼い日々のおわりと一致していただろう。のちに私はもうー度だけその夢を見たが、それはずっとあとになってからのことだった。
三
野は一面に、細かい雨がふっていた。もう春が近いせいか、どことなく明かるく、雨の粉の中に光がこもっているようだった。若草と枯草の入り混じる丘の上に馬をとめて、私と兄とはやわらかくけむる地平線のはてを見ていた。
「遅いな」
兄がつぶやいた。
兄はもう十八である。腕も肩もがっしりとたくましく大柄で、陽にやけた、くっきりとした目鼻だちが、昔より一段と男らしくなってきていた。陽気でものに動じない性格はあいかわらずだったが、一種の落着きが加わってきていて、郎党たちにたちまじっていても、自然と領主のおもむきがあった。母ももう昔のように兄を叱りつけたりはしない。よそよそしくはあっても一応は、あとつぎとしてていねいに扱っている。
少し前から私と兄とは、北の平泉にある藤原秀衡さまのお館に、父の代からの家人として出入りするようになっていた。だが母はときどき私に向かって、こんなところで、秀衡ごときの家来になって、満足してしまってはだめですよ、と言いきかせた。
「そなたが主とあおいでよいのは、義朝さまの若君だけです。そのことをお忘れあるな。こんなみちのくで、蝦夷とたたかったり、女あそびをして、喜んで、いい気になっていてはなりませぬ。そなたの敵は、平家なのです。いつかは源氏の若君をお守りして京にのぼり、平家と戦うのですよ、忠信。忘れてはなりませぬよ」
私も十六になっていた。兄とは比べものにならぬが、背ものびて、日ましに成長する身体を自分でもてあました。平泉でのくらしはけっこう楽しく、蝦夷との小ぜりあいも、同じぐらいの若者たちと村の娘を追いかけ回すのも、それなりに面白かったのだけれど、帰るたび母からそう言いきかされると、何かはっと思い出させられる世界があり、それがたしかに、心のどこかで、私の支えになっていた。都や、源氏の若君について母と語りあうことは、私の心をひきしめ、つまらないことにうつつをぬかしていてはならぬ、私にはもっと大事な仕事があるのだ、と思わせるのだった。信夫の里から戻るとしばらく、平泉で、私は一人きりで本をよんだり、中尊寺のあたりをぶらつくことが多く、そんな私を兄は悪気のない口調でからかった。
「また母上と鞍馬の若君や、都のことを話してきたんだろう。バカだなあ、いやに深刻な顔をして、何だ?」
そのくせ、鞍馬の若君が、本当にあらわれることを、私は信じていたわけではない。
その年の春、金売り吉次からの知らせといって、鞍馬の若君、牛若さまが、とうとう、鞍馬をぬけ出されて、吉次といっしょにこっちに向かって来られる途中である、という手紙を兄が持ってきたとき、私も母も、何だかおろおろしてしまい、結局一番落着いていたのは、兄だった。
「手紙に書いてあるところでは、あと二日ほどして、ここを通りかかられるようですな。平泉へ行かれるおつもりではないでしょうか」
兄は手紙をよみながら言った。
「お迎えに出た方がよろしいでしょうな。ひと晩この館にとまっていただいたらどうでしょう」
そして私たち二人を見て、兄はあきれた顔になった。
「どうしたんです? 母上も、忠信も」
それから二日間というもの、兄が郎党たちを指揮して、てきぱきお迎えのしたくをするのを、私と母は、ぼんやり見ていただけだった。母は、わけもなく、自分のへやで立ったり座ったりし、ときどき思い出したように、京の絵図をとり出して、広げてながめていたりした。私はというと、もっと悪くて、何をしていても仕事が手につかず、奇妙な不安で胸が苦しくなってきて、一人で館をぬけ出してしまい、草の中にねころがって、今、この間も、私が横たわっているこの草原のかなたを、吉次につれられてこちらへ向かって歩いてきておられる牛若さまとはいったいどんな方なのだろうと、ただそればかりを考えつめた。
とうとう、その若君がおいでになるという日の朝、私はへとへとになってしまい、疲れたからお迎えには行きたくないと言い出して、兄からどなりつけられた。
「何ひとつ、やってないくせに! おまえが行かなくて、いったい誰が行くというんだ? とぼけるんじゃない、さっさとしたくしろ!」
そして新しい狩衣を兄は私にぶっつけた。
言われるままにそれを着て、どうにか馬にのって出かけたものの、道々私は一言も、しきりに話しかけてくる兄に、たしかな返事ができなかった。兄もとうとうあきらめたらしく、せめて若君には自分の名前ぐらい言えよ、と釘をさしたのを最後に、口をとざした。
郎党たちをふもとに待たせて、見はらしのいい丘の上から兄と二人で吉次のー行があらわれて来るのを待つ間、私はますます苦しくなり、どうしていいかわからなくなり、逃げ出したくてたまらなくなった。またよくしたもので、そんな私の前に、若君をつれた吉次の一行は、いつまでも姿をあらわしてくれないのである。
遅いな、と兄が言ったので、救われたような気持になって、私は目を兄の方に向けた。
「おいでにならないのでは、今日は…」
そういうと、何か自分で、ほっとした。
「やれやれ、そうなったら、せっかくの夕食のしたくが皆むだになる。おまえとおれとで、全部食うか?」
力なく笑って私が目を地平線の方に戻したとき、草のかなたに、人かげが見えた。
はじめ、目の迷いかと思った。それからそうでないとわかった。五つ、六つ、…はっきりと、馬にのった人かげが、明かるく淡く雨にけむる地平線の上にうかび上がりはじめた。
「そら、おいでになった。雨で遅くなられたのだ」
兄はそう言って、馬のたづなをひき、向きをかえた。
私も兄につづいて丘を下りた。自分でも何をしているのかよくわからず、ただ兄について行った。
「それにおいであそばされるのは、源義朝さまの若君の御一行ですか」
人の顔が見わけられるほどに互いが近づいたとき兄が馬をとめ、いつものよくひびく声で呼びかけた。
「いかにもさようで」
聞きおぼえのある吉次の陽気な声が届いてきた。もう、こちらに気がついているらしい。得意そうな笑いがこもっていた。
「鞍馬山の牛若さまを、おつれいたしてまいりましたぞ」
吉次の後の黒い馬の上から、身をのり出すようにして、私と同い年ぐらいの少年が一人こちらを見ようとしているのに私は気づいた。生き生きと、子どものように、こちらに気をひかれ、私たちをよく見ようと身体をのび上がらせている。兄が馬からひらりと下りた。私も馬からとび下りた。さあっと雨にしめった草が冷たく足をひざまでぬらした。
兄が叫んだ。
「佐藤庄司基治の子、継信と忠信です。母は義朝さまにゆかりの深い者で、一目お目にかかりたいと、かねてよりご一行をお待ち申しておりました。こよい一晩わが館にお立ちより頂けますれば、幸せと存じ、ここに参っておりまする」
吉次が何か言うより早く、黒馬の上の少年が、澄んだ、やや高い、だがはっきりととおる声で叫び返してせた。
「案内してくれ。私は参る」
そうして、馬をすすめてきた。
雨がやみ、灰色の空全体に、おぼろな、明かるい光が広がり、それを背に少年の顔が、今はもうはっきりと、私には見えた。色が白く、淡い眉とやさしい口もとの、すっきり小さい顔だった。ひとみが輝くように澄んで、燃え、兄から私へ、しっかりと動いて、とまった。明かるい声が、また命じた。
「馬にのれ、二人とも。館はここから近いのか?」
京ことばだ。自分以外の少年が使うのを聞くのは私は初めてだった。母は私にそれを教えこんでいたが、母や、母のところにくる都からの旅人の前以外では、私も使うことがなかった。
馬にのりながら兄が答えた。
「ほんの一息でございます、若君」
「義経と呼んでくれ。尾張の熱田で元服したのだ。自分で髪を上げ、名も考えた。… どちらが継信?」
「私です」
義経さまは笑って兄を、よく覚えておこうとするようにしっかりと見、ついで私に目を向けた。同じくらいの年ということがご自分でもわかったらしい。すぐに聞かれた。
「では、そなたが忠信…いくつになる?」
「十六でございます、殿」
「私と同じか」
「はい、ずっとそうでした」
義経さまの目がふうっと深い笑いをたたえ、そばに来ていた吉次と兄とが顔を見あわせて吹き出しかけ、私自身、あ、バカなことを言った、と全身がかっと熱くなったとき、義経さまが、まじめな静かな口調で聞かれた。…目はどこかまだ、ほおえんだままで。
「ずっと…前から私のことを、知っていたのか、そんなに?」
…この人は気づいた。
私のことばにこもっていた、私自身さえ気づかぬ意味を、この人はよみとってくれた。
夢中で殿を見返して、私は答えた。
「吉次からお噂は、私も、母も、いつもうかがっておりました」
「そなたたちの母は? 父義朝に、ゆかりの者と申したが」
「荘司の尼と申しまして、昔…」
言いかけて私はロをとざした。
それは母に、自分で話させてやりたい、そう思った。
「館で殿を、お待ち申しておりますのでよろしければおことばをかけてやって下さいましたら」